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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
空と地上の攻防戦
80/261

高度1万メートルの攻防 ~追い込まれた決意~

エコノミーを抜けた最後尾の通路。

そこにある螺旋状の階段を下れば、爆弾を仕掛けているギャレーへとたどり着く。

やはり気懸かりだった。創作者である男は件の女よりも、我が子のような存在の爆弾の方が心配だ。

先ほどからギャレーで睨み合っているであろう同胞に通信を呼びかけても反応が無い事も、その懸念に拍車をかけた。

一瞬の隙が命取りになる場面だったので、出られないのは当然かもしれない。

相手は恐らく一般人の少年と少女。日ごろから鍛錬を積んでいるあの男がよほどのミスをしない限り大丈夫だとは思うが……しかし、その万が一が起こる可能性だって、あるにはある。

 つまりこれは、別に件の女を追うという仕事を放棄し、私情に走った訳ではない。 

 もしかしたらギャレーに逃げ込んだ可能性だってあるにはある。そう思い至っての行動だった。

「……」

螺旋階段を下り終えた所からは、更に慎重に歩を進める。

充分に警戒しながら、抜足で爆弾を仕掛けたギャレーへと近づく。

一定の距離を保った所で、まずは耳を澄ます。

エンジン音が鮮明に聞こえる。だが肝心なギャレーの中からはなんの音も聞こえなかった。会話も、物音も。

おかしい、と男は思った。

再度、試しに何度か応答の電波を送った。

……やはり繋がらない。

「おいおい、本当にやられちまったんじゃないだろうな」

 思わず漏れた小言。

 考えていても埒が明かない。

 こっちだって丸腰じゃない。

 状況を確認しなければ、落ち着かなかった。

 まずは覗いてみる。

「……」

 おかしな事に、そこには誰もいなかった。

 同胞も、あの反旗を翻した連中も。

 どうなってやがる、と思いつつ意を決して――銃を構えながら、男はギャレーの中へと乗り込んだ。

 四方を確認する。天井にへばりついている可能性だってある。いきなり戸棚から現われるかもしれない。

 そんな風に警戒しながら、男は冷蔵庫式の爆弾へと近づいていく。

 やがて至った。

「……」

 自棄に順調だった歩み寄りに不振を抱きながらも、もう一度だけ辺りを見回し、男は素早い動きでしゃがみ込む。

 心配だった爆弾を確認する。

 縦開き式の冷蔵庫のドアを開ける。そこにあるのは間違いなく自分が造り上げた作品だった。

 ひといきに作業を進めていく。

 アサルトライフルを傍らの地面に置き、懐から携帯を取り出す。爆弾と専用のケーブルを用いて繋げる。データが改竄されていないかを確認する。

「……ふん」

 男は鼻で笑った。

 携帯に表示されたプログラム言語は全て見覚えがある。

 つまり、データは改竄などされていなかったのだ。

「脅かしやがって、やっぱりデータなんて改竄されていないじゃないか」

「じゃ変えてください」

 唐突に聞こえた声に反応し、男は床に置いた銃に手を伸ばす。

 が。

 ゴリ、と後頭部に何かを押し当てられ、動きを制される。直接見なくても分かる。きっと後頭部にあるこの堅い物体は銃だろう。 

 焦りを隠せないテロリスト。

 どこに隠れていたのか。

 頭に銃を突きつけられては動けないこの状況。

 焦らないわけはなかった。

 しかし、男が驚いたのはそれだけではない。

「お前……アラビア語が喋れるのか?」

 そう。

 その女は、テロリストにアラビア語で喋りかけてきたのだ。

「日本語を喋れるんですよ? 国連の公用語でもあるアラビア語を喋れないとどうして決め付けるんですか」

「……なるほど」

 と言っては見たものの、納得を得れようが得れまいが、どこから現われただとか、そんな事は後回し。

 銃を突きつけられているこの状況を、どうにかせねば。

「さあ、早く爆弾を解除してください」

 女は更に銃を押し当てた。

「……無理だ」

 直後。

 パアンッッ! という銃声音と男の短い悲鳴。

 膝を付いていた男の片足に、銃が発砲されたのだ。のた打ち回りたいところだったが、襟首を掴まれ、引き寄せられた。

 その女はまた後頭部に銃を突きつけ、

「これで分かりましたか? 次はもう一本の足。その次は右手左手と順番に発砲します。ああ、仲間が駆けつけるだとか妙な期待は抱かない方がいいですよ。あなた達の関係性はもう割れてます。きっと件の敵を血眼になって追い回しているでしょうね」

