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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
空と地上の攻防戦
84/261

高度一万メートルの攻防 ~秘められた力~

手に持つトランシーバーが、電波を捉えた。

先ほど教えられた通りに操作し、声を抽出する。

ザザ、と短いノイズが走り、

『龍樹さん』

スピーカーの向こう側の人物は、確認を取る。

「ど、どうしたんだ」

何かあったのかと、龍樹は少しどぎまぎした。

悪魔の囁き最中の出来事だったが、不思議な事に、トランシーバーに意識をやっている現在、悪魔の囁きはぴたりと止んでいた。

『こちらに来ても大丈夫みたいです』

「こちら……ってどちら?」

『もう、ふざけてる場合じゃないですよ』

 相手がスピーカー越しにふくれっ面なのが分かる。

 しかしながらもちろん、龍樹だってふざけている訳ではない。

 至って真剣に受け答えしたつもりなのだ。

『そんな所に独りで居るのは危険……まぁ大丈夫だとは思いますが、もしもって事もありますし。ですから、安全が確認できた以上、こちらと合流してください』

「合流って……雀、お前今どこにいるの?」

 エコノミークラスです、と雀は言った。若干小声なのは、念のため、という事なのだろう。

『テロリストがそろっていなくなっています』

「……なんでまた」

本来は喜ばしいことなのだろうが、龍樹は顔を顰める。

あれほど頑なだった陣形を解いているというのだ。

なにかあると考えるのは当然の事だろう。

『なぜいなくなっているのは知りませんが、予測は出来ます』

 予側? と一瞬考えた龍樹だったが、やがて

「……アテナか」

 ええ、という短い返事。

『この場にいる人に聞いたら、連中はなにやら慌しく前方に向かったらしいです。銃声も聞こえたっていってますから、アテナさんの可能性は高いです』 

「銃声って……」

 大丈夫なのか、あいつ。

『とにかく早くこちらに来てください。人に紛れた方がより安全性は増します』

「お、おう分かったすぐそっちに行くよ」

 言って。

 龍樹はエコノミークラスへと駆けて行く。 




 椅子に座り、リーダー格の男は手にする小型銃を一心に眺めていた。

 点検ついでに意味も無く手の中で転がす。

 彼も内心は焦っている様だ。

「……二十分か」

 己に確認するように、リーダー格の男は呟いた。

 それは指導者解放の期限超過の時間。

 言葉を聞き取った近場の男は前方の壁に埋め込まれている時計を見る。

「ああ、それぐらい経ってるだろな」

「……」

 考える間を空け、リーダー格の男は椅子の背に身体を預けた。

「……連絡が取れない」

 ぽつりと放たれる落胆。

 その内容を頭で咀嚼した男は終始固まり、

「……なんだって」

 リーダー格の男へと振り向き、そう言った。

 気づけばリーダー格の男の手にはトランシーバーが握られていた。聞き間違いではないようだ、と男は結論付けた。

 リーダー格の男は机の上へと乱暴にトランシーバーを投げ置き、

「厄介な事になったな」

「まだ決まった訳じゃないだろ」

「だが可能性は高い。常で連絡がつかないのではなく、任務中に連絡がつかないのだからな」

 それも全員だ、と、リーダー格の男は付け加えた。

「……どうする?」

 指示を仰ぐ男。

 思考を巡らせているのか、リーダー格の男は黙ったままだった。

 手を束ね、その上に顎を乗せる。わずかに垣間見える眼光は相変わらず鋭いながらも、明らかに揺らいでいる。

 と、ここで。

 沈黙を破る形で、トランシーバーがなんらかの電波を捉えた。

 即座に二人は反応を示した。

 リーダー格の男は直ちにトランシーバーへと手をやる。受信のスイッチを押し、

「どうした?」

『く、が……そっちに行った』

 負傷しているのが声で分かった。振り絞るように、トランシーバーの向こう側から声が放たれる。

『例の女がそっちに向かった』

 直後だった。

 可動式のドアが――破られる。

