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Side:T 長身痩躯で弁舌家 高木聖人

 高木の目論見は、八割方成功していた。

 恵一ならば、きっと通じるだろう。高木と恵一の関係ならば、それは半ば確信できるほどだった。

「仁科、右だ!」

 その言葉に反応したのは、やはり恵一ではなく、男の方だった。男も咄嗟に右――男からすれば左に飛んだのは賞賛に値するのだが、それぐらいはやって貰わなくては、困っていたのは高木の方だった。

 扉を開き、奥へと進んだ恵一を見送った高木は、呆然とする男を尻目に、すたすたと歩いて、扉の前に立った。おそらく、伊達もこうして自分たちの安全のために、盾になっているだろうと、高木は思う。本来ならば、三人揃って千晴達の元へと進みたかったのだが、恵一を無傷で奥に進ませただけでも、十分だった。後は、この場を食い止めればいいだけだ。恵一ならば、きっと一番良い選択をして、一番良い結果を導き出すだろうと、高木は特に深い理由もなく確信していた。高木は理論で動く人間であるが、決して理論だけで動いているわけでもない。無条件で信じられることがあるのならば、それについて深く考えるという愚かな真似はしない。

 今となっては、ただこの扉を死守するだけ、なのだが。

 勝算など、もう高木自身には残っていなかった。後は、身を挺して扉を守るだけだ。一つだけ嬉しい誤算があるとすれば、男は扉を守りきる自信があったのだろう。高木の口先だけに引っ掛かった自分が信じられないのか、ぼんやりとした様子で高木を見るばかりだったことだ。

 高木は下手に声をかけなかった。相手に何らかの刺激を与えれば、それが呼び水となって、高木にいきなり飛びかかってくる可能性が高かった。腕力においても、格闘においても圧倒的に高木が不利なことには変わりがない。

 見たところ、男は高木と同年代のようで、武術を真面目に修めていたところを、悪い連中に引っ掛かったという様子である。いかにも実直そうな、言い換えるならば昔気質の雰囲気があり、他の連中とは、一目で違うと理解できる。それだけに、この場を任されていたのだろうが、高木にとって御しやすい相手に違いはなかった。

 次に、言葉を発するのは相手が動き出そうとした瞬間。自分の言葉は、相手の動きを止めるためにある。高木は自分にそう言い聞かせて、じっと男の様子を窺った。

 男は、少しの間、忘我の様子であったが、やがて本来の自分の役割を思い出したのか、高木に真っ直ぐと身体を向けた。今だ。

「君は、三つの間違いを犯した」

 言葉は、なるべく意味深なほうがいい。実直な相手ならば、どうしてもその言葉について考えてしまう。内容など、どうでもいいのだ。要は、時間を稼げば良いだけの話である。

「一つは、僕と仁科について、君が知らなかったことだ。事前に僕たちのことを調べていたようだし、僕の言葉に反応して右に飛んだのは流石だが、僕と仁科が、どのような付き合いをしてきて、どのような関係にあったのか、君は知らなかった。僕と仁科は最初に『真っ直ぐに突き進む』という約束を交わした。男の約束に二言はない」

 セリフは、なるべく長いほうがいい。その長さの分だけ、時間が稼げる。

 男は、よほど根が素直なのだろう。高木の言葉を聞いていた。動き出そうとした出鼻を挫かれたこともあるのだろうが、それにしても正直すぎる。馬鹿正直、否、馬鹿だけでいいと、高木は内心でほくそ笑んだ。

「二つめは、この状況だ。僕を倒さねば、扉を開くことは出来ない。つまり、形勢逆転というわけだ」

 この言葉を鵜呑みにしてくれるのならば、とても有り難い。そう思いながら、高木は余裕のあるふうに笑顔を見せた。

 実際の所、形勢逆転など何もしていない。腕力や技量においては、圧倒的に男が有利であることに変わりはないのだ。むしろ、高木は扉を守るという役割を負ってしまった分、不利である。突進されても、扉の前から避けてはいけないのだ。

 それでも、男が扉を守れなかったという「負け」の心理状態にある。扉を守るという不利を、有利と履き違えてくれる可能性は十分にあった。少しでも気勢を殺ぐことができるならば、それだけ時間も稼げる上に、いざ殴りかかってきたとしても、迷いが生じるだろう。実力差を埋めるには程遠いが、焼け石に水をかけ続ければ、いずれは冷える。

