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仁科恵一と高木聖人

「雨宮……佳乃……」

 涼子が呟いた名前に、俺は聞き覚えがあったような気がした。

 あの女の名前だろうか。名前も顔も知らない、昔の恋人と名乗る、あの女の。

「仁科。呼びに来たお前が呆けてどうする。皆、待っているのだろう?」

「あ、ああ」

「五十鈴さんはどうやら、調子が悪くなったらしいな。天橋に面倒を見てもらうので、中に運ぶ。僕の身長では肩を貸しにくくてね。仁科、頼めるか?」

「ああ。確かに190cm超えてる人間には大変だな」

 高木の言葉に、考えを中断して、涼子に肩を貸す。

「ごめんね、恵一」

「いいってことよ。自分で言うのもアレだが、良いデキだ。温かいうちに食おうぜ」

 

 天橋に世話を頼んだ涼子は、すぐに体調が良くなったらしい。宴会も開始となって、漣がいつの間にか呼んでいた健二まで素知らぬ顔で座っていた。

「君が仁科君の弟か。千晴に似ているな。髪も長めだし、髪型を変えればそっくりなんじゃないか?」

「伊達先輩も、高木先輩に似てますね」

 健二はのほほんとした笑みで伊達を凍らせていた。それは一応、禁句なんだが。

「そういえば。お兄さんはずっと、千晴のことを千晴って呼んでたんですか?」

「確かに、言われてみるとメイドが主の名前を呼び捨てにするのもアレだな。何か別の呼び方があったとも思う」

「どうなんですか、お兄さん〜?」

 俺は三人娘に妙な質問を受けていた。

 相変わらずの漣の鋭さと、姫子の押しの強さに焦りながらも、なんとか誤魔化せないものかと考える。呼んでいた頃は、それがあまりにも普通だったものだから、意識することはなかったが、よくよく考えてみれば、けっこう恥ずかしい呼び方だったかもしれない。

「私も興味あるわね」

「仁科君の趣味がわかりそうだね〜」

 あろうことか、近くで話していた涼子と天橋まで関心を示した上に、伊達や健二まで話を中断してこちらを見ていた。

「ふむ。まあ、いいじゃないか。確かに君たちは、もはやただの主従ではないと思っているだろうから、その呼び方が違和感になるかもしれないが、今まで隠してきた友人達に、今までの様子を説明する一環だと思えばどうだ」

 逃げ道は案の定、高木に潰された。こいつは本当に敵に回したくない。

 頼みの綱の千晴は、照れているのか、困っているのか、顔を伏せている。

「ま、まあ別に良いじゃねえか。呼び方なんてどうでもさ」

「どうでもいいことなら、試してもいいよね?」

 天橋が逃がすまじと、天使のような微笑みで俺を見る。高木へのフォローのつもりなのだろうか。あまりにも凶悪だ。天橋の笑顔はそれだけで断りにくいのだから。

「聞かせてくださいよ〜」

 やめろ、姫子。お前も相当な威力の持ち主なんだ。よくよく考えれば、天橋も涼子も、三人娘も千晴も。みんなタイプは違うが可愛い子が揃っている。男も、童顔の健二は美少年であるし、伊達は文句なしの二枚目。高木だって、決して悪いわけじゃない。地味だが。

 顔の美醜で選んだ仲間ではないが、よくもまあここまで揃ったモノだと思う。

「ぼんやりと別のことを考えているところ悪いが、もはや、君が言わねば収集がつかない状況だよ?」

 伊達が現実逃避すら許してくれない。

「ったく。しゃあねえな。御主人様もいいな?」

「あ……は、はい」

 破れかぶれで、元の呼び名に戻した。思ったよりもあっさりと口から出てきた言葉は、改めて言うと、やはり違和感がある。懐かしいとも思うが。

 千晴はやはり恥ずかしかったのだろうか、さらに顔を伏せているが、頬が真っ赤なのがわかる。

「ご、御主人様……ねえ?」

 涼子が真っ先に反応した。完璧に呆れている。巴は呆然、漣は笑いを押し殺しており、姫子は何を考えているのかわからない。男連中は、まあ高木は知っているのでよしとしても、伊達も健二も顔を見合わせて、首を捻っている。