「――、」

 女の言葉は耳に入っていなかったのかもしれない。痛みも相まって、顔を歪めるテロリスト。撃たれた足からは布製の生地越しに血が滲み出ていた。

「ここには極力近寄らないように動き回っています」

「く、ぅ……へ、どうかな」

 痛みに悶えながらも、男は不適に笑った。

 ザザ、男の懐から、トランシーバーが電波をキャッチした音が流れた。

 男は懐に手を伸ばそうとしたが、後ろにいる女は銃を更に押し付けてきた。それが意味するのは『勝手な真似はするな』だろう。

 だが、

「いいのか?」

 それは女に取っても都合が悪い。

「確かにお前の言った通り、俺たちは仲が良いわけでも、堅い絆で結ばれている訳でもないドライな関係。だが仮にも同じ思想を掲げるものだ。今の電波だって俺に向けられて発せられたもの。取らなきゃ不審に持った連中がここを嗅ぎつけるのも時間の問題だぞ」

「……黙ってください」

 くぐもるような声だった。本人もまずいと薄々感じている様だ。

 なんだ、やっぱりびびってんじゃねーか、と男の気持ちも軽くなった。

 が、銃を突きつけられており、命が危ないのには変わりない。

「さあ」

 女は掴んだ襟首をぐい、と前に押し出し、冷蔵庫の中の爆弾へと男の顔を近づける。

「早く解除してください。でないと本当に死ぬことになりますよ」

「……ふん」

 脅しのつもりだろうか。だとすれば、男に取ってそれは的外れ以外の何ものでもない。

「構わないさ。どの道死ぬ覚悟は出来ている。俺がここで爆弾を解除すれば今回の計画は失敗に終わるだろうがそんな事はさせない。これまで、この計画の為に何人もの犠牲を出してきたんだ。それを我が身の可愛さで台無しになんてできないだろ? 命乞いなんてみっともない真似はしないさ。やるならさっさとやれ」

「大した心構えですね。ですが、考えても見てください。あなた達がやろうとしている事は無関係な人々を犠牲にする、いわば大量殺戮ですよ。その中には子供だっています」

「それがどうした? 歴史を変える偉大な変事に関われたんだ。本望だろう」

「本気で言ってるんですか?」

「だったら何だ」

 命の危機だというのに、男は減らず口を控える気は無いようだ。

「教えを遵守していれば人は死になどしない。例え死んでも救われるんだ。罪深き者はそれなりの待遇を受ける。日常の苦しみを嫌い、結局そのツケはどこかで回って来るんだよ」

「……勝手な事を」

「何を言う。お前は神か? 他を受け入れられず、己の中だけで完結し。それを善と言い張り主張する。……人間なんてのは愚かなものだ」

 感慨に浸るように、男は言った。

 かと思いきや、

「だから神の救いが必要なんだよ」

 まるで堰を切ったように、男の声から怒声が溢れ出る。

「神の教えに従っていればそれで全てが救われる! こんな簡単な事がなぜ分からない!? 全てを正す上での悪は許され、評される。ここで俺が間違いを冒せば今までやってきた事全てが無になる!」

「黙ってください」

 急に喚き始めた男に、若干の戸惑いを覚える女。

 だが男のがやりは止む様子は無い。

「ふははははっ、無駄だよ! お前達がどう足掻いたところで運命は変えられない。俺達の計画はかならず成功する。なぜならそれが正しき正義なのだからな。道理に背き、神に仇なす犯罪者よ。お前らに偉大なるアッラーフの鉄槌が下される事だろ――」

