2・妖怪少女
「つ、いてててて…………」
俺が目を覚ますとと、そこは天国だった。
「……………………」
さすがにそんなことはなく、俺が起きたのはぼろぼろな部屋のせんべい布団の上だった。部屋には特に装飾があるわけでもなく、周りにがらくたが散乱していた。灯りになりそうなものも無い。ただし橙色の光が部屋を閉め切っているにもかかわらず部屋に降り注いでいるので、かろうじて今が夕方だと判断できた。つまりそれはこの部屋が隙間だらけで、隙間風なるものが容赦なく俺をいじめているということだ。 雪が止んだのが唯一の救いか。
「寒っ……くない」
今日で何度目になるか分からない台詞を言おうとして、言わなかった。寒くないのだ。よく自分の体を確認すると、今まで着ていた私服ではなく、浴衣で身を包んでいた。しかも異様にカラフルな、夜中でも目立つこと間違い無しな柄だった。確実に女物だろう。浴衣なんてどれも一緒に見えていたが、こがねがいつも着ているせいで、浴衣を見る目が少し肥えたようだ。こんなもん一枚では普通寒いだろうに、何故か寒くない。部屋には暖房になりそうな物は一切無い。これじゃあ俺もこがねのことを笑えない。それとも、和服って実は暖かいのだろうか。
「しかし一体、何があったんだ?」
とりあえず部屋を物色するために、俺は体を起こした。あ、足はやっぱり裸足なのか。どうりでスースーするわけだ。しかし胴回りが少しきつい。浴衣なんて初めて着るから、動きづらいな。立ち上がった俺は、さっそく辺りのがらくたを見た。うん、これといって特徴のある物は無いな。ここがどこなのかも特定できない。
「ていうかさ、俺、背縮んだ?」
気のせいか、視線がいつもより低い気がする。たぶん気のせいだ。
「前髪が邪魔だー」
前髪が目にかかってきたのでうっとおしく思い、後ろに移動させようとした。
「………………………………」
そこでやっと、違和感に気づいた。
前髪が長い? うっとおしく感じるほど?
普通そんなに伸ばしっぱなしにするだろうか。邪魔に思ってるなら、切ればよい。さらに問題だ、はたして俺はそんなに髪が長かったか。そりゃ、今日はこがねに桃菜と、二人に長い長いと言われたが、それは男としての基準だ。しかも自分でうっとおしいと感じるまであえて伸ばすか? そりゃただの馬鹿だろう。
「か、鏡はないのか?」
そういえばさっきから、声が普段より高いなぁと思っていた。風邪だと思ったけど、声が高くなる風邪ってなんだ。
「よーし、落ち着け」
がらくたの中から見つけた鏡に手を伸ばす。その手が白く、細いことに気づく。
「きっと気のせいだ」
いくつもの違和感がひとつになって、俺に最悪の結果を想像させる。
「どう考えてもありえないって」
そう、無理だろ、普通は。
「論より証拠だ。さっさと確認だ」
呪文のごとく自分に言い聞かせ、鏡を覗き込む。蜘蛛の巣と埃だらけで、まともに使えそうな物ではなかったので、浴衣の袖で拭こうとして、なんか汚したくなかったから、布団で拭いた。
かくして鏡に映りこんだのは。
普段見慣れた鬼堂紅哉ではなく。
見知らぬ少女だった。
腰まで伸びた黒く、艶やかな髪。細くて白い、簡単に折れそうな、野花の茎を思わせる四肢。身長はおそらく百五十センチ後半。顔は幼さを残しているが、花の蕾を思わせる唇は大人っぽくて色っぽい。こんなのに耳元で囁かれたら、絶対どぎまぎするか、悶えるだろ。そんな妖艶さも持ち合わせていた。子供だと思ってたら痛い目見るぜ。
…………なんか自分の容姿を説明するのに、四行も使ってしまった。しかも半分以上何言ってるんだかだ。どんだけ自分好きなんだよ。
「桃菜の浴衣姿を見てなかったら、自分に惚れてるとこだったぜ」
ほんとスイマセン。意味不明な状況なんで、こうでもしないと崩壊しそうなんです。
「よし、今度この格好で紺助の耳元でなんか囁こう」
全然よし、じゃねえ。
「お、落ち着け、俺」
いろんな意味で落ち着け。まず状況を確認するんだ俺! まず巷で有名な変な人、不審者に会っただろ、そんで、なんか変なこと言われて、言い返そうとしたら、目の前が真っ白になったんだ。
「俺、ポケモンバトルに負けたっけ?」
全然違う、何言ってんだ。ポケモンバトルで負けたらポケモンセンター行くだろ。
「所持金は、減ってるとかいうレベルじゃねえぞ」
荷物はおろか、服まで盗られてんだから。それじゃあ、スーパーで買った物も無いんだよな。どうすんだ、家族のクリスマスのご馳走は俺の双肩に懸かってたんだぞ。
「それにしても、何で寒くないんだ?」
やっと落ち着いたのか、疑問は一番初めに回帰した。こがねは体がふぁいあーしてるとか言ってたな。どんな理屈だ。
「そもそも、正確には寒くないわけじゃないんだよな」
