21.冬の訪れ ―少女と災禍の想い―
幾万もの紅葉も落ち葉となり、すっかりと枯れ木と化したサルタリス山脈の森。前までは汗が滝のように流れ出たほど暑かったというのに、いつの間にかその暑さは過ぎ去り、涼しげな風が吹き込んでいたが、今となっては肌を撫でる風が寒いと感じる程だった。
穏やかなほどに薄い青空の下、生き物の気配もなくなりかける中、山の奥地の渓流地帯に神霊の気を漂わせる大樹と、それに埋もれているかのように聳える古の社に二つの人影があった。この山の麓近くの自然文化国の王女サクラと、この地方の虚無の伝説にして厄神、災龍リオラだ。
ふたりは社の雑草が所々生えた軋む階段に並んで座っている。
「前より元気そうだけど、怪我の方は大丈夫なの? 」
サクラがリオラを心配そうな表情と声を出す。リオラはニッと笑う。
「なーにいってんだ。大丈夫に決まってんじゃねーか」
「でも右腕上がらないんでしょ? 毒もまだ回ってるようだし……」
リオラは王龍アポラネスと戦った最後、月と同じほどの天体を砕いたに続き、王龍が作り上げた白い矮小太陽を超新星爆発ごと殴り飛ばした。が、その反作用で右腕に甚大な障害を与えた。今では辛うじて指を動かせるぐらいにまでなったが、手を挙げることは未だできないままだ。
毒による体の劣化は数か月間続くとリオラ本人が断言している。毒自体打ち消し、回復してもその後遺症は残ったまま。完全回復までさらに時間がかかるという。
「まぁ食って寝りゃすぐに治るって! 大丈夫だ」
「けど今食糧少ない時期だし、そんなこと続けてたら太っちゃうよ?」
リオラは「はは……」と笑い、優しい眼でサクラを見る。
「食べ物ならそこらじゅうにあるだろ。土だろうが木だろうが、何でも喰えるってこと忘れたのか? あとオレ太らねーよ」
「そういって油断してたらほんとに太っちゃうよ?」
「あははは、大丈夫だって、食っても食っても腹の虫は泣き止まないから」
そう言うと、サクラは「はぁ」と呆れるようにため息をついた。
「『大丈夫』ばっかり言ってるね」
「ほんとに大丈夫なんだからいいだろ」
「む~」と頬を膨らませる。その様子に、リオラは微笑ましく思う。
「――あのさ」
「ん?」
リオラが急に改めて何かを言おうとする。申し訳なさそうな表情が浮かび上がっていた。
「どうしたの?」と顔を覗き込む。
「ん、と……」
「……?」
躊躇っている様子にサクラは首を傾げる。妙にリオラらしくないと思っていた。
「なんか、ごめんな」
ぽつりと告げたことは謝罪。気を重くした表情で、そのまま黙した。
「え……なにが?」
さっぱり理解できず、きょとんとして首を傾げたサクラに対し、リオラは申し訳なさそうな顔をして話を続ける。
「いろいろ壊しちまって、いろんな被害出てしまっただろ。だから……」
「あれは王龍を倒した時になったんだから仕方ないことだよ。王龍に世界を滅ぼされるぐらいなら、まだあれだけの被害で収まった方がいいって思うのは当然じゃない。むしろ私たちが謝る方だよ。あ……違うね、感謝する方だね」
そう言い、ふふ、と笑う。サクラは立ち上がり、リオラの前に立つ。
「リオラは世界の救世主だから。ありがとう、リオラ」
ニッと無邪気に、しかしいたずらに笑う。
「え、あ、いや……」
「なんかリオラらしくないな~。そんな挙動不審にならなくてもいいじゃない。いろんなとこぶっ壊しちまったけど文句あるかー! みたいな感じでいいんだよ。というかリオラ今までたくさん天災起こしてたじゃない!」
「あれは! その、力のバランスが取れない時に餌狩ったらなっちまうんだよ」
「そのときまったく体質のコントロールができてなかったもんね」
「好きであんな事やってるわけじゃねーんだぞ。それで、巻き添えにあった人間もいたし……でも謝っても許してくれるとは思えねぇし」
「大丈夫、絶対許してくれるから。だから、一日でも早くサルト国に行けるように頑張ろうね!」
「なんだよ……サクラも大丈夫っていうじゃねぇか」
「あ、本当だ」
そう言ってはくすくす笑う。リオラもつられて軽く笑った。
「そうだ、今なら体質のバランス取れてるかも。私と握手してみる?」
そう言っては手を差し出す。
「死ぬ気か? まだ治ってねぇよ」
リオラは脚元にあった小石を持つと、瞬く間に赤く染まり、どろどろに溶けた。溶けたものが足に落ちた途端、変質し、氷結する。
「それわざとやってる?」と上目づかいで眉を潜める。
「バカ言うなよ、何も起きないように願ってこれだからな」
「あはは、いつになったら治るんだろうね」
「くそー、絶対今すぐにでも治してやる!」
「そうこなくっちゃね」
サクラはリオラの隣に再び座り、しばらく間ができる。話題が終わるとこんなに静かになるのかとリオラは思いながら、話を切り出した。
「あと、それと……」
「ん? まだ謝ることがあるの? なんかしたっけ」
本当に裏表がない笑顔だとリオラは思う。それが、己の心を鎮めさせ、温めてくれる。
心の底から信じてもいい。そう安堵させる。
リオラは息を大きく吸い、静かに、囁くような声ではっきりと口を開いた。
「サクラがオレと出会ったとき、オレはたくさんサクラに酷いことをしてきた。これ以上ないくらい傷つけてしまった。身体も、心も……」
