メイド、再び大地に立つ。
さて、事の顛末はというと、そんなに大したことでもなかった。
「私と恵一が付き合ってたのは本当よ。半分、私が押しかけてただけだったけど……キスすらしてないし。忘れちゃったのは、私が無理に恵一に迫って、その……半分監禁みたいなこと、しちゃったからだと思う」
雨宮は素直に白状した。お仕置きがよほど効いたとみえる。
どうやら、相当にバイオレンスな事態だったのだろう。何でも、包丁を突きつけられて、ロープで縛られて閉じこめられていたらしい。思い出そうとすると頭痛がするので、無理に思い返すこともないだろうと諦めることにした。
「や、流石に私も自分でおかしいってわかってたんだけど……なんていうのかな。歯止めがきかないって言うか……昨日、あんなの見せつけられたら、もうどうしようもないんだけど」
父親が鈴ノ宮財閥の下請け会社であったことは偶然らしいが、どうやら俺が閉じこめられていたのはあの工場だったらしい。当時はまだ財閥の仕事を請け負っていたのだが、査察に来ていた千晴の親父さんが、偶然にも俺を見つけたとかで。
「……お父様は、仕事には厳しい人ですから。契約先の工場主の娘が軟禁に工場を利用しているとなれば、流石に手を切らざるを得ません。恵一の身柄はお父様が預かり、そのときに恵一を知ったらしいです。色々と記憶が曖昧ながら、雨宮さんを許してやってくれと呟いていた恵一を見て、優しい人間だと感じ入ったと……昨日の夜に聞きました」
これで、話が繋がる。どうして俺がメイドなんてものになったのか。鈴ノ宮財閥の会長が俺を呼び出した理由。
一体、千晴の親父さんが俺の何を見抜いたのかとか、そういうのはわからないが、おそらく気に入られたのだろう。千晴の人見知りを改善できる人間だと思われたのかもしれない。
「となると、俺は御主人様に感謝しなくちゃな。おかげで千晴と出会えたわけだ」
「その御主人様って、やめてよう。お尻、まだ痛いんだから」
雨宮は顔をしかめて悲しそうに呟いた。どうやら彼女は、スイッチの激しい人物らしく、弱気になると妙に幼くなる。普段は割と気の好い穏やかな人間なのだが、恋愛が絡むと物凄く飛躍してしまうのもその一環のようだ。
俺が中学生の頃、たまたま知り合った俺を執拗に追いかけて、半ば強引に交際に至らせたこと。あまり乗り気でない俺を監禁したこと。
千晴の親父さんに引き離され、病院にも通ったらしい。俺にも近づかないようにしていたのだが、スーパーで偶然出会ってしまい、再び狂気に火がついた挙げ句の、千晴の誘拐。
「もうしないから。許してよう」
雨宮が泣きそうな顔で言うので、俺は苦笑してしまう。それで許されればそれこそ警察の出番などないのだが、誘拐された本人が許すつもりなのである。よしよしと雨宮の頭を撫でるほどに。
お前、昨日はこいつに誘拐されたんだぞ、と言いたいのだが、そもそも理由が俺なのだから強くは言えない。それに、狂気は雨宮本人も望むところではなく、病気のようなモノなので責任は無いとまで言う。お人好しもここまで来れば偉大だ。
「それで、どうする。俺をメイドにするか?」
多少なり灸を据えておかねばと思い、雨宮に問いかけてやる。途端に雨宮は顔をしかめた。
「……恵一、けっこう苛めるの好きよね」
「はい。恵一はいじめっ子です」
むー、と唸る雨宮と、何故か雨宮に笑顔で頷く千晴。仲良くなってるんじゃねえよ、と言いたい。
「結局、誘拐されてから千晴は雨宮に何て言われたんだ?」
「昔の惚気話と、自分も恵一をメイドにしたいと言われたので……多分、恵一はあたしと出会ったときみたいなこと、するんじゃないかなと思って、任せました。きっと、雨宮さんはびっくりして何もできないんじゃないかなーって思ったんで」
「千晴ちゃんも、いじめっ子」
「半分は漣ちゃんの知恵でしたよぅ」
千晴は三人娘と四人纏めて監禁されていたらしい。姫子が雰囲気を明るくさせて、漣が入れ知恵をして、巴が場を纏めるのだ。俺に高木と伊達がついてくれたようなものだ。無敵に近い。
「まあ、千晴が許したなら、俺も許すとするか。次やったら、それこそ御主人様には牢屋にでも入ってもらうが」
「……久しぶりに恵一を見て、気持ちがヘンになっちゃったけど、痛い目をみたから大丈夫だと思う」
雨宮の病気は、以前に比べれば相当落ち着いているとのことだ。今回のことは、偶然出会って火がついただけであって、一旦沈静化したから大丈夫らしい。一応、病院にはまた通うことになるのだろうが、現在の様子を見るならばそれもそう長くはならないだろう。
とりあえず、今回はこれにて一件落着。
「でも、恵一にお尻を叩かれて、途中からちょっと気持ちよかったかも」
……一件落着?
