3・王子は救わない
「へーい、おきろ!」
俺の眠りは元気な声によって妨げられた。俺は仕方なく目を開いて時計を確認する。まだ三時だ。早すぎるだろ。
結局、夢だったのか。今思い出しても、変な夢だと思う。大宮スーパーの近くで誘拐されて、女の子になって、こがねや着流しの男と戦って、最後は大きな骸骨に殺されそうになった。そこで目が覚めたのか。
「雪! 今日も雪ふってるよあかくん!」
声の主である火元こがねは部屋の窓を全開にした。
「寒っ……くない」
予想していた冷気は訪れたものの、俺に寒いとは言わせなかった。自分の体が、寒さに無関心になったような感じだ。寝惚けてるのだろうか。
「こがね、さすがに三時は早すぎないか?」
「え、何言ってるのあかくん。もうお昼すぎてるよ」
「え、まじで?」
やばくねえか、それ。補習は遅刻というより欠席だぞ。
「いや、桃菜とのデートに遅れてないから良しとしよう」
「もしかして寝惚けてる? 今日二十五日だよ」
「そんな馬鹿な」
二十四時間以上寝たことになるぞ。
「もういいや。おじいちゃんには止められてるけど見せちゃお」
こがねが取り出したのは大きい手鏡だった。どことなく、夢に出てきた手鏡に似てるな。
「はい、どーぞ」
「おう……」
身だしなみをさっさと整えろということか? 俺はこがねから手鏡を受け取って、自分の顔を見た。
そこにいたのは、夢に出てきた少女だった。
いろとりどりの豪華な浴衣ではなく俺の寝間着を着てるものの、サイズが合っておらずぶかぶかだ。袖もだいぶ長い。完全に寝惚けてるみたいで、目が半開きになっていた。顔の血色が少し悪そうなので、低血圧なんだろう。試しに自分の目を擦ってみた。鏡の中の少女もねむねむと目を擦った。
「じ、自分の寝間着姿でどきどきしないよーに」
さすがに桃菜の寝間着姿は見たことないから、自分の容姿と仕草が生み出した破壊力を緩和できずもろに受けて悶えた。
「あ、あかくんが壊れた……」
こがねの台詞を無視し、しばらく悶えた後、ばたりと大の字に倒れた。
「…………夢であってほしかった」
それが本音だ。こんな体、生活しづらいだけだ。
「あかくん、どこまで覚えてる?」
「うーん、公園で骸骨に襲われて、そっから覚えてない。俺はどうしてここにいるんだ?」
「あかくんは大宮スーパーの駐車場で倒れてるのを助けられたんだよ。おじいちゃんがすぐに向かって、よく調べてみたらあかくんだって分かったの」
「じゃあ、自力で逃げたのか」
よくあの状況から逃げ切れたものだ。自分を誉めたい。
「ていうかさ、この姿のまま俺が紅哉だって分かるんだったら、公園でお前と会ったときには何で分からなかったんだ?」
「魂だけを見るにはじゅくれんの技が必要なんだよ。元々の魂も知ってないと駄目だし。ぼくはそんな器用なことできないんだよ」
「見れてたら事態はだいぶ楽になったのにな。そういえば、お前って本当に麒麟なのか? 公園でそんなこと言ってたよな」
「うん、麒麟だよー」
「でもお前人間の姿じゃねえか。麒麟には変身能力があんのか?」
「ないよ。でもね、ある道具を使ってるから変身出来るんだよ」
「道具? 化け狐が頭にのっける木の葉みたいな?」
「まさしくそれだね。ちょっと待って」
そう言うと、こがねは自分の頭をごそごそと探る。
「えーっと、あったあった」
はらり、と何かが落ちた。拾い上げてみると葉っぱだった。おいおいまじかよとこがねを見て、驚いた。
「どう? こんな感じだけど」
「うわああああああ!」
目の前にはこがねではなく、金色の炎を纏った一匹の麒麟だった。龍の様な頭を持ち、体は鹿。ビールのラベルに写ってるあの麒麟だった。
「驚かないでよ」
「いや、驚かない方が無理だろ。あと、子供っぽい声がミスマッチだぞ」
「ぼくは麒麟の中ではまだ子供なんだよ」
俺が葉っぱを麒麟の頭にのっけると、浴衣を着たいつものこがねになった。
「こんな感じだよ。そのまんま『化け狐の木の葉』っていうんだよ。服もこれで作ってるんだ」
そういってこがねはくるっと一回転する。その間に浴衣からワンピースに衣装が変わってる。
「どうせ衣装を変えるなら冬らしくすればいいのに」
「あかくんは土蜘蛛だから、練習すればすぐできるよね」
「かもな。でも、練習する気はない」
俺は立ち上がって、屈伸運動をした。
「あいつらを殴り飛ばしてでも、元の体に戻らせてもらうぜ」
「………………………………」
