Side:D 伊達流古武術道場 師範代
恵一と高木を見送った後、伊達倭は扉の前に立ち、迫ってくる男達の数を確認した。
誰も彼も、その辺りで燻っている無軌道な若者という様子で、格別に腕の立つ人間はいないように見える。これならば、まだ入り口で待ちかまえていた二人のほうが、幾分、マシだと判断した。勿論、それでも頭数の多さは、個人の実力よりも大きい力になる。
伊達はまず、近くに転がっていたダンボールを掴み、男達の方へ投げつけた。空気抵抗でふわりと舞うが、一瞬視界を遮る程度の効果はあった。少しだけ、男達の足が鈍る。
そこで、さらに近くにあったものを拾い、とにかく投げた。しっかりと狙わなくてもいい。集団戦においても、喧嘩においても、遠距離からの攻撃はまず、何よりも有効である。乱戦なら兎も角、扉を守るという目的がある以上、投擲は最も効果的な戦法であった。
廃工場ということで、投げるものに不自由はしない。自動車の生産が主らしいが、何も大型の部品ばかりで自動車は構成されていない。それに、スパナなどの備品は、重量としても、投げやすさとしても勝手が良かった。近くに転がっていたモンキーレンチをブーメランの要領で投げつけると、一人の腰に命中して、もんどりうった。
しかし、それで突撃が停まるわけではない。近くのものを投げている間にも、男達は迫ってくる。最後に、ダンボールを適当に投げたところで、伊達は投擲を諦めて、身構えた。
まず、最初に一人だけ突出した男に向かい、思いきり足を前に突き出した。鳩尾に踵が思いきり食い込み、男が短い呻き声をあげて倒れる。これで二人。確認すると、後に九人がいる。
「おおおッ!」
腹の底から声を出して、気合いを入れる。声を出すという行為は、非常に効果的だ。相手への威嚇にもなれば、自分自身を鼓舞もでき、さらに腹に力が入ることで、限界まで瞬発力も高まる。剣道などの武道において、発声という要素が重要なのは、ただのルールではなく、実戦に基づいた、筋の通ったものなのである。
伊達の裂帛の気合いに、続いて飛びかかろうとした男が気圧される。しかし、後に四人ほどが同時に続くのを確認すると、一気に振りかぶってきた。
思いきり振り上げられた拳は、軌道が読みやすく、冷静に対処すれば素人にも避けられる。しかし、背中に扉がある以上、避けて後ろに回られてはいけない。そのまま扉に手を伸ばされて、恵一と高木の方へ進まれては、伊達がここで止まる意味が無くなってしまう。
伊達は舌打ちして、飛びかかってきた男に向かい、右斜め前に身体を捻るように進んだ。紙一重で拳を避けた瞬間に、右膝を相手の腹に叩き込む。お互いの勢いをぶつけ合ったカウンターに、男が軽く後ろに吹っ飛ぶ。それを避けようとして、後ろに続いた四人のうち、二人の勢いが止まった。
しかし、伊達自身にも反動はある。体勢を整えている内に、残る二人が左右に分かれ、距離を詰める間に、時間を取られた二人も追いつき、扉を背に立つ伊達の周囲を、半円状に取り囲んだ。流石に、伊達とて四人の動きをすべて把握はできない。
「これは少々、不味いな」
それでも、冷静でなければならない。喧嘩にしろ、試合にしろ、或いは殺し合いであっても、何よりも重要なのは相手の動きを把握して、常に落ち着いて行動しなければならないということである。幸い、伊達の身のこなしを見て、敵も不用意に突進はしてこない。多勢に無勢という状況下では、一斉に組み付かれるという状況が一番不味い。距離を測り、間合いを詰めている間に、対策を取らねばならなかった。
伊達は改めて状況を確認する。現在、三人を倒して、残りが八人。四人が取り囲んでおり、ものの数秒で残りも追いつく。
「参ったね」
伊達は嫌な顔をしながらも、すぐさま行動を開始した。じりじりと迫る四人のうち、目の前の男の方へ向かって、思いきり右足を振り上げた。蹴り上げるには間合いが離れすぎているが、それでも男は、次の瞬間には鼻頭を抑えて蹲っていた。
「てめっ、靴を!?」
「もう一丁!」
今度は軸足を変えて、左足を別の男に向かって振り上げる。男の顔面にめがけて靴が飛んでいくが、流石に読まれていたのか、避けられる。しかし、その後に、靴ではなく、踏み込んで間合いを詰めた伊達のミドルキックが、横っ腹を捉えていた。流れるような一連の動きに、周囲は対処ができず、呆気にとられている間に、元の位置に戻る。