 ドンッッ!! という乱暴な開け方。

 砕かれたドアはそのまま勢いに振られ、やがて床へと倒れこんだ。

 事態に気づき、咄嗟に銃を構える男。

 しかし駄目だった。

 いつの間にか接近していたその女。

 アサルトライフルを発砲するも、小柄な体型も手伝って、その銃身では埋め切れない程の至近距離。

 すぐに攻撃方針を変更する。

 女は殴打を放ってきた。

 ガードする。速さは大したものだが、体重を乗せる、といったような威力は無い。

 少しばかり、男に余裕が生まれる。

 とはいえ、速さに対する評価は改めるべきだった。

 殴打は矢継ぎ早に放たれた。

 右、左、と――それでも何とか対処し、反撃に転ずる。

 敵が放った殴打をかわした後を見計らい、手加減一切無しで拳を繰り出す。

 が、殴打を放った威力を利用し身体を側転気味に回転させた女は、その攻撃をすり抜け――

男の顎へと踵を直撃させる。

 揺らぐ身体。

 威力は無いと踏んでいた男は、戸惑った。

 だが隙を与えては駄目だとすぐさまに動こうとする。

 それが更に敵へと有利に働いてしまう。

 傍から見れば計画性のない大雑把な動きだったかもしれない。

 現にそうだった。

 焦って放たれた攻撃に、精密性などあるはずがない。

 ゴン、という鈍い音。

 未だ先刻の影響が残る脳震盪に上乗せされる痛み。

 身体をわずかに浮かせ、威力を付随させた殴打の威力は抜群だった。

 しかもカウンターというオプション付きだ。

 男は膝をついた。近くのシートに手を引っ掛け、地に頬つけるのをなんとか回避する。

「はぁ……はぁ……」

 暑苦しいナリ、四キロほどのアサルトライフルを首に引っさげているというのは予想以上に体の負担になっているようで、酸素供給がうまくできない。

 気配を感じ、俯いていた顔を男は上げる。

 視線の先には敵である女の顔がまじかにあった。磨ききったような碧眼が、とても美しい。

 そんな事を感じているうちに、女は男の頚動脈に両のひとさし指を添えた。

 それだけで上方から暗がりが落ちていく。

 正常な判断も出来ず、瞼を瞬かせた男は――オチた。

「……」

 すっと、女――アテナは立ち上がる。

 横たわる男から視線を前方へと移す。

 そこには奥へと繋がるドアがある。

 交戦の最中、リーダー格の男はそこを通り抜けて行った。

 奥にあるのはファーストクラス。

 更に奥には狭い通路と機長室。

「……」

 早くせねば取り返しのつかないことになる。

 そう思ったであろうアテナは、何も語らず、何も持たず、その足を前方へと進める。


 

 

 エコノミークラスにいる雀達と、龍樹は合流した。

 聞いた通りその場にテロリスト達の姿は無く、席を立ち、知り合いか見知らぬ誰かに話しかけている人がいれば、未だ着席している人もいる。

 龍樹と雀はそんな状況を横目で見ながら、クラスの後方で立ち話をする。

「連中、アテナさんを呼ぶために乗客二人を連れて行って、射殺したみたいです」

 険しい表情で、雀は言った。その心情は聞かぬとも分かろう。

「……ああ、知ってるよ」

「ほんと許せませんよね。目的の為に罪無き者の命を奪う事が正義なものですか……ただ、それが途絶えたって事は、やっぱりアテナさんが現われたと推測できます」

「だな。あの放送、何言ってるのか俺には分からなかったけど、アテナには分かっただろうし」

「ええ、アラビア語は裏世界でも公用語の一つですから。必ず修得しなきゃいけない義務がある訳ではないですけど、アテナさんクラスならきっと」

「そういえばお前も喋れてたな」

 普段バカなのに、とはもちろん言わない。

 雀は少し皮肉げな笑みで、

「まあ、私の部族では必須なんですよ」

 と言った。

 また部族? と引っ掛かる龍樹だったが、そんな彼など気にも留めず、

「これから私は真相を探るべく先に進みます。ですから龍樹さんはこの場で皆と一緒に居てください。顔を覚えられている可能性もありますけど、直接何かした訳じゃありませんから殺される事はないでしょう。もしテロリストが来て何か聞かれたら、強制的に連れ添うよう言われた、とでも答えてください」