落ち着いて気づいたんだけど、この感覚は寒くない、というのとはまた別だ。なんというか、『これが寒いってことかー』みたいな、『だから何?』みたいな。体が寒さに対して無関心になった感じだった。
「最後の疑問、何で俺の体がこうなったんだ?」
今までの疑問がさして解決した気もしないが、とりあえず保留。全ての元凶へと踏み込もう。
何で誘拐されたとか、何で寒くないとかは、実はどうでもよかったりする。一番の疑問は、なんで俺がこうなったかだ。誘拐に関してはどうとでも説明できる。後で犯人に直に聞いてもいいだろう。寒さも同じだ。実はこの部屋にすごい性能の暖房があったとか、この浴衣がヒートテックだったでもいい。ただし、この体だけは、説明がつかない。犯人に聞いても納得できなさそうだ。特殊メイクではあるまい、この妖艶な口元は。いやいや、なにもそこに限らなくてもいい。背は明らかに元々の俺より低いし、手足は細い。これは特殊メイクでは無理だろう。
「限界、もう無理」
ぐるぐると、いろんな考えが低回したが、どれも確証は無く、その生産性の無さに呆れた。自分のことは自分が一番知っているけど、さすがにこのイレギュラーは未知だ。そもそも自分の体じゃない。
隙間から降る日はいつの間にか少し紫がかっていた。もうすぐ、日没だ。
「腹減った」
昼から何も食べてないからな。こればっかりは、俺が悪い。じいちゃんの言うとおり何か食べておくべきだった。まったく、年長者の意見はないがしろに出来ない。
「何がなんだか、さっぱりだ」
名探偵失格だな。別に名乗ってないけどさ。
「推理は省いて、ショートカットしないとね」
いつか読んだ小説の語り手が言ってた台詞をうろ覚えで言ってみた。さらに嘘だけどとか言ったら、俺があの小説家のファンであることが露呈するな。てか、これってパクリになるんだろうか。パロディのつもりなんだけど、念のため読者の皆さんに言っておくか。
みなさーん、さっきのはパロディですよー。
パロディって分かる人にしか分からないから、あんまり好きじゃないんだけどね。使うときは、できるだけ有名どころを使うし。それを思えば、さっきのは失敗の部類に入るパロディだろ。完全に俺の趣味の領域だ。
不意に、部屋が少しだけ暗くなる。部屋の入口のふすまの前に、人が来たからだ。
「さてと、そろそろ閑話休題だ」
店じまいとも言う。ちょっと古い言い方だけど。
「犯人さん、いらっしゃーい」
個人的には満点に近い、分かりやすいパロディと共にふすまは開いた。
「我輩はぬらりひょんという。貴様、名前は?」
「俺は鬼堂紅哉だ」
「ほう、魂に合った、よい名だ」
「誉めるなよー。照れるぜ」
はい、今の会話でおかしなところがいくつあったでしょうか。
「ぬらりひょん? 妖怪の?」
「他に誰がおるんじゃ?」
スーパーの前で目撃した、坊さんみたいな男が俺の目の前にいる。こいつが誘拐犯なのは間違いないとして、こいつの言っている意味が分からない。
今、俺の常識を引っくり返す作業が始まった気がする。まぁ、体がこんなんになってる時点で、常識も何もあったもんじゃないだろう。
「証拠を見せてくれよ。信じれないぞ」
「ふむ、良かろう。お前たち、入って来い」
ぬらりひょんが手を何回かぱんぱん叩くと、ふすまが開いて何かが出てきた。
それは三人だった。いや、三人と呼んでも良いものか判断がつかないが、真ん中のが一見、普通の人だったのでそう表現してしまった。右にいるのはザ、河童といった感じの奴だ。真ん中の人は着物を着た女の人で、とても美人だ。左のは骸骨だ。理科室にいそうな。
「右が河童。こいつは説明不要じゃろ。真ん中が川姫。見とれるでないぞ。魂を盗られるぞ。左ががしゃどくろ。本当はもっとたくさんいるが、今は用事があって出払っておる」
「お、おう……」
そう言い切られてしまうと、返す言葉が無いんですが。
しかし認めて良いものか、妖怪の存在を。じいちゃんの普段住んでいる島にはいると言っていたし、親父も昔は見ていたらしい。全てじいちゃんの言葉なので、鵜呑みは難しい。俺がこがねくらい小さい頃なんかは、じいちゃんの話す妖怪話をいつも楽しんでいたものだ。いつからだろうか、妖怪なんてものを否定し始めたのは。中学に上がる頃には、もう信じてなかったな。
人というのは、知識が増えれば増えるほど、純粋から遠ざかるものだと、つくづく思う。俺は私立の中学に入学するために、小学生の時から勉強ばっかしてた。だから運動が嫌いなんだが。勉強して知識を増やすと、今まで信じていたものが全部裏返った。だから同級生からしたら、非常につまらない奴だったんだろうな。実際、中学入るまでは友達がいなかった。
もう一度、純粋になれということか?
