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本日もう一話更新します。
「隊長ー、どこですかー? たーいちょー」
決してお世辞にも綺麗とはいえないレンガ造りの五階建ての建物にソプラノの可愛らしい声が響く。だがその声はどこか焦っているようでもあり、どこか怒気が上乗せされているようにも聞こえる。声の感じからすると若いというよりもまだ幼さを感じさせる。
「お昼までにこの書類を決裁しないといけないのに、どこいっちゃったんですか」
声の主と思われる小柄な少女が大量の書類を抱えながら建物内のあちこちを歩き回っている。肩口までありそうなライトブラウン色の髪を一本にまとめたその頭部には丸い動物の耳のようなものがついており、本来人間にあるはずの場所には耳らしきものは見られない。ちょこちょこと歩き回る後ろ姿は特徴的で、ふっさりとした大きな尻尾が揺れていた。
「あら~? 隊長なら昨夜から戻ってないわよ~?」
「えー? またですか? どうしましょうか、この書類」
「それなら私が決裁するわ~。留守を任されているんだから~」
「それじゃお願いします、副隊長。隊長はいつものところですか?」
「たぶんね~、色々とあるみたいよ~」
やや広めの執務室のような部屋から声をかけられ、少女は安堵の表情を見せる。少女に副隊長と呼ばれたのは椅子に座った状態でもわかるほどに背の高い、艶やかな翡翠色の長い髪を持った妙齢の女性だ。その顔はにこやかな微笑みを浮かべており、特徴があるとすればその首もとに幾重にも巻き付けられた包帯のようなものだろう。何故包帯と明言できないのか、それは包帯に描かれた紋様だ。通常の病人に使用する包帯ではこのような紋様などありえないだろう。それにその女性の見た目は健康そのもので、病人のような雰囲気はまったくない。
そんな少女と女性に見られる共通点、それは二人とも同じような服装をしていることだ。細部に若干の違いは見受けられるものの、無骨なロングコートのようなそれはまるで軍服のようにも見えた。少女はローブの上から、女性は質素なドレスの上からそのコートのような服を重ね着している。
「そういえば変な請求書が回ってきてたんですけど……あ、これです」
「あら~、結構な金額ね~。たぶんこの件もあってのことだと思うわ~」
「また荒事でしょうか。まぁこんな街に荒事の起こらない日なんて天変地異の前触れか何かとしか思えませんけど」
「一応それに対処するのが私たちなんだけれど~」
女性は微笑みを絶やさずに服の右袖、上腕部のあたりに縫い付けられた徽章にそっと触れる。黒い正方形の中心に横一文字に走った銀色のライン。あまりにもシンプルすぎるデザインだ。
「仕方ありませんよ、言葉で理解する人たち相手の温い仕事じゃありませんから。|中央の勤務ならいざ知らず、特別市街地域なんですから」
「だいぶこの街に染まってきたんじゃない~? アイちゃん~?」
「アイちゃんはやめてください。私にはアイリーンっていう名前があるんですから、ローズ副隊長?」
「はいはいわかりましたよ~、アイリーン=メリル隊員」
「それじゃ荒事は隊長に任せて私たちは書類を処理しちゃいましょう」
「終わったら美味しいケーキでも食べに行きましょ~。奢りますよ~」
「本当ですか?」
今までの鬱屈した表情が嘘のように晴れやかな笑顔を見せるアイリーン。潮の香りをほのかに感じるそよ風を感じながらローズと呼ばれた副長は今この場にいない人物へと思いを馳せる。
(隊長~、早く帰ってこないと隊長の分なくなっちゃいますよ~?)