「……ああ、分かった」

 今に限った事ではないが、どこか間の抜けた、龍樹の返事。

「……本当に分かってます?」

 と、雀が訝しんだ時だった。

 前方、可動式のドアが開けた。

「全員席に戻れ!!」

 放たれた怒号。

 アラビア語だったためその内容が分からない者も居ただろうが、忙しく着席する周囲。銃を向けてくるテロリストを見れば、いま時分が取るべき行動も限られているだろう。

 全員が、着席した。

 先刻同様制圧される室内。

 と思いきや、先ほどと違う点はいくつかあった。

 まず一つ目。

 テロリストの数が二人に減っている事。

 二つ目。

 顔を覆っていたバンダナを取り外しており、そのテロリストが傷を負っている事が確認できた。

 そして三つ目。

 着席していない乗客が二人。

「おいお前」

 席に座る素振りを見せない龍樹と雀に一人のテロリストが詰め寄り、銃を突きつけた。

「早く席に戻るんだ」

 息が乱れている。民族衣装のような服はボロついていて、顔の頬部分には擦り傷のようなものがあった。

 まるでたった今、誰かにやられたような――

「聞こえないのか!」

 至近距離で怒鳴られた為、龍樹はびくっとした。アラビア語だったのでやはり分からなかったが、大体の内容は分かる。

 早く座れと言っているのだろう。

 刺激しては駄目だ。

「はいはい分かってますよ」

 ちょいとごめんよといった感じの低い姿勢で、席に戻ろうとする龍樹。

 ここで思った。

 雀はどうするのだろう、と。

 てっきり自分同様席に戻ると踏んでいたが、その気配が背後からしない。

 思わず振り向く。

 テロリストと睨み合っていた。

(……あの馬鹿)

 また妙な事を。

「(おい雀、何やってんだよ。早くこっち来い)」

 小声で手招きする。

 だが雀は振り向きもしない。

「……この女」

 ジャキ、とテロリストはコッキングレバーを引き、雀に照準を合わせる。

 まずい、と龍樹は胆を冷やす。

 しかし雀は慄くどころか、

「その銃、壊れてますよ」

 アラビア語で何かを放ち、微笑した。

「――くっ」

 虚勢がばれた、と目を見開き、構えを解いたテロリストは、銃を両手で持ち棍棒の様に雀へと振るった。

 バリン、とドアの硝子が割れる音がした。

 なんなくその攻撃を回避した雀は、男の背後を取った。

 そうはさせまいと、男も身体を捻る。

 一振り、二振り――雀は後退してそれらをかわす。

 距離が開いた。すぐさまにそれを埋めようと一歩を踏み出すが、

「!?」

 横合いから、衝撃が加わった。

 耐え切れず転げるテロリスト。

 乗客である中年の男性が、飛び掛ってきたのだ。

「くそ、この、離れろ!」

 足蹴にする。だがスッポンのようにその男は離れない。

 そうこうしている内に、他の連中も飛び掛ってきた。

 サンドイッチのように圧し掛かられるテロリスト。数は五人ほど。いくら筋肉質でも、大の大人五人掛りとなれば常識的に敵わない。

 遠くにいた仲間も動揺を隠せない。

 助太刀に向かおうと、一歩を踏み出したのだが、

「!?」

 こちらも同様、飛びつかれて行く。半ば推し進んだが、抑えつけられるのも時間の問題だった。

 ぎゃーぎゃーと喚くが、すぐに口を塞がれ、銃も取り上げられた。

 形勢が逆転した瞬間だった。

「お、おお」

 皆やるなぁ、と感心の息を漏らす龍樹。

 その時、動き出した雀を尻目で捉えた。

「あ、おい、どこいくんだ」

 聞こえなかったのか、雀は慌しい周りの合間を縫いながら、まい進する。途中床に転がっている使えない銃をなぜか拾い、向かった進行方向にはドアがある。

 前室に繋がるドアが。

 何ができる訳でもないのは承知だが、条件反射的に龍樹はその背を追った。


 

 