俺は湯船に体を預けた。冷たいのは平気なのに、熱いのは駄目みたいだ。お湯の温度は四十℃と、冬にしてはぬるいはずなのに、熱くて入るのに時間がかかった。炎に弱いというより、熱に弱いみたいだ。
意気込んで寝間着から普段着に着替え、窓から飛び出そうとしたところを親父とお袋とじいちゃんに見つかってしまったのだ。お袋は風呂に浸かって落ち着けと言うし、親父も平然と賛同した。
「まじかよ…………」
思いっきり湯船に顔を突っ込んで、息を止める。昔、肺活量を増やすために毎日やってた特訓だ。昔はあんなに頑張っても三十秒が限界だったのに、今は息よりも先に根気が限界を迎えた。
「はあ…………」
湯船から顔を上げると、長い髪が湯船を自由に漂ってるのが見えた。前髪は顔に張り付いて水をぼたぼたと落す。不意に、じいちゃんが俺の部屋でさっき言った言葉が思い出された。
「くそっ………………」
行き場の無い怒りをお湯にぶつける。ばちゃんと水しぶきがあがっただけだ。
「俺の体が…………」
「あかくーん、湯加減どう?」
風呂場の外から、こがねが声をかけた。
「最高。それでさあ、こがね。ひとつ聞いていいか?」
「どーぞ」
「俺の体が使い物にならないって、どういうことだ?」
俺がじいちゃんに自分の部屋で言われたことを、また思い出した。俺がみんなの制止を振り切って出て行こうとしたとき、じいちゃんが俺に向かって言った。
『焦っても、元には戻れん。お前の体はもう、使い物にならんのだ』
「どういうことだよ?」
「うーん、おじいちゃんには言うなって言われてるんだけどなあ。ま、いっか。あかくんは、どうやって元の体に戻ろうとしたの?」
「それは、まずぬらりひょんたちを見つけて、俺の体を返してもらうだろ。あとは、川姫の力で……」
「そうだね、そのやり方でいいよ。あかくんにしては完璧なてじゅんだね。だけど、問題があるんだよ」
「俺の体が、使い物にならないってことだろ。それがどういうことか聞いてるんだ」
「うん、簡単に言ってしまうとね、あかくんの元の体は、餌になってたんだよ」
「え、餌…………」
「そう、餌だよ。あかくんを騙した妖怪たちは、あかくんを元に戻す気なんてまったく無かったから、あかくんの体がお荷物なんだよ。だから、餌にして処分した。きっと、あかくんを襲った骸骨、がしゃどくろの餌だと思う」
「証拠はあんのかよ」
「ないんだよね、これが。ぼくが燃やしちゃったから」
「……………………」
「しょうがないんだよ。あかくんの死体が見つかったら、あかくん死んだことになっちゃうもん」
そう、だろうな。仕方なかったんだろうな。
「はあ…………」
俺はもう一度息を吐いて、お湯の中へ沈んだ。いつもならすぐに窒息するのに、今は簡単に死ねなかった。
「親父とお袋は、驚かねえのか?」
風呂から出て、ダイニングで俺は両親にそんな質問をした。親父はソファでくつろぎながら新聞を読んでいたし、お袋はインスタントラーメンをつくってた。昨日の朝から何も口にしてなかったので、ラーメンの匂いは俺の腹を刺激した。
「じいちゃんは妖怪関係の仕事をしてるって言ってたし、親父は妖怪だらけの島で暮らしてたみたいだから驚かないのには説明がつくけど、お袋はまったくの初めてじゃんか。なんで驚かずに平然としてられるんだ?」
「あんた、何時間寝てたと思ってるの?」
お袋は困ったように笑って言いながら、鍋ごとラーメンをテーブルに置いた。
「あんたがぐっすり寝てる間に、こっちは混乱も収まっちゃったよ。最初は父さんたちが何言ってるか分かんなかった。でも、こがねちゃんのあれを見せられちゃあねえ」
俺をお袋はリビングでぐたーっと眠り込んでるこがねを見た。格好はワンピースのままだった。確かに、こがねの正体を見せられたら、信じるしかないだろうな。
「妖怪なんて迷信だと思ってた存在を、いきなり信じろと言われてもねえ。あんたもこんな姿になっちゃって、困ったねえ」
「俺も妖怪なんてものがいるとは、今も信じがたいんだよ。でも、ほおをつねっても何にも変わらない」
「この際だからぶっちゃけちゃうけど、お母さんは女の子が欲しかったんだよ」
「今ぶっちゃけることか? 俺は男だ」
「男の姿してるときから女々しかったよ、あんたは。小食だし、運動嫌いだし」
「それを言われると困る」
「高校に入って、あんたがレクスポ部に入るって言ったときは驚いたね。先輩の青菜ちゃんに惚れたのかい?」
「それはねえな。俺は桃菜一筋だ」
