終章 そして歴史は語り継がれる
「――そして彼はその場を後にし、アミューダ地方を離れた。彼の行方を知る者は当然、誰もいなかった」
これで、物語は終わり。話しきった祖父の喜一は穏やかに息を吐いた。
祖父の話をすべて聞いた奏宴は、事実を受け入れるよりも、ひとつの物語として聞き入っていた。だが、この場ではじめて、それが逸話という実話だと再認識した。
「……」
世界を震撼させ、大陸を壊し、ひとつの国――いや、数ある国が消された『サルト事件』。その裏には一国の王女と、災厄の神と畏れられた竜人との禁じられた小さな恋が繰り広げられていた。そして、世界を滅ぼさんばかりの王龍との戦いも、歴史から隠蔽されていた。
これが事実だとしたら、当時の世界中の人々はどうやって空白として歴史から消したのか、そこに陰謀があるとしたら、と奏宴は考えるも、所詮は仮説。
「不思議なのは、これだけ世界に影響を及ぼす程の被害であるにもかかわらず、その文献や記録は伝わることなく現世に知られていないことだ」
なぜだとおもう。そう喜一は問いだす。
「……そうしないように裏で何かが動いていたから?」
「ま、そう考えるのが妥当だろう。けどな、儂は思う。この真実は神や竜の存在と正反対の意で存在していると」
竜は今も尚世に広まっているが、実在しているかは別の話。だが、この事件は、世に広まらずとも、実在している。何の因果か、この歴史は自然と消えたのか、誰かによって消されたか。それは、当時の人に聴いてみないと分からないものだった。
「……話を聞く限り、その天災は世界の地理を変えたといっても過言ではないわね。仮に大陸ごと壊されたのなら、4000年前にそういう世界があったっておかしくはない……って考えがないわけじゃないかもね」
あくまで自分の主張ではないように持ちかける。せめて王龍といった強い個体の細胞や当時の遺品の欠片でも発見されれば奏宴は信じるつもりでいた。
なにも言わず、どこかいたずらに笑う喜一。その意を察したか、「そんなんじゃないわよ」と返した。
時は数刻を過ぎ、鈴虫の音色が心を癒す。とても長いひと時を過ごしていたようだ。
「今日は涼しいな。奏宴もここまで大きくなって、儂も嬉しいよ。あとは結婚するだけだけど宛は――」
「その話はよしてよ」
「学校でそういう話は無いのか」
「ないわけじゃ……ないわけでもない」
「あるんだな。奏宴も好きになれる相手がおってよかったわい」
「そんなんじゃないわよ、あれは本当に私がいないとどうしようもない甲斐性なしなんだから」
「はっはっは、こりゃあ楽しみだな」
「ちょ、そういう意味じゃないって、そんなの絶対にならないから」
茶化された奏宴は仄暗い中にて顔を少し赤らめた。からからと枯れた声で喜一は笑った。その楽しそうな顔に、奏宴は呆れつつも半ば微笑んだ。
「ねぇ、おじいちゃん」
そよ風が髪を揺らす。少し落ちた満月を見上げながら、独り言のように訊いた。
「その災龍……今もどこかで生きているのかしらね」
「さあな……4000年も経っているからのぉ」
いなくたっておかしい話ではない。そう喜一は言う。
「なんとなく、今こうやって私たちと同じように、あの月を見ている気がするの」
「はっは、奏宴のいうことだから、本当にこの世界のどこかで見ているのかもな」
「それか、あの月が見える、この世界以外の場所で」
会話が途切れる。その違和感に、喜一の顔を見る。
「どうしたの、変なこと言った?」
「おまえ、さっきまでは別の世界などないと信じなかったじゃないか」
「……そうね、そのときまではね」
意外そうな喜一の顔。微笑みで返し、再び小さな月を見つめた。
雲一つない明るい夜。明日も嫌気が刺す程、燦々とした空が迎えてくることだろう。
今しかない夜の涼しさを味わっておくためにも、奏宴は瞼を閉じては大きく息を吸った。
*
満月が映えるのは何も夜だけではない。昼の薄い青空に消えかかった月が佇んでいた。