 ゴアアアァ。

 ファーストクラスに通じるドアを、アテナは開いた。

 中は静まり返っている。

 許容席数十では充分すぎるほどの面積に敷かれたペルシャ絨毯。楕円形や丸型の机。アンティークなそれに寄せたようなミルクティー色のリクライニングシート。

 流石に値段が高いだけの事はある。

 そして。

 家にでもいるかのような錯覚すら与えてくるそんな空間の奥側に、

「やらかしてくれたな」

 リーダー格の男は居た。

 男は立ち尽したままアテナを見て、母国語のアラビア語で言う。

「目的は滞りなく完遂するはずだった。そのあかつきにはこの機の乗客たちも無事解放する予定だった」

 なのに、と、リーダー格の男は声のトーンを落とした。

「お前が起こした行動の精でそのわずかな希望さえも摘み取られた。分かるか? お前がした事は死期を早めただとか、そこ止まりの話ではない」

「……」

 アテナは何も答えない。

 肯定している訳では決して無いだろう。ただ単に、男の心理状況を、この先の展開を、算段しているに過ぎないはず。

「随分な言い様ね」

 周囲を見渡した後、アテナは手始めにその言葉を選んだ。

「向かって来た連中は今頃伸びているんじゃないかしら。少なくとも、応援に駆けつけようだとか馬鹿な気を起こしはしないと思うわ。途中、怯えていたから」

「それがどうした? 元々仲違いが無かったわけじゃない。端から信用はしてないさ」

「そう――じゃ改めて聞くわよ」

 用意していたように、アテナはこう言った。

「追い込まれているのはあなたの方だと思うのだけれど?」

「……」

 リーダー格の男は黙り込んでしまった。

 こちらは相手の心理状況だとか、先の展開に思考を割いている訳ではない。

 問い掛けに対する否定の言葉が浮かんでこないのだ。

「ああ、確かに追い込まれているのは間違いない」

 だが、

「それでも手段が無くなった訳ではない」

 力強く、リーダー格の男は言ったものだった。

「お前だってその可能性は頭にあるはずだ。一思いに俺達を殺さないのもそれが事情か?」

「さあ、どうかしら」

「相変わらず煮えきれない野郎だ」

 ズズズズ、と、リーダー格の男の肩付近に、いつぞやの(ホール)が生じる。異次元に繋がるというそれだ。

 そこに片腕を突っ込む。

 見る見るうちに穴へと男の腕が入り込んでいく。

 やがて肩口付近で止まり――引き抜く。

 その手には刃渡り一メートルほどの日本刀が握られていた。

 見せびらかすように、ギラつく刀を振るったリーダー格の男。

「出来れば奥の手は使いたくないものだ」

 ぽつりと漏れた独り言。

 音量が小さかったため聞こえたかどうか分からないがとにかく、アテナは全く別の疑問を口にする。

「銃は品切れかしら?」

「うるさい。俺だってバカじゃない。幾度と無く回避されたんだ。これはもうまぐれじゃねえ。つまり、お前相手に銃は通用しねえって訳だ」

「……そう」

 特に反応は無かった。

 接近戦なら勝機があると考えた男を笑ったのかさえ。意外と柔軟な思考をしていると感心を覚えたのかさえ分からない、無表情。

 しばらくの睨み合いを経て。

 動いたのはリーダー格の男。

 顔を卑屈に歪め、アテナの元へと駆けていく。刀の扱い方も素人ではない。走る際でもぶれないように持ち、なおかつ一閃を放つ構えで――斬る。

 シュイン、と、当たれば真っ二つ間違いなしの威力を纏った刀が空を切った。

 空ぶったところで男が焦る事は無い。逃げる女を猛追する。

 リクライニングシートが、机が、高級食器が、当たらぬ事に対しての八つ当たりのように斬られていく。

「ちょこまかと!」

 溜まらず苛立ちの声を漏らしたリーダー格の男。

 刀を振り下ろす。

 横手に避けた女は、顔面にカウンター気味の殴打をヒットさせた。

「ぐ、」

 痛い。

 いくら貧弱な力であろうと、やはり顔面だとダメージがあるらしい。

 後は一方的な展開だった。

 刀を振るっては避けられ、殴打や蹴り、カウンター気味の攻撃でダメージを蓄積されていく。

 バカ正直に喰らい過ぎたようだ。

 リーダー格の男は、殴打を受けた反動で間抜けに転がった。

 すぐさまに顔を上げる。

 敵の女がゆっくりと接近してくる。

 すぐに起き上がらなければ。

 刀の届く範囲に迫っているため、立ち上がりざまに振るった。

 しかし、アテナは刃が届く前にリーダー格の男の手首に手を添える。それだけで動きは簡単に止まった。

 掴んだ手首を捻り、翻ったそこに蹴りを入れる。

 間接が無理に曲げられ、痛みによる短い悲鳴と共に男の手から刀は零れた。

