第四話 大事な人
夕飯を食べ終わって部屋に戻った斗真は、自室のシャワールームを使って熱いお湯を頭からぶっていた。一日の汗を簡単に流した斗真は体の火照りを冷ますため、上半身裸姿でタオルを首から掛けて窓の向こうを見つめる。
「これで、良かったはずだ。これで……あいつ等はここに残るはず。後は俺が全員を元の世界に帰す。それで全ては解決する。そうだろ、御剣斗真。ビビってんじゃねぇぞ。これからが本番だ」
斗真はそう呟いて、窓から寝静まった夜の街とその向こうに微かに見える高原を見下ろす。その先に何があるのか。それは分からないが、きっとここを出れば辛い戦いになることは分かる。こんな風にここと穏やかな気持ちで景色を見るのは今日で最後になるのだろうかと感傷的になっている自分に苦笑いして、ベッドに足を向けた。
その時、斗真の部屋にノックの音が静かな部屋に響いた。こんな夜遅い時間に誰が訪ねてきたのかと訝しむようにドアに視線を投げると、聞きなれたか細い声がドアの向こう側から聞こえ、斗真はサッとドアを開ける。すると、そこにはバスローブに身を包み、申し訳なさそうに佇む彩音の姿があった。
「すみません、遅い時間に」
「いや、気に……するな。って、何でそんな恰好!?」
一人でシリアスな雰囲気を醸し出していたのも忘れ、大胆な格好で訪ねてきた彩音に素でツッコミを入れてしまう斗真。だが、それも仕方のないこと。彩音はお風呂上りのようで、髪は乾ききっておらずしっとりと濡れ、頬は少し赤みがかっている。実妹と理解してはいるが、愛すべき妹の無防備な姿を見せられてしまっては斗真も慌てるしかなかった。
「は、はしたなかったですよね……すみません」
そんな斗真の心情を察したのか、彩音は更に顔を赤らめると、小さくなって恥ずかしそうに身を捩る。恥ずかしがるならば、何故そんな恰好で来たのかという疑問は頭の隅に追いやり、目の前の愛すべき妹を思いっきり愛でたい衝動が斗真の体を駆け巡る。
しかし、相手は実妹。そんなことは許されない。理性をフル動員して何とか衝動を抑え込んだ斗真は、こんな姿の妹を外に出しておくわけには行かないと取り敢えず彩音を部屋の中に招くことにした。
だが、斗真の慌て具合がそれで落ち着くわけでも無いので、非常にぎこちない雰囲気が部屋の中を漂う。
「お、俺達、兄妹なんだから……ちょっと驚きはしたけど、べ、別に気にする必要、ないだろ?」
「そ、そうですよね。兄妹、なんですし」
斗真はこの雰囲気を吹き飛ばそうと、彩音の姿から目を逸らしながらそう言うと、彩音もその意図に気が付いてくれたようで合わせるように返事をしてくれる。こんなに気まずい状況が初めての兄妹は、これで何とかいつも通りの雰囲気に戻せると一安心。
だが、そう思っていたのにここで問題が発生した。お互いに噛みながらもしっかり兄妹を強調して、認識統一を図ったつもりであるのに、彩音が腰かけたのは斗真のベッド。ちゃんと丸机と椅子が二つ用意されているのにも拘らず、彩音が選んだのはベッドだった。そうなると斗真が椅子に座ってしまっては兄妹を強調していた筈なのに謎の距離が出来てしまうので、兄妹として自然を装うならば斗真の選択は彩音の隣に座るしかない。
夜も遅い時間に若い男女がベッドに腰掛けて顔を赤らめつつ、片やバスローブ姿で、片や上半身裸姿。他人が間違えてドアを開けてしまい、ベッドに腰掛ける二人を見れば、確実に開けてしまったドアを無言で閉めてしまいそうな雰囲気に、斗真がついに堪えきれなくなったようで、無言で隣に佇む彩音にそっと声を掛ける。
