暗躍する者達
静まり返り、適度の間隔を置く窓から差し込む月明かりが、不気味な闇を微かに照らす。
廃墟となり物資など存在しない建物からは、無理に殺した静かな吐息が空気を揺らしていた。
朧月が生み出す幻想的な光に照らされた一人の男。
落書きだらけの壁に背をもたれさせ、周囲から存在を悟られないよう座り込んでいる。
肌は褐色。スキンヘッドの頭は、そのぎらついた眼光をより一層引き立てる役割を担っていた。
「くそ」
闇に溶け込むような黒いローブを纏った男は、事がうまくいかない現状に苛立ちを吐き出す。
男はあるものを手に入れる為に日本へとやってきた。
簡単だと聞いていた。それが蓋を開けてみれば目的の在り所すら分かっておらず、初めの数日間は何も出来ずただ影を潜めるという無駄な時間を過ごしてしまった。
もちろん安易な内容の言葉を鵜呑みにしたつもりはなかった。
彼だって裏世界の端くれだ。
話を聞いた時だって半信半疑だったし、何なら甘い言葉に警戒心を一層強めたくらいだ。
ようするにそれは度合いの問題。
(どうなってんだ? あんな奴がいるだなんて聞いてねぇぞ)
邪魔者がいた。
それも只の一般人ではない。明らかに血の匂いを漂わせる者。
いわば裏の住人。
(どうする?)
心の中で、自分が置かれている状況を確認する。
その上で考える。
今後どうやって動くべきかを。
今回の件について疑問を抱き始めた矢先に現れた謎の女。
彼自身その風貌で声を掛けられるとは思ってもみなかった。ましてやそれが平和ボケしたこの国で異国人からとなればまず間違いない。
見た目が少女だったが手加減する気などなかった。裏世界の人間はご多分に漏れず様々な処世術を身につけており、油断してやられた同胞をごまんと知っている。
人通りの無い裏路地で相対し、先手必勝と言わんばかりに手に入れた力を振るい、本気で殺す気で拳を放った。
しかし女を亡き者にしようとした拳は、当たらなかった。
それどころかその後も攻撃を仕掛けたが何一つ、掠り傷すら負わせられなかった。
挙句の果てには反撃を展開してきた相手の力量に恐れをなし、逃げ出す始末。
ギリッ、と男の口から軋り音が漏れる。
今朝の出来事を思いだし、怒りがこみ上げてきたのだ。
ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう――!
歯を食いしばり、褐色の拳を強く握る。
人の気配がしたのはその時だった。
「何を手こずっているの?」
「!?」
左側三メートルほどに位置する鉄柱に誰かが居る。
気付かなかった。
それは褐色の男が怒りに耽っていたからではない。
相手の力量がそれほど高いということ。
窓からの幻想的な光がその者を照らし、上半身が露わになる。
そこには鉄柱に背をもたれさせ腕組みをしている一人の女が立っていた。耳たぶに取り付けられたイヤリングが、風鈴のように揺れている。
「……あんたか」
顔見知りだった。
気配を殺し、存在を察せられぬように近づく技術。
身なりは黒いカーディガン。その隙間からは露出度が高い紫色のパーティードレスが覗いている。
同業者。
だが仲間ではない。
手を組んでいると言った方が正確だ。
それでも関係が良好だとはとても言えなかった。
「何の用だ?」
高圧的な物言い。
対照的に、
「何の用? 面白いことをいうのねぇ」
嘲るように、その女は言う。
そこからは機嫌が悪そうだった。
「約束の時間はとうに過ぎている。それだけ言えば伝えたい事は分かるでしょう」
褐色の男は言葉を返す。
「簡単に言ってくれるぜ。大体『この辺にある』っていう曖昧な情報だけで、そう易々と見付かる訳ないだろ。それに加えだいぶ厄介な野郎がいやがんだ。それも相当の手練れ」
そこで褐色の男は女へと視線を向けた。
「何者なんだ、あいつは?」
何か知っているんじゃないのか? と言いたそうな褐色の男。
「……そうね」
思う節があるのか、女は妙な間を開ける。
自分の手入れされた爪をしきりに気にするしぐさを取りながら、
「大方、小競り合いに加わってきた諸勢力か。その価値を知った大国の連中でしょうね。思った以上に例の情報は広がりを見せているみたい」
詳細を説明せずとも、ある程度の目星は付けていたようだ。
なら話は早いと、男は矢継ぎ早に訊く。
「それで、どうするんだよ。なにか対策とか練っているのか?」
しかし女からは冷たい言葉が返ってくる。
「甘えた事言わないでよ。そもそもアレを取ってくるのはあなた達の役目のはず。様子を見に来た私に言われても困るのよね」
線の細い指先を見とれる様に眺めながら女は言った。
それはまるで手を貸す気はないといいたげな悠然とした態度。
確かに彼らの関係は決して親密的ではない。
だが目的が同じである以上、必要最低限の協力というものは守らなければならないはず。
「言っとくが俺が失敗すれば、今回の計画は破綻になる。それが何を意味するか分かるよな?」
それが意味するのはもちろん、そちら側にも影響が出るという示唆。
だが女は動じない。
いまだ指先を眺めながら、
「嫌だわ、脅しのつもり? 別にあなたが失敗したところで、少し小波が立つだけ。計画そのものにはなんら支障はきたさない」