それも今は怪しい。男だって言い張ってるのはそれに自信が無いからだ。今の俺の格好は自分でもびっくりするくらいの美少女で、もしかしたら、俺の記憶違いで実は最初から女だったんじゃねえか、って思うほどだ。だから、桃菜のことについても、自信が無い。俺がこのままの姿だったら、あいつとは付き合えない。それに、俺がぬらりひょんたちに狙われてるなら、桃菜が傍にいるのは危なすぎる。既に一回、巻き込みかけてるのに。
「ほら、食べな」
お袋が器と箸を俺の目の前に置いた。
「朝から何も食べてないんでしょ? お腹空いてたら、まともな考えも浮かばないでしょ」
「そうだな……。いただきます」
俺がラーメンに箸をつけると、じいちゃんがリビングに入ってきた。まるで図ったようなタイミングだ。
「おお、紅哉。もう動いていいのか? まだ怪我が治ってないと思ったんじゃが」
俺は食べながら答えた。
「それなら計算が狂ったな。土蜘蛛は回復力までおかしいらしい」
「全身大火傷に全身骨折が、簡単に治るのかのう。土蜘蛛の回復力は妖怪の中でも確かに高いが、特筆するほどのものでもなかったはずじゃが」
「じゃあ、俺が流し込んだ魔力のせいじゃないか? めんどくさいからそれ以上説明しねえけど」
「魔力、か……」
じいちゃんは少し、考え込んだ。
「どっちにしろ、俺はもう動きたくない」
鍋の中を掻っ攫うように、ラーメンを口の中に入れる。器を使うのがめんどくさくなってきた。
「詳しく聞きたかったら、こがねに聞くんだな。ごちそうさま」
らーめんを食い終わったので、自分の部屋に戻ることにした。かなり眠たい。外見上は怪我が治っても、疲れは取れてないようだ。
「早っ。え、しかもラーメン五食もつくったのに全部食べちゃった……。あんた本当に紅哉なの?」
「どうだろうな。今はそれさえも、怪しいな」
「ねーあかくん、さっきからやる気なさそうだけど、何かあったの?」
再び寝間着になってベッドに潜ると、しばらくしてこがねが部屋に入ってきた。毛布を頭から被ってるので、こがねの姿は見えない。
「うるせえ。疲れたんだよ」
「生きることに?」
「たぶんな。頑張ったってどうにもなんねえ。何しても無駄なら寝る」
「せめてポケモンは頑張ろうよ。まだバッジ三つ目じゃん」
こがねは勝手に俺のゲームをいじくっていたみたいだ。
「ロールプレイングは苦手なんだよ」
「それにしては全バージョン持ってるよね。全部最初のポケモンくさタイプだし」
「くさタイプは弱点が多いって言ったよな。だけどどうだ、一番最初のジムで苦労すんのはほのおタイプだろ」
「それはそうだけどね。そうだあかくん、ひとつ言い忘れたけど」
「なんだ?」
「ももちゃん、来てるよ」
「は?」
桃菜が?
「馬鹿! なんで言い忘れるんだよ! 今どこにいるんだ?」
「ぼくのとなり」
「ぎゃああああああああ!」
溶けた自販機に突っ込んでもあげなかった叫びをあげた。まさに断末魔だった。
「じゃ、あとは二人でゆっくりしてねえ」
こがねは薄情にもそのまま部屋から出て行ってしまった。毛布を被ってるので音だけで判断してるけど。あれ、じゃあ桃菜がここにいるとは限らない。あいつの嘘か?
「あっくん!」
嘘じゃなかった。俺はよりいっそう深く布団を被り、今の姿を桃菜に見せないように努めた。
「も、桃菜か?」
「うん、そうだよ。あっくん、声が高くなってない?」
「風邪だ」
「か、風邪で声が高くなるの?」
桃菜は半信半疑だった。そりゃそうだ、俺だって声が高くなる風邪なんて聞いたことない。
「それより、あっくん。何かあったの? 昨日来てくれなかったよね」
「悪かった。それは謝る。いろいろあったんだ」
そうとしか言いようが無い。余計に何か言うとぼろが出そうで怖かった。
「ううん、怒ってるんじゃないよ。私も公園で、いろいろあったから」
「ああ、こがねから聞いた」
「あっくん、大丈夫なの? いつもと別人みたいに様子違うけど、まさか本当に別人じゃないよね」
「は、ははは。そんなわけないだろ。大丈夫だ」
冷汗がだらだらと流れる。女の勘は鋭いって聞いていたけど、まさかここまでとは……。
それからしばらく、沈黙が続く。心臓がばくばくと鳴って、息が苦しくなる。今すぐ毛布を投げ出して、全部晒して桃菜に伝えたかった。
「でも、無理だよなあ」
桃菜に聞こえないよう、小声で呟く。俺の現状を伝えて、万が一伝わっても、桃菜は俺を変わらずに見てくれるだろう。こんな姿の俺を、鬼堂紅哉として。でも、それじゃあ駄目なんだ。あいつが俺の傍にいたら、間違いなくぬらりひょんたちに狙われ、人質にされる。自分の命を守るので精一杯なのに、さらに桃菜の命までは、請け負えない。
