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CASE4-4 復讐

 雨が勢いを増してくる。

 日曜日でも部活動に励む生徒がいるかと思ったが、雨で中止にでもなったのだろう。第二グラウンドには誰もいない。

 水捌けが悪いことで有名な第二グラウンドはちょっとした池みたいになっている。倉庫は入口からグラウンドを挟んだ奥側だが、いちいち迂回しているほどの余裕は偵秀にはなかった。

 水を跳ね、泥を踏み、思いっ切り足跡を残して直進する。

 倉庫の南京錠は破壊されていた。この中に拳銃を持った誘拐犯がいると思うと足が竦みそうになる。


「須藤の言う通りになっちまったな」


 殺人犯ではないが、偵秀が一人で凶悪犯罪者と向き合う日がこうも早く来てしまうとは夢にも思っていなかった。

 まだ護身術など触ってもいないのに……いや、相手は元プロボクサーで拳銃まで持っている。偵秀が何年も前から格闘術を習っていたとしても敵わないだろう。


 だが。

 それでも。


 行かなければならない。自分の身可愛さに、他人を見殺しにして安穏と暮らせるほど偵秀は人間ができていないのだ。

 一応、『準備』はしてきた。上手くいけばきっとなんとかなる。

 なんとか、してみせる。


「十八分」


 倉庫の扉を開くと、そこに立っていた男はシャーロットのスマートフォンで時間を確認して残念そうに呟いた。


「あーあ、惜っしい。もうちょっとでお嬢ちゃんがショータイムだったのによぉ」


 百八十センチメートルは超えている身長。広い肩幅。少し痩せこけているが強面の顔。警察の資料やニュースで見た葛本尚志本人で相違ない。

 葛本はシャーロットのスマートフォンを床に落とし、踏みつけて破壊してからニヤァと下卑た笑みを偵秀に向けた。


「テーシュウ!? なんで来ちゃったんですか!? ここは危ないですから来ないでくださいッ!?」


 葛本を挟んだ向こう側に見えたシャーロットは……倉庫の柱に腕を回した状態で手錠をかけられ拘束されていた。


「約束だ。シャーロットを返してもらうぞ」

「約束ぅ? 俺がいつそんな約束をした? 返してほしければとは言ったが、返すとは一言も言ってねえぜ?」


 葛本は電話で話しただけでも想像できてしまった下衆な奴だった。偵秀はイラッとはしたが動揺はしない。葛本が素直に人質を解放するとは微塵も思っていなかったからだ。


「なら、俺はなにをすればいい? どうすればシャーロットを解放してくれる? 土下座して謝ればいいのか?」

「わたしなら大丈夫です! だからテーシュウは逃げてください!」


 奥で手錠をガチャガチャ鳴らしながらシャーロットが叫んだ。


「大丈夫なわけないだろ! 俺が逃げたら、お前は殺されるんだぞ!」

「わ、わたしにはバリツがあります! 拳銃だって平気です!」

「ならとっくにそいつをボコって脱出してるだろうが! もう自分じゃどうしようもないんだろ? はっきり言え! いや、やっぱ言わなくていい。もう黙って待ってろ」


 助けを求められようが求められまいが、もう偵秀には関係ない。


「すぐ、助けてやるから」


 シャーロット・ホームズを救う。それが偵秀の『今』やりたいことだ。自分より遥かに格上の相手から人質を助け出す。ぶっちゃけて難題だ。シャーロット風に言えば難事件だ。

 事件なら、解決するのが探偵だ。


「話は終わったかぁ? だったら、そうだなぁ……あと三歩ほどこっちに来い」

「?」


 偵秀は怪訝に眉を寄せたが、シャーロットに拳銃の銃口を向けられたので慌てて葛本の言う通りにする。

 次の瞬間――ドムッ、と。

 偵秀の腹から、鈍い音が鳴った。


「がっ!?」


 一瞬で距離を詰めてきた葛本の拳が偵秀の腹に減り込んでいた。遅れて痛みが全身に伝播し、込み上げてきた吐き気に持っていたビニール傘を落として蹲る。


「おら! もっとちゃんと這い蹲れ!」


 頭を踏みつけられた。骨がミシリと軋みを上げるほど凄まじい力だ。偵秀のような凡人には絶対に振り払えない。