「兄さん、けっこう危ない趣味だったんだね」

「御嬢様とかならともかく、御主人様、か。仁科らしいと言えば、それまでだが」

 健二の言葉に、衝撃を受ける。御主人様という呼び方は、そんなに不味かったのだろうか。

「ふふ。私はいいと思うけどなあ」

 天橋だけは、終始ニコニコ顔だった。


 宴もたけなわ。その後、逆に呼んでみるのも面白そうだと涼子が言ったせいで、千晴が俺に向かって「御主人様」と呼ぶことになり、千晴がものすごく恥ずかしそうに、小さな声で「御主人様……」と呟いた。その仕草に俺は完璧にやられてしまい、くらりと頭が痺れた。

「高木さんだけが、全てを楽しげに眺めていたというわけか。中々羨ましい」

「漣ちゃんも、途中で気付いてたとは思うけどね。確かに楽しかった。仁科も千晴ちゃんも。巴と兄妹になれたのも、嬉しい。こうしてみんなで盛り上がることができるとは、最初は思っていなかったさ」

 漣と高木が、静かに、されど楽しそうに話している。

「涼子ちゃん……大丈夫?」

「今は、もう平気。ごめんね、調子悪くて」

「そっちじゃなくて、その……涼子ちゃん、仁科く……」

「それこそ、もう平気、と言えば嘘になるけど。はあ、私って諦めいいのかなあ。あの二人、すごく幸せそうじゃない。さっき高木君にも言ったけど、私の出る幕なんてないのよ。本当は、あの位置に私がいれたら、とは思うけど。私が私としてあの場所に行こうとすると、あの二人は、もしかすると幸せじゃなくなるかもしれない。そう考えると、もう何もできない」

「……涼子ちゃん。それは、諦めがいいんじゃなくて、涼子ちゃんが本気すぎるだけだよ……私、そこまで真っ直ぐに相手を想える人、他に知らないよ……」

 天橋と涼子は、どこかしんみりとしていた。女同士の会話の意味まで探ろうとは思わない。俺はこれでも好きな女と同じ屋根の下で寝食を共にしながら、未だに下着をたたむのを遠慮したくなるような紳士だからだ。

「さて。そろそろお暇しようか。時間も遅いし、特に巴ちゃん達は早く帰らないとね」

 みんなが思い思いに喋っている中、伊達がすぅっと立ち上がる。

「では、僕は洗い物をして帰ろうか。伊達、健二君。すまないが、女性陣を送っていってくれないか?」

 高木も続いて立ち上がり、他のみんなもそれに倣う。高木が自分から洗い物を買って出るのは珍しい。

「まあ、言われなくてもそうするつもりだ」

 伊達に続いて、健二も頷いて立ち上がる。

「洗い物、私も手伝います」

「いや、もう時間も遅いからね。僕に任せておくといい。家も近いし、大したことじゃない」

 巴の申し出を高木がやんわりと断り、それならば、と他のみんなも帰り支度を始めた。

 みんなが帰っていく。それぞれと挨拶を交わしながら、最後に俺と千晴、高木が残った。まるで、はじめてこの家に来たときのようだ。

「……さて、洗い物だが。どうしようか?」

 ふと、高木が俺の顔を見て言った。

 なるほど、好都合だ。俺から高木には少し残っていて欲しかった。まだ、こいつには用事が残っている。

「千晴。すまんが頼めるか。疲れてるなら、運んでくれるだけでも良い」

「御主人様を使うメイドも、珍しいですね……けど、わかってます。高木さんと、お話があるんですね?」

「ああ。埋め合わせは必ず。今月の給料無しでもいい」

 俺がそう言うと、千晴はにこりと笑って、テーブルを片付け始めた。高木が深く千晴に頭を下げ、部屋を出て行く。千晴には申し訳ないが、大事なことだった。千晴も冗談を言える余裕はあるようだし、俺と高木が大事な話があることに、気付いているらしい。本当に、いい御主人様を持ったと思うし、女性として、惚れて良かったと思える。

