1・日常の転換
六時半にセットされた目覚まし時計よりも、俺は早く起きてしまった。正確には、起こされてしまった。
「へーい、おきろ!」
俺の部屋に入ってくるなり騒がしい奴のせいだ。
「なんだよ、まだ三十分あるだろ、何か用か?」
「雪、雪ふってるよあかくん!」
そいつはキラキラ光る短い金髪で、浴衣を着た女の子だ。体は小さくて、肌は雪のように白い。
「雪かぁ、外出たくねえな」
「うわー、真っ白だ!」
そいつはあろうことか部屋の窓を全開にしやがった。
「寒っ! こがね、何で窓開けるんだ!」
「えー、だって雪見えないじゃん」
この金髪女は火元こがね、という。じいちゃんが連れてきた子だ。母方のじいちゃんはもう亡くなってるけど、父方のじいちゃんは年金暮らしと思えない元気さだ。普段は実家である鹿児島の離島にいるが、たまに家まで来る。そのとき、いつからかじいちゃんと一緒に家に来るようになったのがこがねだ。小学校に通っている年頃の筈なのに、平日でも家でだらだらしている変な奴だ。
「あのさぁこがね、お前いつも浴衣だけど寒くないのか?」
「ぼくは体が火山のようにふぁいあーしてるからね、へいき」
「理由になってない気がするな」
けっきょく俺はベッドから降りて洗面所へ向かった。もうひと眠りしたかったけど、三十分という時間は微妙だ。寝坊しかねん。
洗面所で顔を洗ってると、またしてもこがねが乱入してきた。
「やー、今日も冴えない顔ですなぁ」
「顔は毎日同じなんだから、それじゃあ毎日冴えないことになるだろ。しかも俺が彼女持ちだという事実を考えろ。お前の意見は独りよがりなひがみになるぜ!」
「うわー、のろけ話は聞きたくないなー。あかくん暇になるとそればっかだもん」
「うっせ。飽きるまで聞かせてやろうか?」
「いいですよーだ。そういえばあかくん、髪のびた?」
「タモさんかよ」
「タモさんは『髪切った?』だよ」
「そっか。髪は伸びたんじゃなくて伸ばしてんだよ。夏にばっさり切っちゃったから」
「前髪邪魔じゃないの?」
「そんなに邪魔になってねえよ。お前の方が長いだろ」
こんな会話の後、ダイニングへ行き俺とこがねは朝食をとった。トーストと牛乳だ。俺は朝に弱くて、朝食はいつも少なめだ。パンだって一枚だし。
男の子にしてはいつも小食だよね。朝食に限らず」
「いいだろ別に。お前だってそんなに食わねえだろ」
「女の子とひかくされてもねぇ」
ま、確かにこいつの言うとおり、俺は小食だな。だからといって体重が軽いわけでも痩せてるわけでもないから、健康に影響は無いだろう。
「あかくんも運動すれば大食いになるかもなのに」
「運動は嫌いなんでね」
これから雪の降る中、学校に行くだけでも憂鬱だ。
「やっぱ寒いなぁ」
家を出て学校に向かうが、寒くて仕方なかった。家から学校まで、そこまで距離があるわけでもなく、徒歩で行ける程度だ。しかし寒いものは寒い。うっすらと雪が積もっていて、灰色のコンクリートは白くなっていた。これから歌舞伎でもやる気か?
二十四日といえば世間では冬休みで、しかもクリスマスイブだ。雪も降っているから、ホワイトクリスマスってわけだ。なんでこんな時に学校に行かなくてはならないのかというと、補習があるからだ。俺の通う霞高校はそれなりに進学校なので、夏休みや冬休みといった長期休暇の時にも補習があって、それに参加しなくてはならない。まだ一年生の俺からしてみれば、大学受験なんかまだまだ先の話だろうに。
「よっ、あっくーん」
「おお」
歩いている俺を後ろから追いかけてきたのは徒牧桃菜、先ほどこがねとの会話の折に存在が確認された、俺の彼女である。お嬢様の如くふわふわした髪が特徴で、目もぱっちりしているのが俺的にはナイスだと思う。
俺たちは出会うなり手を繋ぎ、身を寄せ合う。なんだかんだ言って、これが一番温かいんだよな。傍目にはバカップルにしか見えないんだろうけどな。
「あっくん手冷たいね。温めてあげよっか」
「たのむぜ」
俺たちが歩くと足音は二重になり、ぎゅっぎゅっと雪を踏む独特の音はさらに増す。
「今日クリスマスイブだね」
「雪も降っていい感じだな」
桃菜がいるからいい感じなのであって、冬休みなのに補習はあるわ雪は降るわといったこの状況、普通は鬱になるだけだ。彼女がいて助かったぜ。
「今日のデートは楽しみにしてろよ。思いっきり驚かしてやるから」
「うん、楽しみにしてるね!」
午後五時に飽田公園だ。