 意識が飛びそうになる。

 だが、葛本はそうならないギリギリの力加減に調整しているようだ。呻く偵秀から足を退けると、横に回って爪先で腹を蹴り上げた。


「がはっ!?」


 偵秀の体は軽く浮き上がってサッカーボールの籠に背中から激突した。冗談みたいな痛みが全身を駆け巡って一瞬だけ意識が途切れた。


「テーシュウ!?」


 シャーロットが悲鳴を上げる。おかげで朦朧としていた意識が少し覚醒した。


「ほら立てよ。まだおねんねには早い時間だぜ?」

「言われなくても……」


 偵秀はよろけながらサッカーボールの籠を支えにして立ち上がる。それだけで電流のような痛みが走った。肋骨辺りが折れてまではいなくても、罅は入っているかもしれない。

 サッカーボールを掴み、葛本に向かって投げつける。


「ぶっ! おいおい、それが攻撃でちゅかー? 可愛すぎて草が生えまちゅよー?」


 吹き出した葛本は手で呆気なくサッカーボールを弾いた。だが、それは偵秀もわかっている。弱った一般高校生が投げたボールなど元プロボクサーなら直撃したところで脅威でもなんでもない。

 偵秀の狙いは隙を作ることだ。

 籠を倒し、入っていた全てのサッカーボールを床にぶち撒ける。そしてそのボールの群れに乗せるようにして、鉄の籠自体を転がし投げた。


「まあ、ボールよかマシだが」


 葛本は鉄籠を蹴り弾く。


「こんなもんで俺を倒せると思ってんのか?」

「思っちゃいないさ」

「――ッ!?」


 偵秀は葛本が余裕を見せている間に接近し、手に握っていた白い粉を奴の顔面に叩きつけた。


「うわぶっ!? 目が痛え!? なんだこりゃ!?」

「ライン引きで使われる石灰だ。早く目を洗わないと失明するかもな」


 石灰は水に溶けるとアルカリ性の液体になる。それが目に入れば角膜が腐食して溶け、最悪の場合は言った通り失明だ。


「いいねえ! そういう卑怯な手は俺も大好きだ!」


 無理矢理に目を開いた葛本に偵秀はアッパーで顎を殴られた。葛本の狙いが逸れて直撃は免れたが、今のは確実に意識を刈り取る一撃だった。


「これが、俺を痛めつけることがお前の目的か!?」


 落としていたビニール傘を拾う。武器替わりにして鋭い先端を突き出す。が、葛本は容易く傘を掴むと、握力だけで曲げてしまった。

 そのまま傘を引っ張られ、つんのめった偵秀に強烈な頭突きが炸裂する。


「うっ」


 脳震盪を起こして偵秀は倒れた。再び踏みつけられる。ぐりぐりと肉を抉っていくようにしながら、葛本は楽しそうに愉しそうに嗤った。


「ああ、そうだ。たっぷりじっくり時間をかけてあのお嬢ちゃんの前でてめえを壊していくんだ。だが殺しはしない。死にそうなギリギリのところになったら、今度はてめえの目の前でお嬢ちゃんを辱めてやるんだ。ロリなJKなんて天然記念物すぎて保護したくなっちまうが……死にたくなるほどの傷をつけて、最後は一緒にあの世に送ってやるよ」


 下衆だった。


「お前、シャーロットは関係ないだろうが!」

「怒ったか? ならさっきみたいに抵抗してみろよ! もう蹲るしかできないなら来世はダンゴムシにでもなったらどうだ? ギャハハハハハ!」


 蹴られる。また蹴られる。さらに蹴られる。


 腹を、胸を、背中を、足を、肩を、腕を、頭を。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 まるで積年の恨みでも晴らすかのように、蹴りの一撃一撃が鈍く嫌な音を立てていた。


「もうやめてください!? なんでテーシュウがそこまでされないといけないんですか!? テーシュウが死んじゃいます!?」


 霞む意識の中でシャーロットの悲鳴を聞いた。


「なんで?」


 蹴りが止まる。


「なんでだぁ? それはこっちのセリフだ! 俺は一生懸命やってきた! 勝たなきゃいけねえ世界だった! だからそのためにはなんだってやった! それなのに俺は追放されたんだぞ! なんでだ!」

