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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
空と地上の攻防戦
86/261

地上での交戦・終

インド郊外

ただでさえ熱い気温は炎たちにより更に高くなる。

平均気温が三十度以上と言うそこに加わる炎により、体感温度は五十度をゆうに越える。

光沢すら帯びた炎たち。

それらは執拗に靖親を追い立てる。

燃やすものを失ったところで、炎たちが沈静化される事は無かった。静まるというより、大人しくなったそれ単体が生物のように動き、獲物である男から照準を外さない。

ただ、彼だってやられっぱなしではない。

八本に分かれた髪は煌びやかに靡き、尾を引く。なにか特別な力でコートされているのか、炎で燃えるような事はなかった。

そもそもの前提として、常人が過ごせる環境ではない。

蒼い炎の合間を掻い潜りながら、靖親は手に持つ刀を振るった。

生まれた斬撃波。

前方に展開される火の海を切り裂き向かう進行方向の先には、蒼髪の男が立っていた。彼に到達する手前、幾重もの炎たちがそれを呑み込む。

炎の壁をなんとか割る事に成功した時には、すでに蒼髪の男は姿を韜晦している。

先ほどから繰り返されている展開。

全身に負った火傷も最早気にせず、発汗すら許さぬ空間の中、それでも手で顔を拭った靖親は内心で愚痴る。

(あの野郎、ちょこまかと)

 蒼髪の男。

 態度が悪かろうがなんだろうが、やはり闘いというもの知っている。

 戦闘の上で一番大事なのは己のキャパシティではなく、相手の情報だ。自分の分野に取り組むにせよ、作戦を立てるにせよ、その核となる『敵』を知らなければ後々痛い目に遭うなんてのはざらであり、蔑ろにするなど、それは見た目が食料に似ているから食べればいいと言っているようなもの。

 蒼髪の男はそれをよく分かっている。

 だからこうして真正面からではなく、けん制の間合いを取っている。

 先ほどからの炎が向かってくる角度や量も、似ているようで全て違う。

 恐らく、死角などを探しているのだろう。

何よりも注目すべきは。

 この刀で人を切れないという情報を植えつけたところで、なんの効果もなかった事だろう。

 全くの嘘というわけではない。

 刀を振るうことで発生する斬撃波に対し一種のカタパルト的な役割を担ってはいるが、その根幹は靖親特有の陰陽道によるものだ。

 それを隠すことにより油断させる作戦だったわけだが、敵はたったの一撃で見抜いた。

 炎達を切る際は刀の特性を活かし、逆にそこを利用してきたというのに。

 恐らく向ってくる衝撃が石たちをはじいていく様をみて実態があるのだと悟ったのだろう。

 ――お前がなんと言おうが俺は何一つ信じちゃいねェ。

 あの蒼髪の男の言葉が、今になってようやく胸に響く。 

 先の肉弾戦から窺うに、相手も接近戦が苦手という訳ではないだろう。

 だが一思いにそうしてこない。

 そこも色々と考えているのだろう。

 打たれ強いからといって防御を蔑ろにしたところで、相手が打ち強ければ話は変わってくる。

 相手の能力が高ければ高いほどそれは該当し、幅は広がる。

 蒼髪の男はそれをよく知っている。

 常人の域を超えた今回のような至上の闘いならそれはなおさら活きてくる。

 膨うぅ、と、暴発するような形で、炎たちが靖親に殺到した。

 靖親は拳を握る。

 骨が軋むほど強く握り締める。

 そして刀を横一閃に振ると――迫り来る炎へとそれを放つ。

 もちろん炎に拳を振るった訳ではない。

 刀により払われた炎からは現れた蒼髪の男。

 化けの皮が剥がれるように、その正体が露になる。

 拳の軌道は顔面へと向う。

 しかし蒼髪の男は体勢を屈める事でそれをかわした。

「ケヒッ」

 頬筋肉の限界まで避けた口。

 快楽に支配された面持ちの蒼髪の男は、長い手足を活かし攻撃を繰り出す。

 そして、それらをかわした靖親は再度蒼髪の男の顔面に拳放つ。

 今度は入った。

 蒼髪の男の顔面に、拳を叩き込んだ。

 吹っ飛ぶ。

 大蛇の力を受け賜る今となっては、距離だけを見ると軽自動車に衝突されたほどの威力だった。

 己が生んだ炎に呑まれるような格好で、蒼髪の男は飛んでいく。ダメージがあったのかどうかは分からない。

 なぜなら炎たちが視界を遮っている。

 蒼髪の男が炎を纏って向かって来た理由は簡単だ。

 ようは確かめたかったのだろう。

 元素やらを切るのと同時に斬撃波を放てるのかが。

 それを看破した靖親はあえて拳を繰り出した訳だが……

 皮肉にもそれが答えとなってしまった。

 元素を切るのと斬撃波は同時には出せない。

 そして。

 蒼髪の男が吹っ飛んだ方面から、焔の槍が飛んできた。

 常人では認識するのがやっとの速度だったが、神経を研ぎ澄ましている靖親は刀を振るう事で即座に対応した。

 次を見る。

 ここまで拳を交えた者同士。敵もこの程度でやれるとは考えていないだろう。

 靖親は三百六十度全面に意識を向ける。

 燃え猛る炎のボウボウという音は少なからず感に触れるが、この際は気にしないほうが良さそうだ。

刀を振るって薙いだところであらたに出火されるだろうし、あえて炎に意識をやるのを狙っている可能性だってある。

 なんにしても、省ける挙措は省いたほうがいい。

「……」

 やけに長い。こちらが動きを見せないからか、焦らす作戦なのか。

 蒼髪の男が仕掛けてこない。

(……なんだ、なにを狙って)