俺が桃菜と付き合い始めたのは今年の五月。桃菜に告白されたときには本当に驚いたものだ。こんな俺のどこが良かったのだろうか。クラスも違うし、部活も違うのからそもそも接点というやつが無いんだ。そう考えると人生はとことん不思議だな。
「あっくんって最近髪伸びたよね。切らないの?」
「いろんな人に言われるな。そんなに伸びたのか?」
「うん、夏の比じゃないくらい」
「あー、そりゃ夏のときが短かったんだろ。今の長さが俺にとっちゃ普通なんだぞ」
「いや、切った方が良いと思うな。私は」
「そんなもんかぁ」
桃菜に言われちゃお仕舞いだな。髪切ろう。
「そういえば、知ってる? 最近変な人が大宮スーパーの辺りでうろついてるんだって」
「大宮スーパーで? 初耳だな」
大宮スーパーはここら辺の人がよく使っているスーパーで、安さと品揃えがウリの店だ。実際俺もよく使っている。
「うん。『こんな魂じゃ駄目じゃ』とか『汚らわしい。論外じゃ』とか変な言葉を延々ぶつぶつと喋っている人なんだって」
「それは確かに変だな。気をつけろよ」
「あっくんもだよ。その人が誰を狙ってるか分かんないんだから」
「そうだな。そういえば桃菜、そのヘアピンなんだ?」
「あ、これ? 可愛いでしょ、雪女のキャラクターなんだ」
確かによく見てみると、可愛らしくデフォルトされた雪女だ。
「可愛いから買っちゃった。ねえ、あっくんって妖怪がいるって信じてる?」
「俺は、あんまり信じてないな。見たこともないからな」
「まあ、あっくんらしいよね。わたしもそんなに信じてないしね。でもさ、ひとつだけ居てもおかしくないなーって思う妖怪がいるんだよね」
「へえ、どんなんだ?」
「清姫っていうんだけど、あっくん知ってる?」
「いや、聞いたこと無いな」
最後に姫ってつく妖怪は意外と多いらしいけど、清姫は聞いたことがないな。
「詳しくは覚えてないんだけどね。昔々、ひとりの女が男に恋をして、だけど男は他に好きな人がいて、その女の人から逃げちゃったの。そしたらその女の人は男を追いかけた。男はあの手この手で女から逃げるけど、女は次第に下半身を蛇のように変化させて、化物になって男を追いかけたの。男は最後にお寺の大きな鐘の中に逃げたけど、女は全身から炎を出して男と一緒に燃え尽きたんだって」
「そ、それは…………」
女が身勝手すぎるだろ! しかも最後は無理心中かよ!
「恋を熱いものに譬えるのは昔からだったんだな」
「ほんとだね。もしあっくんが私から逃げたら、私も清姫みたいになっちゃうかもね」
「はは、精々気をつけるよ」
俺と桃菜は昇降口で別れて、俺は四階の教室まで登っていった。しかし四という数字からは不吉なものしか感じない。病院の部屋に四とか九が使われていないように、階層にも四とか九を使わなければいいと思うのだが。三階の次は五階、あるいは四階だけ何も無い階とか。でもそれは面倒かつ非効率的なことなんだろうなぁ。
教室に入ると、暖房が効いた暖かい空気が俺を出迎えてくれた。人とはまた違った暖かさに、俺はほっとする。
「やあ紅哉。またいちゃいちゃしての登校かい?」
「なんだ、見てたのか」
教室に入ってくるなり囃し立てるこいつは幾夜紺助。俺の幼馴染だ。言動から分かる通り、こいつは彼女がいない。優しくて気が利く、俺よりも良い奴なのにな。女にはモテないタイプなのかもしれない。
「見てたも何も、窓から嫌でも見えたよ」
「お前の席は廊下側だから、見ようとしなきゃ見えないと思うがな。そんなに羨ましいならお前も彼女作れよ。俺がナンパを手伝ってやろうか?」
「いいよ、僕には向いてない。第一、今は冬だから海に落ちたら寒いじゃないか」
「……難破って言いたいんだな」
分かりづらっ! もっとまともなボケは無かったのかよ。
「ここに鳥が五羽います。さらに三羽追加したら、その合計は……」
「何羽でしょう、じゃなくて! ナ・ン・パ!」
「君そんなにバードマンになりたいのか?」
「……えーっと、ちょっとタイム」
何言ってんだこいつ。あ、もしかして。
ナンパ→パーナン→パーマン、それを手伝うからバードマン。
分かりづらっ! 間に挟んだ業界用語化すっとばしてんのか。無理矢理にもほどがあるだろ。
「だから彼女できねえんだよ!」
「余計なお世話だ」
徐々に集まり始めるクラスの面々を見ながら、紺助は呟いた。
「みんな真面目だな。こんな日なのに補習に来るって」
「だからこその進学校なんだろ。俺もお前もしっかり来てるじゃねえか」
「そうだな」
最期にチャイムと共に、先生が入ってくる。一時間目は国語だったか。古文苦手なんだよな。
「よお紅哉、学校終わったのか?」