 ゴン、と鈍い音がした。手に負いきれなくなり、女がテロリストの後頭部を、手にしていた銃で思いっきり殴ったのだ。

 ドサ、と床に突っ伏したテロリスト。

「醜くいがみ合って無駄な命を出す事が許されるものですか」

 誰に投げ掛ける訳でもない独り言。

「神の教えだというのなら結構、抗ってみせます。真実に疑問を抱き矛盾を道理と受け止める。それが私達の存在意義ですから」

 アサルトライフルを肩で担いだ少女の眼は力強く揺れていた。



「あ、おい雀」

 爆弾の創作者であるテロリストを縛る雀を見計らって、龍樹は隠れていたキッチンのシンク下の扉から姿を現す。

 当然中には質素ながらも調理機器が入っていたので、出る際にはそれらががちゃがちゃと音を立てた。

「どうなったんだ、爆弾の件」

「結構強情な奴でね。解除させる事は出来ませんでした」

「……みたいだな」

 怖かったので光景を見ず、何やら飛び交うアラビア語は耳にしたのだが、もちろんそんなもの読解できない龍樹。

 それでも縛られるテロリストを見て、不首尾だったのは分かる。

「よし」

 といって、立ち上がった雀。どうやら固縛は完了したようだ。

「……」

 タオルで猿轡をされ、身動きが全く取れないテロリスト。だがその眼は死んでいない。憎悪丸出しの鋭い目付きで、龍樹と雀を睨み付ける。

 そんなテロリストを見下す様に見ながら雀は言う。

「一応起爆させるであろうリモコンは奪いました」

 そのリモコンを持っている手を雀は見た。

 龍樹も見る。それは携帯電話のようだった。

「じゃそれさえあれば、もう爆弾を遠隔操作出来ないって事か?」

「ええ、まぁ一応停止ボタンは押しましたけど……一概にそうとは言い切れません。この男も自分が解除すれば計画は頓挫する、みたいな事は言ってましたが、どこまでが本当か分かりません。エミュレータを利用すれば、起爆となる装置の複製は可能です。本当は爆弾を海に投げ捨てれれば安心なんですけど、今の高度じゃちょっと……」

「……そんな」

 どうやら抜本的な解決にはならなかったようだ、と龍樹は軽くしょげる。

 しかし滅入っていても仕方が無い。

「とりあえず私はアテナさんの加勢に加わります。あの人は一人で大丈夫だって言ってましたけど、やっぱり手は多いほうが良いと思いますし」

 落ち込んでいる暇など無いと言わんばかりに、雀は次の行動へと移ろうとする。

 その切り替えの良さに感心しつつも、龍樹は訊く。

「えーと……俺はどうしたら良いの?」

 雀は龍樹へと振り返り、

「とりあえずどこかに身を潜めていてください」

 と言った。

「本当はここでこいつの見張りをしてもらうのが一番なんですけど、やっぱり素人に任せるのは危険ですし……まぁこれだけ強く縛っていれば解くのはまず無理でしょう。放っておいても大丈夫です」

「……ああそう」

 雀はまるで邪魔な子供をあしらうような態度だった。まあ実際問題そうなんだろうと、龍樹は思った。

 正直そう言われるとは、思っていたのだ。 

「なぁ」

 だが、

「俺に何か手伝える事ってないのか?」

 我ながら虫唾が走る話だと感じつつ、龍樹はそう言った。

 妙な正義感が芽生えてしまったのだ。というより、このまま安全圏に身をやるのは何か心がムズムズした。

 龍樹の申し出に、雀は驚いたように目を瞬かせた。今放たれた言葉の意味を理解しようとしているのだろう。

 やがて平坦な調子で、

「無いですよ」

 そう言った。

「アテナさんにも言われたでしょ、龍樹さんはこれ以上動き回るのは危険だって」

「そりゃ……そうだけど」

 そう。

 アテナにも言われたのだ。

 この場で、ここに爆弾の創作者が来ると踏んで、アテナが囮となって他の連中を引き付ける役で、雀が爆弾の創作者を捉えるという作戦を立てた時――


『俺はどうすればいいんだ?』

『……どうするも何も』

 その時アテナは少し考える間を取った。

『そこのキッチンのシンク下にでもいなさい』

 その時アテナはそのシンク下の扉に指をさした。

『……あんな狭いところに?』

『それぐらい我慢しなさい』

 その時アテナは呆れた様に溜め息を吐いた。

『いいこと』

 その時アテナは龍樹に指をさした。

『くれぐれも物音は立てないこと。気づかれたらその時点で死ぬと思いなさい。後、妙な正義感に駆られ、助太刀しようだとかの理由で、雀の邪魔は絶対にしないこと――分かったわね』

 

