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災華の縁 ~龍が人に恋をしたとき~  作者: エージ/多部 栄次
第四章 一節 参人の王
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6.強さの裏の弱さ

《サクラ》

『う……なんだろ、この臭い――っ!? リオラ! 大丈夫!?』

『サクラ……? 来るな! 近寄るんじゃねぇ!』

『でも――っ、げほ、ごほっ……』

『いいからオレから離れろォ! 今すぐ!』

『だけど、リオラを放っておけるわけが――』

『黙れ! 死にてぇのか! さっさとオレの前から消えやがれ!』

『……っ』


 今から1週間ほど前だろうか、リオラの病気に近い体質が悪化し続けて、遂には半分竜化した過程――まるで、内側の細胞が肉塊として外へ出てきて、それが飛び立たんばかりに竜へと孤立して変化しかけたような、酷な姿。体格も体長数メートル級の飛竜並みに大きくなりかけ、半身が竜に変貌しつつあった。


 それだけではない。触れただけで腐食――壊死する体質のはずが、植物をも枯渇させる瘴気――毒素を全身から分泌され始めており、現に私もそれを吸ってしまったが、長いことリオラと共に過ごしていたのが原因なのか、耐性が辛うじてあったようで、死ぬことはなかった。体調はひどく崩したが。

 血は止まらず、息は荒れていた。赤い鱗の混じった肌に濃い青紫の斑点と壊死した肉。在る国で流行した炭疽のような病状。いや、それよりもひどいかもしれない。もういつ死んでもおかしくはない。そんな感じがすれば、放っておけるわけがなかったが、リオラに殺されんばかりの怒号で私は突き返された。


 力になれなくて情けない限りだが、今回ばかりは私がいても邪魔なだけだろう。医者でもないのに、医者でさえどうにもならないものなのに、私がいたところで何の解決にもならない。


「……」

 そろそろ気持ちも症状も収まっている頃かな、と思いつつ私はいつものように王宮から抜け出し、飼っている乗竜の迅翔竜ナウルに乗り、国を出てはサルタリス山脈の奥地の信仰地に訪れる。


 花の蕾が僅かながらも膨らみ続けている枯れ木が覆う中、信仰地に近づくにつれて焦げ臭さが鼻腔を満たしつつあった。嗅いだことある特有の腐敗臭。肌を焼く熱。アマツメの巫女装束を着ていて正解だった。着ていなければ、身体が耐えきれなくて死んでいたかもしれない。神様の加護で覆われた、まさに防護服の役割をしていた。


「どうなっているの……?」

 まず、出た言葉がそれだった。

 緑育む聖地――だったはずだ。一面赤い血飛沫の跡が飛散しており、煙を上げながら土を溶かしている。熱気も籠り、息苦しいほどの湿気も感じる。ここだけ密閉空間になっているかのようだった。あらゆる草木が枯れている中、アマツメの大樹は無事だったものの、あまり生気を感じない。弱っている。

 古寺には……いない。大樹の上にもいない。

 正面左、茂みや垂れ下がった蔦で目立たなかった洞穴。露わになったそこからただならぬ波長を感じる。獣の呻き声がある訳でもない。ただ、嫌な感じが直感として危険信号を発している。

 あの中にいる。

 震えていた足を前へ、真っ暗な洞窟の中へと入る。


 高天の地へと続く鍾乳洞。灯りの一つも持っていない。さびしいほどの暗さ。恐怖は寒さとして身を震わす。

 信仰地よりもさらに息苦しい。胃がむかむかする。肺が熱い。眩しくもないのに目がちかちかする。肌がむず痒い。鼻が曲がるような腐臭。つい咳き込んでしまう。

 信仰地よりも血の量が凄まじい。暗くとも飛び込んでくる赤は気を狂わせられそうだ。


「――っ、リオラ……」

 天孔の光に照らされた、私の好きな人。その奥に潜むように蹲っている姿は、最早人の姿ではなかった。

 初めて出会った頃を思い出す。あの混沌とした、まさに厄神のような姿。彼の姿は血濡れた羽毛に覆われている背もあれば、それが抜け落ち、堅牢な鱗や、それさえ剥がれ落ち、焼け爛れたような生々しい傷も見られる。人よりも二倍ほど大きい生きた肉塊。鴉に啄まれ、死した小鳥のように痛々しく感じた。


 声をかけようとも、震えている。恐れているのか? 怖いのか?