とりあえず、俺は再び千晴のメイドになり、これまで通りの生活を送ることが出来るようになった。
「恵一。まだ、ちゃんと言ってもらってません」
そう思ったのだが、一つだけ変わったものもある。
「えっと、改めて言わないと駄目か?」
「……言ってほしいです」
雨宮を帰した後、千晴と二人きりになり、俺は困惑していた。
いや、昨日は相当にテンションが上がっていたのだ。千晴が無事な様子を見て、夢中で抱きしめた上に、気分が昂ぶってあのような行為に至ったわけだが、改めてそれを言葉にするとなると、とても恥ずかしいわけで。
「えっと、だな。つまり、その……」
千晴はアレに応えてくれた。つまり、俺と千晴は、両思い、なんだろうけど。
「うあっ、恥ずかしいんだよっ。半年間一緒に暮らしてたんだぞ。これからも一緒なんだぞ。言えるかっ!」
我ながらよくわからない理由で捲し立ててしまう。
「……あたしは、恵一のこと好きですよ」
そんな俺の様子を見て、千晴はぽつりと呟いた。まっすぐと俺を見て、頬を微かに赤らめながら。
「最初は、怖い人だと思ってました。お父様は何も言ってくれないし、いきなり引っ越しすることになるし。けど、すぐに優しい人なんだってわかって、かっこよくて。お兄ちゃんみたいとも思いましたけど、それだけじゃなくて……いつの間にか、恵一のことが大好きになってて……デートに誘ってくれて、本当に嬉しかったです。手を繋いだとき、ドキドキしました。誘拐されて、恵一が助けに来てくれたってわかったとき、本当ならそんな危ないことさせちゃいけないのに、心の中で嬉しいって思っちゃったぐらいです」
千晴の言葉の一つ一つが、胸に染みこんでいく。
それは確かな熱量になって、身体全体を駆け抜ける。恥ずかしいとか、そういうのが全部気にならなくなって。
「俺も、最初はわけがわからなかった。ちんまいガキだって思ってたし、高校は休学になってたし。けど、一緒に暮らしてる内に、俺がメイドのはずなのに、何かと手伝ってくれて……ちゃんと色々と考えられる子なんだっていうのもわかって。可愛いなって思うようになって。御主人様だからじゃなくて、一人の女の子として、一緒にいたい。傍にいたいって思うようになった。千晴のことが好きだって、自分でもずっと気づけなかったけど……最近、気づいた。クリスマスイブに、告白しようと思ってたんだ。まあ、一応、予定通りだったかな」
それだけを言う。千晴は嬉しそうに顔を真っ赤にしながら微笑んだ。俺も多分、真っ赤だろう。
「恋人同士、です」
「ああ。そうだ」
そんな短いやりとりですら、とても嬉しいと。幸せだと思えてしまうほどに。
俺達はこれからも、ずっと一緒だ。もう二度と離さない。
この小さくて可愛らしい御主人様兼恋人を、ずっと大切にできればと思う。
一月後、伊達の快復祝いが俺の家で開かれた。今回の事件で一番の大怪我だった男だ。
集まったのは俺と千晴。高木と伊達と、天王寺と健二。それに三人娘と涼子に天橋。いつも通りのメンバーだが、今回は特別ゲストとして、雨宮も参加していた。
「改めて、謝りたいから」
既に通院もはじめており、病状はかなり安定したらしい。俺と千晴が付き合うことになり、諦めがついたそうだ。
「まあ、試合や練習でも起こることだし、罅くらいで一々文句は言わないさ。素人相手とはいえ、真剣勝負ができたのは貴重な経験だったしな。千晴達が無事だったのならば、敢えて責めることもすまい」
