メイド、多いに苦労する
午後四時、そろそろ御主人様が帰ってくる頃だ。
二階にあるベランダに出て、ふうと一息つく。何、別にここで「おかえり」と洒落た挨拶をしようというわけではない。目の前に騒然と並ぶ洗濯物を取り込むためだけの話である。
初夏の日差しがさんさんと降り注いでくれたおかげで、洗濯物はどれも気持ちいいぐらいに乾いてくれていた。物干し竿から俺のジーンズなどを順に取り入れてゆく。俺のシャツが数枚、靴下などの下着も数枚。ジーンズ。そして御主人様の夏用のセーラー服とアンダーシャツ―――下着が数枚。その他諸々。
毎度のことながら、洗濯作業一環はやり辛い。御主人様は家事などしたことが無いだろうから、こんなところで俺が苦悩していることなど、知る由も無いだろう。
*
「〜♪」
鼻歌を歌いながら、てきぱきと洗濯物を畳んでゆく。決してこの作業が楽しいわけではなく、余計なことを考えないようにするための苦肉の策だ。十七歳の男が何を中学生の下着程度で難儀しているのかと思うかも知れないが、これが中々苦労するのだ。
そもそも、我が家族に女性があの母親しかいなかったことが原因の一端と考えられる。若い女性の下着を見るのは御主人様のものが初めてなのだ(若すぎる、という点が暴挙に繋がらないで済んでいるのかも知れないが)。
初日の、さて風呂に入ろうというときに、洗濯籠にブラジャーが引っ掛かっていたときは思わず後ずさってしまったものだ。その後洗濯しようと籠の中のものを引っ張り出していて、御主人様のショーツを発見したときは触っていいものか、しばらく頭を抱えて悩んでしまった。触らねば洗濯することもできぬというのに。
さらに、この現在進行中の畳む作業でも、最初は当惑した。ブラジャーの畳み方がさっぱりわからなかったのだ。まだショーツは良い。ブリーフと同じ要領でやれば済む話だ。触る分にはショーツより抵抗がないとは言え、畳み方がわからぬのでは意味が無い。だからと言って畳まぬわけにも行かないので、仕方なく高木に電話をした。
「そんなことを俺に聞いて、知っていたらどうするのだ」
高木の言葉が脳裏に甦る。あの時は相当困っていたので、なんとか調べろと無茶な注文をしたものだ。確かに知っているほうが不気味である。
それでも高木は女友達に教えてもらい、それを俺に教えてくれた。しかし、ヤツにそんなことを教えてくれる女友達がいたのは意外だった。学校では寡黙で、殊女子と話したことなど見たことが無かったのだが。ひょっとすると、恋人に聞いたのかもしれない。それこそヤツにそんな存在がいるとは思えないのだが。
閑話休題。そんなことを考えているうちに洗濯物を全て畳み終えてしまった。自分の洗濯物はあまり綺麗に畳んでいるとはいえないが、どうせきっちりと仕舞うわけではない。数があるわけでもなく、タンスもクローゼットもスカスカなので、きっちりとする必要が無いのだ。
逆に御主人様の洗濯物はけっこう気を遣っている。セーラー服はシワをとるためにアイロン掛けもするし、他のものも丁寧に畳んでいるのだ。下着に関しては、まあなるべく考えないように、それでいて丁寧にと、けっこう難しかったりもするのだが。
洗濯物を決まった位置に仕舞い終えて、ようやく家事もひと段落である。後は夕飯と風呂ぐらいのもので、食材も揃っているので問題ない。しばらくゆっくりできそうだ。
一階に降りる。リビングでテレビでも見ようかという算段である。板張りの廊下は軋むことも無く、玄関まで続いている。リビングは玄関を上がってすぐのところにある。
流石、今朝掃除しただけあって、スケートごっこでもできそうなぐらいにピカピカである。誰もいないのをいいことに、ついーっと滑ってみる。気分はトップスケーター。片腕を背中に当てて、前傾姿勢をとる。
「ご、ごめんなさいぃ!」
「どわぁっ!!?」
玄関前まで滑ったところで、突然御主人様が玄関を半ばまで開けて、開口一番謝ってきた。突然のことに滑らせていた足がバランスを失い、そのまま前に身体が倒れる。
「うおっ!!」
「へ…?」
なんとかバランスをとろうとして片足で無理に飛び跳ねる。しかし、思うように身体は動かず、ついに足元から廊下が消えた。つまるところ踏み外してしまったわけで。
「ぐあっ!?」