「三つめ。まあ、要するに一番大きな理由というやつだが、おそらくこれから先、君は僕の言葉を聞かないだろう。それが、最大の過ちだよ」

 意味の有無など問題ではない。高木はこの先に何を言うのかなど、何も考えてはいなかった。全てはハッタリである。少しでも意味深にすればいい。言って損はない。少しでも相手に言葉の意味を考えさせることが出来るならば、それだけで価値がある。元から意味が無いのだから、考えるだけ損をする。つまるところ、高木にとっては元手なしの純利益になるということだ。

「……小細工が好きな男だ」

 やがて、男がぼそりと呟いた。どうやら目論見は既にお見通しらしい。一時的な負けを悟って、気持ちを切り替えたのだろう。

 高木はさほど落胆しなかった。なにせ、元手がゼロなのである。ハッタリが通じなかったとしても、高木は何一つの損をしない。むしろ、一言でも言葉を出させたのは、大きな収穫である。会話に繋げることが出来るなら、それだけ時間も稼げる。

「雨宮佳乃というのは、随分と情報収集に余念がないらしいな。最初にここに来たときに、名前を呼ばれて驚いたものだ。僕に、伊達。一体、どこまで知っている?」

 高木は慌てることなく、冷静に言葉を返した。この状況では、まだ取り返しがつく。自分の特性がバレているのは、高木のように情報や口先で乗り切る人間にとっては手痛いことではあるが、それだけで窮地に陥るようならば、そもそも口先だけで生きてはいない。

「高木聖人。仁科恵一の友人で、当初から鈴ノ宮千晴と仁科の関係を知り、手を貸してきた男。口が巧く、それだけで他人を翻弄するが、力は弱く、奇襲やリーチを活かした攻撃以外に恐れる点はない。つまり、お前の言葉を無視すれば、何も怖くはないと言うことだ」

 男の言葉に、高木は流石に驚いた。

 雨宮佳乃が一体、どうやってそこまで調べたのか。自分のことについてではない。恵一と千晴のことについてである。

 高木自身のことならば、調べようと思えば、すぐに調べられるのだ。同じ高校の、知り合いに尋ねればすぐにわかることばかりである。むしろ、生徒会に身を置き、顔のしれている高木は、その身長のこともあり、他の人間よりも、より他人に知られている存在だ。

 或いは、知り合いに黒幕でもいるのかもしれない。高木は一瞬そう考えたが、すぐに頭を振った。それだけはないと、すぐに自分で否定できてしまったからだ。

 仁科恵一。鈴ノ宮千晴。この二人にまつわる一連の騒動の裏側を知る人物は、皆、二人を裏切るような人間ではない。

 伊達倭は、いけ好かない男だが、千晴を妹のように大事にしているし、恵一に対しても好意的だ。二人の関係の発展を願う男が、わざわざこのような出来事を起こすはずがないし、何よりも、伊達は高木自身と似ている。あまり認めたくないというのが高木の本音であるが、根本は同じである。

 巴に姫子、漣。個性的な面々であるが、千晴との絆は深い。巴と親しくする高木には、そのことが十分に理解できる。友達を裏切るような人間ではない。彼女らは、単に巻き込まれただけだ。

 天王寺亮平。同じ高校であり、情報を集めるにしても、普段の繋がりの薄さとしても、或いは一番の候補であるが、彼に関しては、もう見ているだけで理解できてしまう。姫子が少しでも危険に晒される恐れがある真似など、するはずもない。こんなことをしても、姫子に嫌われて終いだということも、十二分に理解できるはずだ。

 仁科健二。論外だ。理由が何もない上に、ここまで大規模な誘拐劇を考え、行動に移す力が中学一年生にあるとも思えない。何よりも、冷静なようで、兄を心から慕っているように思う。

 天橋ひとみ。高木の恋人でもある。よもや自分の恋人を疑うつもりはない。敢えて冷静に判断するならば、ひとみにとって恵一と千晴はさほど大きなウエイトを占めてはいない。何かを企むからには、相応の理由が必要ではあるが、ひとみにはその理由が希薄すぎる。それに、もしも何かを起こすならば、間違いなく高木にも一言はあるはずだ。共犯者として、高木は自分自身を高く評価できた。

