二人の魔動人形
「おーい。起きてください」
囁くような女性の声に意識を取り戻す。
どうやら僕は眠っていたらしい。
自分の意思とは無関係に数回瞬きをする。
耳からはガタンゴトンと振動音が聞こえる。それと共に全身に伝わる心地よい揺れは、再び僕を夢の世界へと導こうとしていた。
「ちょっと、聞いてます?」
と、再度僕を呼ぶ声。
「……聞こえている」
あしらうように答える僕。
うっすらと開いた目に映るひとりの女性。
カレン・ローザ。
列車の席に向かい合って座っている女性の名前だ。
橙色の長髪は頭の後でポニーテールのように結わえられている。髪の量が多いためか、正面から見た彼女はただのふんわりとしたボブカットのようにしか見えない。服装はワンピースに薄手のカーディガンを羽織っただけの簡素なもの。そして、黒縁の眼鏡をかけている。しかし、決して地味という印象はない。むしろ地の可憐さが服装を無視して滲みだしてきている。
そんな彼女は僕の良き友人の一人だ。
半年ほど前までよく喧嘩していたのだが、今は仲直りし、こうして普通に会話をする仲である。
「後少しでテレジア市に着きますよ」
ああ、もうそんな時間なのか。
どうやら僕は長い時間眠っていたらしい。
「……そうか、すまない」
テレジア市。
ミリアム地方、別名『帝都』にある街の一つだ。
僕たちは今、ある調査を行うためにそのテレジア市に向かっている。そのため、僕たちの住む街からこんなに遠い地まで列車で赴く羽目になったのだ。
列車の窓から外を見れば辺り一面に果樹園が広がっている。その先に微かだがテレジア市の街並みが顔を出す。
時は四月の終わり頃。
目的地は桜の花が満開で桃色に染まっているが、所々では既に散っているようにも見える。
テレジア市でも花見は行われたのだろうか。
カレンと一緒に桜の木の下でご飯を食べる。
うん。悪くはない。
カレンがいいなら、今までのお礼も兼ねて帰る前に花見をしようか。
……それはそうと、なんだか身体が熱い。
スーツを着ていることも関係しているのかも知れないが、どうも熱がこもっている。汗でシャツが濡れていそうな感覚もある。
少しでも身体の熱を冷ますために風に当たりたい気分だ。僕はきっちりと絞めていたネクタイを緩め、窓を開ける。
その瞬間、ふわっと気持ちのいい風が列車内に流れる。
静かに僕の様子を見ていたカレンは「ネロさん」と僕の名前を言い、前に乗り出して顔を見つめる。
「どうかしたのか?」
と、眉をひそめて問う。
「――いえ、特に何も。ただ……」
「ただ?」
「顔色が悪いように見えまして。どこか具合がよろしくないのでは?」
「いや。僕はいたって健康だよ。気にすることはなにもない」
僕の言葉にカレンは「そうですか」と言って席に座り、外の景色を眺めた。
健康に関しては何の問題もない。
寝ている間に嫌な夢を視ただけだ。
ある男が人間であった頃。
幸せが崩れ去る瞬間。
大切な人が亡くなる瞬間。
そして、男が人でなくなった瞬間。
文字どおりの悪夢。
しかし、それが失った過去の経験であるのか、それともただの映像でしかないのか、僕には判別がつかない。
それでも、この夢のような出来事を、ただの夢だと放置することもできなかった。
特に、その男の手に握られた光の欠片。
それが意味するものは何なのか。
そう思い続けているからこそ、僕は時折視てしまうのだろう。
この胸に秘められた想いを失わないために。
数秒間、沈黙が続く。
暗い雰囲気になるのも避けたかったため、僕は何か話題になるものを探した。
そして訊ねる。
「そう言えばさ、お前は何でこんなに大きな鞄を持ってきたんだ? ホテルに泊まるとは言ったが、今回は一泊するだけだぞ」
僕の持ち物は通常のビジネスバッグのみ。それに引き替え、カレンは旅行にでも行くつもりなのか大きめのスーツケースを持ってきている。
「な、何でもいいじゃないですか」
と焦りを隠すように言うカレン。
「何でもって言われると余計気になるな。教えてくれてもいいんじゃないのか?」
「ただの着替えですよ。それだけです。念のために二日分持ってきたのです。けど、結構かさばるのですよ、これが」
「ふーん、そっか。一泊するからって、遊び道具でも持ってきているのかと思った」
と、軽い冗談を言う。
「わたしはそんなに子供じゃありません。そう言うネロさんは荷物が少なすぎではありませんか。どうするんです、そのスーツが汚れたら?」