「分かった、信じる。だから俺の体について説明してくれ」
「よかろう、説明しよう。ただ、どこから説明していいか分からんがな」
彼らの説明をまとめておこう。なにせたびたび古い言葉や表現があったため、国語、とりわけ古文が苦手な俺が理解するのは容易ではなかったからだ。逐一ここに書いていては紙幅がいくらあっても足りない。
妖怪、それが彼らの正体である。元々は昔には説明のつかなかった自然現象で、それを人々が恐れると同時に敬うがゆえに、彼らは姿を持って存在しているという。だから、今の科学では証明できない心霊写真も、特別な呼称や姿が無いだけで、広義では妖怪といってもいいらしい。
「妖怪とは、言ってしまえば何でもありじゃ。妖精とか神様も、妖怪と言っていいのだからな。この世に存在する魑魅魍魎を、日本人が妖怪と言っているのだ」
ぬらりひょんはこう言った。
ぬらりひょん。漫画やアニメのお陰でいわずと知れた妖怪。妖怪の総大将だ。ぬらりひょんは人の心理につけこむのが得意で、伝承によると民家の軒先に勝手に上がり、気づかれずにお茶を飲んでいたりしたそうだ。それ以外の詳しいことは載っておらず、有名でありながらどんな妖怪かは分からない。伝承によって妖怪ってのは説明がまちまちだから、ディティールにこだわる必要は、無いんだろうけど。
「我輩たちの目的より、まずは貴様の体について、説明しておこうか」
「それなら、私がしましょうか?」
ぬらりひょんの隣に控える三人の妖怪の内のひとり、川姫が名乗り出た。
「そうだな、頼むとしよう」
ぬらりひょんは川姫に場を譲る。
「えーっと、鬼堂君、でよかったよね。まずは安心してほしい。君の元の体は無事だよ。君が私たちの仕事を手伝って、終わらしてくれたら、君を元に戻そう」
「元の体? 戻れるのか?」
川姫の言葉から察するに、俺は一応、戻れるらしい。仕事っていうのが胡散臭いが、そこは目を瞑ろう。さらに川姫は、俺の元の体があると言った。
「俺の元の体があるってことは、この体は誰なんだ?」
さらに、どうやってこんな状態にしたんだ? 謎が噴出した。
「それだよ、私が今説明しようとしたのは。私はね、私に見惚れた男の精気、正確には魂を吸い取れるの。それを利用して、君の魂を吸い取ったんだよ。それをその体に突っ込んだ。簡単なことなの」
つまり、妖怪としての能力を使って俺の魂を別の体に移し変えたのか。
「そんな融通が利くものなのか? 妖怪の力って」
「普通ならまず無理だよ。でも、今の君の体に残っている力を使えば、何とかなるの」
それは、どういうことだ? 俺の今の体に、何の力があるというのだ。
「結論を言ってしまうとね、今の君の体も、妖怪なんだよ。土蜘蛛っていう妖怪のね」
「土蜘蛛? 今の俺の体が?」
ぬらりひょんが補足する。
「土蜘蛛とは、文字通り蜘蛛の姿をした妖怪じゃ。人間の残した伝承を頼りに説明するなら、そうなるのう」
「でも、今の俺は蜘蛛の姿じゃねえぞ」
「我輩たちが見つけたそれは、土蜘蛛の死体じゃ。最初からその姿をしておった。土蜘蛛は変身能力を持っておって、人に化けるんじゃよ」
「正直、君の魂を入れると元の蜘蛛の姿に戻ると思ってたんだよね」
ようするに、見つけた土蜘蛛の死体に俺の魂を入れたら、俺がこの体で復活したのか。
「さっきも言ったように、私は魂を吸い取ることができても、それを他の体に入れるとかは出来ないんだよ。でも、土蜘蛛には不思議な魔力が宿ってて、その力で君の魂とその体を繋いだんだ」
「魔力?」
ロールプレイングゲームじゃないんだぞ。妖怪に魔力なんて、聞いたこと無い。
