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メイド、日常から非日常へ

 土曜の昼食は遅い。

 私立中学に通う御主人様は土曜日も学校があるので、帰宅が一時半を過ぎるのである。

 午前中にやらねばならない家事をこなすと、2時間ほど暇な時間ができる。その間に足らなくなった生活用品を買いに行ったり、銀行からお金を降ろしたりする。今日は特にすることもないので居間でごろごろと小説を読んでいた。実家からゲームもマンガも持ってこなかったので、高木や戸田のおっさん、芦田女史に頼んで貸してもらったのだ。

 高木に借りた小説は某高校生の面白おかしい日常を綴ったライトノベル。

 戸田のおっさんは剣豪小説を3冊。芦田女史はロマンチックな恋愛小説と推理小説を貸してくれた。どれも本人が面白いと言って貸してくれただけあって、中々読み応えがある。殊、戸田のおっさんの剣豪小説は肌に合う。孤高な侍の静と動の狭間。煌く刃と飛び交う火花。勧善懲悪でないところがまた良い。一話読み進めるごとに深い溜息が漏れ、今の己の生活を省みてしまう。

 俺は侍ではない、メイドだ。しかし、主に忠誠を誓うあたり侍もメイドも同類である。振るうのが刀であるか、包丁や掃除機であるかの差。ただ、それだけなのである。





「ただいま、です」

 定刻通り、御主人様が帰ってきた。俺は小説に栞を挟んでソファから立ち上がる。

「恵一。お昼ごはん、手伝うことありますか?」

 御主人様が廊下からひょっこり顔を出して尋ねる。

「おかえり。温めればすぐに食べられるようにしてあるからかまわん。着替えて来い」

「わかりました〜」

 御主人様は微笑みながら返事をして、二階にある自分の部屋に着替えに行った。最近は前にも増して仕事を手伝おうとしてくれる。その心意気は嬉しいが、どーんと全て俺に任せるぐらいの豪快さがあってもいいような気がする。まあ、それでも気安く声をかけてくれるようになっただけでもよしとしようか。最初なんて、ろくな会話が出来なかったのだから、大した進歩だ。


 鍋を火にかけて菜箸で適当にかき回していると、後ろに人の気配がした御主人様が着替え終わったのだろう。

「皿、並べておいてくれ」

「客人に何を言うか、この三流メイドが」

 低くて、それでもよく通る男の声がした。吃驚して振り向くと、相変わらず学生服を着た高木が呆れた顔でこっちを見ていた。

「てめぇ、ついに遠慮を忘れたか。せめて呼び鈴ぐらい押しやがれ」

「馬鹿を言うな。僕は千晴ちゃんと一緒に家に入ってきたのだから、わざわざ呼び鈴を押す必要もないし、遠慮なんぞ忘れたことはない。もっと言うならば、客人に皿を並べさせる君のほうが無遠慮というものだろう」

「誰が客人だこのやろう」

「千晴ちゃん――君の御主人様の友人としてこの家に入ったのだから、メイドたる仁科恵一は当然、御主人様の友人に対するもてなしをする筈だろう。この場合、客人とメイドが友人だからいいものの、もし見知らぬ間柄だったら無礼千万もいいところだ。もっと慎重な行動を心がけるべきだな」

 実にもったいぶった態度で高木が高説を垂れる。絶対、口から生まれてきた男だ。

 御主人様にも、こんなわけのわからぬ理論をかざして同行したのだろう。御主人様は押しに弱い性格なので、高木の弁舌にあっさり言いくるめられてしまったに違いない。しかし、

「はん、俺にそんな理屈が通るか。さっさと皿並べろ」

「ふむ。それもそうだ」

 基本的に理屈や論理よりも直感やひらめきで行動する俺には高木の良く動く舌も大した意味を為さない。高木は食器棚から慣れた手つきで皿を取り出した。

「理屈にとって感情というのは天敵のようなものだね。感情論で物を話す人間にはどんなに理路整然とした、真っ当な理屈も論理も道理も、全く通用しない」

 皮肉なのか、それともただの持論なのか。高木は穏やかな表情のまま言う。

「てめぇのは屁理屈と詭弁だがな」

「いや、まったく」

 高木がしっかり三人分の皿を用意していたので、仕方なく料理を三等分する。こいつは喋らないときのほうが―――強い。良く回る舌を敢えて使わない、その時こそ高木が一番勝利を確信しているときなのだろう。

「御主人様ー、昼飯できたぞー」

「す、すぐ行きます〜」

 御主人様がとてとてと階段を降りてきて、着席する。

「恵一……た、高木さんのお話、聞いてあげてくださいね」

「ん――わかってる」

 高木は何の用もなくいきなり昼食時に現れるようなヤツではない。

「何か用事あるんだろ。話せよ」

「はは、全部お見通しか。それは僕の専売特許なんだけどなぁ」

 高木は珍しく苦笑してぽりぽりと鼻の頭をかいた。

「実は、仁科にお願い――否、千晴ちゃんにも。二人にお願いがあるんだ。まずは千晴ちゃんに、そして仁科に」

「順番なんてどっちでもいいから、早く話せ」

「いやいや、大事だよ。こういうものは順序良く進めていかなければならない」

 高木はにこりと笑って御主人様に向き直る。

「千晴ちゃん。明日一日、このメイドに休暇を与えてやってくれないだろうか?」

「へ……い、いいですけど……」

 高木の真っ直ぐな視線に御主人様は妙に落ち着きをなくして、しどろもどろになっている。まだ高木には慣れきっていないか。日ごろからずっと一緒にいる俺ですら最近になって普通に喋れるようになったのだから、まあ仕方あるまい。それより、問題は話の内容にある。