「な、なんの話ですか!?」


 ボクサー時代の話だろう。


「ヨメ捜しだって真剣だった!」

「真剣に子供を選んだのか……」

「どうせなら俺が老いても若いヨメの方がいいだろうが! だから攫った! 俺好みに育てて、一生俺に尽くさせるためになぁ!」

「こ、この人、なんかいろいろずれちゃってます!?」


 シャーロットにまで言われるとなると大概だ。


「全部! 全部全部ぜぇーーーんぶ他人が俺の人生を滅茶苦茶にしやがんだ! だから俺を狂わせた奴らには鉄槌を下さなきゃならねえ! そうだろう!」


 共感なんてできない。他人が関わるのが人生だし、狂うような生き方をしていた葛本が全面的に悪い。

 葛本は偵秀の胸倉を掴んで持ち上げる。


「杜家偵秀、てめえが俺を犯罪者にしたんだ。責任取って――死ね」


 酷い言いがかりだ。

 こんな人間の屑のために偵秀が死んでやる義理など欠片もない。


「お断りだクソ野郎!!」


 だから、このタイミングで切り札を使うことにした。



 バチィイイイッ!!



 青白い火花が弾ける。

 偵秀は服の中に隠していたスタンガンを葛本の脇腹に押しあてたのだ。


「ぐおぁああああぁああぁあああぁああああッッッ!?」


 感電し、ビクリと激しく痙攣した葛本は白目を剥いて倒れた。最初はスタンガンなんて持っていなかった偵秀だったが、濡れた服を着替えるために寄ったディスカウントショップで目につき、なにもないよりマシだと考えて購入していたのだ。

 倒れ込んできた葛本の巨体を脇にどける。よろりと偵秀は立ち上がり、今にも泣き出しそうな顔をしているシャーロットの下へと歩み寄っていく。

 足取りが覚束ない。全身の痛みに意識が真っ白になりそうだ。


「はあ……はあ……シャーロット、今助ける」

「でも、テーシュウ、手錠の鍵は犯人さんが持っています」


 葛本は数メートル後ろで気絶している。今なら鍵を探すのも楽だろうが、その数メートルを戻る元気はもう偵秀にはなかった。

 だが、問題はない。

 ニヤリと偵秀は笑うと、ポケットから取り出した手錠の鍵をシャーロットに見せつけた。


「えっ!? なんでテーシュウが持ってるんですか!?」

「手癖は悪いんだ」


 何度か葛本に近づいた際にこっそりスッておいたのだ。

 と、シャーロットの青い目が限界まで見開かれた。


「……てめえ、よくもやりやがったな!?」

「テーシュウ後ろ!?」


 パァン!!


 振り向く暇もなく、乾いた銃声が倉庫内に轟いた。

 脇腹がカッと超高温で焼かれたかのように熱くなる。触れるとべちょりとしたなにかが掌に付着した。


 赤い。

 血だ。

 撃たれた。

 なんだこれは。

 痛いというレベルではない。

 まだ、次が来る?


「チッ、弾詰まりか? ちゃんと整備しとけよあのクソ警官がッ!」


 葛本は追撃するために何度も引き金を引こうとしていたが、カチカチと虚しい音が鳴るだけで発砲できないでいた。

 今のうちだ。


「シャーロット、動くな。手錠を外すから」


 偵秀は痛みに叫び転がりたくなる衝動を意思の力で抑え込み、シャーロットの手錠に鍵を挿入する。


「でも、でも、テーシュウ、血が……血がいっぱい……死んじゃう」


 シャーロットは泣いていた。大粒の涙が青い瞳からぽろぽろと零れ落ちている。


「テーシュウ、動いちゃダメです。傷が、傷が広がっちゃいますぅ!」

「大丈夫、急所は外れている。お前が動けるようになったら……俺を病院に運んでくれ。でも、その前に――」


 ガチャリ、と手錠が外れる。


「あのクソ野郎を、ぶっ飛ばせ。シャーロット・ホームズ!」


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