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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
断ち切れぬこの世界
53/261

再燃する脅威

午後九時五分前。


彼達は今、二階にある龍樹の部屋にいた。


「いやー一時期はどうなる事かと思いましたよ」

 頭を掻きながら、そんな事を言う雀。

「本当に良かったです。十與さんが理解力ある人で」

「……全くだよ。裏世界も、よくお前みたいな奴を派遣してきたな」

「あーっ、それ、どういう意味ですか」

「まんまだよ」

 頬を膨らませる雀。龍樹の本音がついつい出てしまったのだ。

だが仕方あるまい。

この天然娘のここまでの頓狂な言動。

愚痴る事が許されるぐらいの働きは、龍樹もしたはずだ。

彼は移動式の椅子に腰掛け、机に頬杖を付きテレビを見ている。

雀はそんな龍樹の前で立っている感じだ。

十與達に裏世界の住人だとばれた雀。

例に倣って例の如く、

『お願いします! どうかこの事は内密に! でないと私は酷い目に遭ってしまうんです! だからどうか、哀れな子羊を救うと思って! このめにもう一度だけチャンスを!』

雀は十與達にそう言い、両手を地面に付き、頭をこすり付けるように垂らした。

いわゆる土下座で、そう懇願したのだった。

器のでかい十與はそれを無条件で呑み、本当に、本当に何事もなかったかのようにその後も晩食を進めた。

一方、崇子の方は、気になるのか雀の方をちらちらずっと見ていたが、事それに置いては気を使ったであろう、触れるような事は無かった。

 それにしても、あんなに綺麗な土下座はそうそう見れるものではない。

 みっともないだとか、そんな侮辱的な感情を抱かないほどに綺麗なフォーム。それは美しさすら感じさせていた。

 きっと普段から謝り慣れているんだろうな、と龍樹は勝手に予想する。

「でも、少しくらいは説明しとかないと。どうせ内緒なんだから、色々と詳しく教えてくれよ。もし必要とあらば、母さんには俺から伝えとくから」

「……なるほど、それが交換条件と」

「嫌なら別にいいけど」

 頬杖を付いたまま、にやり、と人の悪い笑みを雀に向ける龍樹。

 うぅぅ、と雀は口ごもる事しか出来なかった。

「いいでしょう。何が知りたいんですか?」

「……そうだなぁ」

 龍樹はテレビへと視線を投げた。丁度九時から放送されるニュースが流れ始めた頃だった。冒頭で『今日一日の出来事』が見出しのように軽く流れる。普段なら気にも留めないが、今に限ってはとても興味深いものが二項目あった。

 まずは一つ目。

 内容は、

『過激化する中東情勢でまたテロ。死者は少なくとも三十人を超える』

 というものだった。

「……父さんの事を教えてもらおうかな」

「靖近さんの事ですか?」

 ああ、と龍樹は頷いた。

「でも、それはさっき話したじゃないですか。こんな事言うのもなんですけど、私、靖近さんとは会った事無いです。そもそも所属する組織が違いますし、此処に来たのだって上の人間に言われた事ですし」

「あ、そうなの」

 思い出しても見れば、確か仲間では無いとも言っていた。

 それはきっと、この女のここまでのざっくばらんな言動からも窺えるように、嘘ではないのだろう。

 となると困った。

 いきなり躓いた。

(裏世界について訊いても、なんだかなぁ……)