似合わないことは、するもんじゃない。
「桃菜、話があるんだけど……」
「うん、何かな?」
意を決して、切り出した。
「俺と、別れてくれないか?」
「え……………………」
その言葉に、桃菜は驚いてるようだった。顔を見なくても、俺は桃菜の表情を察することができた。
「な、なんで…………」
「理由はあるけど、言わない。その方がお互いのためだ」
「どうして、なんで?」
「言わないっていっただろ」
いきなり、毛布が浮き上がりそうになり、俺は慌てて押さえた。桃菜が毛布を剥がそうと試みたようだ。
「せめて、顔を見せてよ!」
「嫌だ!」
土蜘蛛の筋力をここで発揮することに悲しくなった。いつもならすぐに剥がされてるだろうけど、今は一筋縄ではいかせない。今の姿を見られたら、桃菜は絶対に別れないって言うだろうから。そういう女だ、あいつは。
格闘は数分続いた。俺にはもっと長く感じたが、息が切れる心配もなく、毛布をキープした。ついに桃菜が諦めたようで、毛布は引っ張られなくなった。
「なんで? 理由を言ってよ!」
「だから言わないっていったろ。何度も言わせんな! 帰れよ!」
何か手近にあるものを投げつけたくなったが、近くに何もなかった。しかも投げるには毛布から出ないといけないし、今の筋力で投げたら桃菜に怪我を負わせてしまう。そもそも男として許されない行為だった。今の姿が女だってことを差し引いても駄目だ。あれだけ男だと宣言しちゃってるからなあ。
「もう、知らない! 勝手して!」
「おう、勝手にさせてもらうよ!」
ばたんばたんと盛大な音が立つ。音はだんだんと遠ざかり、ついに聞こえなくなった。しばらくして俺が毛布から顔を出すと、桃菜の姿が消えていた。開けっ放しの扉から、こがねが入ってきた。
「あーあ、ももちゃん泣いてたよ。あんなんでいいの?」
「あいつのためだ。俺にはあいつを守る自信が無い」
「ももちゃんのこと、今でも好きなの?」
「大好きに決まってるだろ」
でなきゃ、こんなことしねえよ。
「こがね、今から俺、男だけど大泣きする。笑うなよ」
「うん、笑わないよ。今は女の子だもんね」
「ありがと」
宣言どおり大泣きした。歯を食いしばって、声を出さないように必死で耐えたけど、気持ち悪くなって諦めた。
「あかくん、大変だあー」
こがねの声によって俺は目を覚ました。あの後、寝てしまったらしい。時計を見ると午後の六時になっていた。思ったより時間が経ってない。
「ううん、何だ?」
「うわ、あかくん顔が……」
「てめえ、ちょっと笑いそうになってんじゃねえよ! 笑わない約束だろ!」
俺も顔が熱っぽいから泣き腫らしてるだろうなって思ってたよ。
「で、何が大変なんだ?」
「うん、こんくんが来たんだよ」
「紺助が? 何で?」
幼なじみの紺助が家に来るのは、そりゃ不思議ではないけどさあ。何でこの時間に?
そんなことを考えてる間に、階段を上がる足音が聞こえてきた。
「やべえ、もう来たのかよ!」
俺が再び毛布に潜ろうとしたとき、扉の近くに何かが落ちてるのに気づいた。
「おい、それは……」
「あ、何か落ちてる」
こがねが拾い上げてこっちに持って来てくれた。それはデフォルトされた雪女のヘアピンだった。
「桃菜の……」
まったく、最後の最後でこんなことを。
「さっさと隠れないと」
ヘアピンを寝間着のポケットに突っ込んで、毛布を被った。
「やあ紅哉、元気してるか?」
扉を元気に開けて、がさがさ音を立てながら紺助が入ってくる。なんか嬉しそうだ、彼女でもできたのか?
「元気じゃないのは、見りゃわかるだろ」
「そうだな。それにしても、君の声ってそんなに高かったか?」
「風邪のせいだろ」
「そっか。風邪のせいか」
こいつ想像以上に馬鹿なんじゃねえか?
「徒牧さんと別れたって本当かよ。あんなにラブラブだったのに」
「情報早すぎるだろ。何で分かったんだよ」
「本人に聞いたんだ。実は僕、徒牧さんからお前について相談を受けてたんだ」
それ、本当かよ。予想外すぎて声も出ない。
「まったく、君は想像以上に馬鹿だな。クラスも部活も違う徒牧さんがなんで君に告白したと思ってるんだ。僕が徒牧さんの相談に乗って、告白を促したに決まってるじゃないか」
「知り合いだったのか?」
「中学のときクラスが同じだった。さっき電話してきてさ、すごい泣いてたよ。可哀想に」
「俺も泣いてた」
「男が泣くな」
くそ、今の俺が女の姿をしてるとも知らずに。今の俺ならお前を惚れさせるくらい、朝飯前なんだからな!
