CASE2-7 残された問題
「まったくすげえ婆さんだったな。じゃあ、刑事さん。俺らはもう帰っていいだろ?」
「犯人はわかったんですからもう残らなくていいですよね?」
「そうでありますね。後日調書を取ることになるかもしれませんので、ご住所とご連絡先だけ教えていただければ」
まずい。このままでは容疑者の二人が解放されてしまう。
「待ってください。引っ手繰り事件は解決しましたが、別の問題がまだ終わっていません」
「別の問題ですか?」
シャーロットが小首を傾げた。
「あなたたちは三人とも俺――杜家偵秀を見た時に明らかに狼狽えていました。なぜですか?」
「テーシュウがヘッポコな推理をして犯人にされちゃうと思ったからじゃないですか?」
「お前に言われると腹の底が煮え滾ってくるな……」
確かにそれもあるだろう。だが仮にも杜家偵秀は名探偵で知られている。自分になにも負い目がないのにあれほど狼狽することは少々不自然である。
「中野さん」
「ひゃい!?」
呼ぶと、中野逸美は短い悲鳴と共に飛び上がった。
「怯えなくても、あなたは別に犯罪をしたわけではないのでしょう?」
彼女の事情は察している。この場で明かす必要はないのだが、放置しておくわけにもいかないだろう。
「あなたはここから五十メートルほど離れた場所にある洋菓子店で万引きをしようとした。でも結局できなかった。それだけじゃないですか?」
「どうしてそれを!?」
「ここは北区です。南中――門田木南中学校の通学区域ではありません。南中自体は北区と南区のほぼ境目にあるため然程離れていませんが、特殊な事情でもない限り『遅刻しそうで走っていた』ということはないはずです」
その特殊な事情で家が北区にある可能性も否定はできないが、彼女が別の理由でここにいることはわかっている。
「それにあなたのスマートフォンの画面に表示されていたメッセージを見てしまったので」
「あっ」
思い当たったのだろう。偵秀が見たSNSのメッセージにはこのように書かれていた。
【遅いよ逸美。門駅前のシュークリーム買ってくるだけにどんだけかかってんの?】
どう読んでも学校に来ない友人を心配してのメッセージではない。門駅とは門田木駅にこと。この近くでシュークリームと言えばその洋菓子店以外あり得ない。
「パシリにされたが、あなたは財布を持っていなかった。あの洋菓子店は商品を客が自分で選んでレジに持って行く形式ですので、上手くすれば盗めるんじゃないかと考えた。違いますか?」
「はい……その通りです」
実際は考えただけで盗んでいないのだから負い目を感じることではないと思うが、根は真面目そうな子である。わかっていても堪えられないのだろう。
「パシリ? イジメですか? むむむ、許せません! ちょっとわたしが説教してきます!」
「やめろ」
駆け出そうとするシャーロットの襟首を偵秀はがっしと握った。彼女の体格的には中学生で充分通じるだろうが、なにがどうなろうと面倒なことになってしまう未来は明白だ。
「他人の俺が口出しできることじゃないと思うが、本気で悩んでいるなら誰かに相談するんだ。まあ、それができれば苦労はないだろうが……それができなきゃなにも変わらない」
「いえ、あの、イジメじゃないんですけど」
「え?」
おずおずといった様子で中野逸美は否定した。
「パシリにされたのは本当ですけど、それはただ、私がジャンケンに負けただけで……普通に友達ですよ?」
「……」
「……」
「うん、ならいいや」
話を勝手に重くされて困ったように眉を寄せる彼女に嘘はなさそうだった。話を重く捉えるシャーロットの悪い癖が感染ってしまったのかもしれない。
「アハハ! テーシュウも間違うんですね!」
「や、やかましい!? お前に笑う資格はないからな!? ていうかお前がイジメとか言い出すから!?」
「ひん!? いいい痛いです!? 頭ぐりぐりするのやめてくださいテーシュウ!?」
なんか偉そうなことを言ってしまった自分が偽善者っぽく思えてきて物凄い恥ずかしくなってきた偵秀だった。
だが、これで中野逸美の件はひとまず解決だ。
「さて、問題は楠さんですが」
チャキリ、と。
日本ではあまり耳慣れない物騒な音が聞こえた。
「ああ、推理ショーはしなくていいぜ名探偵。どうせ全部わかってんだろ?」