枯れても尚、頑丈な枝で絡まれた自然の橋を渡りきる先に構える広場。渓流流るる山間の僻地にある崖地の上。そこには緑豊かな草木が生え、岩も苔で覆い尽くされていた。
その広場正面の奥には、神々しさを放っているも古く、大きな社と、それを飲み込む1柱の枯れた大樹。その大樹の根はどこまで続いているか計り知れないが、広場の平地から何本か太い根が、雑草の生えた地面から露出していた。しかしとうの昔に枯れ切ったそれは、生命の息吹を感じさせることはなく、死して尚、偉大な姿のままで社を護るように聳え立っていた。上を見上げると、偉容を誇る大樹がまっすぐと伸びた幹をさらして立っている。葉の無き枝は大空を覆い尽くすかのように高く、広く、天へと伸びている。
その大樹を見つめる、紅い髪の男。若干2mはあるその鋼のような身体は一種の肉体美を誇る。
なにも語ることないまま、男は紅蓮の瞳で大樹と社を見つめ続ける。
「ここにいたんですか」
後ろから声が届くが、その姿が見えているかのように、男は振り返ることもなく言い返した。
「……それはオレが言いてぇよ。テメェが勝手にふらふらどっかに行くから探してたんだよ。みんなはどうした」
「あっははー、それがですね」
「逸れたんだな。いつもいつも懲りねぇ奴だよテメェは」
「はい、あきらめの悪さが売りなので」
「褒めてねぇよ。あと飽きっぽいだろおまえ」
呆れる男は隣に立っていた声の主を見る。
白銀の雪よりも白い髪。そこから覗く真っ赤な瞳。色白ともいえる透き通った肌は美しさもさることながら、どこか病的にも感じられ、血管がうっすらと見える。旅用の装飾付きの黒いコートを前閉じることなく羽織り、首には赤いクロマーを巻いている。
その容姿は小柄で中性的。どこか少女寄りでありつつも、男なのか女なのか、大人なのか子供なのか、善人か悪人か判別し難い、しかし無邪気な天使の如く、人とは体現し難い美しい顔を持っていた。
「珍しいですね、リオラが懐かしむなんて」
透き通った声。間が抜けたように笑い、リオラと呼ばれた大男に話しかける。
「ああ、ここは……どこか、オレが長いこと住んでいた場所に似ている」
白髪の若者も大樹を見上げる。「何千年もここにいたら退屈しないんでしょうかね」と言う人間の言葉をリオラは流した。
「あのまま……あいつと出会ってなかったら、オレはおまえと出会うこともなかった」
「……?」
「ここに似たような場所で、オレの人生を変えてくれた奴がいたんだよ。あいつのおかげで今もこうやって生き続けて、こうやってテメェと話してる。感謝してもしきれねぇぐらいだ」
「その人のこと、好きみたいですね」
「……そうだな。ただそいつのことが好きでしょうがなかった。愛してたんだ、お互いにな」
「リオラがそんなストレートに言うとは思いもしませんでした……。というかリオラなのに恋してたんですか。意外すぎてもう明日の昼に山でも降ってきそうです」
「今すぐテメェの真上に降らせてやろうか」
「あれ、リオラー。なんかこのお寺の中になんか置いてありますよ」
今真横にいた人間がいつの間にか社の中を探っていた。時間や空間を考慮しない神出鬼没な人間の型破りな動きに見慣れているリオラは社の傍へ歩む。
「話を聞けよ……で、なんだそれ」
人間が渡してきたのはボロボロの色褪せた封筒のようなもの。
「手紙みたいですね」
特別な材質の紙とインクなのか、中身もあれば、まだ風化していない。慎重に一枚の紙きれを取り出した。
「誰から誰への手紙でした?」
しかし、返事はない。それもそのはず、驚いたような目つきで硬直していた。
「――!! サクラ……っ!?」
手紙を書いた人物。それはかつて4千年前に自分が愛していた人だった。
ということは、とリオラは社をもう一度見る。
「戻ってきたのか……? まさか」