 思った時だった。

 何の細工もなく何の躊躇もなく。

 蒼髪の男が真正面から突っ込んできた。

 十八番の焔を使う様子もない。

 正真正銘の真っ向勝負。

 靖親も咄嗟に構える。原始的に迫る蒼髪の男を原始的に迎え撃つ。

 展開された肉弾戦。どちらも後一歩というところで、致命打にはならない。

 紙一重の応酬。

 それでも。

 拮抗を崩したのは靖親だった。

 蒼髪の男の拳を腕でガードし、空いている左拳を放つ。直撃とはいかなかったものの、その攻撃は顎を掠めた。

 痛みというより、焦りだろう。反応が寸秒遅れた。それが仇となり、蒼髪の男の顔面に今度は拳がクリティカルヒットした。

 足元をぐらつかせる蒼髪の男。それを皮切りに、靖親は畳み掛ける。

 手加減などしない。

 これを逃せばチャンスはもう来ないとさえ考える。膨大な力でふっ飛ぶのを考慮しながらの攻撃。面白いようにHITしていく。果たして蒼髪の男は意識が飛んでいるのかもしれなかったが、それでも手を緩めなかった。

 殴って、殴って、蹴って、蹴った。

最早死んでもおかしくないレベル。それでも蒼髪の男は立っている。殺すつもりはなくとも、立たれている以上、攻撃の手を止める訳にはいかない。

 そのしぶとさに嫌気が差し、次の一手で終わらせようとより一層拳を振りかぶった靖親。

 ――これで終わりだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 だが。

 まだ終わらない。

 周囲の炎達が唐突に蒼髪の男へと集結し、最早立っているだけの身体を呑み込んだ。

(くそっ!!)

 下がった靖親。

 決め手を欠いた。最後の最後で詰めきれなかった。早く終わらせようなどという、自尊心に負けてしまった。

 冷静な頭を持っていれば近づいてきた炎たちだって薙げたはず。

 しかし、

(……まあ、敵はもう立ってるのがやっとだろ)

 済んだ事は仕方がない、と、靖親はポジティブに捉えることにした。

 現にそれは間違いではないだろう。あれだけの攻撃を受けたのだ。すでに戦意は消失しているはず。足元だってぐらついていた。もしや、これで素直に話すやもしれないと考える靖親だったが。

 甘かった。

 

「ヒィヤッッハアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ――――!!」


 人の肺活量を凌駕したような奇声が辺り一帯を支配する。

 途端、辺りの焔達も歓喜に燃える。暴発したように唸りを上げ、靖親へと襲い掛かった。

 今までで一番の火力。それでも靖親は、またかよ、と愚痴り、手にする刀を振るってそれをなんなく薙ぐ。 

「やっぱスゲーわお前」

 届く声。

 炎の壁が自動的に開け、声の主が露になる。

「あー意識が逝っちまってたぜ。二分ほどな……いいねェ」

 手で頭を抑え、空を見上げていた鋭い視線を靖親に落とした蒼髪の男は、

「最高だ」

 凶悪な笑みで、そう言った。

 頭からは多量の血が出ている。それこそ立ち眩みが起きていてもおかしくないのだが、蒼髪の男は気にも留めていない様子だった。

 あれだけの攻撃が炸裂したところで、戦意を消失させるどころか、更に増幅させてしまった様だ。

 靖親も今まであらゆる戦闘を経験してきた。蒼髪の男のような戦闘狂だって珍しい事ではない。しかし、それら連中の大半は戦いに存在意義を見出す事で成り立ち、命を天秤に乗せるというスリル感に依存していたはずだ。

 蒼髪の男は何かが違う。いや、根幹は同じだが――異常だった。

 究極のマゾ。己を傷つける事で生きていると実感する精神疾患に犯されているのかもしれない。

 靖親は蒼髪の男を見据えていた。当の本人の異常差は拍車が掛かっていた。

「あ……あ、……a、……AA……アハッ」

 身体からの痛みのシグナルが快感なのだろう。両肩を抑え、身震いすらしている様子の蒼髪の男。

 前兆だ、と靖親は思った。

 悪魔に呑まれる一歩手前。このままいけば長くは持たないうちに、身体の制御を乗っ取られる事だろう。

 ただ、それは本人にも分かっているらしい。

「さァーて。いよいよ時間がなくなってきた」

 片手で顔を押さえ、やや息を上げながら蒼髪の男は言う。

「身体も充分温まった。お互いの手の内も大体分かった。自己紹介はこの辺でいいだろ」

「時間が無いって言ってる割には随分喋ってるように思えるけどな。口を動かす暇があるなら攻撃に回したらどうだ」

「もォしてるけどな」

「みたいだな」

 靖親の後方に位置取る炎が爆ぜる。

 振り向きざまに刀を振るう。

 薙いだ。しかし上塗りされるように次が来る。動く靖親。蒼髪の男へと迫る。炎により狭まる視界。それでも蒼い髪は目に付く。ゆらゆらと揺れ動くその実体へと迫り、靖親は拳を振るったが、