十二時頃、かったるい補習が終わり、雪が止んだお陰で歩きやすくなった道を歩いて帰った。玄関で出迎えてくれたのはじいちゃんだった。
「まあな。親父とお袋は?」
「仕事じゃよ。まったく、クリスマスイブなのに真面目なもんじゃのう」
「そっか」
俺は靴を脱ぎ、二階にある自分の部屋へと向かった。後ろからじいちゃんがさらに声をかける。
「手洗いとうがいはしたのか?」
「どうせすぐスーパーに行くよ」
「大宮か。最近変な人がうろついておるそうじゃから気をつけろよ」
「分かってるって」
「本当に分かっておるかのう。紅哉はいつもどこか抜けておるからのう」
「大丈夫だって。さすがの俺も大事な時を前にミスはしないさ」
「徒牧さんじゃったか。紅哉に彼女が出来たと聞いたときはわしもばあさんも死ぬほど驚いたわ。天地が引っくり返るかと思ったわ」
「俺に彼女が出来るのがそんなにとは……。まぁ、否定はしないさ。話題に上がったついでだけど、ばあちゃんは元気にしてるのか?」
「紅哉からばあさんの話が出るとは意外じゃの。ああ、島で元気に預言者をやってるさ」
「だから苦手なんだよあのばあちゃん。俺はそんなの信じてねえけどさ、島じゃ流行りなんだって?」
「あの島は妖怪が住む島じゃからな。そういったものが流行って当たり前なんじゃよ」
「妖怪ねぇ。そんなもんいないだろ」
「ところがどっこい、あの島には居るんじゃよ。いや、あの島に限らず日本という国の隅から隅に、妖怪は存在してるんじゃ」
「俺もう高校生だぞ。そんなんが居ないことくらい、分かってるよ」
「どうかのう。目に見えるものだけが真実とは限らんぞ。自分が見たものしか信じないなんて、傲慢じゃろ」
「かもしんないけどさ。そんじゃああの島に住んでいた親父は、妖怪を見ていたってことかよ」
「そりゃそうじゃ。普通に一緒に遊んでおったぞ」
このじいちゃんの言ってることが本当かどうかは確認できない。俺はその島には行ったことが無いからだ。新年とか、お盆とかになると普通は実家に帰るものだが、俺の家は違う。じいちゃんがこっちに来るのだ。今まではなんとも思ってなかったけど、もしかすると親父は俺に妖怪を見せたくないから、島に帰らないのかもしれない。
「そういやじいちゃん、定年まで何してたんだよ、あの島で」
俺はじいちゃんの仕事を知らない。聞いたこともなかった。
「うむ、わしはあの島で、妖怪退治をしておった。正確には、妖怪と人間の揉め事を解決する仕事じゃ」
「…………………………………………何言ってんだ?」
「本当じゃよ。教えるなといわれておったがの」
「嘘吐け! そんなんでどうやって金稼ぐんだよ!」
改まって聞いて損したよ!
「依頼料を貰ってるに決まってるじゃろ」
「あーはいはい、真面目に聞いた俺が馬鹿でした。じゃあ俺、買い物行ってくるから」
俺はじいちゃんが何か言ってるのを無視して、買い物に出かけた。
ここでひとつ誤解を解いておこう。俺は桃菜とのデートに必要な物を買いに行ったわけではない。これは単にお袋に頼まれた買い物、お使いである。
大宮スーパーは前述の通り安さと品揃えがウリの店で、噂によると、この不況の中、売上げをぐんぐん伸ばしているらしい。あくまで噂にすぎないが、あながち嘘ではないと思う。今も店は大勢の客で賑わっていることだし。立地条件の良さも関係がありそうだ。
今日はクリスマスのご馳走に使う食材の買出しだ。ここで全部の食材が揃うのは驚きだ。個人経営なのになんて品の多さだ。
俺が買い物を終えて大宮スーパーを出ると、時間は午後二時だった。桃菜とのデートには充分時間がある。止んだと思った雪はまた降り始め、少しづつ積もっていた。
「貴様、ちょっと待て」
不意に後ろから声をかけられた。知っている声ではないが、反射的に振り返ってしまう。
「そう、貴様じゃ」
大宮スーパーを出てすぐの所で、その男は俺に声をかけてきた。坊さんみたいな格好をした、背は俺くらいの男だ。歳は五、六十代に見える。
「やっと声をかけれたわい。さっきまで警察官という輩がうろついていたせいで出てこれなんだ。儂が探しとったのは貴様のような魂を持った人物じゃ。ちと性別に問題があるが、贅沢は言えん、我慢しよう」
「な、何言ってんだ?」
その男はぶつぶつと呟き続ける。まさかこいつが、例の不審者なんじゃないだろうか。魂が何とか言ってるし、情報通りだ。
「誰かに見つからん内に、始めるとしよう」
「お、おい、ちょっと待て!」
俺の目の前はそう言い終わるか終わらないかの内に、真っ白になった。