「そう、土蜘蛛には魔力が宿ってる。人間は理解できなかったみたいだけどね。伝承には詳しく書かれてないけど、私たち妖怪はよく知ってる。土蜘蛛の持つ魔力とは、妖怪の力を高めるための力なんだ」
「妖怪の力を、高める?」
だから川姫の力が強化されて、男から精気、正確には魂とやらを吸い取るだけでなく、それを死んで魂の無くなった体に入れることができたのか。信じがたい話だ。信じるしか選択肢がなかったとしても。
「それじゃあ、ぬらりひょんが魂がどうの言ってたのは?」
「土蜘蛛の魔力で私の力を高めても、魂が体に合ってないと駄目だからね」
そのために、土蜘蛛の体に合った魂を探してたのか。ぬらりひょんが俺に『性別が問題』とか言ってたのは、この体が女だったからだな。
「俺がこんなんになった仕組みはよく分かった。で、お前ら妖怪は何が目的なんだ?」
「それじゃよ、本題は」
ぬらりひょんは言った。
「ひとつ聞くが、貴様はこうなる前には妖怪というものを信じておったか?」
「いや、信じてなかった」
「じゃろうな。それが我輩たち妖怪にとって問題なんじゃ。さきほども言ったように、我輩たちは元々、説明がつかなかった現象。それらに人間が勝手に姿をつけただけじゃ。つまり、妖怪は人間の影響を非常に受けやすいんじゃ」
「動物みたいに、都市開発で住処を追われたのか?」
「そうではない。人間が妖怪を意識しなくなった、あるいは存在を否定し始めたのが原因じゃ。最近の科学の進歩のせいでな」
今まで説明のつかなかったものが、ひとつひとつ、解明されていくたび、妖怪は存在を否定される。ひとつ否定されれば、他の者もどうせ……、となっていくわけか。
「例えばひだる神といわれる、山にいるという、人にとり憑いて一歩も動けなくする妖怪がおる。これは火山地帯の周辺で遭遇することから、火山から噴き出す有毒のガスが原因だとされた。あるいは、山で極度の疲労状態にある人が見た幻覚、とな。そう説明された人間はひだる神の存在を信じなくなったのじゃ。お陰でひだる神は今、絶滅寸前じゃ」
「ひとつでもそういう事例ができれば、他の者もそういう可能性が出てきて、妖怪そのもが否定された、と」
「そういうことじゃ。しかしそこは妖怪、簡単に消えやせんのじゃ」
「え、じゃあなんでこんな説明したんだよ」
使った十数行返せ。
「まだ話はここからじゃ。そう先走るでない。我輩は妖怪の総大将として、全国を巡って妖怪の生活を見ておるのじゃ。そしてここに来たとき、とても驚いた。何故か分かるか?」
「妖怪の数が、少なかったのか?」
「その通りじゃ。さらに言うなら、妖怪退治の専門家の数が、異様に多かったんじゃ。我輩はすぐに他の妖怪を探したが、いたのはこの三人だけじゃ。ああ、がしゃどくろはもうちょっとおるが、やはり数は多くない。このままでは我輩たちは絶滅してしまうんじゃ。だから、貴様の手を借りたい。それが仕事じゃ」
結局、俺に選択肢は無いんじゃないか、それ。
「分かってるよ、やりゃいいんだろ。早く元の体に戻りたいしな」
何せ今日、桃菜とのデートがあるからな。早くしないと、間に合わない。空を見る限り、まだ約束の時間ではないんだろうけど、仕事にどれだけ時間がかかるか分かった物じゃない。
「仕事は飽田公園で行うことだし、移動しながら説明しようか。まだ暗くなっておらんから、妖怪退治の連中もまさかこんな時間に動くとは思わんじゃろ」
そうそう、飽田公園に午後五時だったな。
「…………ちょっと待てぬらりひょん、今なんて言った?」
「妖怪退治の連中に……」
「違う! その前」
「仕事は飽田公園……」
「それだ! なんで飽田公園なんだ!」
妖怪ってのは揃いも揃って俺の恋路を邪魔したいのか?