 好きなんだろう。愛しいんだろう。何故ためらうんだ。


「……サクラか……?」

「――っ!」

 思わずびくり、と震えあがってしまった。消え入りそうな声なのに、重く響く声。私は小さい声で頷く。


「……だいじょうぶなの……リオラ……?」

「悪い……今日はもう、帰ってくれ。平気だから……」

 それが嘘なのはわかっている。ここにいてほしくない気持ちも分かる。彼の為を思えば、ここは帰るべきなのだろう。


 だけど……。

「今日は帰らないよ。ずっとそばにいる」

 一歩近づく度、肌が切れるような痛みが走る。リオラの身体がゆっくりと動く。


「駄目だ、これ以上来るな」

「……」

「来たら死ぬぞ……オレはおまえを殺したくねぇ……! だからこれ以上……」


 それでも、進む。怯む暇はない。ためらったらダメだ。

「来るなって……おい、来るんじゃねぇ……!」


 響く足音。リオラの耳にも響いていることだろう。

 大丈夫。大丈夫。私は進む。


「来るなっつってんだろ!」

 咆哮。私の方へ向いた彼は、いつもの青年ではなく、龍そのものだった。竜人語ではない、まさに竜という神獣の吼える鳴声。

 汗が吹き出しそうな熱波を彼の口から浴びる。真横を過ぎる彼の鋭い爪は地面に埋まる。紅蓮の眼光は、睨まれただけで命が奪われそうなほど。


 私は気づいた。

 これはリオラが直接言った言葉ではなく、心で思っている言葉だと。信仰祭の時に聞き取った災龍の声やナウルの声と同じように、私は今、リオラの心の声を聴きとっている。龍の身体では、人のような複雑な声を出すことはできない。お母さんと同じ、生命の声を聴きとれている。


 だから、わかるのだろう。

 リオラの怒りの裏。強がりという嘘。

 前へ進んでよかった。


「前は逃げちゃって、ごめんね」

「来るな……くるな……くるなよ……」

「今日は、ずっといるからね。怖がったりしないから」

「やめろ……こないで……みないで……」


 弱り切った声。蹲り始め、怖がるように、脅えた目で私を見る。

「いやだ……いやだよ……」


 震えた声。彼の目から雫が流れ落ちる。彼の悲痛が私の心を容赦なく傷つける。だけど、ぜんぶ受け入れなきゃ、リオラを救えない。

「だいじょうぶ。どんな姿でも受け入れるから。友達になった日、私そう言ったでしょ?」

「いやだぁ……さびしい……こわい……ひとり、こわい……あぁ……ああぁああああぁああ……」

「大丈夫。もうひとりじゃないよ。ずっとそばにいるから。ね、もう怖くないから……」


 その角の生えた大きな頭に触れようとするも、その直前、火に触れたかのように手が火傷する。

 やっぱり、傍にいることしかできない。

 だけど、それでこころの安らぎになるのなら。

「そばにいて……サクラ……」

「うん、いつまでも……ずっといっしょにいるから……好きなだけ泣いていいよ」

 彼の身体は雪を融かすほど熱い。だけど、その心は凍っているかのように冷たい。

 それを温めなきゃ。寄り添って、温めないと。

 大樹の傍の鍾乳洞。その中で静かに響く、すすり泣いたような声。それは水面に落ちる雫のよう。


「大丈夫、大丈夫だから……」

 息苦しく、熱かった空気が澄んでくる。身体を痛めた毒素も薄まってきたような。肌寒かった外の空気が心地よく入り込む。


「……サクラ」

 だいぶ時間が過ぎただろう、気持ちが収まったリオラはぽつりと私の名前を言ってくれた。

「なぁに、リオラ」

「……あんまり、あれ見ないでほしい」

 壁から地面に刻まれた竜人語の文章。私宛の、手紙のような内容。敢えて歪に描かれているが、読めない訳ではなかった。

「……ごめん、もう読んじゃった」

「……」


 背を向け、壁に蹲る。声にならない声が微かに聞こえるが、相当恥ずかしがっているのだろう。私の顔も紅潮していたに違いない。

「大丈夫だよ、とっても嬉しかったから。その……ありがとう」

「……ああ」

 無愛想に生返事するリオラ。だけど、それは今までの中でもっとも人間らしい声色だった。

 それが、なんとも愛おしくて。私はくすりと微笑んだ。

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