 別に興味が無いわけではないが、それはおおまかさっき勝手に雀が話した。

 細かい部分まで知りたいとは、龍樹も思わない。

 知ったところで、多分、理解できないだろうから。

「他に何か訊きたい事ないんですか?」

 なぜか雀が催促する。

 本来なら切り上げるべき立場なのだが、もしかしたら交換条件を用いて対等にならないと不安なのかもしれない。

「えーと、じゃ何にしようかな」

 いざこうなった場合、意外に答えが出てこない。

 なんだか魔法のランプの願いで迷う奴の気持ちが分かった龍樹。

 やがて、

「……じゃこれ」

 十六型テレビの画面に指差し、そう言った。

 画面は丁度もう一つ気になるニュースに触れているところだった。

 それは次のようなものだ。

『四日前、OO都××市の高等学校に中東系の男が侵入した件で、解剖のため運ばれた遺体が搬送先からと姿を消しているのが、捜査当局の発言で明らかになりました』

 そして、キャスターは事件のおさらいの様な言葉を述べていく。

「これ、一体どうなってんだよ?」

 雀に視線を当て、龍樹は言った。

 雀は難しそうな顔をして、

「確かそれって、龍樹さんの学校に侵入した奴なんですよね」

「ああそうだよ。凄い腕力でな。思えばこいつが最初だったんだよ、あんな馬鹿げた連中が目前に現われ始めたのは」

「私も軽く概況は聞きました。大変でしたね。……でも一体、なんの目的があるんでしょう」

「さあな。詳しくは分からないけど、なんか俺の友人が――あ、そうだ」

 友人。

 忘れていた。

 なぜあいつが狙われているのかを。

「あるぞ雀。訊きたい事」

「え? なんですか?」

「いや、なんか連中の目的は『一人の少女』だったらしくてさ。それが俺の友人で、雫って名前の子なんだけど――お前、その子がなんで必要とされているのか分からないか?」

「あーそれですか」

 はいはいあれね、的に笑む雀。表情を窺うに、どうやらその件については知っているようだ。

 まあ考えてみれば当然だろう。なんだかんだで、雀も裏世界の住人なんだから。

「じゃ教えてくれないか。なんで雫が必要とされているのかを」

「さぁ、知りません」

 ズゴッ、と龍樹は椅子から滑り落ちるようにコケた。

 それはノリでもなんでもなく、自然的なものだった。

 龍樹はコケた椅子に座り直し、

「なんで知らないんだよ。一応お前って裏世界の住人なんだろ」

「そうですけど、まだ私がスズメだと思っているのか、なぜか基本的に重要な案件は教えてくれないんですよ」

「……あー」

 納得。

 こんな天然娘に重要機密を教えるのは、それこそ顔に直接書き込むようなもの。

 見てくださいというようなもの。

(……なるほど)

 よくよく考えても見れば、裏世界という存在自体を話したとしても、なんら問題はない。

 前提として、そんなものは、アテナが接触してきた時点で崩れているものだった。

 要するにあれは、『アテナが龍樹の為を想って独断で行なった接し方』に他ならないと、そういう事なのだろう。

 だから、本来は別にばれても構わない。

 そもそも、本当にばれてはいけない事は、その存在自体悟らせないのだろう。

 その機密機関を少なからず知ったつもりだったが、どうやらそれは大きな誤りだったようだと、龍樹は気付く。

 裏世界。

 怪しく誘う、妖美なその世界。

「じゃ、とりあえずもういいよ。また訊きたい事があったら訊くから、その時よろしく頼む」

「あ、はい分かりました」

 勿体ない気もするが、追い詰めてやるのもそれは可哀想だ。

 そう思い、何気なくテレビに見入っていると、そこで画面の中に動きがあった。

 なにやら慌しい。報道番組では滅多に表でないADが、屈みながらキャスターになにか紙を渡している。

 それをキャスターが読み上げる。

『えー、たった今入ったニュースです。四日前、OO都××市の高等学校に中東系の男が侵入し、解剖のため運ばれたその遺体が搬送先からと姿を消している件の続報です。にわかに信じがたいのですが、搬送された病院の近隣で遺体が動き回っているのを確認した警察官が重傷を負ったとの情報がたったいま入ってきました。より詳しい詳細は入り次第お伝えしますが、事実が鮮明にならない以上、念のため付近の人たちは表には出ないでください。繰り返します。OO都××市の近隣の方は――』

 いかなる場合でも沈着冷静が要求されるキャスターだが、余程その原稿の内容が信じられないのか、顔には隠しきれない動揺が滲み出ている。

 そして。

 その警官が重症を負った場所が中継された。現場にいるリポーターが一人と、背後にはテレビ越しでも目をすぼめるような赤を放つパトライトが回転している。

 そんな光景を無言で眺めていた龍樹。

「……この近くじゃん」

 映像に映し出されるその場所は、毎日は通わないが、近道としては時折通る路沿いだった。

「まさかあの褐色の男、まだ生きてんのか?」

 この話の流れだと、そういう事になる。

 あの後――褐色の男がアテナにやられたであろうあの後、龍樹達はすぐに場を後にしたので、その後の事は人伝でしか知らないのだが、あれから褐色の男の死体は警察に引き渡された。