 五十鈴涼子。恵一との関係を考えるならば、彼女も天王寺と並んで最も怪しい存在ではあったが、それと同時に、最も縁遠い存在でもあった。おそらく、彼女が最も、雨宮佳乃に対して敵意を持っている。中学生の頃に恵一を奪われ、今になって、苦い過去を思い返され。それに、性格上、こんな回りくどい手は使えない。もしも、涼子が恵一と千晴の間に立とうとするのならば、真っ向から恵一に想いをぶつけるという方法に出るだろう。涼子自身は気付いていないだろうが、それが一番効果的でもある。

 そして、最後に高木自身。こういう妙な展開の黒幕に、自分自身がおさまっている様子は、割と簡単に想像できた。いかにも、自分好みの展開であるし、もしも自分が黒幕ならば、この先にあるのは、恵一が颯爽と千晴を助け出し、雨宮との過去を打ち砕くという、実に解りやすい展開である。実際に雨宮が現れてから、高木も解決案として、恵一と雨宮を真っ向から衝突させることを考えたが、二人の過去が少しもわからない状況では、どう転ぶかわかったものではない。もしも、恵一と千晴の関係が崩れてしまうならば、と思うと、とても実行などできなかった。無意識のうちに自分が取った行動でもない。

 つまり、この展開に黒幕など、誰もいないのだ。雨宮自身が紛れもなく作戦を立て、行動に移した。何らかの方法で、恵一と千晴の関係を調べ上げ、二人に関係する人間も調べた。おそらく、恵一の周囲で厄介な人間として、伊達と高木。それに漣あたりが候補となったのだろう。何をしでかすか、雨宮にも想像がつかない人間や、単に腕っ節が強い人間として。

 漣は捕まえて手中におき、高木と伊達は恵一の近くにいるだろうから、対処は容易い。他の人間が集まっても、さほどの問題にはならないというのが、雨宮の考えではないかと、高木は思う。仮に自分が、仁科恵一とその友人達を相手にする場合、彼らを注視するからだ。

 要するに、ここまでの展開は雨宮の想像通りだと思って良いのかもしれない。番狂わせは、精々、恵一が無傷でたどり着いたことぐらいだろうが、それでも計画にさしたる支障はあるまい。

 別にいいと、高木は思う。恵一ならばきっと、雨宮を真っ正面から叩き潰す。そんな確信があった。

「もう、お前の言葉は聞かん。そうすれば、お前はただ背が高いだけのひ弱な男だ」

 高木が考えている間に、男はにやりと笑い、すっと腰を落とした。なるほど、確かに高木は体力や腕力は人並みかそれ以下である。何も考えずに突っ込まれると、対処が難しい。しかし。

「……これでも、一度は伊達と引き分けに持ち込んだことがある。素人と思って甘く思わない方が身のためだ」

 高木はなおも、言葉を発した。男はフンと鼻で笑う。

「この期に及んで、ハッタリか。まあ、それしか芸がないのでは仕方ないか」

「なぁに。細工は粒々(りゅうりゅう)、仕上げをごろうじろ……と言っても、まあ学のない君には意味がわからんだろう。落語の決まり文句で、ああだこうだと言っても始まらない。まずは仕上げをじっくり見て貰いたい、という意味だ。こういう場合だと、聞かない筈の僕の言葉に一々反応せずに、さっさとかかってこい、ということだ」

 高木は余裕のある笑みを浮かべて、あまつさえズボンのポケットに手を突っ込んでまで見せた。挑発の言葉を、さらに丁寧に解説するという小馬鹿にした言葉に、男の頬がピクリと動く。

「死ね」

 ひどくシンプルな怒りの言葉を吐き、男が高木に向かって突進する。その瞬間、高木はポケットから手を抜き、真っ直ぐに男に向ける。その手の中には、銃が握られていた。

 パン、という乾いた音がして、次の瞬間に男が額を抑えて蹲った。高木はさらに引き金を引く。

「生徒会役員という職業柄、顔は広い。多趣味で割と社交的な分、妙な連中とも付き合いがあってな。圧縮ガスで鉛を発射するだけのモデルガンだが、フルチューンして貰っている。アーミーオタクとの付き合いも、悪くないものだ」