「それに妖怪退治の連中って!」
そんなことしたら、間違いなく桃菜が巻き込まれるだろ! ……ちょっと落ち着け俺。まだ決まったわけじゃない。午後五時までに終わらせれば、桃菜が巻き込まれる心配は……。
「ぬらりひょんさん、そろそろ五時……」
「ぎゃああああああああああ!」
川姫のその言葉に絶叫して、俺は部屋を飛び出した。
雪の積もった道を全速力で駆けて、俺は飽田公園に到着した。俺がさっきまでいたのは古びた寺で、俺の知らないところだったので、道に迷いまくってしまったが、奇跡的に辿り着いた。足もびっくりするくらい速かったし、これだけ走ったのに息があがってない。これが火事場の馬鹿力だろうか。
飽田公園はいろんな遊具のある公園だが、そこまで広いわけではない。俺はすぐに柱時計の近くにいた桃菜を発見することができた。時間は午後五時ぴったりだった。
「あ、桃菜!」
「え、はい?」
桃菜はきょとんとした顔で俺を見た。なんでだろう。
「早く逃げろ! 説明は後だけど、大変なことになるぞ!」
「え、ええっと……」
桃菜はいまだに煮え切らない態度だった。
「早く!」
「あなたは誰ですか?」
「え、俺だ。あか……」
そこでやっと、桃菜の態度の理由に行き当たった。
「しまったああああああ!」
今の俺、姿がまったく違うじゃん! 今の姿じゃ、桃菜に何言っても理解してもらえない。いや、そんなことを言っている暇はない。とにかく桃菜に理解してもらって、ここから出てってもらわないと。妖怪退治が来たら巻き込んでしまう。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ」
「まずあなたが落ち着いたら? 大丈夫?」
心配されてしまった。
「あなた、そんな格好で寒くないの? 何も履いてないじゃない」
そういえば裸足だった。急いでここまで来たのでそこには意識がまわらなかった。雪まで積もってるのに寒くないとはこれいかに。
「いや、俺はいいんだ。えーっと、それで……」
何とかして俺の身に起きた事情を話して、理解してもらわないと。でも。
「どうやって説明したらいいんだああああああ!」
俺だって自分の体と妖怪三人の登場でやっと納得したのだ。今の事情は相当ややこしく、複雑だ。俺も全部理解してるとは言いがたい。仕事を手伝えば元の体に戻れるとか、そのくらいしか理解してない。どうやって説明したら桃菜に信じてもらえるんだよ。実物を見せた方が早そうだけど、肝心のぬらりひょん達を置いてきてしまった。
「ほ、本当に大丈夫?」
「はぁ、めまいがしてきた……」
ここにきて全力疾走のツケが跳ね返ってきた感じだ。息切れまでしてきた。慣れないことはするもんじゃない。
「と、とにかく、ここから逃げてくれ! 紅哉って人からの伝言で……」
「え、あっくんから?」
最初からこうすればよかった。俺を紅哉だと信じさせるより、俺が紅哉から伝言を貰ったことにすれば桃菜は簡単に信じてくれる。俺は桃菜をここから避難させたいのであって、この姿を紅哉だと信じさせたいのではない。危うく目的と手段を間違えるとこだった。
「は、早く……」
「う、うん!」
桃菜は走って公園の出入口へ向かった。ついに公園から逃がすことに成功した、と思ったときだった。
「あ……」
桃菜が声をあげる。俺は桃菜の方へ視線を移動させる。桃菜が向かった出入口には、既に人影があった。どうみてもぬらりひょん達のものではない。背の低い、子供のような影だった。
「いやー、びっくりぎょーてん。まさかこんな早く動くとは思ってなかったからね」
その声は、聞いたことのあるものだった。
「なんで、お前が……。どういうことだよ、こがね!」
「あれ、なんでぼくの名前知ってるの?」
きらきら光る短めの金髪が特徴的なその姿は、間違えようもなく火元こがねだった。
「お前が、妖怪退治の……」
「うん、そうだよ。せーかくには退妖師っていって、陰陽師みたいなもんだよ」
こがねはにこやかに答えて、近くにいた桃菜に気づいた。
「あれ、ももちゃんだ。こんばんはー」
「こ、こんばんは……」
桃菜はぎこちなく挨拶を返した。こがねは辺りをきょろきょろと見渡してからこう言った。
「あれ、あかくんは?」
「それが、時間になっても来ないの」
俺が紅哉だと叫びたかった。