「随分な言い様だな。仮にも手を組んでいるってのに、そりゃねーんじゃないのか」
「あら何、丸投げ? 大の男が女に縋ろうとするなんてみっともない。悪いけど私は策略家じゃないの。劣勢に陥った状況を打破する一手なんて思いつく訳ないじゃない。それに、やられるのはただ単にあなたが弱いだけだからじゃないの?」
「あ?」
うまくいかないもどかしさ。女の馬鹿にするような言動に、ついに男も頭にきた。
「舐めた口聞いてんじゃねーぞ! こっちの苦労も知らずに言いたい放題抜かしやがって! なんだったら今ここでお前をぶっ殺しても構わないんだぜ!」
廃墟に響く、男のがやり声。
それが済むや否や。
シー、とまるで子供に言い聞かすかのように人差し指を口にあて、女は静かにするよう促す。
「静かに。周りに勘づかれると面倒よ」
辺りを見渡し、何事も無かったかを確認する。
そして流石に非があったと思ったのか女は悪かったわよ、と謝罪とも言えぬ言葉を口にする。
「で、どうするのよ。まさか本当にお手上げなんじゃないでしょうね」
一転して真剣なトーン。
それに対して男は、
「……いや」
感慨深そうに、そう答えた。
「別に手がない訳じゃねえ。ただ苦肉の策なんだよ。あいつと全力でやりあえば負ける気はしねえ」
「……それは心強い」
男の発した言葉の意味を理解している女は微笑した。
「安心したわ。だってあなたががんばってくれなきゃ私の仕事が増えるんだもの。嫌よ汗臭い仕事は」
「……ああ」
空返事する褐色の男。
女の事情などどうでもいい。
自分は目的遂行を全うするだけ。きっとその為には、強敵であるあの邪魔者を排除しなければならないのだろう。
そう、全力で。
力を扱う為の代償を考えると、やはり思うところもあった。
人外の力を借りる代価は当然安くない。果たして使ってしまっていいのだろうかという不安と、死が常に隣にある恐怖が男の思考に絡みつく。
だがそんなものはすぐに消え失せる。
暫し何かを考える間を空けた褐色の男は、脳裏に今朝現れた邪魔者を浮かべ憎しみを増幅させる。
また会うのは必至だろう。
その時に備え準備をしておかなければならない。
暗闇が覆う廃墟の中。
追い込まれている男は自分に言い聞かすように言葉を放つ。
「誰だか知らねぇが、邪魔をするってんなら容赦はしねぇ」
◇ ◆
静まり返り、朧月が演出する妖美な闇。
民家の屋根に誰かが立っている。
もちろん許可など取っていない。取る必要が無い為だ。
なぜなら民家の住人が、その出来事に気付くことはないのだから。
世の中は自分の知らない所で常に動いている。
世界の人口は約七十億超。
それも正確ではなく、統計学的に認知できている人間から算出した数字。
いわゆる推測。
その中には、戸籍を持たない者も多々おられる事だろう。
人間は常に死を迎え、生を授かる。
故に、人口の正確な数値など分かりやしない。
これまでも。きっとこれからも。
「……」
女の名はアテナ。
戸籍を持たない部類の人間。
「見付かった?」
その女は訊く。
止まり木のように伸ばした腕に止まってきた己の使いである鳥に――あの褐色の男は見付かったのかと。
「いや、駄目だ。多分警戒してるんだろうな。今朝に捕らえられなかったのがやっぱ痛いぜ」
溜め息気味に放たれたそれにも、女は冷静だった。
「済んだ事は仕方ない。過去は変えられないの。問題はそれを次に活かせるかどうか、無駄にしないかどうか」
失敗は次への糧になる。それを嫌という程、彼女は知っている。
「恐らくまだ近くに居るはず。目的の物がこの近くにあるらしいからね……探すわよ。わずかな物音も聞き逃さないよう、五感を研ぎ澄ませて」
相変わらずの無表情で女は言った。
主人の命を拒む事など、使いに取ってはタブー以外のなにものでもない。
「怪しい所はもう一度当たってみる。姐さんはどこかで体を休めてな。事が起こるその時の為に」
「気遣いは嬉しいわ。でも大丈夫。女相手に尻尾を巻いて逃げるような奴なんて、たかが知れている」
「……そうか」
帰ってきた言葉に、鳥は少しがっかりした。
『信用できない』と、優しく言われているのだ。
仕方がない。
現に、彼女の要望は叶えられていないのだから。
「私は西側を当たる。あなたは東側を当たって」
しばしの間を置き、分かったと言い、使いの鳥は主人の腕から羽ばたいた。
その背後に演出される朧月。
それはまるで表の世界に掛かるもやのようであり、美しくも怪しげな雰囲気を醸し出す。
「……」
アテナはしばらくの間心配そうに鳥を見送り、それから後方を振り返る。
そして動く。
自分の存在意義をこなす為。
目的である男を捜す為。
女は夜闇を裂き、月と重なり疾走する。
暗躍。
それが彼女の日常だった。
その身なりからは想像もできない世の中を体験してきた女の選んだ、世界を裏から支えるという凄絶業務。
屋根から屋根へと軽快に、高速で飛び移り、淡い夜空に煌びやかな黄金色の髪を描きながら、女は眉間にほんのわずかな皺を寄せる。
「Che palle」
イタリア語で放たれたそれは、彼女の口癖だった。