4000年前に住んでいた世界。似ていると思っていたリオラだったが、ここが別世界ではなく、同一の世界だと分かった瞬間、勝手に足が動き出していた。
「あれっ、ちょっとリオラーッ! どこいくんですかー!?」
人間の声も届くことなく、リオラは森の中、山の中を駆けた。
*
見覚えある光景。否、記憶のまま存在していた世界。
活き活きとした美しい草原がサァッ、と山風に吹かれ、揺らいでいる。踏み込んでみると他の草とは違う、まるで絨毯のような踏み心地。空は爽快と言えるほどの青々とした大地に、白一色の柔らかそうな雲が流れていた。
霧がかった緑一色の穏やかな丘を乗り越える。霧を抜けた先、美しいとも可愛らしいともいえる花が所々に咲いている丘陵が広がる、まさに花園。
その先を見ると、一本の樹が切り立った崖の傍に立っていた。その樹の葉も風に靡なびいては心安らぐ音を奏でる。
そして……木の棒や石で不器用に組み立てられたひとつの歪な墓。
途端、過去の記憶や想いが馳せ、溢れかえるように蘇ってきた。胸の詰まるような気持ちを堪え、墓を静かに見つめる。
「生きてる時にあらかじめ書いていたってことか……」
4千年前のものが今でも残っていたのが信じ難い。しかし、この手に握っている手紙は確かにある。
愛していた人から自分に送る、最期のメッセージ。いつのときに書いたものだろう。しかし、彼女は手紙を寄越すぐらいなら直接会いに来ていたような人。よほどのことがない限り、手紙なんて書かないことは遠い記憶より分かっていた。
久しぶりに高鳴る高揚と半ばの恐怖を抱きつつ、その手紙の文章を読み始めた。
リオラへ
リオラと過ごした時間は本当に楽しかったよ。
初めて出会ったときはちょっぴり怖かったけど、何度も話していくうちに仲良くなれたからとっても嬉しかった。
一度言ったかもしれないけど、どうして私がリオラと仲良くなろうとしたと思う?
実は災龍の存在を知りたい欲求から始まったことなんだけど、今思えばそんな理由じゃなかったの。
それは、リオラが誰よりも優しかったから。
リオラはね、ほんとはとっても優しいんだよ。まっすぐで、素直だけど不器用で、一生懸命周りの為に頑張っているの。だけど、そんなに優しいのにひとりぼっちだったから。とても苦しそうだったから。だから私はリオラと友だちになろうと決心したの。
リオラが私を突き放したのも、きっと優しさだったと思う。でも、私はリオラといることが一番の幸せなの。だから、この手紙を読んで、また仲良くなってほしいな。
あなたに会いたい。今すぐあなたに会いたい。
だけど、それがもし叶わずにずっと離れ離れになるなら、最後に伝えたいことがあるの。
世界はね、外の世界よりもずっとずっと広いんだよ。だから、絶対にひとりぼっちになんかならない。必ず、リオラと友だちになろうとしてくれる人たちが現れるから。だから、堪えたりしなくていいんだよ。もう泣かなくていいんだよ。
いつまでも笑って生きてほしいことが私のお願いです。
そして、最後にもうひとつ。
ありがとう、リオラ。
サクラより
リオラの目から透明な涙が滲み出てくる。
それを手で拭いとる。「バカ野郎が」と誤魔化すように微笑み、墓の前に胡坐をかいた。
「取り返しのつかねぇことをしたんだぞオレは……」
数え切れない命。殺すはずのなかった、自分が生きるための糧として喰らうはずのなかった数多の命を奪ってしまった。憎しみと欲望のままに、暴れてしまった。
「……」
あれからの自分は何を考えていたのか。償いきれない罪をどうやって罰したのか。心を失い、記憶すらない数百年を過ごしたこともあった。この心を苦しめたのも、救ってくれたのも、すべて過去の愛人の存在があってこそだった。
今は遠い話。しかし、今の自分のすべては、この世界のこの国で起きた出来事からはじまったのだろう。
リオラは崖の先に広がる再生された世界を見眺めては何も言わず、胡坐をかいた膝に手をついては深く頭を下げた。4000年前、幾夜も泣き叫んだこの場所で、今までの思いを馳せる。巡る謝罪と感謝。目を閉じ、黙祷を続けた。