「そんな拗ねるなよ。ほら、ベッドから出て来い」
「嫌だね」
「出て来い!」
しばらく毛布を引き剥がそうとする紺助とそうはさせまいとする俺の戦いが続いた。どうやっても俺の圧勝だった。紺助がついに諦めて毛布を放して言った。
「まあいいや。それより、今日は君の失恋を祝ってやろうと思ってね。お菓子たくさんあるぞ」
「余計なお世話だ。でもお菓子は貰おう。ベッドが汚れにくいものをおくれ」
「へいへい」
ベッドの上に何かがポトリと落ちた。それを回収してみると、六角形の箱が特徴的なコアラのお菓子だった。ナイスチョイスだ。
「ポケモンバトルしよう」
「いいぜ。でも、ダイヤモンドな」
「ブラックじゃないのか」
「そっちはまだバッジ三つなんだよ」
「了解」
今度はベッドの上にDSが落ちる。それを回収して電源をオンにした。テテンテテーンと言葉で表現しにくい音が鳴る。
「僕は最初のポケモンがみずタイプだから、君とは相性悪いんだよなあ」
「途中からはあんまり関係ないだろ」
俺は毛布の中でうつぶせになって今のメンバーを確認する。前髪が垂れて邪魔になったので、ポケットから桃菜のヘアピンを無断で使うことにした。適当に前髪に差し込むと、髪が垂れなくなって視界が良好だった。
「今のメンバーは最初に仲間にした亀と三つ首鳥と鯨と炎の馬と四本腕の筋肉馬鹿とムウマージか。俺の最強の布陣だ」
「なんでムウマージだけストレートに言ったんだよ。しかもこれからバトルするのに」
「先頭はムウマージで決まりだな」
「おい」
少しのロード時間の後、バトルが始まる。
「ポケモントレーナーのこんすけが勝負を仕掛けてきた」
「こっちは、ポケモントレーナーのあかやが勝負を仕掛けてきた、になってるぞ」
「じゃあどっちが仕掛けたんだよ」
紺助が最初に出したのはハイエナだった。対する俺は筋肉馬鹿を出した。相性はこっちが有利だ。
「な、ムウマージじゃないのかよ!」
「バトルの前に先頭のポケモン教えるわけないだろ。嘘に決まってるだろ」
「騙したな!」
紺助の叫びを無視するがごとく、バトルが始まった。先に動いたのはこちらのポケモンで、こうかばつぐんのパンチがハイエナを捕らえた。みるみる相手のHPが減っていき、ほとんど見えなくなる。HPを一だけ残す道具を持っていたらしい。近くでピコンピコンと音が鳴る。紺助のDSからだろう。
「勝ったなこれ」
「ふ、甘いな紅哉。だから徒牧さんと別れるんだ」
「何だと」
相手の番になった。ハイエナは受けたダメージを二倍にして返す技を使い、俺のポケモンの体力はあっという間にゼロになった。俺は次に鯨を出した。
「なあ、紅哉」
「なんだ?」
お互いのポケモンが三体くらいになったところで、紺助が尋ねた。俺の手持ちは馬と鳥とムウマージだけになっていた。
「実際、徒牧さんと別れてどんな気分だ?」
「さあな」
俺は最後のコアラを口にほおりこんで、言い返した。
「わかんねえ、でも泣いた。自分でも馬鹿みたいに泣いた。だから多分、悲しかったんだろうな。それより、お菓子プリーズ」
「いつもより食べるペースが早くないか? 本当に君は紅哉か?」
紺助から渡されたのはしるこサンドだった。袋を開けて口にほおりこむ。
「しるこサンドって、なんでこんなにうまいんだろうな。後、一階にこがねはいたか?」
「ああ、いたよ。君のおじいちゃんとレースゲームやってた」
「そうか……」
じいちゃんレースゲームできたんだ。そりゃ初耳だ。
「あのさあ、そろそろ顔見せてくれないか?」
「なんだよ、唐突に」
「唐突じゃないだろ。泣き腫らしたのを見られたくないのは分かるけど、そろそろ治まってるはずだぞ」
「まあ、そうかもしれないけど」
俺が見られたくないのは、それだけじゃないんだよなあ。
「でも、念のため見せない」
「そうか、じゃあ仕方ない」
俺と紺助はしばらく、ポケモンバトルに興じた。四回戦を終えたあたりで二人とも飽きてしまったので、今話題の狩りゲームをすることにした。
「紺助はいつも槍だよな。他の武器も使えばいいのに」
「そういう君こそ、弓ばっかじゃないか」
ふたりで狩ることにしたモンスターは大きな兎だった。
「やべえ、ホットドリンク忘れた、弓なのに」
「ベースキャンプで待ってろ」
できれば俺もモンスターの来ないベースキャンプで待ちたかったけど、すぐ目の前に目標の大きな兎がいた。
「あ、ビンも忘れた」
「君は何をしに来たんだ?」
矢を強化するためのビンまで忘れてしまい、絶体絶命だった。念のためポーチを確認すると、ほとんどアイテムが無かった。回復アイテムもひとつしかない。
「回復薬ください」
「離脱しろ」
「離脱しない」
紺助も俺のいるフィールドに到着し、兎を狩る。兎は熊みたいに大きく、もう熊でいいんじゃないかと思う。
俺は兎を狩る間に、ひとつ質問した。
「妖怪がいるって俺が言ったら信じる?」
「信じない。君が寝惚けてると思う」
紺助から辛辣な答えが返ってくる。兎も俺を徹底的に狙ってくる。ふたりして俺をいじめなくてもいいだろ。
「証拠を見せたら?」
「信じるかは証拠にもよる。でも、まず信じない」
「なんで?」
兎にお返しとばかりに矢を放つ。ついでに紺助にも当てた。
「僕を攻撃するな。なんでと言われてもなあ、僕は今まで妖怪を見たことないからな」
「自分が見たものしか信じないのは、傲慢だと思うぞ」
それは、俺がじいちゃんに言われて、そしてまさに今、実感していることだった。
「それを言われたらお終いなんだけどさ。でも、見ても無いものを信じるのも馬鹿なんじゃないか?」