「――な、」

 驚いた。感触がなかった。放った拳は確実に蒼髪の男を捉えているのに、その身体はゆらゆらと揺れ、不鮮明だった。

 やがてその存在はぶれるように消えた。

「はずれだ」

 後方からの肉声。咄嗟に振り返ろうとした靖親だったが――その頬に蒼髪の男の拳が減り込んだ。

 攻撃を受けた靖親は地面に叩き伏せられ、それでも留まらない威力は成人男性の身体をいとも容易く飛ばす。

 軽い脳震盪を体験しつつ、靖親は即座に立ち上がり、蒼髪の男がいた方面を見た。不気味な笑い声を上げながら、揺らぐその姿は霧に紛れるようにまた消えた。

(なんだ、どうなって)

 現象を理解しようとしてる矢先。

 横合いに突如現われた気配。頬の痛みからか、反応が遅れた。

 蒼髪の男の殴打がまた、靖親を捉える。

 往年の経験が培った身体は、それでも身を捻り最低限の直撃は間逃れた。だが全くダメージがない訳ではない。その口元から一筋の血が滴る。

 気になどしていられない。

 靖親はすぐに気配を探す。

 真後ろに感じた。そのまま振り向き様に拳を放ったが。

 確かに拳が捉えているはずの姿が、また霞む。

「それもハズレだ」

 どこからともなく響いた声。真横から現われた蒼髪の男の拳をなんとか躱し、靖親は距離を取る。

 既にいない。

 蒼髪の男は炎に紛れ、気配すら殺している。となれば頼れるのは視覚なのだが、謎の幻影らしき存在によりそれすらも危うい。

 そうこう思考しているちに、敵の手が多くなる。混乱している今が攻め時と判断したのだろう。

 これまでの保守的でなく、攻撃的に方針を転換。

 真正面からだった。

 炎のカーテンを割り、現われた蒼髪の男。凶悪な笑みで、靖親へと襲い掛かる。

 当然抗戦する。刀を握る右とは逆の左で殴打を放つ。触れた蒼髪の男がまた霞む。感触もない。異様な感覚に見舞われる靖親。

 今度は――左右だった。

 焦りを隠せない靖親。目をむく彼を挟む形で、二人の蒼髪の男は飛びかかる。

 どちらかが偽物で、どちらかが本物なのか。しかし、それを見抜く時間などない。咄嗟に靖親は後方へと回避する。

 標的物が動き、互いに衝突した蒼髪の男は――二人ともがフェイクだったようだ。霧散するように消え去った幻影は炎に溶けそれこそが着火剤のように勢いを増幅させる。

 最早驚く暇すらない。

 なんらかの形で敵は次の攻撃を仕掛けてくるはずだ。そしていつ来るかは分からないが、どれかが本物。

 マニュアルもなければ対処法も見出せていない以上、ここは全てのアクションに反応を示すに他ならない。

 増幅された炎から生まれるように、また正面から蒼髪の男が飛び出してきた。

 刀で薙ぐ。これも幻影。

 今度は右。最初の殴打は躱されたが、その顔面に裏拳を放り込む。それも幻影。

 今度は前、右、左、三方面からだった。

 妙な配置。あからさまに誘っている陣形。

 セオリーなら後ろだが、駄目だ、意識してはならないと靖親は内心で律した。

 靖親に襲い掛かる三人。

 刀を振るい、薙いで、薙いで、薙いだ。それにより周囲の炎が威力を落とすが、すぐさまに新たな炎が生まれ隙を埋めていく。

 この調子だと業火の海を鎮火させるのはかなりの時間と労力が必要となりそうだ。

 本体を叩く方がまだ効率的だろう。

(次はどこから)

 辺りを見渡す靖親。

 膨ウゥ、という、何か今までと違う作為的な暴発音が耳についた。

 思わず前を向いた靖親は、驚愕した。

 見上げる。

 高さはおよそ五メートル。全体像は体格と同調する。まるで巨人。揺れ蠢きながらも確かに形を保つ蒼髪の男の巨大化した姿が、そこにはあった。

 気圧される事が無かった凶悪な目付きも、ここまでの高低差だとわずかながら畏怖を覚える。

 だが分かる。これは幻影だ。決して蒼髪の男本体ではない。

 灼熱。幻影。屈折。冷え込んできた気温。

 ここまでのあらゆる現象と条件を照り合わせていく。

 すぐに答えは出た。

 して、その正体は。

「まさか……」

 信じがたいが、それしか浮かばない。

 にわかだろうが、根源が分かれば対処法も見出せるというものだ。

 片手に持つ刀を、靖親大きく振るった。

 半径三十メートル圏内の焔が消え失せる。やはりすぐに焔達は再生を図るが、その最中、靖親ははっきりと眼にした。

 直線上で立ちすくむ、蒼髪の男を。

 やけに距離を置いていた。

 それも靖親の推測をより確実なものにする。

「恐れ入るぜ全く」

 極めて面倒くさそうな口調。

 先にも言ったが、彼は争いごとが嫌いだ。

 蒼髪の男の高いポテンシャルを見て嫌気が差すのも無理は無い。

 なによりもその体から発生する黒い煙。

 最早嫌な予感しかしなかった。 

「本当にやめとけ。もう大尾に差し掛かってるじゃねーか。戻れなくなるぞ」

「黙ってロ」

「後悔できるうちにしとく事だな。でないとそれすらも出来なくなるぜ」

「黙れっツってるダロ。ボケが」

 焔は円を描くように、二人を囲い込んだ。展開された世界。外周からの進入を許さない危険領域。

「呑まれルのが怖クテ契約なんかスルト思うか? 最大の侮辱ダな。その辺のチキン野郎と一緒にすンじゃネぇ」

「……そうか。それは悪かった」

 ちらりと、靖親は周囲の焔へと目を配る。至り気づいたが、下側の気温がやや冷たい。常温に比べれば気になら無い程度なのだろうが、高温の周囲との温度差は随分なものだろう。