伊達は特に雨宮に対して怒っていない様子だった。どうやら、誘拐された千晴達は一応拘束されていたものの、ちゃんと丁寧に扱われていたらしく、心に傷を負ってもいなかった。四人一緒だから心強かったのだろう。
「面白い経験だった。囚われのお姫様も一度は体験しておくものだな」
漣が愉快そうに笑うと、巴は苦笑する。姫子は天王寺の膝の上でのほほんと笑っているし、そうなれば天王寺も一人だけ怒るわけにはいかないだろう。
「涼子ちゃんも、ごめんなさい」
「いいのよ。私は何をされたってわけでもないし。強いて言うなら、もう私の立ち入る隙もなくなっちゃって、清々したってことぐらい」
雨宮は一人一人に謝っていた。伊達はさっきの通り許しているし、天王寺も何も言わない。涼子も根がお人好しなので謝られると怒ることができない。千晴と俺は感謝しているぐらいだし。
「ふむ。とりあえず、中学生、高校生の面子に大学生が増えたのだ。年上も増えてバランスが良い」
高木はよくわからない理論で笑っていた。
「いいのかな。私、本当に迷惑かけたのに」
雨宮は終始不安そうだったが、友達が増えることに異存がない連中ばかりである。
「いいんじゃねえか。俺だって高木や涼子に迷惑かけてたみたいだし、千晴にはそれこそ、すげえ迷惑かけてたはずだ。それでも、こいつらは笑ってくれてる。こいつらはそういう連中だし、お前だってその中に入れるだろ。最初はぎこちないかもしれねえけど、慣れればいいだけだ」
それだけ言うと、何故か雨宮は目に涙を浮かばせて、ふええっと泣き出した。どうやら元々は泣き虫らしい。
「恵一。雨宮さんを泣かせちゃいけません」
千晴が苦笑しながら、雨宮の頭を撫でる。もうどっちが年上なのかわからなかった。
「それで、仁科君と千晴ちゃんはお付き合いするこになったの?」
天橋に問いかけられたのは、宴もたけなわとなった頃だった。高木と伊達、涼子、天王寺という同じ高校の面子ばかりが固まって、久々に高校時代に戻ったような感じがする。
「ああ、まあ、そうなるな」
恋人らしいことは、実はこれといって何もしていない。なにせ、同居しているわけだから幾らでもイチャつけるはずなのだが、今までが今までだったので、きっかけが無いうちに、何もできないでいるのだ。
「俺の念願も、ようやく叶ったわけだ」
伊達はとても嬉しそうだった。そういえばこいつは、誰よりも俺と千晴がくっつくことを願っていた。思惑通りにさせたことは少し癪だが、結果事態は俺も歓迎できることなので文句はない。
「同じ家に住んでいると、逆に何もできないだろう?」
天王寺は立場が似通っているのか、鋭いところを突いてくる。どうやら、天王寺は最近になって姫子と男女として交際するに至ったらしいのだが、血が繋がっていないとはいえ、やはり兄妹に違いはない。両親には黙ったままだそうだ。いずれきちんと一人前の男になったら、どちらかを誰かの養子にして、結婚するのだという。気の長い話だが、そういうことを平然と言える天王寺は、ちょっと格好いいと思ってしまった。
「あんまりハメを外して、解雇になったら情けないわよ」
けらけらと涼子が笑う。ハメを外すどころか、あのクリスマスイブ以来、キスもしていなければ手も繋いでいない。千晴も流石に親父さんに報告はしていないだろうし、当分はバレないだろう。バレたところで、特に何も困らないとは思うが。