 噂によれば、その駆けつけた警官と学校、つまりは藍原財閥は結託な関係だったとか、違うとか。

 ともあれ、それぐらいの事しか分からない。

「稀にあるんですよね」

 テレビを見ていた龍樹の聴覚が、その声を捉える。

 振り返る。言葉を放ったのは雀だった。

 彼女は平坦な顔をしながら、

「稀にあるんですよ。悪魔に乗っ取られても、片隅で残っている強い想いがそのまま帯同し、凍結されていた魂自体が、死んだ事に気付かない事が」

「……どういう意味だ?」

 回転式の椅子を利用し、雀へと向き合う龍樹。

 結構深刻な話であろうにも関わらず、雀はベッドに腰を下ろした。

「褐色の男のその異常な腕力は悪魔の力によるものだってのはご存知ですか?」

「……いや、知らん。悪魔?」

 そうです、悪魔です、と雀は言った。

「悪魔は人間の弱みに付け込みます。傲慢、強欲、色欲などの七つの大罪しかり、必用な時必要なタイミングで、それこそ奇縁を装って出現します。それも奴等は人間という生き物をよく熟知しています。どうすれば納得するのか、どこを突けば痛がるのか。だから、相当な耐性を持っていなければ、まず呑み込まれてしまいます。その褐色の男が良い例ですね」

「……良い例って」

 良い例なのか、それ。

「って事は何か、今動いているのは褐色の男自身じゃなくて、あいつの身体を乗っとっている悪魔だって、そういう事なのか?」

「うーん。難しいですけど、多分今は違いますよ」

 わずかに眉を曲げる雀。言い方もどこか曖昧だ。

「言ったでしょ、悪魔に乗っ取られても、片隅で残っている強い想いがそのまま帯同し、凍結されていたその魂自体が死んだ事に気付かない、って。つまりはそういう事なんですよ」

「……どういう事?」

 うーん。

 なんだか難しくなってきた、と、人一倍察しの悪い龍樹は頭を悩ませる。

「もぉー要するにですよ。今動いているのは生前の強い想いで、そこに誰とかそんなコントローラーはいません」

「……つまり」

「そう、つまりは」

 雀は目を瞑り、意味ありげな間を空け、

「あれは明確な意思を持たない、自我を持たない、闇雲に死に抗っている、早い話が、つまりはただの人形です」

 極めて平坦に、そう言ったのだった。

 数秒、理解のための間が空く。

 そして思考が追いついた龍樹。

「人形……ゾンビって事か」

「ゾンビ? ああキョンシーみたいなあれですか……う~ん。難しいですね。まあただ言えるのは、そんな良いものじゃないという事ですよ。ほら、ゾンビやキョンシーって、あれはあれでちゃんと生き物でしょ」

「……そうなのか?」

 元々は死者だから、それを生き物と扱うのは抵抗があるのだが……

 まあ、ここはそれ前提で進めなければ、話が進みそうにない。

 なので、龍樹はとりあえず雀の解釈に従う。

「で、ゾンビやキョンシーとは違うのか、あれ」

「大方は一緒なんでしょうけど、やっぱりある一点を抜本するだけでちょっと違いますね」

「ある一点?」

 目を瞬かせる龍樹。

「なんだよある一点って」

「寿命ですよ。ゾンビやらは、身体自体が腐敗するまでだとか、活動には一定の期間があるのに対し、あれは『その後も残る場合』があるんです」

「……って事は……どういう事?」

「曲がりなりにもお母さんが聖職者なんですから、龍樹さんだって知ってるはずですよ」

 雀はベッドのバネを利用し、また立ち上がる。

 帽子の位置がずれたのか、しきりにつばを気にしながら、

「wandering ghostですよ」

 そう言った。

「……いや、ごめん、全然分からない」

 いきなり横文字を披露されても、正直困る。

 もっと分かりやすく説明できないのかと訊いたところ、雀は顎に手を添え、思い返すように上を見ながら、

「んーと、日本だったらなんだろうなぁ……地縛霊、はちょっと違いますね。……浮遊霊、そう、浮遊霊です」

「ああ、それか」

 浮遊霊。言わずと知れた心霊主義の概念である。

「自分が死んだ事にまだ気付いていないんですよ。いや、気付いていないというより、信じ切れないんです。まぁ当然と言えば当然なんですけどね。その間、本人はよそで眠りこけていますから」

「……なるほど」

 考えても見れば、理不尽な話だ。

 いつのまにか身体の制御を奪われ、やっと状況が鮮明になったと思ったら、すでに息絶えていただなんて。

 そりゃあ、納得できる訳が、ない。

「悪魔に乗っ取られた者にはちゃんとした対処を施さないと、まれにこうなってしまうんです」

 雀はやや感傷的に述べる。 

「多分、アテナさんは自分の中で悪魔を追い払ったと思っていたんだと思いますが、らしくないですね、あの人がこんな失態を犯すだなんて」

「追い払う? じゃなにか、あいつもうちの母親みたいに、そっち系の奴なのか?」

「さぁ、あまり詳しい事は分かりませんが、きっと違うと思いますよ。……なんていうんですかねぇ。悪魔ってのはやっつける事自体は案外簡単なんですよ」

 ああただ、それ相応の力がある人にだけですけど、と、雀は言い忘れないよう、付け加えた。

「問題は完璧に除霊するのは難しい(’’’’’’’’’’’’’’’)という事です。アテナさんは確かに力はありますけど、事除霊に関してはあまり精通していないんでしょうね。ちゃんとした手順を踏まないと、やっぱり除霊はできないものです」