 溶けないはずの鉄が爛れ始めている点をみるに、ただの焔でもなさそうだ。

 蜃気楼の発生条件における距離の矛盾が説明つかないが、恐らく原理はそれと見てまちがいないだろう。

 妙だと靖親は思った。

 先ほど申した通り、焔達は二人を囲うような形で形成されている。つまり、二人の間にはそれこそ残りかすのような焔しか展開されていない。

 気温の変化を生じさせるには、いささか心許ない。

 それとも推測違いで、あの現象は蜃気楼とはまた違った現象なのか。

 そんな事を考え始めた靖親だったが。

 露骨すぎたのもあるだろう。

 しかし、彼は後悔する。

 なぜ気づかなかったのだと。

 目前にある姿が揺れる。ただし、それは蒼髪の男だけではない。ぐわん、と、全体が揺らぐ。己の三半規管にでも影響があるのかと思ったが、違う、とすぐさまに気づく。

 その場全てが蜃気楼。

 本来なら有り得ない現象。これだけ近くで、しかも内側からの視覚。

 にも拘わらず、騙されていた。

 これだけの異常を仕立て上げるのにどれほどのエフェクトを施したのか。極端な話、一歩先がすでに違う世界。

 たかだか数メートルの距離で光の屈折を叩きつける異様空間。

 つまるところそれは、距離間を狂わせる現象だった。

 ドゴッ、という鈍い音がした。同時に、靖親の身体が飛ばされる。

 あまりの無防備。息が出来なかった。その間約二秒。いまだ完全に気道確保できないながらも、靖親は追撃を警戒して防御の型を取る。

 蒼髪の男は確認できる限り、前方五メートルほどにいる。本来ならまだ必殺の間合いを外れているが、今は違う。

 靖親の腹部にまたしても迫る衝撃。蟹バサミでそれを拒んだものの、かわりに右脇腹へとそれは転位した。

 気を失いそうになった。

 内臓をシェイクされたような痛み。

 胃からせせりあがるものを自覚しつつ、靖親は刀を杖のように立て、膝を着くのをなんとか堪える。

 痛みが引いてきた。

 顔を上げ、口元から思わず溢れた涎を拭いながら、靖親は蒼髪の男を探す。

 とりあえず焔が邪魔なので刀を振るう。辺りは薙がれたが、すぐに覆われていく。

「……くそ」

 埒が明かない。

 それに時間が経つにつれ、焔の勢いが増している。始めは赤かった炎が青味を増し、更には黒い何かが交わりつつあった。

 燃え盛る世界に閉じ込められた靖親。

 そんな彼を怯えさせようとでもしているのか、蒼髪の男の哄笑がそこらかしこから聞こえてくる。反響するようなそれの発生源は分からない。どこから死活的な攻撃がくるかも分からないが。

