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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
モノローグ
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ある少年の思考

「世の中は不条理だなんて言葉は、人間の身勝手さが生んだ言い分でしかない」

 

 それは、とある友人の受け売り言葉。

 その友人いわく、

 

「ある事を無かった事になんてできないし、無かった事をある事になんてのもできない。うまく変える事は出来ても、それ自体を否定する事は不可能。つまりは、世の中におかしな事など否応なく存在しないんだよ」

 

 との事。

 それはまさに、その通りなのだろう。

 

 目の前で起こる出来事は全て現実で、

 どこまでいこうとそれは変わらない事実で、

 最果てにはこんな事で悩んでいたのかと思うような見解にたどり着く、あっけのないもの。


 なに事にも理由がある。

 ただそれを、知らないだけ。 


「まあそんなものは心の平穏を保ちたいという人間の防衛本能が働いただけで、ただの戯言と言われれば、そこまでなんだろうけどな」


 そうだろうか。

 いやきっとそうなのだろう。

 俎上に上げるまでもない当たり前。

 そもそも疑問に思うこと自体が可笑しな、世の中の摂理。

 

 これは歴史を紐解いてみても分かる。

 

 いつの日なのかは知らないが、かつてナントカ彗星が猛毒を散布すると一部では大騒ぎになったという。

 周知の通りこれは今では人間一生に一度見るか見ないかという周期でやってくる彗星だと判明している訳だが、そんな事を当時の人たちは知る由もなく、命を絶った者もいるというのだから、事実が解明された今となってはやるせない気持ちにならなくもない。


 もっと昔になると、これもどこで誰がなのかは知らないが、まあ偉い学者であろう人物が地球は平面だと主張したらしい。

 今の子供が聞けば大笑いしそうなそれも、当時は本気で論じられていたという。

  

 現代に話を戻すが、例えば宇宙の有り方。

 ここもやっぱり頭が悪いので詳しくは分からないが一部では広がっているだの、一部では収縮しているだの、意見が分かれているそうな。

 論理的に見ると収縮説が滅法不利という話だが、それだって分からない。

 後数百も数千も時が経てば、その論じ合いを未来の子供達が笑っているのかもしれない。

 

 結局疑問なんてものは、そんなものなのだろう。

 

 偉い人間があれこれと論じようと。

 結局それは有るものを有るようにするだけで。

 なにかを生み出しているという訳では、決して無い。


「といっても、それを否定する気など毛頭ないがな」


 そこだけは履き違えるなと言いたげに、友人は続けた。

 今まで認識の中でなかったものを解明することにどれほどの業績があるだろうかと。

 その礎が未来に与える影響はどれほどの価値があるだろうかと。

 それで自分たちの生活がどれだけ豊かになっただろうか、と。


「世の中というものは何かを踏み台にして生きている。そこに真の意味での最下層なんてものは無い。もしそんなものがあれば世界はあっという間に崩落してしまい、終わりを迎えてしまう事だろう」

 

 なんて、友人はいつも同様何の恥じらいもなく、平気で本気で、そんな事を言う。


 失敗を踏み台にした成功。

 悲劇を糧にした栄光。

 弱者の上に成り立つ強者。

 過去と未来。

 表と裏。

 

 ようはバランス。これぞ世界の共通理念。


 結局世の中はなにかを踏み台にし、

 ありとあらゆる様々な事象も、その例外ではないのだろう。

 

 どこまで行こうと。

 誰が何と言おうと。

 数え切れない他と共存している以上、それもまた間違いようの無い事実。

 

 つまりこれは人間という生き物がいかに劣っているのかという話ではなく、人間という生き物がいかに珍妙かという類の話。

 

 無駄な事を無駄と捕らえず。

 必要の無いものを必要とする。


 そこに意味があるのかないかなど、最早明確にする必要性なんてものは存在しない、摂理のお話。


「おっと、話が逸れたな。つまりだな。私が何を言いたいかというと、この際正しいかどうかは関係なく、世の中に存命する以上、お前もちゃんとして立派な人間になるという自覚をしてだな――」


 ただ、 

 ここで重要なのは、これはあくまでも個人限定での話という点だ。

 いつも通り説教を垂れ始めた友人を受け流すようにしながら、頭の中でぼんやりと考える。

 平和な国に暮らす身としては今日び不条理な世の中について警鐘を鳴らしたい訳でも、事それに関して論じたい訳でもない。

 そもそもそんな大仰なものを口走れるような頭と行動力は持っていないし、例え持っていたとしても色々と面倒な事請け合いなので、口を噤むに徹するのが利口だと思う。

 ここまで散々綴っておいてあれだが、ちっぽけな人間が一人どこで何を思おうが、それが世の中に与える影響なんてものは微々たるものだ。

 どうがんばろうが、

 どう怠けようが、

 世界はそれすらも受け入れる。

 蟻を働き者と怠け者で分けると働き者からまた怠け者が現れると言う法則もあるのだから、これもきっとそれに倣ったものに違いない。

 そう願いたいというか――そういう風に逃げていたい。

 自分はこのままでいいんだと。お前が何をしたところで世の中は変わらないと。

 厳しくも優しい現実に甘えたかった。


 なのに。

 街で出会ったあの女とくれば、そんな甘ったれた考えを否定する。

 

 彼女は本質的な部分からして他とは、いや、この際は自分と言うべきだろう、違うのだ。


 日々を惰性的かつなし崩しに生きている人間と違い、彼女は一日一日を尊び、無駄にしない。

 三百六十五日二十四時間、終わりある人生の事を想い生きている。

 一日が自分の為にあると思っている人間と違い、一日が世界の為にあると思っている人間。


 誰も気づかない。

 踏み台にされている側の人間。


 住む環境が違い、生き方が違う。

 本来では出会わない方がよかったのであろう、そんな彼女と出会った。


 まるで自分の生き方を否定されるような、秘密という甘い匂いで誘われるような。

 少なくとも好奇心旺盛な年ごろに取ってはあまりにも強い、その刺激。


 その出会いが果たして良い事だったのか悪い事だったのかは分からない。 

 この世に答えはあるのだろうが、それはまだ見付かっていない類のものだ。


 だが間に合わせの答えならここにある。


 誰が何と言った訳でもない。

 これといった推測材料がある訳でもないし、そもそも正解なんてものは存在するのかどうかも疑問だ。


 ただ、今後何が起ころうと何がどうなろうと。

 彼女――金髪碧眼ツインテールの少女との出会いは、これから先の人生に置いて良かれ悪かれ、忘れられない存在になった事だけは、間違いようのない事実だろう。

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