「仁科の部屋でいいか?」

「ああ」

 先を急ぐ高木に続いて、俺の部屋に向かう。

 高木も、わかっている。あんな誤魔化しの言葉では、俺を騙しきることができるはずがない、と。

 雨宮佳乃。その名前が出てきたときの、涼子の様子は尋常ではなかった。そして、あの高木のその場の出任せのようないい加減な誤魔化し方。普段の高木ならば、もっと上手に俺を騙すはずだ。何もないとは言わせない。

「……君のことだから、かなりわかってきているんじゃないか?」

 俺の部屋にはいると、まず高木から話を始めた。落ち着いた様子で、ゆっくりと壁に背を預け、俺を見る。まずは、どこまで気付いているかということを、俺の口から聞きたいと言うところだろうか。俺の言葉次第では、何の話もしないつもりかもしれない。高木と問答をすることは多かったが、ここまでマジで勝たなければならないのは初めてだ。なんといっても、自分のことだからな。

「まず、涼子があの女の名前を知っていた。それで、あの女……雨宮佳乃は俺のことも知っている。これが偶然とは思えない。つまり、俺と雨宮は知り合いだったんだろうな。俺が忘れているだけで」

「ほう」

 俺の言葉に、高木は真剣な表情で聴き入っていた。ここまでは、まだいい。さっきの出来事だ。

「ついでに、雨宮を見たときの涼子の反応。正直、あんな涼子を見るのははじめてだ。よほどショックだったんだろう。ってこたぁ、雨宮の言葉も、あながち冗談には思えない。あいつと俺は、いつかはわからないが、付き合っていたと考えることができる」

「そこまでは、僕も同意見だな」

 この段階も、クリア。あんまり想像したくはないが、あの女――雨宮佳乃と俺は付き合っていた。そう考えなければ、辻褄が合わなかった。

「……だろうな。で、ここからが問題だ。何故、俺が雨宮を忘れたか。正直なところ、昔の彼女の名前も顔も忘れるほど、冷淡な人間じゃないと思ってる。それどころか、付き合ってたこと自体、記憶にない。これはもう、記憶がすっぽり抜け落ちてるとしか思えない。俗に言う、記憶喪失ってやつか。まさか自分がそうとは思いたくねえけど、そう考えれば辻褄が合っちまう」

「流石、僕が考えている以上に君は、頭が切れる。千晴ちゃんの父上殿が、君を選ぶのも頷けるよ」

「茶化すな。それだけで、終わりじゃない。問題は、てめぇだよ」

「僕が、問題か?」

 高木が意外そうに俺を見る。予想外だったのか、そういうポーズなのか。長い付き合いだが、そこまではわからない。だが、俺は自分の考えを言うだけだ。

「大方、千晴から相談を受けてたんだろう。お前が俺の過去を探ってたことぐらいは察せるし、それを怒ろうとも思わない。だが、お前はそれで、何かを掴んだ。そうでなけりゃ、あの場で下手な誤魔化しなんぞしなかっただろう。掴んだのは、確証がある何かとは限らないがな。タダの勘かもしれないし、噂話とかかもしれない。けど、お前はあの場を誤魔化した。それは、事実だ」

「ああ。我ながら、不出来な演技だった。実際に五十鈴さんは具合がおかしかったし、混乱した状況で、あれだけできれば、まあ及第点かとも思ったが、少し足りなかったようだな」

 高木は苦笑して、「僕もまだまだ甘い」と呟いた。

「まさか、君がそこまで気付いているとは思わなかったよ。僕の持っている情報といえば、君が雨宮佳乃と交際していたのが、中学時代であるということと、五十鈴さんがそれを知っていたということ。せいぜい、雨宮佳乃が君より三つ年上、というところか。五十鈴さんは、五十鈴さんしか二人の関係を知る者がいなかったと言っていたから、それも付け加えておこう」

「……まさか、それだけで誤魔化すお前じゃねえよな?」

「ああ。しかし、ここから先は、それこそ僕の考えであって、見当外れかもしれない。君にとって有益なものになるとは限らないし、さらに言えば、僕の意見で真実が曇る可能性すらある」