 例え劣勢に立たされていようと、靖親が慄く事などない。

 目を閉じる。高温のこの場では呼吸すら命取りなのだろうが、なにかを吹っ切ったように一つ小さな息を吐く。

 精神統一。状況判断。算段が見出せない以上、ここからは強行に打って得るしかない。

 心の準備が出来たのか。

 靖親はカッと目を開く。

 早かった。

 ヒュン、と今まで同様、辺り一帯の炎を薙ぐ。その隙間を埋めるように、ここも先ほど同様、炎達が再生を試みる。

 違うのは次だ。

 荒れ狂う炎の中を、靖親は駆け回る。まるで音速。人を超えた動き。身体から無理をさせたエンジンのような黒煙を発生させながら、靖親は炎の海を縦横無尽にする。

 炎達の再生が間に合わない。再生速度は上がっていくが、靖親はさらにその上をいく。

 そして靖親は急転換する。常なら明らかに骨に異常をきたすような角度で方向転換し、向かう。

 蒼髪の男の本体へと。

「いいねええええええエエエエエエエエエエエエ!!」

 炎のシェルターが捲れ、露になった蒼髪の男。しかし喜んでいる。その理由は明白だ。

 ――待ちわびた展開。

 靖親の殴打が蒼髪の男の顔面に真正面から炸裂した。

 赤黒い血が宙を舞い、蒼髪の男は飛んでいく。一メートルや二メートルではない。それこそ乗用車にでも撥ねられたような距離を伸ばしていく。

 飛ぶ最中、蒼髪の男は地に後ろ手をつき、身を捻った。体勢を立て直す。敵である男はすぐそこまで迫っていた。

 ひゅん、と姿が消えた。

「!?」

 破顔ながらも、驚いた様子の蒼髪の男。突如現われた横合いからの攻撃を間一髪で回避する。が、流れるように放たれた次の殴打はまともに顔面を捉えた。

 早い。ジャブだとかそんな領域ではない。最早肉眼で捉えるのは困難な動きだ。

 また飛ぶ。

 殴打が肉を叩く音とは到底思えない音が送れて響き、蒼髪の男の身体がピンボールのようにそこかしこを飛び交う。

 炎など蚊帳の外だった。思い出したように展開されるそれは、戸惑っている様にも見て取れる揺らめきを見せる。 

「……くくクku」

 それでも笑う。痛みを感じられる事に幸福を感じ、生きている事を実感できる瞬間。

 最高だ。心の底からそう思い、蒼髪の男は凶悪に笑む。

 そしてここからが本番。

 お膳立ては出来た。全ての条件がそろった。蒼髪の男は心のタガを――外す。


 蒼髪の男を容赦なく叩く靖親。

 追い込みをかける最中、異変が起こった。

 ぷしゅうううー、という、まるで空気でも抜けるような音がして、蒼髪の男の体から黒煙が噴出する。

 疑問に思った靖親は、一度距離を取ることにした。

 充分な間合いを取ってから眺め、考察する。

 黒煙の正体は判明している。独特の霊気と灰黒い色合いは『エクトプラズム』特有のものだ。だが、それにしては妙だ。

(……なんだこの嫌な感じは)

 粘ついている。経験上、エクトプラズムの発生の在り方は普通の煙のそれだったはずなのだが、量は多いにも拘わらず、噴出の度合いが遅い。

 というよりは、濃い。

 色の問題ではなく、濃度そのものが文献や研究で報告されているのとは照り合わない。

「ヤっとやる気にnaったか」

 届く蒼髪の男の声。

 パチン、と指を弾く音がしたのを合図に、周囲がまた青黒い炎で満たされた。

 数メートル先にいる蒼髪の男は平然としていた。傷を負ってはいるものの、それもほんの掠り傷程度に見受けられた。

 その程度で済むはずはないのにと、靖親は自覚した。肩に刀を担ぎなおし、

「ったく、熱烈だな。言っただろ。こちとら揉め事は勘弁なんだよ。やりたきゃ他をあたってくれ」

「出来ねえなtoそリャ。遊びじゃねaーンダ。諦めナ。中々いないんだぜ、対等に遣り合える相手なんざ……どいつもこいつもザコばっか」

 思い返しているのか、どこか苛立ちを覗かせる蒼髪の男。

「見ろよ」

 やがて周囲の青黒い炎へと視線を促す。

「こいつらも嬉しそうだ。やっとめぐり合えた好敵手。ここで逃げてみろよ。それこそ収拾がつかなくなるぜ、例え当事者の俺でもな」

「……」

 虚勢でも虚言でもなんでもない。

 傍観的ながら主観。

 欲に呑まれれば、自我なんてものは崩壊する。自分が他人になるのだ。聞けば、その事実自体にも気づかないらしい。

 元より蒼髪の男の力量。素直に見逃すとも思えないし、それに気を割いて足を取られては笑うに笑えない。

 大前提として、靖親は襲撃者を未然に防ぐ立場にいる。逃げるわけにはいかなかった。

「……長生きできないな俺も」

 空を仰ぎ、靖親はそんな言葉を吐く。

 まだやり遂げる事はあるというのに。家には家族も置いてきたというのに。

 まぁ、世の中そこまで甘くは無い。

 そう自分に言い聞かし、靖親は蒼髪の男へと視線を合わせる。

 敵はすでにこちらを向いている。 

 狂ったように燃え盛っていた炎は穏やかになっていた。それは蒼髪の男の制御能力が上がったという事を示す。

 即ち、身体が悪魔の恩恵に順応し始めてる。

 靖親だって、様子見とはいえここまで手を抜いていたわけでもない。それでも倒せない相手。となれば、ここから先は更にワンランク上の死闘になる。

 拘束だとか逃亡だとか、そんな悠長な事はいってられない。

 端から覚悟はしていた事だ。いつ死んでも仕方がないと割り切ってもいた。手に持つこの『刀』に呑まれた時の処置法だって考えている。

 出来れば使いたくないものだがな、と内心で愚痴った靖親。

 時がきた。

 互いに時間を掛けるのは芳しくない。

 ゆらゆら蠢く炎たちは後一分もせぬうちに襲い掛かってくることだろう。

「さァroーて」

 周囲の業火のように、その声も、身体も、揺れ始めた。

「ここかラだ。ここから先がa俺の望ム世界。隔タリもしがラミもなくしてただ燃え尽きよウ」 

 両手を広げ、誘う。周囲の炎がその長を延ばす。上昇気流に押し上げられたそれは正確な高さなど分からず、津波の様な印象付けを与えてくる。

 凶悪な笑みを湛えたまま、始め同様、蒼髪の男はその言葉を口にする。

「求ム、極上ノ鬩ギ合イ」

 周囲の、今までと比べ物にならない規模の炎たちが、濁流のごとく靖親へと襲い掛かった。

 靖親は構える。

 どこまで有効かは分からないが、手に持つ刀で迫り来る炎を断とうと試みる。握る拳に力を込め、両手を添えた刀を一気に振るおうと――したのだが、

 直後だった。

 靖親に迫っていた膨大な炎たちが、跡形もなく吹き飛んだのは。

「!?」

 いきなりの展開に驚く靖親。

 対抗する気満々だった訳だが、その矛先がどこかへと拡散された。 

 いや、どちらかというと消えたと表現するのが正しいか。

 とにかく。

 場を支配していた炎の一団が、根こそぎ消えていた。かがり火すらなく、完璧に。

 なにが起こったんだと、靖親は始めに蒼髪の男を見た。彼も驚いている。という事は、これはやつの仕業ではないようだ。

 では一体誰が。

「……ふざけんなよ」

 半ば放心状態の蒼髪の男は、なにかを言い始めた。なぜか肩越しに背後を振り返って、

「舐めテンノカテメェコラ」 

 返答があった。

「随分な言い様ですね。せっかく助けたというのに」

 気づけば人がいた。一人は白髪で、もう一人は金髪。発言した白髪の男は友好的な笑みを浮かべている。蒼髪の男の凶悪な笑みが先入観としてあるのかもしれないが、それにしても不気味なのには変わりなかった。