 これで男は丸腰状態。

 現段階では。

 形振り構わず後退し、リーダにー格の男は即座に穴を出現させる。まだ完璧に広がらぬうちに手を突っ込んだところからは心情の焦りが見て取れた。

 小型の銃を引き抜く。

 しかし、それをアテナに向けた時にはすでに懐へと潜り込まれている。

 腹に奔る鈍痛。そこから背負い投げに持っていかれた。

 屈強な身体はいとも簡単に飛んだ。

 体格差からは考えられないほどの飛びっぷりだったが、カウンターを得意とする点から窺うに、そういった力学的なものに精通しているのだろう。

 床に衝突し、肺から強制的に息を吐き出される。まだ息が整えられないがすぐに立ち上がらなければならない。

 倒れ込みたいのを必至に堪えながら、リーダー格の男はその脚に力を込める。

 抗戦する。

 顔を覆っていたバンダナ。万が一の防犯チョッキ。腰に巻いた銃ホルダー。

 外せる物は外し、おもりを取り除いていく。

 身体を軽くし、動きやすくする為に。

 軽快なフットワーク。

 ボクシングでもやっていたのか、リーダー格の男は俊敏な動きで迎え撃つ。

 右、左、と、マニュアルのようにワンツーを繰り出す。

 アテナはそれを難なくかわし、懐に潜り込もうとする。

 リーダー格の男は前に一歩踏み出すことで距離感を狂わせる。

 思惑通りか、アテナの足は止まった。

 動きを止めたが故に生まれた一瞬の隙。

 ――もらった。

 懐を取ろうとしている為、前屈み体勢。つまり、顔面が拳をぶちこむには絶好の場所にある。

 リーダー格の男は拳を握り、アテナの顔面へとそれを放つ。

 感触はすぐにあった。頬に到達したのだと確信を持ってさえいた。

 だが実感が無かった。

「ぐ――ッッ!?」

 呻いたのはリーダー格の男。

 頬に拳が触れた瞬間に回転して力を流し、その反動を利用した回し蹴り。

 アテナの得意パターンの一つだった。

 やはり威力は屈強な男を倒す程ではない。

 だから追撃。

 休む暇を、考える暇を、彼女は与えない。

 その勢いの良さに圧されてしまう。

 ダメージがある訳でもないのに、具体的にどう身体を動かせばいいのかが分からない。

 それでもなんとか反射的に攻撃を繰り出すリーダー格の男。

 こうなってしまえば、後はアテナの時間だった。

 放ってはカウンター。放ってはカウンター。

 リーダー格の男の体に、攻撃は的確に打ち込まれていく。

 そして。

「風勁(Movimento di Vento)」

 リーダー格の男の胸に拳を添え放たれた、その言葉。

 ドゥンッ!!

 相手の内部に無駄なく注がれた威力は、大の男一人を吹っ飛ばす。

「ぐはっ!」

 前方に繋がるドアまで飛ばされた。その距離は十メートルほどもあったはず。

(くそ……今のはまずい)

 息が出来ない。

 身体が痛い。

 それでも立ち上がる。

 ――力が入らない。

(が、)

 よろめく。

 まるで自分の足じゃないみたいだった。

 だからといって、敵が手を緩める事などありはしないだろう。

 拳を握るアテナ。

 感情を一切表さない顔が、更にリーダー格の男の不安を煽る。

 そして、アテナが距離を縮めようと腰を落とした時だった。

「ま、待て」

 リーダー格の男は、片手で制した。

 不意にアテナの足は止まる。

 どうやらリーダー格の男の言葉に耳を傾ける気のようだ。 

 息を乱しながら、リーダー格の男は言う。

「く……はぁ……驚いたよ。これほどとは」

「……まさか媚を売ろう、だなんて魂胆じゃないでしょうね」

「それでこの状況を打破できるのならそうしよう。だが、残念ながら力の差は明らかだ。それこそどうしようもないほどにな」

「命乞い、と取っていいのかしら?」

 いや、と、リーダー格の男は否定した。

「最後の手段を使わせてもらう」

 その表情は何かを吹っ切ったようにすっきりとしていた。

 力の差を認識しながらも、まるで対等の立場だと言わんばかりに立ち尽くす男に、アテナも警戒の色を隠せない。

「最後の手段……あなた達が仕掛けた爆弾の起爆装置はこちら側が握っているわよ」

「ほう、こちら側、ねえ……なるほど。やはり他に仲間が居たか。差し詰めあの少年とその同乗者だろう」

「……」

 恐らくは考察するアテナ。

 リーダー格の男の今の口振りを聞くに、どうやら『最後の手段』とやらは他にあるようだ。

「ふん。俺も甘いな。あの時もっと問詰めていれば、まだ勝算があったのかもしれない。そうでないにしても、なんからかの手立てはあっただろう……最後ぐらいは徹底したいものだ」