「その時はその時だ。別の服を着る」
それを聞いて、カレンは首を傾げた。
「別の服って、その鞄に入っているのですか?」
「ああ、入っているさ。今は春で薄着でも問題ない気温だからな。しっかりときれいに畳めば、この大きさの鞄でも服は十分に入る」
「それはすごいですね」
「ちなみに、仕事用の資料や道具も入っている」
そう自信満々に言う僕。
カレンは驚き「まるで物を何でも入れれる『あれ』のようですね」と言って、くすっと微笑んだ。
それを聞いて僕も微笑み返した。
今までは一人で仕事をすることが多かった。だから、仕事の合間にこうして笑って話ができるのも、何だかいいものだな。
しかし、カレンの言う『あれ』は、僕にとって余り笑えない冗談だった。
なぜなら、……
いや、その話を今する必要はないな。
それが今回の仕事に関わることはないはずだから。
どこかで予定が狂わない限り。
そんなことを考えていると、列車内にテレジア市に到着するというアナウンスが流れた。
そして一分もしないうちに列車の動きは止まる。
テレジア市にある最大の駅、テレジア中央駅に到着したのだ。
「やっと着いたみたいですね」
「ああ。降りるとするか」
そう言い合い、窓を閉めてから席を立つ。
開かれた列車の扉から外に出る。
そこにはたくさんの人間が行き交っていた。
見知らぬ地。
騒がしい雑音。
そして、慣れない空気。
この日、僕たちは異界へと足を踏み入れた。
◇
ネロ・ヴァイス。
それが僕の名前だ。
僕は一度死んで、その後生き返った。
現在僕の住む研究所の所長、ロゼ・フェイズの手によって。
ロゼさんは僕のことが気に入ったから助けたと言うが、何故、どういう経緯で僕のことを気に入ったのかは分からない。ロゼさん自身が話してくれないこともある。
しかし、それがわからない一番の理由は他にある。
――記憶喪失。
僕には生前の記憶がほとんど残っていないのだ。
分かることと言えばおおよその年齢と誕生日くらい。肉体的な成長度でいうなら年齢は十九くらいらしい。そして、誕生日は十月。ここでの誕生日は、僕が研究所で目覚めた日だ。
それら以外の事柄で、僕が何をしていた人なのか、どこに住んでいた人なのか、何が好きなのか、そしてどんな性格なのか。など、自分のプロフィールに関して全く思い出せないでいる。
僕が生き返った経緯も当然ながら。
誰もができるような自己紹介は僕にはできない。だから僕についての紹介はここで終了――
としたいのだが、そんな終らせ方、神は許してもカレンは許してくれないだろう。
そこで、だ。ここは僕の現状ついて紹介でもしてみるとしよう。
僕は能力者だ。
正確にいえば人造の疑似能力者であり、能力者とは似て非なる存在。
僕はごく普通の人間として甦ったわけではない。この世に存在する奇跡の一種。能力者の模造として甦ったんだ。
能力者とはこの世界の理から外れた存在として認識されている。科学技術の力も、そして魔術の力も頼らずして、常軌を逸した力を扱う。
そうそう、この世界には魔力という物質が空気のように散布しているんだ。ただ、空気と比べればその量は無いに等しく、魔術に精通している者以外は感じとることができないほど希薄らしい。
魔力とは何か。例えるならば魔術師専用のガソリンだ。自動車がガソリンを燃料にして動くように、魔力を燃料にして魔術師は術を行使する。実はロゼさんもその一人である。魔術師はそれぞれ目的を果たすために自らの意思で魔術師となり、日々研究している。ロゼさんは何も言わないが、何か叶えたい願いがあるのだろう。
それに対して何の前触れもなく突然生じた、異能を操る存在が能力者と呼ばれている。
僕のような疑似能力者は僕の知り合いにも数人いる。僕の目の前に座っているカレンもそうだ。
しかし、僕らと違う天然の能力者を見たことは、まだ一度もない。
噂では本物の能力者は既に、この世から消えてしまったとか。
さて、自己紹介で何を話せばいいのか本当に分からなくなってきた。
何せ、流されるがままに過ごしてきた日々だ。特に目標もなく、主の命令に従い仕事をこなし、そして同じ能力者の友人と共に過ごしてきた。
……友人?
そうだな。ここからは僕だけでなく、僕の友人たちも一緒に紹介しよう。
僕が能力者として甦った一年半前からずっと一緒に過ごしてきた人たちだ。彼らを紹介することは、則ち僕の紹介にもつながるはず。
それでは早速、彼らと共に過ごす日々ついて数日前の記憶を辿るとしよう。