楠大輝が左腕を水戸部刑事の首に回し、右手で握った拳銃を彼女のこめかみに押しあてていたのだ。
「申し訳ないであります……」
「刑事さん!?」
「おっと、それ以上近づくとこの刑事さんの頭が吹っ飛ぶぞ?」
駆け寄ろうとしたシャーロットを、楠大輝は水戸部刑事に拳銃をさらに押し込むようにして牽制する。
偵秀は歯噛みした。順序を間違えた。大きい問題だからと後回しにしたことが裏目に出てしまった。
「あんたのギターに隠し扉のような仕掛けがありました。中身は麻薬だと思っていたのですが、その拳銃ですか?」
「どっちもだ」
麻薬と武器の密売人。それが楠大輝の正体だ。
「ぐぬぬ、探偵ルーペで見たはずなのに気づきませんでした……」
「お前はドーナツしか見えてなかっただろ」
そのドーナツはもし誰かに見つかった時、ギターに付着した白い粉を砂糖と言い張るための苦しい対策だ。麻薬を入れていた袋が破れていることに後になって気づいたのだと思われる。
家に帰っていただけの楠大輝がなぜ走っていたのか? 本当は麻薬か武器か両方の取引に遅れそうだったからだろう。
「おらお前らそこどけ! 大事な刑事さんの綺麗な顔に穴が開いてもいいのかぁ?」
「うぐっ」
水戸部刑事を乱暴に引きずるようにして楠大輝は控室の出口へと向かう。出口を固めていた警官たちは成すすべなく脇へと退いた。
「くっ……芳姉、あんた古武術習ってただろ! 自分でなんとかできないのか!」
「こ、腰が抜けて力が出ないでありますぅ」
このポンコツ刑事が一番ポンコツなところがこれだ。武術を習得しているはずなのに、本番になると緊張とプレッシャーでなにもできなくなってしまう。
このままでは誰もが楠大輝を見送ることしかできない。
ただ一人を除いて。
「おい、どけよガキ」
シャーロット・ホームズだ。
控室の出入口を塞いだ小さな探偵は、気丈に眉根を吊り上げて楠大輝を睨んでいる。
「嫌です。刑事さんを解放して、大人しく捕まってくれたらどいてあげます」
「チッ、ガキが」
楠大輝は舌打ちすると、拳銃の銃口を水戸部刑事から離した。
解放する気になった――のではない。拳銃の銃口は新しい獲物に向けられている。そう、出入口を塞ぐシャーロットの眉間に。
「ほら怖くねえのか? 拳銃だぞ? 撃たれたら死ぬぞ?」
「そうです。その物騒なモノはわたしに向けてください」
「ああ?」
楠大輝の額に血管が浮かび上がった。今のうちに捕まえることはできないか観察する偵秀だが、警官に指示を出しているような隙はない。かと言って、今の自分が直接動いたところで被害者が増えるだけである。
「人質を取るなんて卑怯な人のやることです」
シャーロットはそう言いながら薄手の手袋のようなものを右手に嵌めた。
「おい、なにを手に嵌めてやがる。動くな、撃たれてぇのか?」
「脅してばかりで、本当は撃つ勇気などないのでしょう?」
「なんだと!?」
「やめろシャーロット!? 相手は銃だぞ!? 挑発すんな!?」
いくらシャーロットでも素手で銃を相手にできるわけがない。いや、避けることくらいならできてしまいそうな気もするが、そんな人間はフィクションの中でしか知らない。
「そんなに死にてぇなら手伝ってやるよ、クソガキ」
「シャーロット!?」
パァン! と乾いた銃声が響く。
だが次の瞬間に起こった出来事は、誰もが、偵秀ですら予想できなかった。
飛んでくる弾丸を、シャーロットはグローブを嵌めた右手の中指と人差し指で挟むようにして掴み、銃弾の勢いを殺さずにその場で一回転。
弾速をほぼ維持したまま、投げ返した。
「えっ……?」
パシュン! と。
銃弾は楠大輝の顔すれすれを掠って後ろの壁に減り込んだ。
「嘘……だろ……?」
あんな一瞬の動きなど偵秀には見えるわけもないが、なにが起こったのかは状況から理解できた。
「あいつ、銃弾を素手で投げ返しやがった……」
人間技ではない。
「はえ……ははは……」
同じくシャーロットの化け物っぷりを理解したらしい楠大輝がその場にへたり込む。近くで同じ恐怖を味わった水戸部刑事も見事に目を回して失神していた。できれば偵秀もこんな非現実から意識を手放したい。
「さあ今です! 楠さんを捕まえてください!」
シャーロットの号令で忘我の境地に至っていた警官たちが正気づき、楠大輝は無事に逮捕されたのだった。