 ――あの時、アテナは龍樹にそう言ったのだ。


「……」

 丸っきりの邪魔者扱いだったあの場面を回想し、やや不愉快な面持ちになる龍樹。

 仕方が無い。

 無力とはこういうものなのだろう。



 先に縛り上げた男と同じ場所に押し込み、外側から鍵を掛ける。

 これで一般家庭のクローゼットほどの大きさの中に大の大人――ようするにテロリスト二人が収容された。

「それじゃ分かりましたね、龍樹さん」

 雀が確認を取る。それに対して龍樹は、

「ああ、分かってるよ」

 やや不満を覚えながらも、そう返事した。

「もし何かあったら――この銃を使ってください」

 そう言って雀は手にしていた――テロリストから奪った拳銃を龍樹に差し出した。

「……」

 差し出された銃をしばらく見つめる龍樹。

 初めて本物をマジマジと見たし、ましてやそれを持てと言われたので、躊躇わない訳は無かった。

 それでもやがて手に取った。

 思った以上に重たく、冷たい。引き金を引くだけでこんな小さな物が人を絶命させる破壊力を秘めている事を思うと、あまり長くは持っていたくない。

「もしテロリストと出くわし、自分に銃が向けられたら躊躇わず発砲してください。でないと自分が死んでしまいます」

 同じくテロリストから奪ったのか、手にする拳銃に弾が込められているかを確認しながら、雀は言った。

 それから龍樹へと歩み寄り、銃の使い方について説明する。

「いいですか? まずはこのスライドを引いてください。そして両足を肩幅程度に開いて、腰を落としてください。それから左足を半歩程度前に出し、右手を前方に伸ばして構え、左は脇を締めて、右手で握ったグリップに添えて照準を合わせます」

 そして、と言いながら、物騒にも雀は銃口を龍樹へと向けた。

「発砲します」

「……」

 苦い顔をする龍樹。

 とりあえず、手で物騒な銃口を逸らしてから、

「あのなぁ、俺は素人なんだぜ。いきなりそんないっぺんに言われても困るよ。第一、銃口を向けられて構える暇なんかあるのかよ」

「無くても作らないと。いいんですか? 龍樹さんは自分が死んでも」

「良いわけないだろ」

 じゃがんばってください、と雀は簡単に言ったものだった。

 簡単に言うな。

「大丈夫ですよ。アテナさんは例外ですが、今私達が乗っている機体の構造は基本的に一方通行ですからどんな形であれすれ違うはずです。テロリスト達はなるべくここには近づけないようにします。だから龍樹さんはその辺で息を潜めるのが現状では一番安全なんですよ」

「……じゃなんで銃を持たせるんだよ」

「保険ですよ、保険」

 がちゃ、がちゃ、と銃の調子を調べながら、雀は流す様に言葉を綴る。その手つきは素人が見ても初めてではないと分かるものだった。

 メンテナンスが完了したのか、雀は動き始める。

 ほい、っと何かを龍樹に投げた。何の前触れもなくそんな事をするものだから、落しそうになったものの、慌てて龍樹は手に取った。

 携帯よりも少し大きめのサイズの黒いそれはトランシーバーらしかった。

「先に行って安全を確認できたら呼びます」

 龍樹はトランシーバーからその声の主へと視線を移す。雀の手にも、同様の物が手にされていた。

「トランシーバーが信号を受け取ったら、このボタンを押してください。そしたら通信できますから。テロリストからの信号も入るかもしれませんが、受け取ってアラビア語だったらすぐに切って無視していてください。あ、後このダイアルは回しちゃ駄目ですよ。周波数が合わなくなって通信が出来なくなりますから」