「しょうがないなぁ。買い物の荷物は玄関におきっぱだったし」
とりあえず、買い物の荷物は無事だったみたいだ。
「ももちゃん、ここ危なくなるからひなんしてくれる? あかくんが後から来たら伝えとくから」
「あ、うん」
桃菜は走り去ってしまった。なんか、悲しかった。これが最後の別れじゃあるまいに。
いや、俺次第でそうなってしまうのか。
「俺と桃菜の恋路を邪魔する奴は、誰でも容赦できないな。それがお前だったとしても!」
「うん、何か言った?」
「いや、何も」
今の聞かれてたらけっこうまずかった。発言には気をつけよう。
こがねが俺に大声で尋ねる。
「ねえ、そこの季節感ゼロな格好の人」
「お前に言われたくねえ! お前だって浴衣だろ。見てるこっちが寒いんだよ!」
俺は好きでこんな格好してるんじゃない。
「何が目的で妖怪の力を高めよーとしてるの?」
「俺も詳しくは知らん。ただ、このままだとこの辺りの妖怪たちが全滅するって聞いただけだ」
「どうやってそれをするの?」
「俺が聞きたい」
こがねは小首をかしげて呟いた。
「えーっと、馬鹿なの?」
「てめえ俺が聞いてないとでも思ったのか!」
言い方が酷すぎるだろ!
「俺は早く元の体に戻りたいから、この仕事を請けたんだ。詳しいことなんてどうでもいいだろ」
「元の体?」
こがねが反応した。
「お前に説明する義理はないし、説明するのもめんどくさい。とにかく、お前は俺の邪魔をするのか?」
「うん」
「だったら、力づくでも帰ってもらう」
もうとっくに桃菜との待ち合わせの時間は過ぎてるし、桃菜はどこに行ったか分からない。早く元の体に戻って桃菜のところに行きたいんだ俺は!
「そんじゃ、火元こがね、いきまーす」
「いつ初代ガンダム見たんだ?」
早速動いたのはこがねだった。一瞬で俺の懐に潜り込み、鳩尾に一撃、入れられる。
「がああああ!」
俺はそのまま吹っ飛んで、公園に三台ある自販機のひとつに激突した。衝撃で自販機が大きく歪む。
「がっ、くそ……」
「まだまだこっからだよ!」
「うわっ!」
こがねがこっちに跳び蹴りを打ち込んでくる。俺は必死になって転がり、ぎりぎりでそれをかわす。雪が浴衣の裾に入り込み、さすがに冷たく感じた。豪快な音と共にこがねが突っ込み、自販機が崩壊する。
「ひ、ひいいい」
あれを喰らっていたら、死んでたな。
「お前、本当に人かよ!」
「ううん、実は妖怪だよ」
「やっぱりなあ!」
こがねは右手に自販機の破片を握り締めながら立ち上がる。
「これでお終いっと」
「うわあああ!」
こがねが破片を俺に向け、高速で突っ込む。破片は浴衣を貫通して、そのまま俺の胸へ…………。
「…………あれ?」
「え、なんで?」
お互いに驚きのあまり、動きが止まる。
「なんで、刺さらないの?」
こがねが俺に突き立てた破片は浴衣を貫通したものの、それ以上刺さることはなかった。
「チャンス!」
「うわっ」
俺はこがねの胴体を思いっきり蹴って、遠くまで押し出す。こがねは数メートル吹っ飛び、雪が積もった地面に倒れる。
俺は浴衣を軽くめくって、刺された場所を確認してみた。まさしく雪のように白い肌にはポツンと、赤い血の花が咲いている。ほとんど外傷無しだった。
「まさか、これが土蜘蛛の…………」
「つ、土蜘蛛?」
こがねは立ち上がるなり、再び跳び蹴りを打ち込んでくる。俺は両腕を交差させ、構える。
「うおおおお!」
こがねと正面から衝突、びりびりと衝撃が体中に伝わる。しかし俺は自販機を崩壊させた蹴りを受け止めた。無論、無傷で。
俺はこがねを弾き返してから言った。
「どうも、土蜘蛛は体の頑丈さが尋常じゃないらしいな」
「本当に土蜘蛛だったら、手加減できなくなっちゃうよ」
そう言ってこがねが右腕を上げる。すると周辺から金色の炎が現れ、地面をなめるようにこっちへ向かってきた。
「何だそれ!」
あまりにも予想外の技に面食らってしまい、動けなかった。そのまま炎に飲み込まれる。
「あっつ!」
雪の上を転がり、引火した炎を揉み消した。浴衣はあちこち焼け焦げて、ぼろぼろになってしまった。
「ネタばらししちゃうと、ぼくは麒麟っていう妖怪なんだ」
「嘘吐け! どうみてもお前は人型だろ!」
麒麟ってあのキリンビールの麒麟だろ! 全然姿が違うじゃねえか!