「そうかな」
兎は俺の矢を受けて倒れた。さらに紺助が追撃を加えることで絶命する。目標を達成しました。
「じゃあ僕も、目標を達成するかな」
「へ?」
いきなり、毛布が捲り上げられる。ゲームの音で紺助が近づいていたことに気づけず、さらに両手にゲームを持ってたために布団を押さえられなかった。
「………………………………」
「………………………………」
俺たちはお互い、目を合わせたまま凍りついた。
「えーっと、妹さん?」
「違うよ」
窓から見える空は真っ黒になり、積もった雪の白さだけが異様に目立つ。時刻は午後八時となり、完全に夜と化す。いろんな連中と戦ったり桃菜と別れて泣いた疲れが完全にとれたみたいで、俺の頭は妙にスッキリしていた。
「それ、本当かよ」
「本当だっての」
キャスター付の椅子に座ってくるくる回りながら、紺助が言った。俺は洗いざらい説明したが、どうも信じてないようだ。
「どうりで声がいつもより高いんだ。風邪で声が高くなるなんて、おかしいもんな」
そこにはやっと気づいたらしい。
「でも、僕にはどうも信じられないな。よっぽど、紅哉の妹か従兄弟が口裏合わせして紅哉になりすましたって言われた方がピンとくる」
「俺に妹か従兄弟がいたら、幼なじみのお前が気づかなかった方がおかしいだろ」
「でも、君が女になったと思うよりは、よほど納得できる」
「お前が信じようが信じまいが、事実は事実だ。そもそも、お前が布団を捲らなきゃ、こんなややこしいことにはならなかったのに。なにしてくれたんだ」
「僕に責任転嫁するな」
こんな会話を、さっきから繰り返していた。
「お前は目に見えたものを信じるんだろ? 早く信じろ」
「そんなことは言ってない。証拠によるって言っただろ」
結局話が永久ループを繰り返す。せっかく疲れがとれたのに、また疲れてくる。俺はベットに倒れた。
「あ、そうだ」
今こそ、あれを実践するときではないか。なにをぐずぐずしてるんだ。
「ちょっと、こっち来い」
「なんだよ」
「いいから早く来い」
紺助はしぶしぶ立ち上がり、ベットに腰掛ける。俺は紺助の背中に回りこみ、ぎゅっと抱きついた。
「わ、おい、何すんだ!」
顔を真っ赤にして紺助が叫ぶ。仕方ない、今の俺は自分で言うのもなんだけど相当美少女だもんな。
俺は紺助の耳元に囁く。
「もっといいいこと、する?」
「な、なああああ?」
紺助が俺を思いっきり振りほどく。顔どころか体中真っ赤になってた。
「そうかそうか。この姿+この格好+耳元で囁く、はそんなに破壊力があるのか。お前の家に遊びに行くたび、言ってやるよ」
「君は、馬鹿、なのか?」
ぜぇぜぇはぁはぁと紺助が肩で息をしながら呟く。
「ほら、もう信じるだろ。いくら冗談とはいえ、お前にこんなことする女はいねえよ。まだ信じないって言うなら、もっと言ってやろうか?」
「わ、わかった。信じる!」
なんか俺が脅迫したみたいな言い草だったけど、紺助は今の姿が俺だと信じてくれた。
「でもさ、なんでそんな姿に…………」
「面倒だから、説明しない」
俺はベットの空いたスペースをバンバン叩いて隣に座るよう紺助に促した。紺助はだいぶ警戒していたけど、しぶしぶ隣に腰掛けた。
「もしかして、それが原因で徒牧さんと別れたのか?」
「いや、正確には違う。桃菜は俺がこんなんになったくらいじゃ、別れようとは思わない。むしろ余計に俺を心配するだろ」
「じゃあなんで?」
「説明が面倒だって言ったろ。ただ、そうしないとあいつが危ないんだよ」
「危ない、か……。じゃあ、僕も危ないのか?」
「お前は問題ない。人質って柄じゃないだろ。攫われるのは桃色のお姫様って、相場は決まってるんだよ。赤いおっさんはお姫様を救えても、紅いお姫様にはそんな力ないから、攫われないようにしたんだ」
紺助はポカンとして聞いていた。当然、俺が何を言ってるのかこいつには三割も分かってない。ただ、聞いてるだけだ。
ピリリリリリリリリリ。
「なんだ?」
無機質な電子音が、部屋に響いた。
「僕のじゃないな。君のケータイじゃないか?」
「携帯電話か…………」
しばらくの間文明の利器が入る余地のない生活を送ってたから、その音の正体に気づけなかったが、考えてみると確かに、携帯電話の着信音だった。あ、文明の利器といえば自販機が出てきたじゃないか、壊したけど。
机の上に俺の携帯電話やその他の貴重品が置いてあった。こがねが俺の元の体を燃やす前に、回収しておいてくれたらしい。肝心のケータイは、桃菜の名前を液晶に映し出していた。メールではなく、電話だった。
「もしもし」
電話に出た瞬間、その迂闊さに後悔した。あんなことまでして桃菜と別れたのに、すぐに電話をとってしまうなんて。もっと徹底する必要がある。
「桃菜、だよな」
出てしまったものは仕方ないので、続ける。
「いや、我輩だ」
一瞬にして体が硬直した。
「なんでお前が桃菜のケータイを!」
俺が声を荒げたので、紺助が驚く。話している内容も、こいつからしたらちぐはぐだろう。
「簡単な話じゃ。誘拐したんだ。我輩たちは今、飽田公園にいる。それだけ言えば、充分じゃろ」
「くそっ!」
俺は迷う間もなく、窓からそのまま飛び出した。
俺が甘かったとしか言えない。人が今までの人間関係を、簡単に解消できるわけがない。特に俺は、桃菜を危険に晒さないようにするため別れたんだ。桃菜のことが嫌いってわけじゃない。むしろその逆で、今でも大好きなんだ。ぬらりひょんは妖怪のくせに、人の考え方を熟知していた。
いや、妖怪だからか?