 並のエアガンなどとは比べものにならない威力がある。しかしながら、急所でも狙わない限り痛みを与えることができても、倒すことは出来ない。

「最初から言っているだろう。君の過ちは、僕の言葉を聞かないことだと。もう一度、言ってやろうか。細工は粒々、仕上げをご覧じろ」

 高木は皮肉めいた笑みを浮かべる。男は、痛みを堪えたのか、すうっと立ち上がり、怒りに燃える瞳で高木を見据えた。

「卑怯な真似を!」

 男の発した言葉に、高木がかっと目を見開いた。卑怯、だと。

「人攫いが何を言う。雨宮が千晴ちゃんを恨んでいるのならば、まだ話はわかるが、仁科と雨宮の確執に巻き込まれただけではないか。巴や漣ちゃん、姫子ちゃんなど、さらにその巻き添え。無関係の人間を傷つけておきながら、何が卑怯だ。そういう真っ当な言葉を、貴様らに言われる筋合いなど無い!」

 高木は言い終わらない内から、引き金をさらに引いた。しかし、男もそれを見切り、フットワークで左右に身体を移動させながら、距離を詰める。

「貴様に何がわかる!?」

 不意に間合いを詰めた男に、高木はすかさずモデルガンの銃身を握り、殴りかかる。モデルガンとは言っても、金属製である。鈍器として不足はない。ただでさえ長い高木のリーチが伸びたことで、男は一歩引いて、体勢を整えた。

「離れると、こうだ」

 高木はまた銃を持ち直し、鉛玉を発射する。狙いはしっかりと定めず、兎に角撃ちまくった。たまらず男は大きく後ろに跳び下がる。

「……本当は、時間を稼ぐだけにしようと思っていたのだけどね。卑怯という言葉を聞いて、考えが変わった」

 高木は引き金を引く。弾が切れて、間抜けな音が響くだけだった。

「人を攫っておきながら、卑怯だという。あまりにも矛盾していることだ。ここに来る前から考えていたのだが、雨宮が君たちを従えていることも疑問だった。雨宮がカリスマ性を持ち合わせていることも考えられたが、それだけで全員揃って人攫いなどしないだろう。しかも、それが正義であるかのようには、思わないはずだ」

 男は、高木の言葉に耳を傾けていた。図星のようだ。

「そこまで考えてみると、君たちはもしかして、一つの目的のために集まったのではないかと、そう思ったわけだ。そう、雨宮が仁科に対して偏執的な執着があるだけではなく、君たちも、千晴ちゃんに何らかの怨みがあるのではないか、とか」

 高木は銃を投げ捨て、腕を組んだ。男は動かない。

「中学生の女の子が君たちの怨みを買うのも、少し考えにくいから、彼女の家。つまりは、鈴ノ宮財閥への怨みと言い換えた方がいいかもしれないな。一体、どういう流れで君と雨宮が手を結んだのかは知らないが」

「……この工場跡は、雨宮さんの親父さんのものだった。鈴ノ宮財閥に潰されたがな。俺の親父は、ここの従業員だった。それだけだ」

 男は吐き捨てるように言った。高木は「ふむ」と頷く。

「財閥ともなれば、そういうこともあるだろう。少なくとも、千晴ちゃんには関係のない話だ。やはり、時間を稼ぐだけではなくて、君たちを倒さなければならないようだ。君たちの苦労がどのようなものだったかは知らないが、許すことなどできん」

「許されようとも思っていない!」

 話は終わりだとばかりに、男は高木に飛びかかった。こうなると完璧に分の悪い高木だったが「最後の可能性」に賭けて、自分も前に出た。

 男が十分に勢いをつけて、殴りかかる。高木も、迎え撃つように拳を突き出した。

 二人の拳が交わる瞬間。男の身体が、揺らいだ。

「おおおッ!」

 高木が拳を振り抜く。見事に男の顎を捉え、男はそのまま崩れ落ちた。その足もとには、高木が先ほど撃ちまくった鉛の弾が散乱している。

「無駄撃ちも計算の内、ってね。博打には違いないが、君が踏み込む場所にあらかじめ、弾をばらまいておいた。滑って転べば儲けモノだと思ったが、決め手になってくれるとは思わなかったよ」

「……最後まで、狡い男だ……」

 男はそれだけ言って、気を失った。最後の一撃に賭けていたのだろう。だからこそ、高木の腕力でもカウンターとしての効果を生み出すことが出来た。

「……仕上げは上々。後は仁科をご覧じろ……ふむ、語呂だけはいい」

 高木は転がっていたモデルガンを拾い上げ、男を一度見てから、扉の向こうへと進んだ。

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