「さあ、なんででしょー」
「くっそ……」
こがねの動きに合わせて、金色の炎が俺を襲う。麒麟かどうかはこのさいどうでもいい。とにかくこの炎を何とかしなくては。
「そうそう、土蜘蛛って炎に弱いんだよね。人間の残した伝承には、燃やされて退治される話がいくつもあるし」
「それ本当か?」
だとしたらまずい。相当まずい。こがねは俺と相性最悪ってことじゃん。
「みずタイプがいればなあ……」
ほのおタイプ相手なら、ラグラージとかが良さそうなのに。俺は最初のポケモン絶対くさタイプなんだよ!
「ポケモンの最初の三匹って、くさタイプが一番優遇されてないよね。弱点多いし、二タイプになったのDSからだし。あかくんがくさタイプ選んでるの見て、ばかじゃねーのって思った」
「ちくしょー!」
返す言葉がねえよ。
「そうだ、雪!」
水といえば、雪がたくさん積もってたじゃん。これで何とか……。
「うん、それされると困るから攻撃しながら溶かしてたんだよね」
完全に読まれてました。もう打つ手がない。
「だいぶ頑張って逃げてるね。あかくんに見習わせたいよ」
「どういう意味だ!」
俺が紅哉だと知らずに! ……待て。
確かに、こがねの言うとおり、今の俺の運動量は凄くないか? どこにあるかも分からない寺から飽田公園まで道に迷いながらも全力疾走して、こがねに殴られ飛ばされたり。普段の俺ならとっくに力尽きている。つまり体力が尋常ではないのだ。これは、体の頑丈さでは説明がつかない。土蜘蛛は体が頑丈なだけでなく、体力も膨大に持っているのか? そういえば、さっきこがねを殴り飛ばした。これも普段なら出来ないことだ。
「実験だ」
俺は自販機まで走っていって、持ち上げてみた。
「う、おおおおお!」
片手では少しきつかったが、両手でなら軽々と持ち上がった。
「体の頑丈さには驚いたが、体力、筋力もおかしなことになってるな」
まあ、そうでなかったら道に迷ったのに数分でこの公園には辿り着けまい。
「だったら、勝てる!」
俺は自販機をそのままこがねに投げつけてやった。
「えええええ!」
こがねは驚きながらも炎を使って自販機を溶かしにかかった。どんだけ火力あるんだよ。
「これでどうだあああ!」
俺はさらに正面から突撃した。丁度自販機は溶けてどろどろになっていたので、その自販機を突き破って殴りかかった。
「あっつ!」
当然、どろどろになった鉄の塊に突っ込んだんだからそうなる。本当はこがねが自販機を避けた隙に近づくか、炎を使うようなら自販機を盾にして正面突破するつもりだった。まさか自販機を溶かせるとは思ってなかったので。
「うあああ!」
灼熱の鉄の海と化した自販機をなんとか潜り抜け、こがねの正面に出た。自販機を突き抜けた勢いのまま、こがねを殴り飛ばす。
「よっしゃあ」
喜んだのも束の間、自販機が俺の体に降り注いだ。
「ああああああ!」
馬鹿だ俺。
「熱い! 熱い!」
なんとか自販機の海から脱出して、こがねの方を向いた。
「どうだ、まだ戦うか? 俺は負ける気しねえぞ」
こがねはしばらく、腕組みをして考えてから言った。
「よし、今日のところは勘弁してあげてもいいよ。でも次はそうはいかないから、覚悟しててね、土蜘蛛のお姉ちゃん」
こがねは金色の炎をまといながら、走り去った。
「…………だれが土蜘蛛のお姉ちゃん、だ」
俺は男だっての。まあでも、なにはともあれ、勝った。
「あーあ、疲れた」
俺は浴衣がどろどろになるのも構わず地面に寝転がった。地面はこがねが雪を溶かしてせいでどろどろのびちゃびちゃになり、俺が倒れるとぐちゅっと音を立てた。
「随分ぼろぼろのようじゃが、勝ってくれて助かったぞ」
声がする方を振り返ると、ぬらりひょんがいた。
「なんだ、いたのか」
「実は最初からおった」
「そっか。それにしても、土蜘蛛の力くらい、教えてくれればよかったのに」