俺は赤いおっさんもびっくりの脚力で跳び上がり、一瞬で飽田公園に着地した。
「はあ、はあ…………」
「もっと普通の登場ができんのか、貴様は」
俺が着地した地点を中心に、積もっていた雪が舞い上がる。雪で出来た煙幕はすぐに収まり、俺とぬらりひょん、それに桃菜は顔をあわせる。桃菜はぬらりひょんによって捕らえられていた。
「あれ、なんであのときの女の子が?」
桃菜が不思議そうに呟く。俺はもう一度、自分の姿を確認する。寝間着はいつの間にか、最初に着ていた浴衣になっていた。土蜘蛛の持つ変身能力とやらを、いつの間にか発揮したんだろう。雪女のヘアピンは未だに、前髪を留めるのに一役買っている。
「はは、ははははははははははははははは!」
これが、俺だ。土蜘蛛の変身能力をいつ使ったかは分からないけど、俺は元の体ではなく、この体を選んだ。
「俺は残念ながら、白馬に乗った王子様にも、赤い帽子を被ったおっさんにもなれそうにないな!」
なにせ、こんな姿だから。さっきまで感じていた恐怖とか焦りとか、そういったものが全部吹き飛んだ。
「何を叫んでおるんじゃ、貴様は」
俺の両足を、何かが掴んだ。それは、白い骨。がしゃどくろだ。
「学習能力の無い奴じゃ。昨日とやってることが同じだぞ」
ぬらりひょんの後ろでは、がしゃどくろが集まり、大きくなっていく。
「な、なにこれ…………」
桃菜が驚きの声をあげる。
「仕舞いじゃ、死ね」
がしゃどくろの巨大な一撃が、俺を捉える。
「はは、馬鹿じゃねえの」
俺が軽く払いのけると、その一撃は右に逸れ、地面を抉る。
「こんなんで、俺を押さえられると思ってたのかよ」
右足を蹴り上げ、がしゃどくろの手を払う。左足も同様に、払い、手を踏みつける。バキバキと音を立て、手は崩れる。
「さっさと終わらせるぞ。俺は今、イライラしてるんでよろしく」
「なあ………………」
俺は自販機まで走り、壊れていない最後の一台を持ち上げる。地面と繋げていたボルトも一緒に引き抜いて、巨大ながしゃどくろに投げつける。
「おおおおおおおおおお!」
がしゃどくろは自販機に激突し、吹っ飛ぶ。十メートルはあるんじゃないかっていうはどの巨体が、軽々と宙を舞う。
「がしゃどくろ、分裂しろ! 数で攻めるんじゃ!」
がしゃどくろはぬらりひょんの指示通り、分裂して小さくなる。膨大な数のがしゃどくろが俺を取り囲んだ。
「さすがにこの数は無理じゃろ。今度こそお仕舞いじゃ」
「甘い。甘すぎるよ」
俺と桃菜の関係も、これくらい甘いといいのに。
「土蜘蛛っていうくらいなら、これくらい出来ないとな!」
俺は跳んだ。簡単に公園全体を見渡せるくらいの高さまで跳んだ。そのまま、口から吐き出した。
「蜘蛛の……糸!」
それは公園全体に降り注ぎ、がしゃどくろを絡め取る
「な、なんだと…………」
「きゃあ!」
当然、公園の敷地内にいるぬらりひょんにも降り注ぐ。さらに桃菜にも。
「よっと」
俺の本当の狙いはこれだった。口から出た糸を手で掴み、意識を集中して操作して桃菜を釣り上げる。空中でキャッチして、着地。
「大丈夫か?」
「え、あ、うん…………」
桃菜は呆然としていた。実は俺も同じだった。こんなにうまくいくとは思ってなかった。第一、蜘蛛の糸が出るかどうかすら賭けだったのだから。
「さて、と……」
桃菜を下ろして、最後の攻撃に出る。
「終わらせようか」
蜘蛛の巣と化した公園は、俺の独壇場だった。体は今までに無く、滑らかに動く。目はいつになく、複数のものを同時に捉える。耳は人の心音まで拾う。そして。
愚かで無知な無数の蝶を、捕食する。
「それ以上は駄目だよ、あかくん」
金色の炎が舞い上がり、蜘蛛の巣が崩れ去る。
「わしらの仕事は人と妖怪の共存を図ることじゃ。ゆめゆめ、忘れるなよ」
俺の目の前に現れたのは、こがねとじいちゃんだった。
「どけよ」
「それは断るよ」
巣が焼け落ちたことによって自由になった餌が、次々と逃げる。
「奴らも、これだけの目に遭えば改心するであろう。許してやれ」
俺は急に力が抜けて、その場に倒れた。
「……分かった。でも、またあいつらが何かするようなら容赦なく喰らう。いいな?」
「うん、OK」
俺自身、何を言ってるか分からなかった。なんで俺はあいつらを食べようとしたのかまったく分からない。
もしかして俺は、越えてはいけない一線を越えてしまったんじゃないか?