「えっと……だな。こんな遅い時間にどうしたんだ? 眠れなかったとか?あ、もしかして不安になったとか?」
緊張した空気を吹き飛ばすため、斗真は全力の兄貴面で妹を気遣う兄貴の構造を作りにかかる。
だが、そんな斗真の努力虚しく、彩音が放った次の言葉で斗真は撃沈することとなる。
「そういう訳では無いのですが……。ただ、自室でシャワーを浴びていたら急に兄さんに会いたくなってしまって、身支度も疎かにして来てしまいました」
「……え?」
彩音の予想外過ぎる回答に、もはや唖然とするしかない斗真。更にはダメ押しとばかりに、恥ずかしそうな少しだけ赤み掛かった顔で微笑みを一つ斗真へプレゼント。
完全に不意を突かれてしまった斗真は心臓の音がトクンと跳ねたのを自覚。それと同時に戦略的撤退を図る。いきなり動き出した斗真に首を傾げる彩音を置いてトイレに駆け込んだ斗真は、その場で膝をついた。
「……。あれは卑怯だろ!? 何で椅子があるのにベッドに座ったんだ!! しかも、あの表情でニコッは無いだろ!? いや、ちょっと待て俺。昔から夜にパジャマ姿で彩音が俺の部屋に来た時にはいつもベッドで話をしていただろ。それに、彩音が俺に微笑みかけてくれるのもいつものことだ。そうだ、頭がおかしいのは俺の方だ!! 変な環境でバスローブなんて色っぽいのを身に纏ってるから俺の頭がおかしくなっちまったんだ。彩音はいつも通りの行動しているだけだ。そう、俺が変な勘違いをしなければ問題ない。そうだろ、斗真!! よし、もう大丈夫だ。いつも通り、いつも通りの兄妹でいいんだ。切り抜けて見せろ。御剣斗真!!」
自分の勘違いをしっかりと正し、正常の思考回路に戻したはずの斗真は頬を力強く叩いて、一呼吸入れると気合を入れてトイレから一歩踏み出した。
因みに無意識に切り抜けると言っている時点で斗真の思考回路は通常に戻っていないことはお察しである。
「に、兄さん、大丈夫ですか?」
「ああ、悪いな。急に腹が痛くなって。もう大丈夫だから」
心配そうな表情を浮かべる彩音に笑顔で返す斗真。いつも通りの兄妹の会話が出来ている。今の所は問題ない普通のやり取りだ。斗真は改めて彩音の隣に腰を下ろすと、途端に彩音との距離が近くなる。と言うより、彩音が斗真との距離を詰めてきたのだ。今度は何事かと身構える斗真を余所に、彩音はそんなことは知らないとばかりに斗真の頬に手を伸ばした。
「さっき、叩くような音が聞こえました。頬が赤くなってますよ? ……何かあったんですか?」
そう言って斗真の頬をゆっくりと撫でる彩音の手が冷たくて気持ち良く、反して密着している体はお風呂上がりの影響もあるのか火照って熱い位。気恥ずかしくなった斗真は視線を逸らそうとして少し俯くと、彩音のバスローブが着崩れてきたのか、胸元が緩んでおり、その先には微かな女性を象徴する……
「す、すまん!! ちょっといいか!?」
「え?あ、はい……?」
彩音から不自然に距離を取って再び、トイレに駆け込んだ斗真はその場でまた膝を折る。
「な、何故だ?何故俺は彩音を意識してんだ……相手は妹だぞ?いや、確かに彩音は可愛いし気が利くし料理もうまい。俺が彩音のことを好きなのは間違いないことだけど!?……それはあくまで妹としてだったはず。何でここにきて彩音を女の子として見てんだ?お、おかしいだろ。いきなりこんなことになるか?彩音の胸がチラッて見えることなんて、一緒に生活してれば何回もあっただろ!! たった一回の胸チラで何ドギマギしてんだよ!? 俺!! しっかりと自分を保て。大丈夫。いつも通りで良いんだ。そう、俺が変に意識しなければいいだけのこと」