***************
その頃、アイリーン達のいる建物から三区画ほど離れた場所、まだ昼にはかなりある時間だというのにどこか淫猥な雰囲気を醸し出すその一帯は夜の帳が上がったことにより健全な街へと移行しつつあった。だがそんな区画でも中心に位置する朱く塗られた四階建ての建物では未だに夜の雰囲気を引きずっている一室があった。
「あのー、隊長さん? もう朝なんですけど?」
「うにゅ~……あと五分……」
「それもう十二回目なんですけど……」
夜が明けてしばらくたつというのに窓は閉め切られて室内は薄暗く、行燈のようなものがぼんやりと灯りを放つ。周囲には独特な芳香のお香が焚かれ、通常であれば男女の営みが繰り広げられるであろう寝具では一風変わった光景があった。
寝具の中央に座る女性はゆったりとした異国風の衣服を纏っており、その胸元は大きくはだけられている……わけでもない。衣服には特段乱れた形跡はなく、女性はただただ座っているだけだ。特徴があるといえばその女性の頭部にはイヌ科の動物、おそらく狐の類であろう耳がついており、やけに裾の短い衣服の下からは大きなふさふさの尻尾がのぞいている。
そしてその尻尾は寝具に横たえられており、それを枕に一人の人物が惰眠をむさぼっていた。特殊な形状をした制服のような衣服を着たまま、まるで新雪のような純白の髪を女性に撫でられながら満足そうに瞳を閉じている。それは明らかに女性だった。しかもどう見ても十代半ばから後半くらいの見た目である。
本来は男性がいるべき場所のはずが何故年若い女性がいるのかはともかく、その姿もまた特徴的だった。首には大きめのチョーカーのようなものが巻かれており、その衣服は制服のようでもあり、甲冑のようにも見える。そしてはだけられた胸元に埋め込まれているのは血のように赤い宝石らしきもの。
「……せっかくアタシが極上のモフモフを楽しんでるのに無粋な連中だな」
「え?」
突然放たれた威圧の篭った声に思わず体をすくめる狐耳の女性。隊長と呼ばれた女性はゆったりと、だが全く隙のない所作で起き上がると怯える女性に声をかける。
「あー、ごめん。アンタに向かってじゃないんだ。ちょっとばかし迷惑な連中が騒音を出してたんでね」
「え? あ、何か揉めているみたいですね……」
狐耳の女性が耳を澄ませば入口付近で店の主人と数名の男が揉めている声が聞こえた。そこで彼女はふと思う。今いるのは建物の最上階の四階、店の入口は一階だ。しかも部屋の用途の性質上、部屋の防音対策も万全であり、彼女の大きな耳をもってしてもかなり集中しなければ聞こえない音を隊長とよばれた少女は彼女よりも早く聴いていたのだ。
「おいおい、厄介ごとが向こうからやってきちまったみたいだね。危ないから部屋の隅でじっとしてな、アンズちゃん」
「は、はい、隊長さんも気をつけて」
「まぁ伊達に隊長じゃないってとこを見せてやるよ」
「ひゃん!」
餞別がわりとばかりに尻尾を強く撫でられて思わず声を出してしまうアンズ。隊長と呼ばれた女性が立ち上がると同時に部屋の木戸が勢いよく開かれた。そこには怒りの形相の五名の男が立っていた。
「おい! 貴様! 俺達の魔導車をどこにやった!」
「指名ナンバーワンのアンズを独占するとはいい度胸だな!」
「女のくせにふざけやがって!」
口々にまくしたてる男たち。その姿は隊長と呼ばれた女性と同じような、制服のような服を着ていたが、明らかに彼女よりも装飾は上等なものだった。
「中央の警備兵がわざわざこんなところまで来て女遊びとはいい身分だねぇ。よっぽど中央は平和らしい」
「うるせえ! たかだかスラムの警備隊長が俺達に逆らっていいと思ってるのか!」
「立場の違いを思い知らせてやる!」
