メイド、実はかなり純情派
最近、如実に料理の腕が上がってきたことを実感する。
戸田先生にマンツーマンでレッスンを二週間。計六回受けただけなのだが、以前とは比べるまでもないほどの差を生んだ。
やはり基本的な包丁捌きや、知識の有無は必要だったのだと改めて思う。それに加えて、毎日の食事は全て俺が作っているので、実践の機会も多いのが良い復習にもなった。
「最近、恵一のご飯、すごく美味しいですね」
千晴も喜んでくれているようで、俺としても嬉しい限りである。肉じゃが一つにしても、煮くずれしないように角を切ったり、隠し味を加えたりしているし、カレーは市販のルーを複合させた上に、スパイスを三種類ほど加えるようになった。技術や知識の上昇と共にレパートリーも増え、今までは二十種類ぐらいだったのが、レシピさえあれば大抵の料理を作れるようにさえなった。
「仁科さんは、本当に筋がいいですね。毎日料理をしているのもあって、この調子なら、今からでも料理人を目指すことが出来るぐらいかもしれません」
戸田先生の言葉が嬉しかった。まあ、俺はメイドであって、料理人になる気はないのだが。その旨を告げると、少し残念そうながらも、「だからこそ、良いのかも知れませんね」と言ってくれた。夫婦揃って、いい人だ。
それとは逆に、伊達に鍛えてもらっている格闘技に関しては、あまり実感は伴っていない。
空いた夜の時間に筋力トレーニングと走り込みをしているのだが、元々気長に続けなければ成果が出ないものであるし、こればかりは毎日実践するわけにも行かない。
「少々、気が焦っているね。急いで強くなれるのは、天才だけだよ」
伊達は子ども相手に指南しているらしく、教え方も丁寧で、師事する人間としては優秀なのだろうが、俺にはあまり才がないらしく、伸びは芳しくない。最近、ようやく受け身をまともに取れるようになっただけだ。ただ、受け身は一人で練習できないので、筋力トレーニング以外で一人で出来る特訓を教えてもらうことにした。
「ふむ。仁科君はどうやら、防御よりも攻撃向きのようだしね。護身術を教えるつもりだったが、攻撃は最大の防御とも言える。実戦でも役立つ技を一つ練習してみようか」
と、伊達に教えられたのが、前蹴りである。ヤクザキックと言えば解りやすいか。片足を持ち上げ、前に突き出すという単純な動作であるが、正面から向かってくる相手にも有効だし、間合いも取れる。俺の身長も高木や伊達ほどではないにしろ、178cmと、高い部類に入るし、リーチも稼げる。
「前蹴りは、ちょうど目の前に障害物があると想定して、それを乗り上げるような感覚で撃つのがセオリーだ」
伊達の実践と説明を受け、俺は毎晩、庭に出て、ひたすら前蹴りの練習に余念がない。当然、筋力トレーニングも続行中である。
目標としては、そこらの不良に囲まれても、千晴を守り抜くことが出来る強さだ。仮想敵は、前に散々俺を痛めつけてくれたあの不良共。次に同じようなことがあったら、俺一人で守りきれるために。
そんなこんなで、あっという間に三週間が過ぎ、ようやく暑さにも翳りが見え始めてきた。
今日は日曜日で、千晴が家にいるので当然、料理教室も鍛錬もナシの日である。朝から朝食を作り、掃除と洗濯を済ませると、急に暇になった。千晴も俺が家事をこなしている間に宿題を終えたようで、暇そうである。
「さて、どうするか」
二人揃って暇になる時間は、普段もあるのだが、ここ最近は暇を見つけて鍛錬をしたり、そのせいで日曜は疲れてのんびりしていたので、何もすることのない状態は久々である。トレーニング量は減っていないが、身体が慣れてきたのか、疲れはない。せっかく千晴も暇なようだし、どこかに出かけるのも悪くはないか。
「んー、高木とか三人娘あたりを誘って……いや、やめとくか」
何となく、他の人間は加えたくないな。あいつらがいても楽しいのだが、たまには千晴と二人で出かけてみたいというか。いや、この前に携帯を買いに行ったときは二人で出かけたのだが、何というか。もう一度、特に理由もなく出かけてみたいのだ。
「……んー、誘ってみるか、なぁ……いや」
柄にもなく、尻込みしてしまう。どうにも、調子が狂う。前は気軽に誘うことも出来たのに、何故か誘うと考えただけで気恥ずかしくなってしまうのだ。
「恵一、どうかしましたか?」
「おぉぅ!?」
居間で一人唸っていると、千晴がひょっこりと現れた。慌てて体勢を整えて、何でもないぞ、と取り繕う。
不思議そうに俺を見る千晴だが、どうにも俺は千晴を正面から見ることが出来ない。おかしい。別にやましいことなどしていないのに、何故真っ直ぐに顔を見ることが出来ないのだろうか。それどころか、段々いたたまれなくなってくるというか、妙に焦ってしまう。
「あ、えーと。昼飯……にはまだ早いな。洗濯は……さっきしたし、まだ乾いてないか。そうだ、ちょっと掃除でもしてくるか」
「さっき全部できたって嬉しそうにしてたじゃないですか」
「え、あ。そ、そうだっけか。は、はは。参ったな」
誤魔化すように笑うが、ジト汗が腋の下を伝うのがわかる。
「な、なんか暑いな。エアコンでもつけるか」
「そんなに暑くないですよぅ。それに、さっき恵一が涼しくなってきたって言ってたじゃないですか」
千晴がちょっと呆れたように言う。くそ、さっきの俺め。余計なことを言いやがって。おかげで余計に暑くなってきたじゃないか。