「こら、勝手にOKするな。明日一日、御主人様はどうやって飯食うんだよ。掃除も洗濯もまだ一人じゃ無理だろうに」

 一応手伝ってくれているので、ある程度は出来るのだろうけど、矢張り御主人様にはまだ家事は早い。

「あ、あぅぅ……」

「仁科、それくらい僕とてわかっている。まあ、千晴ちゃんも一日付き合せてしまうことになるのだが……」

「あ、あのぅ……あたし、明日は暇ですから……構いませんよ?」

「流石千晴ちゃん、話がわかる!」

 高木のヤツ、珍しく言葉尻を濁したと思えば御主人様に自主的にOKさせる作戦か。この男、ただよく喋るだけではなくて、言葉の使い方をよく知っているのが恐ろしい。

「では仁科。明日は学校に来てくれないか?」

 今度は俺に身体を向けて、高木が真っ直ぐに見つめてくる。

 しかし、なんでまた学校に行かねばならないのだろうか。

「俺は休学中だ。何が悲しくて日曜の学校なんぞに行かねばならん?」

「まあ、説明すると長いような、短いような」

「かまわん。それより御主人様、手が止まってるぞ。口に物入れて喋ったら駄目だが、聞いてるときぐらいしっかり食え」

 さっきから箸の止まっている御主人様に一言付け加えて、先を促す。全く、礼儀がいいのか要領が悪いのか。


「文化祭がね、明日行われるんだ」

「文化祭?」

 まだ7月だ。文化祭にしては時期が早すぎる。

「ああ、三年生の修学旅行の日程の都合でね。いつもよりぐんと時期が早くなってしまった。何でも海外に行くとかでね」

 初耳である。

「仁科も在学中に連絡があっただろう」

「いや、聞いてない」

 多分、聞き逃していたのだろう。ホームルームはいつも昼寝の時間だったし。

「全く君という男は……まあいい。丁度、仁科が休学したその日から文化祭の準備だったわけだよ。急造もいいところだ。ウチの学校は歴史がある分、ぼんやりしすぎだね。文化祭と修学旅行の時期が被ることに気付かないなんて」

 確かにそれはぼんやりしすぎだ。

「まあ、それでもなんとかなるものでね。文化祭自体は無事、明日開催されるんだ。けど、ここに来て僕たちのクラスでアクシデントが起きた」

 高木が少し眉を顰める。どうやらここからが本題のようだ。

「昨日は一日文化祭準備で、僕たちは朝からずっと設営準備に携わっていたのだけど……用意されていた昼食に当たって、皆救急車で運ばれてしまった」

「はぁ?」

「僕のクラスは遅れていてね。作業がはかどるように美味いモノを出前しようとしたのがいけなかった。食中毒でクラスの大半は三日入院だ」

 どんな出前を取ったんだろうか。非常に気になるところだが、高木は思い出したくも無いらしい。そのことについてはもう説明されないだろう。

「僕は幸い、生徒会の方の準備で別行動を取っていたので食中毒は免れた。他にも数人、無事なんだけど、如何せん人数が足りない。そこで、本来は生徒会の役目がある僕もクラスの出し物のほうに回ることになってね。さらに、休学中とはいえ我がクラスの一員の仁科君に白羽の矢が立ったわけだ」

 そういえば高木は生徒会の役員をしていた。

「成る程な、事情はわかった」

「そうか。それで、返事はどうだい?」

「―――すまんな。やっぱり御主人様の世話がある」

 こればっかりは、どうしても譲れない。これとて仕事なのだ。確かに高木にはよく世話になっているが、仕事を放棄するわけにはいかない。

「―――そうか。うん、わかった。他のアテを探してみる」

 高木は溜息を一つついて、少し困ったような顔をして笑った。

「ま、待ってください……」

 そんな高木の様子を見ていた御主人様がふと声を上げた。高木が珍しく驚いたように眼を丸くする。

「恵一……明日、学校に、い、いき、なさい。ご、御主人様命令……です」

 ひどくたどたどしい言葉で、御主人様が俺を見る。

「だから、行ってやりたいのは山々だけど、御主人様の世話は誰がするんだよ?」

「勿論……あたしの世話は…め、メイドの恵一、ですよぅ」

「じゃあ無理じゃねえか」

「だ、だから……あたしが、文化祭に行けば……恵一も、行っても大丈夫、です」

 言葉は途切れ途切れだが、御主人様の眼はしっかりと決意を固めている。こうなると、けっこう後にひかないのだ、御主人様は。

「……高木、聞いてのとおりだ。御主人様同伴でいいなら、手伝える」

 元より、高木の頼みは聞いてやりたかったのだ。御主人様がそういうのであれば、もはや俺に断る理由は無い。

「ああ。恩に着るよ―――仁科…千晴ちゃんも」

 高木は安堵したように肩の力を抜いて、俺たちに頭を下げた。

「かまわねぇって、御主人様命令だと仕方ないしな」

「そうですよぅ。高木さんには……その、いつもお世話になってます、し」

「はは、照れるね。じゃあ、明日はよろしく頼むよ」

 高木はいつの間に食べたのか、綺麗な皿に箸を乗せてご馳走様と言って立ち上がった。

「なんだ、もう帰るのか」

「ああ、まだ用事は残っている。明日は9時に来てくれ」

「おう。あ、そういえば、出し物の内容聞いてなかったな」

 肝心なところを聞いていなかった。流石に演劇などではないだろうが。

「ふふふ、君にピッタリだよ。なんせ、肩書きが完璧なのだし」

「肩書きが完璧だぁ?」

 俺に大した肩書きなんてないぞ。学校だって休学中だというのに。

「僕たちのクラスの出し物は―――メイド喫茶、だよ」

 ―――やっぱり、断っていいだろうか?

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