「だ、大丈夫?」
気づくと、桃菜が俺の傍に来ていた。反対にこがねとじいちゃんは離れていく。
「あ、ああ。お前こそ、大丈夫なのか?」
「うん、私は大丈夫。あなたが助けてくれたから」
桃菜は俺の隣に腰掛ける。
「紅哉が来なくて、残念だった?」
俺はたまらずに、聞いた。
「実は、そうなの」
答えは、予想通り。
「でも、仕方ないよね。あっくんじゃあんなの倒せないし。それに…………」
別れちゃったから。
「だよな、あいつにお姫様を救う役は無理だ」
目から涙が、ぼろぼろと零れてく。まだ、枯れてなかったんだ。あんなに泣いたのに。
「そうだ、これ落としてたぞ」
俺は髪に挿していた雪女のヘアピンを抜いて、桃菜に差し出す。
「あ、これ。私はもういらないよ。あなたの方が似合ってるし、クリスマスプレゼントってことで、あなたにあげる」
「そ、そうか……」
絶対、お前の方が似合ってると思うのに。
桃菜は立ち上がり、俺の方を向いて言った。
「ありがとう。じゃ、私もう帰らなきゃ。両親も心配してるかもしれない」
じゃあね、またどこかで。
ああ、またな。
今日、その言葉を交わせただけで、俺は幸せだ。
「あかくーん、そろそろいくよ」
「わかった。今行く」
一月一日、元旦。鬼堂家では毎年、近くの神社まで初詣に行く。俺はもう一度、洗面台の鏡で自分の姿を確認する。
男の、元の姿の俺の姿を。
「変身能力か…………」
これは俺が元の体に戻れたということではない。ただ、土蜘蛛の持つ変身能力を使っただけだ。
玄関を出ると、家族みんなは準備を終えていた。今日は一段と冷えるみたいで、こがね以外が全員、寒さに震えた。
「寒いな。まあ、それが正常なんだろうけどさ」
「ぼくがまるでせいじょーじゃないみたいな言い草だね」
「お前は元が妖怪だろ。寒さを感じないのがお前にとっては正常なんだよ」
俺は寒さを感じないとな。人間なんだから。
神社に向かって歩き出すと、じいちゃんが声をかけてきた。
「どうじゃ? 変身の具合は」
「だいぶしっくりきてる。変身すると、土蜘蛛の力は一時的に使えなくなるみたいだけどな」
「紅哉は元が人間じゃから、変身が下手なんじゃよ。変身するのに、土蜘蛛の力を総動員しておるからの」
この姿に変身するのにけっこう練習したから、反論はできない。それにまだ不完全だから、眠ったりして意識を失ったりすると変身が解けてしまう。まだまだ課題が山積みだった。
「じいちゃん、ひとつ聞いていいか?」
「なんじゃ?」
俺はずっと疑問に思ってたことを口にした。
「今回の事件、ぬらりひょんは妖怪の衰えた力を取り戻すのが目的だったんだよな。そうしないと、妖怪が全滅するって」
事件というより、事故と表現するべきかもしれない。妖怪は元々、説明のつかない自然現象らしいし。
「それを俺が止めちゃったわけだけど、それは良かったのか?」
人と妖怪の共存を図るのがこがねとじいちゃんの仕事だったはずだ。
「じゃあ聞くが、紅哉はそのために死んでも良かったのか?」
じいちゃんはそう言った。
「大丈夫じゃ。妖怪は元々、自然現象の類じゃから滅びんよ。形を変えて、生き続ける。今回のぬらりひょんは危機感からこの事故を起こしたんじゃ。奴も悪気があったわけではない」
「俺の死体を埋めないと駄目だって言ってたけど、俺を元の体に戻して、この体を埋めちゃ駄目だったのか?」
「体は確かにそれで死ぬが、魂は生き残ってしまうじゃろう。本当の意味で死ぬには、体と魂、両方が死なんといかんかったのじゃろう」
俺の体は死んだ。でも、俺はこうして、別の体を使って生き続けている。確かにこれじゃあ、『鬼堂紅哉』は死んだと言えない。
「全部が終わったのに、まだ分からないことが多すぎるぜ」
「終わりは始まり、せいぜい頑張ることじゃ」