そして目の前の墓を見つめ、呟き落とした。
「あれから……少しは強くなれたぜ、過去の自分」
そして、愛しき人よ。感傷に浸るなど、らしくないことをしてしまったことに自分自身呆れつつ、手に持った手紙を見る。
「あれれ! リオラお兄さんが泣いてるぞ~っ? 鬼の目にも涙ってまさにこのことですね」
「……うるせぇぞ白髪頭。黙ってろ」
リオラの大きな背に小さな背中が圧し掛かかり、茶化す白髪の人間。すぐに涙をひっこめ、いつものように厳格な表情を取り戻す。
「でも、その人にとっても愛されていたみたいですね。よかったです」
互いに背を向けているのに、まるで手紙を読んでいたかのような言葉。いや、涙を見られたのだろうと、リオラは手紙をもう一度見返した。
「ああ……こいつは本当に……バカ野郎だよ」
再び込み上がってくる涙。隣に座った人間は顔を覗き込み、「にしし」と笑う。
その優しい微笑みがさらに涙を溢れさせようとした。
いまは、みんながいる。信じあえる仲間たちがいる。
もう、ひとりぼっちじゃない。
あの瞬間、人生が変わった。運命が大きく変わった。
だがそれは決して忘れられない偶然。
あの出来事がなかったら、あの出会いがなかったら、今この場所に自分はいない。この自由気ままな人間にも逢わないまま、今でもあの社で孤独に過ごしていたかもしれない。
だから、この巡り合えた偶然に感謝を捧げる。
ありがとう。
「……ありがとうな」
「? なにがですか?」
「いや……忘れてくれ」
「なんか気になりますねー」
「"イノ"には関係ねぇよ。いや……関係なくもねぇかもな」
曖昧な言葉だが、その人間はもう関心がなくなったのか、「ふーん」と言わんばかりにコロリと話を終わらせる。
「そうですか。それじゃ、いきましょうか」と言っては膝を立て、背を伸ばす。「みんなも待っていますし」
「それはオレが言いてぇ言葉だ。あいつらの苦労も考えてやれ」
「言ったもん勝ちですよ。……あれ、手紙の最後になんか書いてありますよ?」
人間の言う通り、手紙の紙端に小さな文字で何かが書かれていたことにリオラは気づく。
「追伸ですかね?」
言葉に応えず、リオラは追伸を目で読む。
「……っ」
風に揺らぐ穏やかな表情。微かに笑みを零した。
「お、なんか嬉しそうですね。なんて書いてあったんですか?」
そう訊くが、リオラは手紙を閉じ、封筒に入れる。
その人間に顔を向けて、
「教えねーよ」
とイタズラな笑みを浮かべて言った。
「えーなんですかそれーっ! 気になりますよー!」
「オレとあいつだけの秘密だ」
「教えてくださいって、僕らの間に内緒はナシですよー!」
「いーやーだ。っておい! 押しかかるなって!」
持っている手紙を取り上げようとリオラに押し寄せる。
「あ、ここにいたか――ってなにやってんだあのふたり」
「なんか楽しそうだね。リオラもなんだか嬉しそう」
「どうする? 止める?」
「いや、それはいいだろう。もうしばらくそっとしておこうか。あのふたり、なんだかんだ一番長い付き合いだからな」
「それお前が楽しんでみたいだけだろ……」
「あっはは、あのふたりはいつみてもおもしろいね」
ふたりの様子を見かける、リオラや人間と共に旅を続けている者達。彼らの姿に二人は気づくことなく、手紙を取ろうとする攻防をじゃれ合うように繰り広げている。
「じゃあ頭文字だけ! 最後の文字だけでもいいですから!」
「一文字も教えるかよ! これはオレとサクラだけの秘密だ!」
そう怒鳴りつつも、彼の顔は輝いているようにも見えた。それは、かつてまだ若かったころ、愛した人と一緒に過ごしたときのよう。
まだまだ続きそうな様子に、皆は笑って見届けた。
みんなの笑顔が溢れる中に輝くリオラの笑顔は、満開の桜の華のように咲き誇っていた。
Fin.