 そして、これまたトランシーバーの扱い方を懇切丁寧に説明した後、改めて雀は龍樹に背を向けた。

「それじゃ私はアテナさんの加勢に向かいます。いいですか。私が連絡するまでくれぐれも動き回らないでくださいよ」

「……ああ、分かったよ」

 その返事を聞いて納得したのか、雀はエコノミークラスがある階へと向かう。

「おい雀」

 と、龍樹は雀の背中を呼び止めた。

 名を呼ばれた雀は振り返った。なんですか、とでも言いたげな表情だ。

 別に大した用事ではないが、一応龍樹は彼女にこう伝えたかったのだ。

「気を付けろよ」

 その温かい言葉に雀は、

「ありがとうございます。龍樹さんも達者で」

 と微笑で返し、今度こそ上階へと向かった。

「……」

 一人、取り残される形になった龍樹。

 途端、なんだか心細くなった。

 もしテロリストに出くわしたらどうしよう。

 もしこのクローゼットの中にいる奴が自力で縄を解き出てきたらどうしよう。

 そんな風に、ネガティブな事ばかり考えてしまう。

 本当は雀やアテナに言われた様にシンク下にでも隠れているのが得策なのだろうが……正直あまりあの中に戻りたくない。

 狭いから。

「……」

 まあ、命に関わってくる事柄にそんな事は言ってられないのは龍樹にだって分かっている。

 致し方なく、大人しくシンク下にでも潜んでいようかと思った矢先だった。

 抱え込むその不安に誘われたのか、

『オ困リノ様ダナ』

「!?」

 悪魔はやってくる。

 いつもの事ながら唐突な問い掛け。毎度驚くこっちの身にもなってほしい。

 そこに実体がないのは分かっている。自分にしか見えない存在。

(……またかよ)

 溜め息混じりに、龍樹は内心でつい愚痴った。

 彼に憑依しているのだから、悪魔にもその心の声は聞こえたようだ。

『ソウ毛嫌イスルナヨ』

 身の毛もよだつようなしゃがれ声。

『何モ損ナ話ヲ持チ掛ケテイル訳ジャナインダ。力ヲ使ッテ奴等ヲ倒セバ、スグニ力ノ供給を遮断スレバイイ』

「すぐにって……そんなに早く事態を収拾できるかよ。相手は十人近くいるんだぞ」

『普通ニ考エルト不可能ダロウナ――ダガコノ力ガアレバ可能サ。個人差ハアレド、ソノ腕力ハオヨソ二千トン。人間二振ルエバ確実二即死ダ』

(二千トン……)

 確かにそれが本当なら、テロリストが築く今のこの体制をするのは簡単かもしれない。

 でも――そうはいかない。 

(分かってんだぞ。そうやってあの褐色の男も呑み込んだんだろ)

『アノ男ハ力ニ頼リスギタンダヨ。危ナイカラヤメテオケト言ッタノダゾ。ソノ忠告モ聞カズニ奴ハ力ヲ使ッタ。本人ガ望ム以上、我々二拒ム権利ハ無イカラナ。元ヨリソウイウ契約ダ』

(ほんとかよ)

『アア。我々ハ確カニ人間ヲ唆スガ、ソコニ嘘ハ生ジナイ。悪魔ハ背徳ナド、貴様ラ人間ガ勝手ニ自分ノ都合ノ良イヨウニ話ヲ捻ジ曲ゲ、ソレガ後世ニ渡ッテ浸透シタ結果ナノダヨ』

(……って言われてもなぁ)

 力説しているのが、悪魔な訳だし。

 それでも絶対使わないと律していた最初に比べれば、ほんのわずかだが、心が揺らいだ。

 そんな龍樹に、

『ナァ少年ヨ』

 諭すように、悪魔はこう言った。

『問題ハリスクデハナク、オ前ノ意思ダ』

(俺の……意思?)

『ソウサ。他ニ流サレルナ。オ前ハオ前ダ。如何シタインダ? 目ノ前デ繰リ広ゲラレテイル惨劇ヲ黙ッテ見過ゴスノカ? コレ以上、奴等ノ横暴ヲ許スマジト動クノカ?』

「……」 

 そうやって改めて提示されると、どちらが正当な判断か分からなくなってしまう。

『ソレハツマリ、正シイ可能性ガアルトイウ事ダ』

 ここぞとばかりに、悪魔は言葉を被せてくる。

 プライバシーも何もあったものではない。

 苦虫をすり潰したような表情を取る龍樹。

 やれやれ。これは確かに鬱陶しい。

 悪魔の声が、より一層耳元へと近づいた。

『残念ダガドレガ正シイカナド、誰モ分カリナドシナイ。例エソレヲ神ガ定メタ所デ、己ガ満足セネバ無意味ダ。世界ハソコニ広ガッテイルノデハナイ。自分ノ中二アルノダヨ』

(ああ、もう分かったよ。ちょっと黙っててくれ。今考えてるから)