再度自分に言い聞かせるように呟きながら気合を入れなおし、さぁ、決戦の舞台へと言わんばかりに表情を引き締めた斗真がドアを開けると、そこにはドアの前で呆然と立つ彩音の姿。時が止まったかのようにお互いが身じろぎ一つせず、ただお互いの目を見て固まる。
嫌な緊張感が走ったこの場の空気を破ったのは恐る恐る口にした彩音の一言だった。
「あの……兄さん、さっきの言葉」
斗真は大げさなくらいに肩をビクッと震わせて後退るが、それと同時に彩音が一歩踏み出す。斗真は更に後ろに下がろうとするが、その先は壁でこれ以上逃げ場は無い。
さっきの独り言が聞こえてしまったのかと冷や汗を流しながら、斗真の頭の中はパニック状態だった。本人にあんな言葉を聞かれてしまってはこれ以上誤魔化しようが無い上に本心を打ち明けるだけの心の準備も未だ整っていないのだ。どう言い逃れするべきか咄嗟に頭を回し続けるが、答えが見つからない。
しかし、よくよく考えてみればこの部屋の中に二人きりだけの状態で、ましてや夜中である現在、部屋が違うのであればまだしも、たった一枚のドア越しで斗真の呟き声が響かない訳が無い。
そして、時間稼ぎができるはずもなく、開くなと願っていた彩音の口が静かに開いた。
「私のこと、女の子として見てくれているんですか? 兄さんの、御剣斗真の妹としてだけではなく、一人の女の子、彩音として……」
潤んだ瞳で、しかし、真っ直ぐに見つめられた斗真は、完全に思考回路を停止させた。もうこうなってしまっては考えた所でどうしようもないのだ。斗真は守やさくらのように突発的な事態に頭を使って切り抜けられるほど頭が良いわけではない。ならばどうするのか。馬鹿が出来ることなど高が知れている。だから、斗真は誤魔化すことを諦め、隠すことを諦めた。
「悪い、俺にもわからないんだ……。確かに、彩音の仕草を見てドキッとさせられることはあるし、お前に対する接し方が分からなくなるときもある。だけど、俺にとって彩音は大事な妹なんだ。それは間違いない。それが、妹として彩音のことが好きなのか、それとも……」
「兄さん……」
斗真はバツが悪そうに表情を歪めて本心を吐露する。誤魔化すのは斗真の得意とするところではない。ふざけた場ならともかく、今のような真面目に対応をしなければいけない場面では。
彩音は、そんな斗真の言葉が返って来ることを知っていたかのように、優しく目を細めると、何故か恥ずかしそうに少しだけ俯いて顔を赤くした。そんな彩音の雰囲気に斗真が戸惑っていると、彩音は斗真に一歩に近づいてその手を自分の手で優しく包み込んだ。
「……それなら、試してみませんか?」
「た、試す?」
彩音の様子と言葉に思わずオウム返しのように聞き返してしまう斗真。そんな斗真の手を引いて彩音はゆっくりと後退って行き、斗真はそれに倣って訳も分からず彩音に付いていく。そして、十歩目くらいのところで彩音の足がベッドに触れると、彩音はそのまま背中からベッドに倒れ込んだ。
「うおっ!?」
彩音の手に引かれた斗真は、バランスを崩してしまい彩音に向かって倒れ込みそうになる。このままでは彩音を自分の身体で押し潰してしまうと思った斗真は、彩音との接触寸前で片手をベッドにつけて身体を支え、彩音に覆い被さるようにして何とか事故を防いだ。
しかし、そうなることは彩音の思惑通りだったのか、至近距離で斗真を見つめる彩音の瞳には斗真の姿が映し出されており、その表情は斗真がこの人生で見たことも無い艶やかなものだった。彩音のそんな姿に、斗真はやっと彩音が言っていた意味を理解して目を見開く。