 対して後方の男は仏頂面だ。頭に赤い鉢巻のようなものを巻いた男は、とてもつまらなさそうなものを見るように周囲を見渡しながら、白髪の男の背後を歩いている。

 姿、印象も三種三様だった。

 そんな彼等でも共通する点があった。

 黒装束。この暑苦しいインドで着るには便利の悪い身なり。宗教関連化とも取れない怪しさを発している不気味の象徴。

「……仲間か」

 靖親はそう推測した。

 そんな彼を置いて、連中は話始める。

 蒼髪の男は彼らへと向き直り、

「殺されてェのか? なに水差してんだよ。やっとこれからだってのに、台無しじゃねーか。……この落とし前はどうつける気だ?」

 まるでヤクザの喧嘩文句。それでも白髪の男は微動だにしない。

「悪いとは思っていますよ。しかしながら今は駄目です。それは計画に支障をきたす可能性がありますので」

「ああン? なにが支障だってんだ」

「あなたを失う事が、ですよ」

 捉え方次第ではそんなくさい事を、白髪の男はサラっと言う。

 他人を気遣う憂慮の言葉。しかし蒼髪の男は穏やかではない。

「なんだ、俺が負けるとでも思ってんのか?」

「いえ、まあ、五分でしょうね。相手もかなりの力量のようですから……真の問題は力に呑まれるという点です。ましてやあなたは邪心が強いのですから。あれだけ言ったでしょ、力の制御には充分注意してくださいと」

「そんな理由で止めたのか? ふざけんじゃねェゾ。俺がどうなろうと俺の勝手だろ。それをテメェ等にとやかく言われる筋合いはねェ」

「……分かんねー野郎だな。後始末する身にもなれよ。何が悲しくて思考や言語能力が無くなったきちがいの相手しなきゃならねーんだよ」

「ああ?」 

 堪らず告げられた金髪の男の言葉に、蒼髪の男はイラっときたようだ。言い返しといわんばかりに挑発的な笑みを浮かべ、

「そうだよなァ。お前如きじゃ暴走した俺を止められる訳ねーもんなァ」

「……自意識過剰が」

 二人の間に芽生える敵対心。なにが引き金になるか分からない極限な状況とすら言えそうな緊張感。

 一触即発のその蟠りを、

「そこまでですよ」

 まるで教え子の喧嘩を取り持つ教師のように、白髪の男は割って入った。

「話は後です。とにかく、今は一刻も早くこの場から撤退をしなければ」

 

 遠いところから、靖親は連中を見ていた。

 蒼髪の男は仲間にもあんな愛想悪い目付きらしい。と思っていたのだが、何やら空気が不穏だ。

「なんだ、仲間割れか?」

 少なくとも靖親にはそう見受けられた。

 なるべく力を温存するために、彼は今大蛇からの力の供給を断っており、髪が伸びている、なんて事もなかった。

 それでもいつ向かってきてもいいように刀は手放さない。

 しばらくすると。

 連中に動きがあった。

 代表してか、白髪の者が前に出てきた。やけにゆったりとしている。近づいて気づいたが、かなり整った顔立ちをしている。それこそ童話にでも出てきそうな、絵に描いた美貌。

 しかし、分からなかった。

 国籍も年齢も性別も、敵か味方かさえも。

(……いや)

 なにを可笑しな事を。その容姿に危うく惑わされるところだった。

 敵だ。

 あの凶暴な蒼髪の男の仲間だ。まだ蒼髪の男に比べれば良識があるようだが、それでも纏うものが異様だ。それすらも善か悪か判断しかねる訳だが、敵と認識していれば心構えが幾分も楽になる。

 なにを仕掛けてくるか分からない。

 あの蒼髪の男に取って変わって出てくるほどだ。力量も半端ないだろう。

 そう思い身構える靖親だったが、

「すみませんね」

 耳に入ったのは、まさかの言葉だった。

 訝しむ靖親。そんな彼に淡い笑みを返し、白髪の者は告げる。

「何分我の強い者でして。こちらとしても扱いに困っているんですよ。ここまで甚大な被害を及ぼすとは……いやはや、本当に申し訳ない限りです」

 なんだ、なにを言っているんだこいつは?  