『ソレハ別二構ワンガ……世界ハ待ッテナドクレンゾ。――フフフ、コウシテル間ニモ上デハ死人ガ出テイルカモシレナイガナ』

「……どういう意味だ?」

『何ダ、聞コエナイノカ? 耳ヲ澄マセテミロ』

「……」

 ここは言われたとおり、耳をそばだててみる。

 ……確かに何かが聞こえる。

 これは、

「銃声?」

 ソノ通リサ、と、より一層耳に近づいて来て、悪魔は言った。

『連中ガ躍起ニナリ始メタ。コノママジャ次ノ死人ガ出ルノモ時間ノ問題ダナ』

「! 次の死人って、誰か殺されたのか」

『……アア、残念ナガラナ』

 食いついた食いついた、と言わんばかりに、悪魔は笑う。

『例ノ女――ツマリハアノ天人ヲ容レ込ンダ女ヲ炙リ出スタメニ、一般人ノ尊イ命ガ犠牲ニナッテシマッタ。可哀想ニ』 

 悪魔の発言はどこか棘があった。

 そういえば、アテナの精で褐色の身体から出なければいけない破目になったんだった、と龍樹は思い出した。

『……ナァ少年ヨ』

 最後の一押しだと言わんばかりに、悪魔は言う。

『例エ話ヲシヨウカ。仮ニ他ノ者ニコノ力ガ携ワレタトシヨウ。一体何人ノ人間ガソノ力ヲ使ウト思ウ?』

「……さあ」

 まともに取り合っては駄目だと分かっていても、耳を塞いだところで聞こえるので、どうしても言葉が思考に入ってくる。

『皆ガ皆使ウカモシレヌシ、モシクハ誰モ利用シナイカモシレナイ。個人的ナ意見ヲイワセテモラウト、半分程度ダト思ウ』

 なんて、どうでもいい与太話を挟みながら、

『ダガナ少年ヨ』

 悪魔の話は大尾へと入った。

『我ガ思ウニ、己ガ傷付クトイウ私情ノミデソレヲ蔑ロ二シ、使エルハズノ力ヲ使ワナイ。ソレニヨリ生ジル大難ヲ座視シ、惨状ハ増長ノ一途ヲ辿ル――ソンナ未来ヲ変エレルノニ変エナイノハ立派ナ罪デハナイカ?』

「……」

 減らず口を。

 それはさて置き、龍樹は改めて考えて見る。

 悪魔の力を受け賜るか否かを。

 ここはずぶの素人が独りで考えるより、そこそこ知識がある人間に聞く方が良いのだろうが……誰彼に相談したところで、絶対に使っちゃ駄目だと返ってくるだけだろう。

 別に『お前の意思の問題だ』という悪魔の言葉に賛同した訳ではないが。

 周りのその発言だってまた。

 数々の失敗を犯してきた人間の言葉に他ならない。

(……かといって使うのもどうかなんだよな) 

 上には時の流れに身を委ねる事しかできない無力な人々が今も怯えている事だろう。

 何とかしてやりたいという気持ちはあるのだが……正直本格的に人だって殴ったことがないのに、うまくいくのかも疑問だ。

 この状況を打破できるかもしれない手札がある少年は、考えに考える。

 使おうか。使わないか。使おうか。使わないか。


◆


「……これで全員か?」

 乗客を追い出し、閑散とした空間が広がるファーストクラスで、リーダー格の男は一斉点呼を取る。

 それに対しテロリストの一人は、言いにくそうな間を空け、

「いや、二人連絡が取れない。さっきから通信を試みているんだが、どうも調子が悪くてな。くそ、これだから安物は」

「……」

 顔を隠していようが、リーダー格の男の機嫌が悪くなったのが分かった。

 男は溜め息混じりに口を開く。

「四人で今すぐ探してこい。狭い機内だ、時間は掛かるまい――いいか、絶対に固まって動け。常に狙われていると意識し、神経を集中させろ」

 ああ、分かった、と指名された四人は同胞を探しに向かった。

「流石に四人も居ればヘマを打つ事もない、か」

 リーダー格の隣にいる男がぽつりと呟いた。

 だが、それは決して正解ではない。

「だといいがな」

 リーダー格の男は気を緩めない。

 無言のまま、服の胸元から何かを取り出す。それは地上に繋がっているトランシーバーだった。

 しかし、

「こちら『収納(ポケット)』。こちら『収納(ポケット)』。応答願う」

 その後、何度も応答を要請するが、

「……」

 通信が繋がる事はなかった。

 もしかしたら受信機を置いている場所が戦禍に見舞われたのか、それとも周波帯が乱れているのか。

 なんにしても、通信が出来ない状況下にあるという事は間違いなさそうだ。

 これはいよいよ自爆テロの必要性が濃厚になってきた。

 リーダー格の男は改めて腹を固める。

 絶対に失敗は許されない、と。

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