「……そうなのか」

 てっきり、抜かりの無い、非の打ち所が無い完璧人間だと思っていたが、そんな失敗もするのか、あいつ、と龍樹はなぜか安心した。

 やっぱり、何だかんだでアテナも、人間である。

「で、お前はなんでそんなに詳しいんだ?」

 ここまで馬鹿丸出しだったお前が。

 すると雀は、誇らしげに胸を張り(全然無いぺったんこな胸を)腰に手を当て、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らした。

「私の民族では心霊学は必須なんですよ。なんでかは知らないですけど」

「……知らないのかよ」

 知ってればかっこよく決まっていたのに。

 多分、こいつはヒーローにはなれないタイプだなと、龍樹は漠然と思った。

 それでも、

「いや、なんかお前の事ちょっと見直したよ。正直なところ、俺と同じ、全然駄目な奴だと思っていたからさ。心霊学を心得てるだけでも大したものだよ」

「ふっふん、もっと褒めてください」

 きっと、あまり人に称賛された事が無いのだろう。

 雀はすごく上機嫌だ。

 まあかといって、本当は前評判が酷すぎたゆえのものなのだが、それをいったところでなんの利益にも繋がらないと思われるので、龍樹は黙っておく事にした。

「でも、このまま褐色の男を放っておくとどうなるんだ? 少なくとも、今は物理的な身体を有してるんだろ。さっきのニュースにもあったけど、人に危害を加える可能性だって大いにある。おまけにこの付近を今うろちょろしてるみたいだし」

「そうですねぇ……」

 雀は、なにか考え込むように腕を組み、真剣な顔付きになった。

「前例としては、また活動を始めてからの行動可能時間は約十五時間。季節や場所なんかにもよるんですけど、おおまかそんなところでしょう。今のニュースの話だと、その事実が公になったのが三時間前。となると、それ以前という事になるんでしょうが……一体発覚からメディアに伝わるまで、どれだけの時間が掛かったのかという事です」

「……十五時間か」

 結構長いこと動き回れるらしい。

 いや、残り生きるはずだった時間の事を考えると、それは短いのかもしれない。

「どっちにしても、放っておけば勝手に自滅するって訳か」

「物理的にはそうですね」

 傍から見れば無責任な会話だが、だが、しかし、仕方ない。はたから終わるものに、妙な正義感を働かせ無理な衝撃を加えて、悪い方に転がる可能性だって多大にある。

 例えば、妙な刺激を加えて精神を逆なでするとか。

 例えば、例えば……

「……浮遊した魂はどうなるんだ?」

 いつも通り、逃げに徹しようとしていた龍樹だったが、そんな疑問が、頭を過ぎった。

 その質問に、雀は答える。

「浮遊霊と化した魂は現世を彷徨い続けるんですよ。それこそ端から死んでますので、病死や衰弱死なんて当然しませんから、救いの手が伸ばされるまで永遠に彷徨い続けます。地球全土を巡ったり、ある一定の場所を徘徊したり、あり方は様々らしいですけど」

 そこで雀は、大変興味深い事を口にした。

「中には、悪魔になってしまう魂もあります」

「悪魔?」

 最早当たり前のように使っているワードだが、よくよく考えてみれば妙な違和がある。

「はい、悪魔です。一般的に広がっている悪魔の概念は堕天使ですが、元が人間だってのもよく耳にする話でしょう」

「……まあ、なんか聞いた事はある」

 以前、母がそんな話をしていたような、いないような。ただ、身を入れて聞く事でも無かったので、当然覚えていない。

「所詮は自業自得なんですよ」

 雀は軽々しく、そんな言葉を口にする。

「そんな言い方はいかにもっ、て感じで不用意かもしれませんけど、事実である事には間違いありません。悪魔の囁きは確かにしつこいですけど、打ち勝とうと思えば打ち勝てます。だから理由がどうあれ――悪魔と契約を交わし、身体を乗っ取られてしまっても、それは合意の上なので文句はいえません」