「これで、四人」
流石に、靴を当てただけの一人は、すぐに起き上がる。元々、靴を飛ばすというのは下駄を使う、古来の技であるが、伊達はそれを現在の靴で応用した。気付かれぬうちに踵の部分だけ、靴を脱いでおけば、ほぼ下駄を飛ばす要領と同じで、不意打ちの遠距離攻撃が可能となる。木製の下駄と、革の靴では威力には違いがあれど、目くらまし程度には十分だった。
伊達の実家は古武術の道場であるが、格闘技だけではなく、剣や槍、棒も扱っている。試合では役に立たないものでも、実戦を重視する伝統のおかげで、このような実戦向けの技術も伝承されていた。
「まあ、曲芸はこれで終いだ。後は、いわゆるガチというやつだ。さあ、ノびたい奴から来ればいい!」
舌先三寸も戦術の内である。尤も、それを如実に体現しているのは高木であるのだが、伊達とて使えないわけではない。高木が相手を油断させたり、騙すために舌を振るうのに対して、威圧させるために使うという違いはあるのだが。
伊達のハッタリは、完全に成功したわけではなかったが、三人に減った頭数に少しだけ攻撃を躊躇わせる程度の効果はあった。しかし、それも後に続く四人が到着した時点で、効果を無くす。
流石に七人に囲まれては、戦力の差は如何ともし難い。それでも、伊達にとって僥倖だったのは、後から加わった四人のうち、二人が鉄パイプを持っていたことだった。喧嘩の場合、得物があるに越したことはない。本来ならば、伊達の不利が増すばかりなのだが、それに反して、伊達はにやりと笑った。
「高々、鉄パイプ程度でこの俺が倒れるとでも思ったか。素人が武器を持ったところで、蚊とんぼが蠅になった程度というところだ。折角だ、ひとつ打ち込んでみると良い」
伊達の悠々とした態度に、鉄パイプを持った男が二人、目をつり上げる。なまじ、喧嘩の心得があるのだろう。それでも、挑発に乗る時点で甘いと言わざるを得ない。
「いっぺん、死んでみろ!」
二人の男が、同時に伊達に襲いかかる。二つの鉄パイプを、同時に避けることなど、流石の伊達もできはしない。しかし、一つだけならば、先ほどの拳と同じで、避けるのは容易い。
「ぐうッ!」
二筋の攻撃の、一つはかわす。もう一つには、敢えて飛び込む形を取った。咄嗟に左腕で防いだが、鉄で思いきり殴られたことに変わりはない。激痛が走り、みしりという嫌な音がした。
それでも、伊達の行動は早かった。左腕で防いだ鉄パイプを、右手で掴み取り、引っ張ることで持っていた男の身体を揺るがせた。バランスを崩した男の膝に、思いきり踏み抜くように踵を叩きつける。悲鳴を上げて男は鉄パイプを離す。それを、伊達はそのまま奪い取った。
左腕はどうやら骨に罅が入ったらしい。練習中に何度か体験したことのある痛みである。気が狂いそうな激痛ではあるが、それも慣れてしまえば、あくまで気が狂いそうなだけであり、実際に狂うわけではない。元から覚悟していたものでもあった。
左腕は使い物にならない。しかし、鉄パイプを奪えたのは、それを補ってあまりある収穫である。先にも言ったが、伊達の道場は、剣も教えている。伊達も勿論、剣の心得があった。右腕一本でも、十二分に戦える。
「五人……否、六人目」
本来の剣は左手でしっかりと柄を握り、右手を添えるだけではあるが、逆手になっても応用できれば問題はない。伊達は腰を沈め、そのまま、もう一人の鉄パイプを持った男に斬りかかった。斬るというよりも殴りつける方が正しいのだが、切っ先にあたる、鉄パイプの先端を、男のこめかみに打ち込んだ。流石に痛みで少し動きが鈍り、慣れない逆手での一撃であるので、本来の動きには至らないが、素人との差は大きい。避ける間もなく、鉄の塊を脳に叩きつけられた男は卒倒した。
「くそ、こうなりゃ全員で行くぞ!」
「ほう。そいつは困る」
流石に、今まで様子を見ていた他の五人も、人数で攻めなければ敵わないと悟ったらしい。再び、周囲を取り囲まれて、伊達は割と本気で困った。武器を手に入れ、戦いやすくなったとはいえど、五人に一斉に飛びかかられては、流石に勝てない。
「……でもまあ、ここで負ける訳にもいかない。かの弁慶のように立ったまま往生する気概でいかねばな」
伊達はそれだけ呟いて、突撃してくる五人を見て、不敵に微笑んだ。