隊長と呼ばれた女性の軽口に激昂した男たちは次々に腰につけた剣を抜く。それを遠巻きに見ていた従業員の女性たちが悲鳴をあげるが、男たちの行動を見ていた女性隊長はうんざりしたような表情で肩をすくめる。
「アンタらさぁ、こういう店で抜き身の剣を持つことの意味わかってんのか?」
「どうだっていうんだよ!」
「まったく最近の貴族はどういう教育受けてきてんだよ」
遊郭や女郎街、娼婦街など色を売る店での刃傷沙汰は殺されても隠し通すというのが暗黙のルールだ。特にこの男たちのように身分の高い家柄ではこういう場所で命を落とすなど一族の恥だ。さらに貴族の子弟には国のためにその命を張ることが義務付けられているため、こんな場末の遊郭の喧嘩の果ての刃傷沙汰など事と次第によっては国への義務不履行ととられることだってあるのだ。
「ど、どうして俺達のことを……」
「アンタら中央の警備兵でも【金】だろ? 【金】は家柄重視だから貴族しかなれない。権力ふりかざしたくなる気持ちはわからなくもないが、こういう場所で遊ぶなら制服なんぞ着てくんな」
女性隊長は剣を抜いた五人と対峙してはいるが全く緊張感が見られない。しかも彼女はどう見ても丸腰だ。男たちは彼女が無手なこともあって自分達の優位を確信していた。さらに彼らの傲慢さを増長させる要因が女性隊長の右腕にあった。
「お前【銀】のくせに生意気なんだよ! それに【一本】なんて聞いたことないぞ! こんなゴミの巣窟みたいな街の警備兵なんざ並以下ってことか?」
「ははははは! クズ共の街を護るのが底辺の警備兵とはお似合いだな!」
「…………」
口々に罵りの言葉をぶつけて笑う男たち。もはや自分達の優位はゆるがないと信じて疑わないせいか、女性隊長の顔から表情が消えたことに誰も気づいていなかった。彼女はゆっくりと左手で右腕の徽章を撫でる。
「はははッ、ごふっ!」
「な、どうした!」
突然先頭の男がうめき声をあげて体をくの字に曲げて跪く。持っていた剣すら取り落とし、腹部を押さえて悶絶するさまを見て他の男たちは動揺を見せる。気付けばいつのまにか女性隊長がすぐそばまで接近しており、おそらくだが前蹴りが鳩尾に綺麗に入ったものと思われた。だが彼らの動揺はそのことによるものではない。全く見えなかったのだ、彼女の挙動が。
「馬鹿な! 学校でも上位クラスだった俺達が!」
「あそこは貴族上位の考え方が染みついてるからな。どんな無能でも貴族なら上位クラスだ」
まるで路傍の石でも見るかのように感情のこもっていない目で男たちを見る女性隊長。明らかに侮蔑の意味のこめられた視線に気づいた男たちはプライドを傷つけられたせいかまともな判断力を失っているようで、実力の違いを見せつけられていてもまだ自分達が優位であると信じていた。まだ貴族としての家柄という武器があると安心していたのだ。ましてや相手は自分達よりも階級が下、どこにも彼らに不安要素など存在しないように思えた。もしもの場合は家の力を使って如何様にでもできる、そう考えたからこそ思わず口にしていた。
「お前、名前は?」
「相手に名を問う時は自分から名乗るってことすら分からないほど馬鹿なのか、アンタらは? そんな礼儀のかけらも持ち合わせてない奴らに合わせてやる義理はないんだが」
やれやれと言わんばかりに首を横に振る女性隊長。男たちはその指摘に自分たちの無知を思い知ったせいか、顔を真っ赤にして口々に「無礼だ」とか「下民が」とかわめいている。もはやこいつらには何を言っても無駄と思ったのだろう、女性隊長は鬱陶しいという感情をあらわにしながら言った。
「一応だが教えておいてやる。アタシの名はキャラミア、ここ特別市街地域の警備隊長だ。アンタらには色々と聞きたいことがある。多少の痛い思いは覚悟しておけよ?」
本日19時にもう一話投稿します。
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