 だから、と雀は尤もな事を口にする。

「そういう結果になってしまうのも、結局は全部、自分の精なのだ、とは、私が昔から訓え込まれてきた教訓です」

「……自分の精、ね」

 人には誰しも、悩みがある。欲がある。それがあるからこそ人間なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

 ただ、これだけは言える。

 人間は弱い。

 精神的にも、肉体的にも。

 傷つけようと思えば誰でも傷つけられるし、殺そうと思えば誰でも殺せる。

 人間にもしも憂慮という感情がなければどういう末路を辿るかなど、考えるのも末恐ろしい。

「……」

 浮遊霊。それについて龍樹は軽く考えてみる。当ても無く彷徨い続ける孤独。いや、孤独すら感じないのかもしれない。

 可哀想。哀れ。負い目。 

 それは例えるなら、遠い国で見ず知らずの子供が飢えで苦しんでいるのに対し、寄付で少しでも力になれれば、的な感じ。

 龍樹は一応、訊いてみる。

「褐色の男だけどさぁ、助けられないのか?」

 これはもしかしたら、雫の影響なのかもしれない。

 いや、そんな大層なものではないだろう。

 ただ単に、今身近で起こっている問題を、解決できるかどうか窺ったに過ぎない。

 そこにそれほど思い入れはない。

 雀は驚いたように瞼を数回瞬かせた後、

「気持ちはわかりますけど、すみません。知ってはいても、私は専門外なんです。除霊のスペシャリストである『エクソシスト』は天性的な色が強いので、努力を重ねたところでどうこうなるものじゃないんですよ」

「……そうなのか」

 それは残念だ。じゃもう、放って置く他に道はない。

 と、やるだけはやったので、もうこれ以上どうこう出来まいと、そう、踏んだ矢先の出来事。


 ごと、と天井から音がした。


 初めは小さかったのだが、それは段々大きくなっていき、まるで結構な体格の人間が歩む様な、そんな軋み音へと変貌した。

 二人は上を見上げながら、

「……まさか、か」

「まさか、ですね」

 天井からの音を眼で追う龍樹と雀。

 それはやがて治まった。

 不気味な間があく。

 音が無くなっても二人は、すぐに動き出そうとはしなかった。

「……私、ちょっと見てきます」 

「え?」

 龍樹は驚いた。

 彼はいまだ上方を見上げている雀の顔を見ながら訊く。

「おいおい、大丈夫かよ。別にお前の事を疑っているわけじゃないけど、ほら、相手も相手なんだし」

「大丈夫です」

 力強く、そう言った雀。

「ご飯も食べさせてもらいましたし、龍樹さん達には借りがあります。脅威が近くに居る以上、ここで動かない訳にはいきません」

「そうだけどさぁ……」

 そうなのだろうけど、それはどうなのだろう。

 余計なお世話なのかもしれないが、しかし、ここまで、八咫烏 雀という人間性をまざまざと見てきた龍樹としては、心配にならない訳がない。

「それじゃあ行ってきます」

「あ、ちょっと」

 扉に向かった雀を、龍樹は呼び止めた。

 雀は振り返り、

「何ですか?」

「いや、なんていうかさ……」

 特に呼び止めたのには意味は無かった。ただ単に、どこか納得できないだけだったのだろう。

「……何もないなら行きますよ」

 眉を寄せそう言った雀。

 引き止めてしまった手前、何も言わない訳にはいかないと思った龍樹は、口ごもりながらも、

「まあ、その、一応気をつけろよ」 

 率直な気持ちを、述べたのだった。

 その言葉を受けた雀は軽く微笑んで、

「はい」

 そう返事をし、つばを手で下げ、帽子を深々と被って、部屋を後にした。

 自分の部屋で独り、取り残された龍樹。

 といっても、昨日もそうだったし、基本独りなので、なんら不可思議な事もないのだが、

「……」

 なんだろう、このもやもや感。

 なんだか子供のお使いの帰りを待つみたいな、親心。

 あれほどの天然も珍しい。戦闘スタイルは分かりかねるが、それに必要な武器はちゃんと忘れず持っているのだろうか? 褐色の男と対峙したとき、ちゃんとテンパらずにいられるだろうか?

 と、龍樹がそんな心配をしていると、

 

 ごどごどごどごどごどごどッッッ!! という、誰かが階段を踏み外したような音がした。


(……やっぱり心配だ)

 あれはあれで、結構好感の持てるキャラ。すでに妙な情が芽生えてしまっている。

 かといって、力のない龍樹には、どうする事も出来ない話である。

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