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本日一話目です。
「あの領収書、かなり以前から【春楼閣】に通っていたらしいが。だが中央の貴族共がお忍びで遊びにくるのは珍しくはないだろう?」
「その貴族が制圧派の一員でも、ですか~?」
ローズの口調は変わらずおっとりとしたものであったが、その目は一切笑っていない。その言葉の真意がいかに重要なものであるかをしっかりと伝えようとしているのだろう。そしてキャラミアはそのことを素早く察知して露骨に表情を曇らせた。
「あの連中、下見のつもりか。そのための経費すら押し付けるなんて、貴族様の割にはやることがセコいな」
「良くない予感しかしないんですけど~」
「あの……ここ無くなっちゃったりしませんよね?」
二人の話を聞いていたアイリーンが口のまわりにクリームをつけたままで会話に割り込んできた。制圧派という聞き捨てならない単語にいてもたってもいられなかったのだろう。
「心配いらんよ、あいつらはこの地区の利権だけが欲しいんだ。ここいらを管理する能力があれば中央でも頭角を現しているはず。制圧派なんてものを謳っている暇なんてないはずだ」
「そんな連中がここを落とせるはずがありませんね~」
「でも……」
「ま、ここは我々の上層部に任せておけばいいさ。こっちが先走って相手につけあがらせてもまずい」
皿に残ったクリームを意地汚く指で掬って舐めるキャラミア。そしてローズはアイリーンの口の周りをハンカチで拭っている。二人の普段と変わらない様子を見て安心したアイリーンはなすがままにされている。
実際に今の時点で彼女らに出来ることはない。彼女たちに出来ることは日々この地域の治安をある程度維持することしかないのだ。そもそも彼女たちに中央の貴族などという面倒極まりない連中と関わり合うつもりなど毛頭ない。
「あの方に丸投げですか~?」
「そのくらいはしてもらわないとこちらが協力していることが徒労に終わるからな。それじゃ……」
休憩を終えたキャラミアが席を立とうと会話を終わらせた時、その袖口を掴んでいる手があった。小さな手にもかかわらず、予想外に強力な力で掴まれており、その手の主を見つめる。
「どうした、アイリーン?」
「隊長、どこに行くつもりですか?」
「ん? パトロールだが?」
「それは私が行きますので、隊長は残りの決裁書類を処理してください。今日中にですよ、今・日・中・に!」
「諦めたほうがいいですよ~? こうなったアイちゃんは頑固ですから~」
縋るような目でローズを見るキャラミアだったが、ローズの諭すような口調に力なく椅子に腰を落とした。もちろん彼女自身もアイリーンの性格は理解しているが、基本内勤で接する時間の多いローズのほうがより熟知している。そんな彼女が言うのであれば下手に逃げるより素直に従ったほうがいいと判断したようだ。
「……徹夜確実だな」
「私も手伝いますよ~」
「じゃ、私はパトロールに行きますね」
じゃらじゃらと大量の首飾り等のアクセサリーを握りしめたアイリーンが二人の横を通り過ぎてゆく。嬉しそうな顔は鬱屈になりがちな内勤から解放された喜びを如実に表していた。こんな表情を見せられては一応上司であるキャラミアとしては仕方ないかと思ってしまう。その後ろ姿を見送りながら、今頃デスクの上で壮大な山脈を築いているであろう決裁書類の山を思い浮かべてがっくりと肩を落とすキャラミアだった。
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「で、卿は何が言いたいのですか?」
「我が息子が怪我を負わされた! しかも相手は掃き溜めの管理人のような警備隊員だそうだ! これをどう責任を取ってくれる!」
広い室内に男の怒声が響き渡る。だが相対している執務机に着いたままの少女の反応は薄い。少女は十代半ばほどの容姿で、輝きを放つ長い金髪と透き通るような青い瞳を持つ、可愛いというより美しいという表現がよく似合う少女だった。洗練されたデザインの服は華美な装飾は無く、かつ動きを束縛しないものだ。そしてその右腕に付けられたマークには金色の五本線が記されている。
「マクダネル伯、失礼が過ぎるのではありませんか? 警備局局長は爵位こそ持っておりませんが、国王陛下より侯爵と同格の地位を保証されているのですよ?」
「我が息子が怪我をしたのだぞ! マクダネル家の者が! それが黙っていられるか!」
「カレン、余計な口は慎みなさい。で、卿はどのような対処がお望みで?」