 蒼髪の男についての謝罪とは分かるが、なぜいちいちそんな事を陳謝するのかが靖親には分からなかった。

 柔和な表情から見るに、心の底からそう思っている訳ではなさそうだが。

「申し訳ないついでに、見逃してくれませんかね?」

 白髪の者は更に友好的な笑みで、語りかけてくる。

「これだけ荒しといて言うのもなんですが、ここは互いに退いてもらえませんか? 蛇を操る流石のあなたでも我々が結託してかかれば一分も持ちませんよ。それに、そちらとしても色々ご都合はあるでしょうに」

 いつのまにか、立ち位置が逆転していた。

 友好的だった笑みは気づけば、全てを見透かしたかのような面持ちになっていた。それは思い過ごしでもないのかもしれない。

 白髪の者は言ったのだ。

 靖親に対して、蛇を操る者と。

 看破しているのだろう。靖親の力の根源を。あのアウトサイダーな蒼髪の男から聞いたとも思えない。

 更に、都合があるだろう、とも。なにを指しているかは分からない。それでも明確に、何かを指しているのだ。

 例えば置いてきた家族だとか。例えば戦況に置ける内情だとか。例えば――今自分がここにいる根っからの原因だとか。

 表現しようの無い悪寒が全身を駆け巡る。まるで全てを見透かされているような感覚に陥ってしまう。

 この男から意識を逸らしては駄目だ。それこそ自然圏の心組みで、靖親は身構える。

 彼としても出来るだけ事は穏便に済ませたい。敵は素性も力量も不明だが、培ってきた経験則が警戒を発している。

 出来る事なら逃げ出したい。この男の今しがたの要求を呑めばそれが可能となる。

 しかし、

「逃がすわけにはいかないな」

 立場上、それはできない。

「見たところ今回のテロの首謀者、もしくは関わりアリと見受けられるが……どうなんだ? お前らは一体何者で、なにが目的なんだ」

「? はて、妙ですね。それは知っていると思っていたのですが」

 くすりと、白髪の者は笑った。

「今回に置けるテロについての目的は国際組織『ウィアーム』の指導者、アンクル=バーホンの解放。そして我々は彼を慕ういち人間でしかありません」

「過小評価しすぎだ。分からない訳ないだろうが。あの蒼髪の男にしろあんたにしろ、お前らにはおかしな点が満載だ」

「そう言われましてもねぇ。ただそちらが勝手に懐疑を抱いているだけですので」

 困ったような風の白髪の者。どうにも、靖親はそれが嘘には見えなかった。

「……分かった。とにかく話は訊く必要がある。一緒に来てもらおうか。大丈夫だ。妙な真似せず、素直に問い掛けに答えてくれれば危害を加える気はない」

「これだけの被害を及ぼしておいてですか?」

 まず、無理だろう。

 現在の情報が入ってきていないが、『ウィアーム』という組織には前科がある。それこそ数え切れないほどの犠牲者が出ている。素直に質問に答えたからといってそれら全てを洗い流す事が出来るほど世界の懐というものは深くないだろう。

 ましてや犯行声明通り、今も他の場所で行為に及んでいるかもしれない。

 次にどう問いかけようかと考える靖親に、白髪の者は飄々と告げる。

「さて、この辺で本当においとまさせてもらいましょうか。他で奮闘している部隊は撤退させます。目的はあくまでも指導者の解放ですので」

「どういう意味だ。まさかもう開放したってのか」

 白髪の者の言葉を汲むに、そういう事になる。

 驚きの面持ちを取る靖親に、白髪の者はにっこりと笑っただけだった。

「それでは失礼します」

 そう言い、白髪の者は踵を返す。

 自由風を吹かすその者にしばし呆然としていた靖親だったが、

「待て」

 遠のいていく背にそう問い掛けた。それでも白髪の者は止まらない。しかたなく、靖親は追いかけようと思った。

 しかし、動けなかった。

 理由は謎の発光体が辺りを浮遊していたからだ。軟球ほどの大きさを誇るそれは、なにやら電気のようなものを帯びている。

「なんだこれは?」

 直後だった。

 発光体が、爆発を巻き起こす。

 一つ一つの威力は小さいようだが、無数に敷き詰められた爆弾は誘爆を引き起こしているようで、耳朶を打つ爆発音はしばらくの間続いた。

 舞い上がる粉塵の中、

「帰りますよ、アーク、不知火(しらぬい)

 金髪の男ことアークは何も言わずそれを肯定したようだが、

「冗談じゃねェ」

 蒼髪の男こと不知火は、納得がいかない。

「帰りたきゃ先に帰ってな。俺はまだここに残る。あの野郎とケリ着けねーとな」

「気持ちは分かります。しかし言ったでしょ、今は駄目です。不知火、撤退しなさい。あれほどの強者ならまた会えますよ。必ず、ね」

「……」

 蒼髪の男は歯噛みする。悔しさから拳を握る。

 不満はある。

 だが、意外にもすぐに白髪の者の言葉を信じることにした。

 いずれまた会える。

 その内容を理解しているのだ。

 その時こそ、このケリを着ける。

 致し方なく、身を翻す。まるで逃げるかのような様相だが、ここは我慢した。

 巻き起こる粉塵の中、見えぬ敵へと振り返り、蒼髪の男は言葉を残す。

「次は殺す」

 凶悪な目付きと共に、その場から人の気配が無くなった。


『草薙』から生まれた斬撃波が、粉塵を掃う。

 視界が拓けた。

 しかし、そこに連中はいなかった。

「……逃がしたか」

 呟くと、長刀を腰に携える。

 辺りを見渡す。

 随分な被害だった。物資なんてものは存在しない。半径五十メートル圏内が焼け野原。この程度で済んだと思えてしまうのだから、改めて蒼髪の男の異様さには身震いを感じてしまう。