「それよりな。仁科。こうして、高校の連中ばかりが固まったのは他でもない」
ふと、話の流れを断ち切るように高木が身を乗り出した。
「どうした。何かあったのか?」
俺が問いかけると、高木は涼子に目をやった。涼子も頷いて、まっすぐと俺の方を見る。
「恵一。復学しない?」
は。と、思わず俺は周囲を見渡す。復学。そういえば、以前も涼子から同じことを言われた気がする。
「前は事情もよくわからなかったけど、今はわかった上で、提案してるの。この先もずっと、千晴ちゃんのメイドをやるならいいんだけど、一生そのままっていうのも、恵一自身が納得できないんじゃないかなって。専業主夫も悪くないかもしれないけど、高校ぐらい、出てもバチは当たらないでしょ?」
「それにな。今の仁科ならば家事をしながら高校に通うことだって出来るはずだ。千晴ちゃんだって、まさか断りはしないだろう。この先もずっと千晴ちゃんの傍にいたいと思うなら、最低限の教養だってあったほうがいいだろう?」
涼子に続いて、高木も真顔で説明してくれる。
確かに、二人の言うことはもっともだ。これといって夢や目標があるわけではなかったが、高校を休学してみると、その大切さはよくわかった。勉強の大切さも。
俺が考え込んでいると、天橋がさらに続けた。
「千晴ちゃんも、まだまだ学生でしょ。もうすぐ中学三年生で、高校生になって。それだけでも四年。大学もきっと行くと思うから、それでさらに四年で、八年。短大でも六年あるわけだし。そうやって、千晴ちゃんが成長していくのを仁科君は家事をしながら眺めているだけって、辛いと思うの。それに、千晴ちゃんもきっと、仁科君にやりたいことを見つけて欲しいと思う」
さらに、天王寺。
「もしも、千晴ちゃんが数年経って、仁科の可能性が自分の所為で奪われていると思ってしまったとき、きっととても悲しむだろう。僕も早く一人前になろうと思い、高校を卒業して働こうと思ったんだけどね。姫子に叱られた。恋人は可能性を奪う存在じゃない、ってさ。どうせなら、なりたい自分になってから迎えに来い、らしい」
順繰りに。伊達。
「今のままでは、千晴と婚約を許されるとも思えないからな。婚約してもらわないと、俺が困る」
伊達だけ、ちょっと自分本位の意見のようにも思えたが、要するに俺はまだまだ半人前で、いくら家事ができたところで、千晴に釣り合う男にはなれないということだろう。
確かに、俺だってこのまま一生、千晴の面倒だけを見ていくというのもつまらないと思う。千晴と一緒にいることは勿論、何よりの幸せだとも思うが、一丁前の男になって、千晴と対等の存在であり続けたいと思う。
「……そうだな。千晴が許してくれたら、そうしてみようか」
きっと、千晴は許してくれるだろう。元々、俺と千晴は単なるメイドと御主人様ではなかったわけで。
どうせ、会える時間は俺が高校生に戻ったところで変わらない。給料なんてさっ引かれても構わないし、無給だったとしても今までの蓄えで暮らせる。
将来。本当に千晴の隣に立てるような男でいるためには、このままではいけないということもよくわかった。
「ありがとな。お前らの後輩になるってのだけが、気がかりだが」
俺がそう言うと、全員が笑った。