 ブゥン、と、穴を発生させる。

 そこに、今まで以上の力強さで腕を突っ込む。そして腕を入れ込んだままの状態で、リーダー格の男は言う。

「お前は確かに強い。俺達が束になって掛かっても、恐らく勝てはしないだろう」

 だがな、と、リーダー格の男は口にした。

「流石のお前でもこればっかりはどうする事もできまい」

 リーダー格の男が手にする『最後の手段』、その全貌が明らかになる。

「!?」

 アテナは驚いた。というより、相手に引き出させる時間を与えた事に、後悔を覚えたのだろう。

 リーダー格の男が引き出した物。

 直径三十センチのボックス上のそれは、爆弾だった。

「念のために造らせて置いた予備爆弾だ。誤作動防止のコード意外手を加えていない、つまりは創作者でない俺にだって解除方は解らない代物だ」

 その代物に付いてあるボタンのようなものを押し、リーダー格の男は爆弾を床に置いた。

 0:00だったタイマーが5:00に変わり、秒数が減っていく。

 起爆装置が、起動した。

「――――、」

 歯噛みするアテナ。

「なんて事を」

「世界を正すためだ」

 間髪いれずに、リーダー格の男は言ったものだった。

「その為の命なら喜んで差し出す」

「……勝手なものね」

 本当に、身勝手。

「あなたの人生をあなたが決めるのならいいわ。元より、それは他の存在である私にはどうする権限のないこと。でもね。その身勝手に大勢の他を犠牲にするのは不条理というものではないかしら」

「戯れ言を。未来とは過去を踏み台にして築かれるもの。大義を成すには多少の犠牲は必要だ。正義とは正しい事を成すものではない。周りに惑わされず、己の信念を貫き通す事を言う」

「何かを犠牲にしなければいけない正義など、それは最早正義ではない。あなた達がやろうとしている事はエゴでしかない。自分の思い通りにならない事に憤りを覚え、それを実現するために強引に推し進めるだなんてそれこそ子供のような」

「黙れ」

 聞いていられないと、リーダー格の男は低く唸った。

「誰がなんと言おうと、我々が正義だ。この機が墜落する事で我等が指導者は解放され、その思想は成就される。そして訪れる、理想郷。それを否定、邪魔をするというのならお前は悪意外の何者でもない。そして――悪は葬られなければいけない!」

 そこでアテナが動く。

 姿勢を低くし、一気に接近する。

 床に置かれた爆弾は後回しなのだろう。リーダー格の男に意識を合わせる。

 わずかに尻込みしたものの、リーダー格の男はその動きを止めようと手を伸ばす。もちろんアテナはどうという事でもない。

 伸ばされた腕を掻い潜り更に接近して――足払い。

 足払いと表現したが、実際にはそこまで大それたものではなかった。ただ単に、後退しようとしたリーダー格の男のくるぶしに足を引っ掛けただけ。

 それだけで意図も簡単にリーダー格の男は転げた。しかし、その反動を利用し、後ろ回りですぐに立ち上がる。

 腹に蹴りをかまされた。

 短距離重視の前蹴り。更には、次の一手が出し易い。

「風は寄り添い密になる(riunione bil vento)」

 前蹴りにより絶好の距離間を誂えたアテナは、右手に風を集約させる。

 繰り出されたリーダー格の男の拳を回転しながらかわし、後ろ向きながらもリーダー格の男の腹に手を添えた。

「風勁(Movimento di Vento)」

 添えられた手から、くぐもった音がした。吹き飛ばされるリーダー格の男。後方四メートルほどにある ドアへと背を打つ。息が出来なくなったが、それで蹲る訳にはいかない。

「んぅあ!!」 

 痛みを気合でごまかし、リーダー格の男も前に出る。

 拳を放つ。

 アテナはそれを演舞のようにかわしていく。

「風は寄り添い密になる(riunione bil vento)」

 回避するその最中、また風を集める。

 リーダー格の男がローキックを放つと、アテナはジャンプした。

 そして地に足を付けた瞬間、更にリーダー格の男の懐に潜り込んだ。その腹に集めた風を押し当て風勁――といきたかったのだろうが、敵だってバカじゃない。

 警戒していたリーダー格の男は、咄嗟に横へと身体を移動させた。それにより風勁が発動される事は無かった。

 だが安堵などしている暇はない。

 リーダー格の男は懐から銃を取り出す。その照準を迷う事無く敵に合わせ、発砲する。機体に穴が空くだとか、そんなものを考慮している余裕はなさそうだった。

 一発二発と発砲するが、すばしっこい標的には掠りもしない。

 三発目を発砲しようとするも、 

(く、この女)