「きゃうっ!?」
玄関の段差でさらに勢いが増して、そのまま御主人様に抱きつくような形になってしまった。
「あ、あ、あ、あ……」
「だぁっ、すまねぇ!!」
何が起こったのかよくわからぬまま、放心している御主人様から身体を離して、取り敢えず平謝りする。抱きしめた感覚が気持ちよかったとか、手がお尻を触っていたとか、その感触がまだ手がしっかりと覚えているとか、色んな煩悩が脳髄を駆け回って、目の前が真っ白になりかける。だが幸いにもホワイトアウト寸前で、俺の意識は保たれた。理由は簡単。御主人様に倒れ掛かる際に、半身を玄関で強打していたからだ。痛みで気絶どころではなくなったというわけだ。
「………ふぅ。お、おかえり」
「あ、あ、あ……は、はい。ただいまです」
ようやく御主人様も気を取り直したようで、どもりながらもきちんと挨拶を返した。先日のカレー騒動同様、ごまかしごまかしの気がしないでもないが、深く考えないことにした。
「それで、なんでいきなり謝ったんだ?」
御主人様が謝るのはいつものことであるが、俺が何も言わないうちから、というのは初めてのことである。なにやら、厄介ごとでも抱えて帰ってきたのだろうか。
「あぅぅ……そ、その……友達が……」
「友達が?」
「い、いるんです」
そりゃあ、御主人様にだって友達の一人や二人いるだろうよ。
「……今、なんかとっても失礼なこと考えてませんでした?」
「よくわかったな」
「う〜〜、普通否定しますよぅ。そんなこと」
それは確かにそうだが。御主人様がからかい甲斐があるのが悪い。ついつい、余計と知りつつも口が勝手に言ってしまうのだから仕方が無い。
「それで、友達がいることはわかったから。それがどうかしたのか?」
「そうじゃなくて、いえ、そうなんですけど」
「はっきりしねえな。友達がいてごめんなさいじゃ、さっぱりわからないって」
「えぇと……その。友達がいるんですよ。家の前に」
「―――どこにいるって?
とっても不吉な言葉を聞いてしまった気がする。
「……家の前、です。あたし達の家の前。すぐそこに」
御主人様がちょいちょいと後ろを指差して言う。もう謝ってしまえば勝ち、とでも考えたのだろうか。妙に強気である。
「何故、いるんだ?」
「遊びに行くって、みんな言うものですから……押し切られて」
「しかも複数かよ!」
思わず突っ込んでしまった。一人なら対処できると算段していたのだが、複数となるとちと厄介である。
「帰ってもらえ。そうだな、親が親なんだし、大切な客が来てるとか言えば大丈夫だろ」
「……それが、二人暮ししてるって……言っちゃいました」
「―――あー、そう」
怒る気力も、理由を聞く思考も底をついた。
「あ、ちゃんと兄と暮らしてるって言いましたよ」
「それは当たり前だ」
「あぅぅ……友達に嘘をつくの、嫌だったんですよぅ」
これでも頑張った、と言いたいのだろう。まあ、御主人様はどうしようもなくお人よしなところがあるから、本当に頑張ったのだろう。だとすると、これ以上責めるのも酷か。
「あがってもらえ。茶、用意するから」
「……いいんですか?」
「友達を大切にできない人間は、誰も大切にできない――らしいからな。表向きは兄だが、これでもメイドだ。存分にもてなしてやるよ。バレないようにな」
――高木よ。よもや貴様が言った言葉がこんなところで俺をどんどん追い詰めているなどと、夢にも思っていないだろうよ。
「じゃあ、呼んできますね」
「おう。くれぐれもバレないように気をつけろよ。変な噂が流れると、困るのは御主人様なんだしな」
「――心配してくれてます?」
ふと、御主人様が抑揚の無い声で尋ねてきた。なんとなく、今までのやり取りとは全くかけ離れた次元の会話をしているような気になる。なんというか、御主人様がふと実年齢よりも上に――もとい、ようやく実年齢くらいに見えたような気がしたのだ。
「――馬鹿。俺だって心配の一つや二つするんだ。早く行け」
「……ふふ、わかりました〜」
御主人様は嬉しそうに微笑むと、てててっと友達を呼びに行った。まったく、今日は妙に調子が狂う。
さてしかし、これからもう一波乱ありそうな。否、これからが本番のような気がする。
一体、どんな面子が飛び出してくるのやら。




