「掃除用具入れ」にしか見えない、林田先生の話
今日は、僕が通っていた高校の社会科の教師であった「林田先生」についての話をしたいと思う。
林田先生の授業はとにかく変わっていた。
何が変わっているって、林田先生はまず一言も喋らないのだ。
出席も取らなければ、授業もしない。
ただただ教壇に一時間の間、無言で立っているだけなのだ。
最初の頃は「何かあるのではないか」と無言で先生を見つめていた僕たちも
半年が過ぎたあたりで、この先生は「生徒を怒れない教師だ」
ということがわかりすっかり社会科の時間は、昼休みと変わらないような有様となった。
そしてもう一つ林田先生が変わっていたことといえば、
林田先生の見た目は教室の隅に置かれている
「掃除用具入れ」にそっくりだということだ。
瓜二つとはこのことで、初めて林田先生を見た人は絶対に見分けが付かないだろう。
もし「林田先生」と「掃除用具入れ」の上から大きなコップを被せて、
ぐるぐると回した後、コップを取って「どっちが林田先生でしょう?」と質問されたとして、
林田先生を知っている僕たちでも、どっちが林田先生かを判別する自信はない。
そんな林田先生を教室外で見かけるときが多々あるのだが、
何度見ても、そのたびに、その光景に驚かされる。
学校前のコンビニの雑誌コーナーの前で見かけたとき、
校門の前で服装検査をしているのを見かけたとき、
集会が体育館などで行われ、他の教師に挟まれて林田先生が立っているとき、
林田先生の代わりに「掃除用具入れ」が置かれているという光景を
イメージしていただければ、それがどれだけ異様な光景であるかがわかっていただけると思う。
しかし、僕はそんなことよりも一つとても気になることがあった。
「林田先生の中には何が入っているのか?」ということである。
見た目が掃除用具入れな林田先生は、もちろん掃除用具入れ同様に右わき腹の辺りに取っ手が付いてある。
取っ手が付いてるということは、扉を開けて、中を見ることが出来るということだ。
もともと好奇心旺盛な僕は、それを知りたくて知りたくてしょうがなかった。
掃除用具が入っているのか、
社会科に関するような教材が入っているのか、
いやもしかしたら林田先生の本体、、つまり人間が入っているのではないかと考えたりもした。
興味は尽きないのだが、そこまで親しい間柄でもない林田先生に
「先生の中身に興味があるんです。ちょっと中身を見せてもらえませんか」
なんて気軽に言えるはずもなく、またそれはとても失礼なことかもしれないと思い、
なかなかその事を先生から直接聞き出すということは出来なかった。
僕は先生に少しでも好意を持ってもらおう! 信用してもらえる生徒になろう!
と社会科の授業は真面目に受け、テストはとにかく頑張った。
そして社会科についての質問をしに、職員室には何度も足を運んだ。
まぁいくら質問しても林田先生は何も答えてはくれないのだが、
それでも僕はとにかく少しでも多く林田先生と話す機会を持とうと思った。
3年生になってからは社会科の質問だけでなく、世間話や個人的な悩みの話しもできるほどになった。
しかし、それでも僕は先生に「その事に関する内容の質問」だけは出来ずにいた。
そして、そのまま卒業式の日を迎えた。
僕は、やっぱりまだ先生の中身が気になっていた。
ただ「それを知ったところでどうなるのか?」という気持ちも強くなっていた。
どうせ僕は今日でこの学校を卒業するんだ。
「先生の中身」など知ったところで、これからの僕の人生には何の得もない。
なにより、僕はこの3年間で林田先生のことが好きになっていた。
そんな先生を万が一でも傷つけるような質問を僕はしたくない。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」という言葉がある。
僕は、もうこのことは胸にしまっておこうと決心した。
卒業式が終わり、最後の放課後。
僕は林田先生に挨拶をしにいった。
先生のおかげで社会科を武器に進学が決まったことや将来の夢、学校での思い出など
これで、もしかしたら先生と話すのは最後かもしれないと思ってずいぶん長いこと喋ってしまった。
「すいません先生、僕ずいぶんと長いこと喋ってしまいましたね。
では僕そろそろ帰りますね。いままで本当にありがとうございました。」
僕はきびすを返し、歩き出した。
下校の途中で過去のことを思い出しながら、僕は急に罪悪感に襲われた。
「僕は嘘つきだ。先生にずっと嘘をついたまま3年間を過ごし、そして今卒業しようとしている。」
そう思ったのだ。
もともと先生に近づき、先生に話しかけたのは、先生の中身が知りたくてしたことだ。
僕は、「先生の中身」を知りたいがために、
ずっと社会科が好きなふりをして、先生の前でいい子を演じてきた。
つまり僕は3年間、先生を騙してきたことになる。
僕は自分が情けなくなり、先生に対してとても申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。
このまま卒業したら僕は絶対に後悔する。
僕は先生に謝らなければならない。
僕は急いでさっきまで先生と話していた場所へと戻った。
先生はまだその場に置かれたままであった。
「先生、話したいことがあります。」
僕は本当のことを包み隠さず話した。
先生の中身が知りたくて先生に話しかけていたこと、
そのために社会科が好きなふりをしてきたこと。
でも先生のことは3年間で本当に好きになったということ。
あと、今でもちょっと中身が知りたいということ。
僕は全てを話した後に、頭を下げて謝った。
しかし、先生はいつものように何も言わずにそこに立っているだけであった。
顔を上げて、先生を見ると、
先生の扉が開いていた。
先生の中には、何も入っていなかった。
掃除用具も、教材も、人間も何も入っていなかった。
僕はしばらく唖然としながら扉が開いたままの先生を見ていた。
近くによって見てみると何もないと思ってた先生の中に、
小さな機械のようなものが置いてあることに気がついた。
それは「ICレコーダー」だった。
僕はそれを手に取り、再生ボタンを押してみた。
すると、ICレコーダーからほんの数秒だけメッセージが流れてきた。
「石川、卒業おめでとう」