 敵はまた懐に潜り込んできた。

 リーダー格の男は前蹴りを放つ。なんのその、アテナは動作を止める事無くそれをかわした。

 避けられたが為に、リーダー格の男は右拳を放ったが。

 カウンターの起因でしかならなかった。

 相変わらず、後に残る痛み。

 これが腹や足ならまだ程度は軽いのだろうが、鼻などの部位ではか弱い力でも痛みが残る。

 それがニ、三回続いたのだから堪ったものではない。

 この状況を打開しようと、リーダー格の男は身体を丸めアルマジロのように地面を転がった。

 すぐに起き上がる。

 前を見ると、女が勢いよく迫らんとしている。

「動くな!」

 放たれた怒号。

 自然、アテナはその足を止める。

 リーダー格の男の怒号にではない。その男の足元で繰り広げられている展開に。

 リーダー格の男は鼻から流れる血を拭い、

「よし、そこで大人しくしていろ」

 アテナに銃を突きつける。

 それでも彼女は動かない。

 動けない。

 リーダー格の男が足元にある爆弾に、いつでも銃を突きつけられる立ち位置ともあれば。

「……安心しろ。妙な真似しなきゃ撃ち殺しはしない」

 睨みを利かせてくるアテナに、リーダー格の男は言った。

「どのみち死ぬ運命なんだ。お前にだって懺悔すべきことぐらいあるだろう。今のうちに悔い改めるがいい」

 爆弾のタイマーはすでに三分を切っていた。

「本筋とは違ったが、まぁ、最低限の役割は果たせそうだ……他の連中には悪いがな」

「今すぐそんなバカな真似はやめなさい」

「言っただろ、この爆弾は俺には解除できない。仮に解除できる奴を今から呼びに行ったところで、時間切れになるだろう。つまり、どうあがいたところで手をくれという訳だ」

 毅然とした態度で振舞う、リーダー格の男。悪びれる様子は全く無かった。何度同じ場面を繰り返そうと、男はその選択を選ぶ事だろう。

「――、」

 アテナは歯噛みする。

 どう説得したところでその意思は揺らがないだろうし、なにしろ、爆弾を解除できないというのは事実だろう。

 それがリーダー格の男の、覚悟。

 


 ところかわって。

 ビジネスクラスを抜けた通路。

 アテナが居るであろう前方へ向かっていた雀と龍樹だったが、そこで障害が生じた。

 横合いのギャレーからテロリストが現われた。

 ただし、服装は乱れ、顔を覆うバンダナは外されており、その顔には疲労の色が窺えた。それこそ誰かと争った後のような在りようだ。

 ギャレーから這い出るように出てきた男。

「!?」

 テロリストが龍樹と雀に、龍樹と雀がテロリストに驚いたのはほぼ同時だった。

 テロリストの男は焦りながら肩に掛けているサブマシンガンを構えようとする。

 そうはさせまいと、雀はすぐさまに動いた。

 接近し、銃を奪う事を最優先する。

 敵は思った以上に疲弊しているらしく、簡単に床に伏せさせる事に成功した。

「ぐ、が、ああ」

 呻くテロリスト。そんな彼を足げに警官よろしく腕を固める雀。

「何してるんですか龍樹さん、早く縛るものを」

「お、おおそうか。縛るもの縛る」

 ってそんな事急に言われても、誂えられる訳がない。

 そこかしこを探し回ってみるものの見付からない。

 焦る龍樹。

 こうしている間に増援が来てしまうかもしれないというのに。

 


 爆発まで――後1:12秒

「あっけないものだな」

 リーダー格の男は、しんみりとする。テロなどという不道徳行為を仕出かす彼もやはり人間だという事を認識させられる瞬間だった。

「人生などこんなものだ。どれだけ積み上げてこようと、どれだけ有意義な人生を歩もうと、生物は死に際対等になる」

「それはあなたの意見でしかない」

 悟らせるように、アテナは言う。

「死に際は対等になるですって? 笑わせないで。あなた達は今回の件に理由が欲しいだけ。自分達の行いに正当性を見出したいだけ。それを成就させる為に他を巻き込むだなんて、専横もいいところ。……ごまかせないわよ。あなた達がしている蛮行は」