「……そこまで、話す立場の人間がわかってるんなら、俺だって曇らせるような真似はしねえ。あの女の所為で、千晴と楽しく買い物してたのを邪魔されたり、とんだ災難だ。さっさと終わらせてやる」

 千晴。その名前を呟いて、ふと胸が温かくなる。

 もうロリコンでいい。年下好きとでも、ペドとでも、なんと言われようが気にならない。俺は真剣に千晴が好きだと思うし、守りたいとも思う。千晴が高木に相談を持ちかけたってことは、千晴にとっても、心配事になっているのだろう。昔の自分はしらないが、今の俺にとって、雨宮佳乃という女は邪魔者だ。

「いいのかい。君がかつて、愛した女かもしれないというのに」

「忘れちまった女だ。忘れたってことは、覚えてる価値がないってことだ」

「なるほど。実に前向きだ。ならば、いっそ彼女のことなど改めて忘れて、千晴ちゃんと心おきなく交際することを勧めるが」

 流石に、高木にバレていないはずがなかったか。俺と千晴を一番長く見てきた男が、わからないはずがない。

「心おきなく交際したいところだが、千晴の心配事を心配事のまま放置するようなメイドじゃねえんだよ、俺は。この期に及んで、はいそうですかと引き下がらねえからな」

「ふむ。仕事熱心なのか、恋心なのか……両方というのがタチが悪い。わかった。僕が危惧しているのは、雨宮佳乃に、何らかの企みがあるように思えたからだ」

「企み?」

「ああ。仁科との復縁ならば、何ら問題はない。断れば終いだし、おそらく、君にとっては朗報だろうが、僕の見る限り、千晴ちゃんも君に想いを寄せている。さっさと千晴ちゃんと結ばれれば、諦めさせることもできるだろう」

「一応、雨宮には付き合ってるってことにしてあるんだがな」

「なるほど。だとすれば、やはり危険だね。別の思惑があるような、気がする」

 高木は苦々しい顔で、俺を見た。一方、俺は千晴が俺を好きだという、高木の見解に思わず笑みが零れてしまった。本当だろうか。千晴も、俺のことが好きなら、それはつまり、両思いということだ。なんといっても、ずっと俺達の傍にいた高木の言葉なのだから、信頼が置ける。

「……まったく、現金な男だ。まあ、とにかく、これ以上は僕にもわからない。どのみち、彼女の動向には注意したほうがいいだろう。理屈ではなくてね、なんとなくそう思うんだ」

 高木の理屈は本当に沢山聞いてきたが、理由もない、勘のような言葉を言うのは、これが初めてじゃないだろうか。それだけ、雨宮佳乃という女は厄介なのかもしれない。かつての、俺の恋人だと名乗り、度々現れては、俺の気分を害する。果たして、何を考えているのだろうか。

 わからない。想像も付かないし、考えたくもないことだ。しかし、それだけでは解決にはならない。何かを企んでいて、それが千晴に何かあるようなことならば、全力で叩き潰す。俺と千晴の心を乱しても、同じだ。半年という時間が長いのか短いのか、俺にはわからないが、好きな女との時間を邪魔されて、指をくわえているほど、俺はお人好しじゃない。

「ありがとう、色々と世話を焼いてもらって」

「なに、知っていることと、考えていることを喋っただけだ。礼には及ばん」

 高木はしれっと答えて、部屋を出て行こうとする。相変わらず、肝心なところだけ外す男だ。

「みんなで集まって、楽しく過ごせる時間を、雨宮の所為で壊されたくなかった。だから、宴会が終わってから、この話をしたんだろ。お前が誤魔化した理由の、もう一つは、それだ。そっちに対しても、礼を言ったつもりだった」

 高木は立ち止まり、さりとて振り返るわけではなく、ただ、ぽつりと一言だけ呟いた。

「本当に、君にはまいったよ。親友と呼べて、誇りに思う」

 俺もだよ。

 その言葉は飲み込んで、俺は高木の背中を見送った。

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