「確かめて下さい。兄さんの想いを……私は何されてもいいですから」
斗真は彩音の言葉で頭の中が真っ白になった。妹があられもない姿でベッドに横たわり、無防備に身体を晒している。完全に斗真に身を任せる様な姿は、斗真の男としての本能を覚醒させるには十分過ぎる光景だった。斗真の手は斗真自身の意思とは無関係に伸びていき、もう少しでその手が彩音の身体に触れる。
「にい、さん……」
「っ!?」
彩音の微かな声が斗真の手を直前で踏み留まらせた。その声に含まれている感情は何なのか、彩音と共に過ごしてきた斗真しか分からないこと。そんな時間があったから、斗真はここで理性を取り戻すことが出来た。
よく見れば、触れようとした彩音の身体は小刻みに震えていて、彩音の表情を伺えば顔を真っ赤に染めて目を硬く閉じている。今、斗真が彼女の身体に触れてしまえば、きっと彩音は斗真に身を任せるだろう。恐怖や不安を必死に堪えながら。
そんなことは、彩音が望んでも斗真が望むことではない。斗真はただ、目の前の女の子を、誰よりも大切な彩音を大事にしたいだけだ。彩音の好意に甘えて自分の欲望を満たすことで、女性として見ている証明にするなど、女性として見てはいても大切に思っているなど到底言えないだろう。こんなことで関係を無理矢理変えるなんてことは絶対に許さない。誰が許しても斗真自身が絶対に許せなかった。
そんな当たり前の想いに、斗真は今初めて気が付いた。ここまで彩音に勇気を振り絞ってもらってやっと気付けた大事な気持ち。当たり前のことだった。昔から何一つ変わっていなかった。その想いを彩音に伝えたくて。目の前の女の子がとても愛おしくて。
だから斗真は精一杯の謝罪と、感謝の気持ちを込めて彩音の頬にそっと触れた。
「んっ!!」
目を硬く閉じた彩音の身体が大きく震える。そんな彩音を宥めるように斗真はそっと頬を撫で続ける。安心させてやるように、恐怖を取り除いてやるように。そして、ここにいるのは、お前の兄なのだと示すかのように。
そうしていると、次第に彩音の身体の震えは収まっていき、強張っていた身体も少しはマシになってきたようだ。いつまでも頬から手を動かさない斗真に彩音はうっすらと目を開け、斗真を伺うように見つめる姿に、斗真は優しく微笑みかけた。
「悪いな、彩音にこんなことさせるなんて。ホントに俺は馬鹿だ」
「にい、さん?」
彩音の瞳に映った兄の表情は微笑みながらも、泣きそうな、悲しそうな笑み。そんな斗真の優しい手付きに彩音はただ兄の姿を見つめ、頬を撫でられる感覚に身を委ねていた。先程まで感じていた恐怖も、不安もいつの間にか斗真に包み込まれているみたいで安心できた。だから、斗真の表情に何か言う事は無い。ただ、その掌から伝わる感情は、彩音にとってとても嬉しいものだったから。
「俺、彩音のことを一生大切にするから」
「はい」
「絶対に一緒にいるから」
「……はい」
「彩音が俺にとって大事な妹なのは変わらない。だけどそれと同じくらい、彩音のこと女の子として大事にしたい。だから、彩音。……俺だけの女になってくれないか?」
「っ!!……はいっ!!」
斗真の言葉に、嬉しそうな涙を零しながら頷く彩音の頬に改めて優しく手を添え、斗真は人生で初めて異性の唇にキスを落した。
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真っ暗だった部屋が、徐々に明るみを帯びて夜明けを知らせる。
地平線の向こうに太陽が顔を除かせる時間、斗真と彩音はベッドに腰掛けて一つのブランケットに二人で身を包んでいた。