初対面の時、リオラがまだ災龍として嫌厭され、実態がわかっていなかった頃。まだ、こうやって人間と会話ができなかった頃。感情が不安定で、孤独に殺されていた頃。
そんな彼に、積極的に接しようとした彼女は、本当に尊敬すると彼は感動していた。同時に、申し訳なかった。
「オレさ、本当はサクラと仲良くしたかったんだ。だけど、こんな体質だから、もしサクラをこの手で死なせてしまったらと思うと怖くなったんだ。死なせてしまうぐらいなら、とことん傷つけて嫌われようと思った。でも本当はそんなことしたくなかった。話したかったし、仲良くなりたかったんだ。でも、こんなことしてしまって……ほんとに……ごめん」
俯く。今言ったことは許しを乞う言葉だ。
こんな自分が最低だ。そうリオラは自分を責めた。
だが、サクラはそんなリオラを見て呆れて笑った。
彼女の放たれた言葉にリオラは疑った。
「ありがとう」
「え……?」
「あの信仰祭のときから私はずっと、『災龍』っていう何かに魅かれて必死で調べていたの。そして、やっと突き止めたその正体がリオラだった。まぁ確かに相当傷つけられたけど、それでも仲良くなりたいと願っていたの。どっちかっていうと私のわがままだけど、あんな程度じゃ私の心は折れないよ」
強い人だとリオラは感じた。その強さにも感化され、同時に惚れたのだろうか。
「そんなことより、リオラもあのときから仲良くなりたがっていたことが……とっても嬉しい。だから、ありがとう」
「サクラ……」
「うん、だから気にしなくていいよ」
また、花のように笑う。
災禍が守った花は、とてもちっぽけだけど、あたたかさを教えてくれた。
しあわせを与えてくれた。
もう、社の木陰で涙を流さなくてもいい。
この両手で、この瞳で守れるものはちゃんとある。
独りじゃない。
少しの間が過ぎると、リオラは姿勢をサクラの方へ向ける。喉奥まで引っ掛かっていた言葉をひとつひとつ取り出す。
「……最後にひとつ、聞いてくれるか」
「うん……もちろん」
ひとつ大きな深呼吸をする。視界がぼやける程血圧が高まる。
「人に嫌われて、憎しまれて、差別されている竜人族で、災龍で、厄神で、"神殺し"を犯したこんな化け物のオレが、こんなことを言うのは許されないかもしれないけど……」
随分と消極的だった。
消え入りそうな言葉だった。
それだけ自信がなかった。
だけど、伝えるくらいなら神様は許してくれるだろう。
いつか夢見た、本当の喜び。
これからも一緒に笑えること。
それをこの両手で掴みたい。
「お、オレは……はじめて、あの信仰祭で逢った時からずっと……」
その信仰祭は、今年のときではなかった。
彼女の母親が生きていたころから、信仰祭に度来ていた彼女。幼い時から見てきていた。
母親が死に、彼女が巫女として信仰地で舞いを捧げる番になったときからだろうか。その姿に、惹かれていた。
「……オレは」
頭が締め付けられる、心臓が今にも破裂しそうだ。
勇気を振り絞り、今までずっと、伝えたかった言葉を目の前の少女に囁くように告げる。
どうしても聞いてほしい。今言わないと一生後悔する。どうしても、この言葉を伝えたいんだ。
これが、オレの願いだ。
「――サクラが好きだ……!」
風が吹く。やさしい風に揺られ、足元に広がる草原がざわめく。
しばらくの静寂。
リオラはこの過ぎる時間が無限に感じる程、長く、長く続いた気がした。時間が止まり、何も聞こえない感覚。風がやけに冷たい。心臓が高鳴っている。こんな苦しみは今まで感じたことがない。胸が苦しい。
目の前の彼女の髪が冷たい風で滑らかに揺らめく。
互いに見つめ合う。その目は気高く、可憐な瞳。だが、その感情はわからない。喜劇か、悲劇か、その結末は彼女の口から開かれることでしかわからない。
すると、彼女の目からつーっと何かが頬を伝う。
泣いているのか? やっぱり言ってはならないことだったか? 無数の後悔が心の奥底から溢れ出てくる。彼女の涙が止まらない。
「――ょ」
突然、彼女が何かを言った。リオラはその瞳を見つめる。見るのが怖いけど、それでも見つめた。
サクラは泣きながら、震えた声で微かに、だがはっきりとその答えを教えてくれた。
「わたしも、リオラが……すきだよ……っ」
熱くなる。体中が、目頭が、頭が、手が、胸が熱くなる。
風は冷たいのに、寒いのに、何故だか熱い。熱が下がらない。どうにもならないこの感情は、とても愛おしくて。
この想いが止まらない。
涙が出てきそうだった。いや、もう出てきているのかもしれない。
自分の涙は血のように赤い。たとえ辛くても、嬉しくても、流したくはなかった。
それを止めたのは空からの贈り物だった。
「あ……雪……」
そうサクラは呟き、ふたりは上を見上げる。灰色の空から、白い粉雪がやさしく降り注いでいた。
仄かに冷たい雪はまるで、ふたりの伝わった想いを祝福してくれるかのようだった。
風が止む。雪は垂直にゆっくりとこの地を白で覆い被せていく。
その様子をふたりは見つめ続けた。身体を触れないように寄り添って。
人と龍のほのかな想いは冬とともにやさしく、静かに迎えていく。
第三章、完結。