「それも全部、移動中に話すつもりじゃった。貴様が飛び出すから、説明できなんだ。しかも、戦闘能力をもってない我輩は退妖師を追い払うにあたって、貴様の力を頼りにしてたのじゃ。」
頼りにされてもなあ、と思う。元々の俺は運動嫌いな高校生だ。頼られる柄じゃない。
「よくぞ戦闘中に土蜘蛛の能力に気づいたのう。最初のうちは冷や汗だくだくで見てたのじゃ」
「土蜘蛛の能力ねえ。頑丈さと、体力と、筋力か」
「正確にはそれだけではない。土蜘蛛は妖怪のスーパースターと呼ばれるだけあって、もっと多彩な能力を持っておる。伝承によって土蜘蛛の記述が曖昧なのは、それが原因じゃ」
「多彩な能力?」
「そうじゃ。例えば、変身能力。今の貴様のおなごの姿も、それによるものじゃ。土蜘蛛とは本来、文字通り蜘蛛の姿をしておるのじゃから」
確かに、寺でそんなこと言ってたな。じゃあ、もっと俺がこの体に慣れれば、いろんなものに変身できるのか。
「ま、興味深い話ではあるけどさ、俺は早く元の体に戻りたいな。さっさと仕事とやらを終わらせようぜ」
「そうじゃな、では、こっちへ来い」
ぬらりひょんに導かれるまま、俺は公園のど真ん中まで来た。途中、溶けた自販機の海に足を突っ込んでしまった。だいぶ冷めてたけどまだ熱かった。そういえば、飽田公園を滅茶苦茶にしてしまったけど、どうするんだろう。自販機を二つも壊してしまった。その内、自販機ひとつは俺の責任なので困る。後で弁償させられるだろうか。いや、大丈夫か。なにせこの体だし、俺が鬼堂紅哉だとは誰も気づけまい。
「ここでやるのか?」
「そうじゃ。ここは風水の観点から見て、非常にいい場所じゃ」
「風水? 何の関係があるんだよ」
「簡単に言ってしまえば、ここは力の川の源流ということじゃ。ここにあった魔力が失われ、妖怪たちは衰えていった。だから、ここに新しい魔力を流すんじゃ」
「つまり、ここにあった魔力が枯れたから、妖怪たちが衰えた。だから土蜘蛛の持つ『妖怪の力を高める魔力』を新しく流すのか」
風水には詳しくないが、泉穴とか風穴とかいうやつだろうか。ここがこの地区の中心地ってことか。
土蜘蛛の魔力が必要、だけど持ってるのは死体だけ。そこで俺の出番だったわけか。
「どうやって流すんだ?」
「そればっかりは分からんよ。貴様で何とかしてくれ」
すごい投げやりに言われてしまった。しかし、こんなところでめげるわけにはいかない。早く元の体に戻って、桃菜のところへ行かなくては。
「こんな感じか?」
とりあえず、地面に両手を置いて、『流れろ!』と念じた。
「お、おお…………」
変化はすぐに訪れた。だんだんと周りが暖かくなったような気がして、体に力が漲る。あちこち痛んだ体も楽になっていく。
「ぬらりひょん、こんなんでいいのか?」
「おお、こんな感じじゃ。これで我輩たちは安泰じゃ!」
地面から手を放し、辺りを見た。見た感じ変化はないが、体が軽くなって、気分がよくなる。他の妖怪も同じ感覚に包まれているのだろうか。
「よし、やっと終わった。これで……」
元の体に戻れる。そう言おうとしたときだった。
俺の両足を何かが掴んだ。
「なっ……」
それは地面から生えた、骸骨の手だった。ひんやりと冷たく、鳥肌が立った。
さらに周りからは、たくさんの骸骨が現れた。夜の帳を引き裂いて、白い骸骨がひとり、またひとりと。
「よう来てくれた。がしゃどくろ」
それは、寺にいた三人の妖怪の内のひとり、がしゃどくろだった。
「な、何の真似だ……。元の体に戻してくれるんじゃないのか?」
俺の疑問に、ぬらりひょんが答える。その後ろでは、がしゃどくろが次々と集まり組み合わさって、ひとつの大きな骸骨になっていった。
「実は、貴様が流してくれた魔力じゃが、すぐに尽きてしまうんじゃ。維持するには、貴様の死体をここに埋めねばならんのでな。すまんが、約束は守れん」
巨大化したがしゃどくろの一撃が、俺に振り下ろされた。