「まさかこんな展開になるとはな……兄貴はビックリだよ」
「私だって正直ビックリしてます……後悔、してますか?」
苦笑いしながら斗真が溢した言葉に、彩音がクスクスと笑って返すが、急に不安になったのか、暗い表情で斗真の顔を覗き込んだ。そんな仕草だけでときめいてしまうのだから、もう完全に斗真は重傷なのだろう。そんな自分が嫌じゃなくて。斗真は笑いながら彩音の頭をぐしぐしと撫でた。
「んなわけねぇだろ? むしろ今にも天に昇りそうなくらい、幸せな気分だ!! 後悔なんて欠片もねぇよ。彩音だってそうだろ?」
「そうですね。 私も、すごく幸せです。って、にいさ……きゃっ」
照れ笑いする彩音に斗真は我慢ならず、ブランケットに包まったまま彩音を押し倒して抱きしめる。そんな斗真に慌てた様子の彩音は、くすぐったさと、恥ずかしさで身を捩り、斗真の抱きしめ攻撃から逃れようとするが、結局斗真の暖かさにやられてしまい、仕方ないなぁといわんばかりの表情でゆっくりと腕を回して斗真を抱きしめ返した。
「兄さん、私、とても幸せです」
「ああ、俺もだ」
「このまま、こんな日常が続けばいいのにって、そう思っちゃうくらいに」
「そうだな、平和にこの世界で暮らせればいいな」
「はい。この世界なら、私達が兄妹なんて知っている人は全然いませんから。この場所に家を買って、お仕事して、二人で幸せに暮らすことも出来ると思うんです」
「そうかもしれないな」
お互いの温もりを感じながら、そんな未来の話をする。きっと楽しい幸せな未来が待っているのだと。きっと、元の世界ではありえない未来を、ここでなら掴み取ることができるのだと。幸せな道を二人で歩んでゆく二人の背中を幻想しながら、斗真達は未来を語った。飽きること無く、太陽が昇り、朝を知らせるまで。
そうしているうちにいつの間にか会話は途切れ、そろそろ身支度を整えようかと斗真が動きだそうとしたとき、斗真の手が引っ張られ、斗真はどうしたのかと彩音に振り向くと、そこにはさっきまでの幸せそうな表情が鳴りを潜め、少し不安げな瞳を斗真に向けてた。
「それでも、やっぱり行くんですか?」
「い、行くってどこにだよ?」
唐突な言葉に、斗真は動揺した。咄嗟に言葉を返したが、言葉にしなくても彩音の言葉の意味は理解している。しかし、何故彩音が斗真の考えを知っているのか。だがそれこそ、考えなくても分かることだった。誰よりも長く斗真の傍にいた彩音が、斗真の考えを見抜けないわけがない。
「元の世界へ帰るために、探しに行くんですよね?」
「……ホントに敵わねぇな。エスパーかよ」
「兄さんに対してのみ、ですけどね」
斗真の降参したようなポーズに、彩音は軽く微笑んで頷いた。しかし、その目は斗真に先を促すように真剣な瞳を携えていた。
「ああ、正直、彩音と一緒にこうしてる時間がいつまでも続けば良いと思ったのは確かだし、今も、後戻りしてこの世界で暮らすって案が出てき始めてるのも確かだ。けどな、この世界は俺達のいるべき世界じゃない。俺達は俺達の世界で暮らすべきだ。それに何より」
斗真は、今一度彩音の傍に寄り添って、その柔らかい身体を抱きしめた。斗真の抱擁に成すがままにされ、顔を斗真の胸に埋める彩音。何でも話して欲しいと、言葉ではなく態度で伝える。
「何よりも、大切なもんができた今、ここで何もせずにのうのうと生きて、魔獣とやらに殺される可能性がある世界にお前をおいて置けない。俺達が、皆が幸せな未来を掴むためにも、今は力が必要なんだ」
「……本当に兄さんは、相変わらずのお馬鹿さんです」
「悪かったな」