「靖親さん!」

 すでに人は避難していたと思っていたが、思っても見ればそんな事はなかった。遠いところではあるものの、蚊帳の外だった軍人や仲間の姿が目に入った。

 近づいてきた森高は、溜め息を吐く。

「良かった。無事でしたか。すみません何もできなくて。不思議な事で、炎が水で鎮火できなかったんですよ」

「……ああ、別に構わねーよ」

 やはりあれは通常の炎ではなかったようだ。

 そんな事よりも、と、靖親は矢継ぎ早に聞く。

「森高、状況はどうなんだ? なにか変わった事は」

 それを聞いた森高は心底な面持ちになった。

「刑務所に拘束されていたアンクル=バーホンが逃げ出しました」

 ……やっぱりか、と靖親。

 予想通り、奴等は目的を果たしたために退いたのか。

「連中、悪魔と契約してやがった」

「……悪魔、ですか。なるほど。そりゃ手強い訳ですよ」

「ただ、なにか違うんだ。普通の悪魔の契約とは違う……一人だけ別格の奴がいた」

「あの蒼髪の男ですか?」

 いや、と靖親は否定する。

「別の奴だ」

 確かに蒼髪の男も異常といえば異常だ。あのまま続けていれば結果がどうなったかは分からない。

 しかしあくまでも分からない、だ。

 そんな曖昧なもので説明がつかない者がいた。

 白髪の者。

 ワンランク上の戦闘を繰り広げる靖親自身、威圧だとかオーラだとかそういった類のものの正当性は感じている。

 戦わなくても分かる。身体全体から爛れ出る圧迫感。とても巨大な敵を前にしたような、サイボーグでも相手にするような局面。

 白髪の男に対して、不覚にも靖親は思ってしまったのだ。

 去ってくれて助かった、と。

 我ながら情けないと思う靖親は、その醜態からも逃げ出すように歩み始めた。 

 そんな彼の背を、森高は追う。

「どこに行くんですか?」

「とりあえず腰を下ろしたい。全身火傷しててな。さっきからヒリヒリする」

「それなら救護車があります。そちらで手当てを」

「ああ、頼む」

 言うと、靖親は服を脱ぐ。中年にして鍛え上げられた肉体には、生々しい赤みと皮が捲れていた。

 しかし、彼は痛みなど気にしていなかった。

 思考を巡らせる。連中はまだ何か仕出かす。組織も思った以上に肥大化している模様。

 今回の手際といい戦力といい、思った異常に厄介な相手だ。

 裏世界均衡保持同盟。

 世界の均衡を裏から支える秘密同盟。

 今回の状況報告でどう動くか。上の連中もそれぞれの思惑や考えがあり、意見が纏まらない。そこに表も介入するというのだから、問題は一層複雑化する。つまり、こういった類の問題はいつも長期化するものだ。

 気にしてもしょうがない事ではある。

 どうするかの指針を決めるのは結局靖親ではない。力があろうと、彼はあくまで駒なのだ。

 だが駒として気にはなる。同盟は動くのか、様子を見るのか。それによって心構えや身構えは変わってくる。

 いずれにせよ。

 なるべく早く、何か対策を練らなければならないのは確かだろう。

「で、他の場所は収拾ついてるのか」

「……ええ、まあ。入ってきた情報によりますと、アンクル=バーホンを開放するという目的が果たせたからでしょう、潜伏や抗戦していた連中は撤退したようです。何人か拘束には成功したんですが、どうもねぇ、吐く気がしません」

「だな。奴等、組織に対する忠誠心は異常だ。一国を相手取ろうってんだ、命を天秤に賭けた程度じゃな。……こりゃまた当分寝れないな」

「おまけに被害も甚大です。市街にも凶弾は及んでしまい、敵味方多数の犠牲者も出ています。更に連中、軍設備や役職の人間を集中的に狙いましてね。上の指示を仰げない軍人達は困惑。指導者には逃げられるわ、主要機関は麻痺してるだわで、軍事インフラの根幹も揺らいでいて、結果的には最悪ですよ」

「そうか」

 その時だった。

 薄暗くなり始めた上空を、何かが通過する。

 それを見上げる靖親と森高。

「ただ、悪い情報ばかりでもありませんでしたよ」

 ぽつりと、森高は言った。

「ハイジャックされていた便の乗客乗務員がその支配から抜けました」

「なに? 一体どうやって」

 驚きの声を漏らした靖親は森高を見る。彼はまだ上空を見上げていた。その状態のまま説明をする。

「乗客が蜂起を起こして形成を逆転させたらしいです。凄い行動力ですよね」

「……なんだ、地上部隊に力注ぎすぎて手薄になったのか」

 と言いつつも、そんな簡単なものではないだろうと靖親は思っていた。

 誰かその筋の人間がいたのかもしれない。それともなにかヘマでもやらかしたのか。過去にハイジャックが失敗した例はいくつかある。

 しかしながら、

「あまり感心はしないな。今回はうまくいったからいいものの、失敗したらどうする気だったんだ。爆弾を積み込んでるのを分かってなかったのか」

「いや、そんな事はないでしょう。爆弾を搭載しているというのは、いい制御方になるでしょうから……現にちょっと危なかったみたいですよ。死者も出てるとか」

「……たく」

 再び空を裂く飛行機を見上げる。航行灯(こうこうとう)を薄闇に残し、段々その灯りは自分達を追い越していく。

 それを目で追いながら、靖親は最後に、勇敢だが少し無謀な何者かに対して呟くようにこう言った。

「親の顔が見てみたいぜ」

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