「……構わないさ。冒涜でなければな」

 蛮行という事は認めるが、神から見放された訳ではないと、その男は言った。

 結局世間が認めないだけであって、信ずるなにかが認めてくれればそれでいいと。

「……そろそろ時間だな」

 足元の爆弾を見る。起爆まで後三十秒を切っていた。

 流石のアテナも焦りを隠せない。

 やがてリーダー格の男が、膝を着いた。礼拝し始めたのだ。規定時刻でもないのにそれをするという事は、この場合『神のご加護』でも享け賜ろうとしているのだろう。

 アテナはいまだ動く気配を見せなかった。ただ表情に彩られる焦りは全面を支配している。

 爆発まで十五秒。

 十四、十三、十二、十一、十、九、――

 そこで変化があった。

 爆発まで後七秒のところで、

「――――ッッ!!」

 アテナはなにかを、叫んだ。



「……?」

 ビジネスクラスを抜けた通路。つまりはファーストクラス手前の通路。

 縛るものを探す龍樹は、眉を寄せていた。

 機体が揺れた。

 大規模なものではなかったが、先の振動により敏感になっている神経は敏感にそれを感じ取った。

 しかも発生源は近場のものだと思われた。

 目前にあるドアを隔てた向こう側――ファーストクラス。

「なんだろう?」

 一般ではもっと警戒心をもって当たるのだろうが、イマイチ真剣みに欠ける龍樹。

 なんの躊躇いもなく、ドアへと向かう。この時ばかりは縛るものを探すという目的を忘れてしまっている。

 ドア前に至った。

 後は壁面にある丸型ボタンを押せば自動で開く。

 そのボタンを押す。

 ガアアァァ、と、乗客の快適を維持するからか、割かし静かな開口音だった。

 とにかく、龍樹は開けたのだ。

 この機で一番と謳われるファーストクラスの、その扉を。

 まず目についたのが羽だった。

 鳥のものかと率直に思ったが、違う、と即座に思い直す。

 色は白……と喩えればいいのか。

 光沢を帯、まるでそれ自体が意思を持っているかのように舞い落ちていく。

 一枚ではない。

 この世のものとは思えないほどの光沢で辺りを燦々と埋め尽くすそれは、およそでしかないが百枚は吹き荒れている。

 いまだ明滅を繰り返す羽の絨毯。

 その中央に位置取るは、

(……アテナ?)

 間違いなく、その女だった。

 向こうもこちらに気づいたらしかった。

 ゆっくりと、こちらを振り向く。表情は相変わらずの無表情――であるには変わりないのだが。

 何か違和があった。

 まるで眼が死んでいるかのように、瞳孔がおかしい。眼の焦点がうつろ状態だった。

 ただならぬ雰囲気の彼女に、呆気に取られる龍樹。

 二秒ほど見入っている時だった。

 彼女の眼の焦点が徐々に生気を帯びていく。本来の碧眼へと戻っていく。

 そしてアテナは吐血した。

「!?」

 突然の出来事に、狼狽する龍樹。

 あのアテナが咽ている。床に手を着き、苦しそうだ。

 光の絨毯を踏むことに関してなんの躊躇もなく、気がつけば歩み寄っていた。

 肩でも貸そうかと考えたが、情けない事に妙な恥じらいが働いた龍樹はそれもままならなかった。

 変わりに声を掛ける。

「だ、大丈夫か?」

 それに対してのアテナの答えは、

「えぇ、大丈夫よ」

 だった。

 アテナはゆるりと立ち上がり、口元の血を拭う。それからふらふらとした足取りで前進したかと思うと、よろめく形で、近場のリクライニングシートへと着席した。

 まだ息も上がっている。とても体調が良好だとは思えない。

 堪らず、龍樹は問う。

「おい、本当に」

「大丈夫だから」

 発言を先回り。

「初めてじゃないの。副作用だから。原因もちゃんと自分で分かっている。だからあなたはなんの心配もする必要がないの」

「必要がないって……」

 苦しそうじゃないか。未だに息が上がっているし、頭だって押さえている。心配にならない訳がない。

 そう伝えたいのはやまやまだったが、

「……」

 結局龍樹は、何も言わなかった。

 彼女の事だ。こちらが心配すれば心配するほど、それを負荷と感じる事だろう。それに本人が大丈夫だと言い張っている。そこら一般人とは明らかに歩んできた世界が違う彼女がそう言った以上、本当に心配する必要はないのだろう。

 表面だけをなぞって勝手に憂慮を押し付けたところで、求めないものにとっては迷惑になるだけだ。

 なによりも。

 その原因を聞いたところで、どうこうできるとも限らない。

 心配するなら心配するなりの準備や技量が必要。無力な優しさなど、ただの自己満足にしかならないのだ。

 未だ頭を抑え息を荒げるアテナ。

 そんな彼女を、龍樹はただただ見ていた。

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