斗真の言葉に呆れながらも何故か笑みが零れてしまうのは、やはり変わらない兄の性格がとても好ましいものに思えたからだろうか。そうなれば、彩音も決意が固まる。
「なら、私も準備をしないといけないですね」
「え?彩音?」
戸惑うような斗真の声に、彩音はクスッと笑って、斗真の瞳を覗き込む。
「私も付いていきます。兄さんに」
「なっ!? んなこと許可するわけ無いだろ!! お前はここに残って待ってるだけでいいんだ。俺が全部終わらせて帰ってくるから。そしたら俺と」
「そんなこと、私が許せません。兄さんは私を一生大切にすると言ってくれました。ずっと一緒だとも」
「それはそうだけどな、この旅は」
「分かっています。ですが、命を落とすかもしれない旅に行く兄さんを見送って、それで兄さんが帰ってこなかったら私、絶対に耐えられません!!」
「彩音……」
「何を言われても私は兄さんに付いて行きます。絶対です」
「はぁぁぁ。わかった、わかったよ。お前は俺が絶対に守る。だから、無茶だけはするなよ?」
「はいっ!!」
嬉しそうに頷く彩音に斗真は何処までも彩音には勝てないのだと苦笑いを浮かべるしかなく、斗真の心の中では彩音が笑って近くにいてくれるならそれもありなのかもしれないと、少しだけそう思って、窓にそっと視線を向ける。
そして、斗真の表情が固まった。
「って、彩音!! そろそろ戻らないとヤバいんじゃないか?こんなところ見られたら洒落にならねぇって!?」
「え?あっ!! もう皆さんが起きてくる時間……わ、私、部屋に戻って支度してきます!!」
「こっそりだぞ!? バレないようにな!?」
「わ、分かってます!!」
既に朝日が昇って、全員が身支度を整え始めている時間帯だということに気が付いた斗真と彩音は、慌てながらも、身なりを少しばかり整えてからドアをゆっくりと開けて廊下に誰もいないことを確認する。そして、斗真は彩音を手招きで呼んで自分の部屋に戻るように指示を出すと同時に、廊下を彩音が駆け出す。
だが、彩音は何故か途中で足を止めると斗真の元に向かって来てしまった。斗真は忘れ物でもしたのかと思って、早く部屋に戻る様にジェスチャーをするが、すぐそこの距離を戻って来てしまった。
「忘れもんなら、届けるから今は」
「今じゃなきゃ嫌です」
斗真の言葉を遮って、斗真の胸に手を当てた彩音は静かに目を閉じて顎を少し上げて見せた。餌を待つひな鳥のような、愛らしい表情でキスをせがむ彩音に、斗真はこんなわがままな彩音を見るのはいつ振りだろうかと、激しく脈打つ鼓動を誤魔化しながら過去に思いを馳せ、しかし、しっかりと好きの気持ちを乗せて彩音の唇に触れる。
すると、頬を赤く染めて照れたような笑みを浮かべた彩音は、満足そうに踵を返して自分の部屋へ今度こそ戻っていくのだった。彩音がしっかりと自分の部屋に辿り着いたことを確認してから、斗真は深いため息と共にドアを閉め、背中を預けようとしたのだが、途中でドアが動かなくなり、斗真は自然とドアに視線を向ける。
「斗真? あれは一体どういうこと?」
「なっ!? ま、守!? お前いつの間に」
「いつの間にって、もう朝だし、朝食の時間までもう少しなんだから、僕がここにいても不思議じゃないと思うんだけど? それとも、時間を忘れる位の出来事でもあった?」
そこには、ドアの隙間に足を割り込ませた守が斗真へ最大級の笑みを向けており、そんな姿を見た斗真は、完全に疲れ切った様な苦笑いを浮かべるしかなかった。
すみません!!
投稿時間が遅れてしまいました。
次回からやっと、斗真達の冒険が始まる……予定です。
引き続きよろしくお願いします。