少女の隣に立つ女性は十代後半のような容姿で、同じようなロングドレス風の服装を着用しており、この服が制服のようなものであることが推測できる。彼女の右腕にもマークが付けられており、そのデザインは金色の四本線だった。カレンと呼ばれた彼女は少女からの静かな叱責に口をつぐんだ。
「決まっている! 我がマクダネル家はあのような無秩序な場所を認めない! なので管理権限を警備局からマクダネル家への移譲を希望する!」
「な! それは!」
カレンが思わず絶句する。目の前の恰幅の良い、というよりは贅の限りを尽くしたがために贅肉をつけまくっただけのような貴族の男が言った内容があまりにも衝撃的だったのだ。だがそれでも執務席に着いたままの少女の様子に変化は見られない。
「卿はそう言いますが、あの地域は我が国も領地として正式に認めてはいないのです。我々警備局も中央の治安維持の一環として、特別に管理しているのです。なのでこちらとしてはご自由にしていただいて構わないのですが、もし強硬手段に出ればれっきとした国外への侵略行為となりますよ?」
「な、何だと!」
「あの地域は戦前からメイスンの領地ではありません。元々はアンリールとプルーナルの領地です。戦後両国と併合されて以降もその扱いは変わっておりません。ですから国外への侵略だと申し上げているのです」
「そんなものは詭弁だ!」
「こちらは治安維持を継続するだけです。現在の国法では国王が招集する評議会の八割以上の承認が無ければ国外での軍事活動は禁止されています。なのでこちらとしては唯の狼藉者として処理するだけです。そもそもご子息がどうしてあの地区にいたのですか? 報告にいよればご子息は無断欠勤の上であの場所にいたとか。自身に課せられた任務を放棄しての不祥事、これは処罰されるべきではありませんか? そもそも五人がかりで負けるなど無様な姿を晒したことを恥じてほしいです」
「くっ……もういい!」
少女の言葉に言葉を詰まらせたマクダネル伯爵は吐き捨てるように言うと部屋を出てゆく。その後ろ姿を見送る少女は小さく息を吐いた。今までにあの場所に関して牽制が入ることは数え切れないほどあったが、ここまで直接行動を匂わせてくることはなかった。だが現在の法律では勝手に軍事活動をすることは禁じられている。
「……カレン、あのような者の言葉に感情的になってはいけませんよ」
「申し訳ありません、ですがあの地域は我々にとっても重要な場所です! あの上納金のおかげで我々の発言権が護られているのではないですか!」
「カレン、あれは我々の活動に対する報酬です。厳密に言えば彼女たちの働きに対しての住民たちの正当な評価ということです。我々は彼女たちの好意に甘えているだけなのです。そこをはき違えてはいけません」
「はい、申し訳ありません。ですが……このままにしておいてもよろしいのですか? クリス=リーディス局長? 彼らがこのまま引き下がるとは思えないのですが」
「強引に占拠してしまえば制圧派たちが雪崩れ込むでしょう。いいでしょう、私が直接彼女たちに話をします」
「そんな! 局長がそこまでする必要はありません!」
「いいえ、彼女たちの活動が我々を支える一因となっていることは事実です。それに私の私情も多分にありますので。今日の午後の予定はありませんので、これから向かいます。後のことは任せますので、何かあったらすぐに連絡するように」
「了解いたしました」
深く一礼するカレンに苦笑を見せつつ立ち上がると、制服を脱ぎ始める。少女らしい体つきだが、目を見張るのは胸元に埋め込まれた宝石のようなもの。透き通るようなブルーのそれは人体には存在しえないものだった。
制服から武骨なロングドレス兼甲冑のような服に着替えると、その上からフード付きの黒いローブを纏う。その恰好はこの周辺国家ではごく一般的にみられる女性傭兵の恰好であった。そして執務机の横に立てかけてあった長剣を背負うと、自らに割り当てられた部屋を出て外へと向かう。建物を出ると、そこは中央でも王宮にほど近い場所であり、今しがた出てきたのは五階建ての堅固な建物。その入り口には大きく【王国警備局】と記されていた。
「さて、彼女と会うのも久しぶりですね。お互い腕が鈍っていなければいいのですが……」
王国警備局局長クリス=リーディスは背負った長剣の柄をそっと撫でると、これから起こるであろうことを想像するとその顔に小さく笑みを浮かべるのだった。
本日19時にもう一話更新します。
読んでいただいてありがとうございます。