ああ、もう。どうしたんだ。何でこんなことになってるんだ。千晴の傍にいると、全然俺らしくないじゃないか。さっきまで二人で出かけたいとか思ってたのに、目の前に来るとこんなに焦るって、どういう理屈なんだ。
「……なんか、恵一様子が変ですね。そうですねえ、たまには二人でおでかけしましょうか。良い気分転換になると思いますよ」
「へ?」
千晴の予期せぬ言葉に、気恥ずかしさを忘れて千晴の顔を見る。にこにこと笑っていた。
「ちょうどあたしも暇でしたし、涼しくなってきましたし、どうですか?」
うぅむ、やるな千晴。俺が苦労して一緒に出かける口実を考えていたのに、そんなにさらっと言えるなんて。
これではまるで、今までと逆じゃないか。おどおどしてる千晴を俺がちょっと強引にでも連れ出すという関係だったのに。さっきから俺がおどおどしているばかりで、千晴はすごく自然体だ。
なんとなく、納得がいかない。あくまでも千晴はからかい甲斐があってこそ、千晴なのだ。これじゃ俺は、ただの気持ちの悪いメイドじゃないか。ニヒルでシニカルなメイドを目指す俺としては、本懐ではない。
「それに、これじゃ俺がヘタレのようだしな」
ここでビシっと、年長者としての威厳を見せてやらないとな。
「へ、ヘタレって……どうかしたんですか?」
「いや。ま、あれだ。折角のデートのお誘いだ。喜んでお受けする」
デートという単語にアクセントを置く。よし、千晴が恥ずかしがるには十分な単語だろう。なんて言ったって、デートである。男と女がすることである。もっと言えば恋人同士とか。最低でも友達以上がするものである。中学生には刺激が強すぎたぐらいだ。千晴のことだから「あぅぅ」と言葉に詰まること請け合いである。しかし。
「ふふ、良かったです。そうですね、折角なのでデートっぽく、待ち合わせもしてみましょうか。一時間後に、駅前広場でどうですか?」
千晴はちょっと悪戯っぽく笑って、デートという単語を返してきやがった。
「え、あ、ああ。そ、そうだな。それでいいと思うぞ」
逆に俺が言葉に詰まる始末だ。くそ、最近の中学生はデートという単語ぐらいでは刺激が足らないというのか。マセてやがる。
「それまでに、どこに行くか決めておいてくださいね」
千晴は最後ににっこりと微笑んで、嬉しそうにステップを踏みながら、自分の部屋に戻っていった。準備をするのだろう。くそ、俺もこうしてはいられない。デートか。こうなりゃガチのデートをやってやろうじゃないか。意地でも千晴に恥ずかしそうな顔をさせてやる。
「……とりあえず、と」
俺は携帯電話を取りだして、いつもの通りの行動を取る。
『やあ、仁科か。どうしたんだ?』
電話口から聞こえる低い声に、俺はようやく落ち着くことができた。
「高木。すまんが、デートの方法を教えてくれないか?」
何と言っても、天衣無縫の恋人である天橋がいる高木ならば、デートだって場数を踏んでいるに違いない。相談相手に間違いはないと見た。
『ふむ、デートか。相手は千晴ちゃんか?』
「あ、ああ。まぁな」
『ほう……残念なことに、僕には協力できそうにないな』
「な、なんだって?」
『僕とひとみは、付き合いだしてからしかデートをしたことがない。そもそも、デート自体をあまりしないな。出かけるにしても、放課後に喫茶店で喋る程度だし、休日は僕の家で二人してごろごろとするのが基本でな。そうそう、昼からひとみが来るので、部屋を片付けている最中なのだ。これにて失礼する』
高木はそれだけ言うと、電話を一方的に切った。なんてヤツだ。しかし、伊達に身の回りにカップルが多い俺ではない。確か、伊達も彼女がいたはずだ。気を取り直して伊達に連絡してみる。
『やあ、仁科君か。どうしたんだい?』
「デートってどうすればいいんだ?」
『へえ、ついに千晴とデートか。良い傾向だね。そうだなあ、俺はデートとかしないから、わからないが、頑張ってくれ。応援してる』
「お前彼女いるだろ。なんでしないんだよ?」
『いや、まあ、そう言われても困るけど。俺はどっちかというと、多人数で遊ぶ方が好きだし、二人で出かけることより、彼女を含めてみんなで遊んでばかりだからね。そうだ、今度仁科も一緒にどうだ?』
「……気が向いたらな」
こいつも駄目だったか。色んな付き合い方があるものだな。しかし、肝心の方法はわからず仕舞いである。あと、彼女がいる人間と言えば……健二か。よもや弟に相談することじゃないが、この際だ。腹をくくるか。
『あ、もしもし。兄さん?』
「よお。お前、漣とデートとかするか?」
単刀直入に尋ねる。健二はやや呆気にとられたようで、しばらく黙っていたが、
『え……うん。するけど、どうかしたの?』
よし。流石は我が弟。期待できる返答だ。
「どんな風にすればいいのか、少し教えろ」
『うーん。そうだね。まず、手を繋いでお喋りしながら歩いたり』
「て、手を繋ぐのか?」
『基本だよ』
基本だったのか。くそ、難易度の高いテクニックだと思っていた。
『あとは、そうだねえ。映画を観たりするかな』
「お、それは何かデートっぽいな」
『この前は恋愛モノを観たよ』
「げ……ラブストーリーか」
『デートだからね。やっぱりそれぐらいは』
恐るべしデート。映画と言えば豪華なアクションか、見応えのあるサスペンスばかりだった俺にしてみれば、ラブロマンス映画はかなりハードルが高い。
『……兄さん、無理にデートって意識しないほうがいいんじゃないかな』
「そ、そうなのか?」
『アガりすぎると格好悪いしね。あくまでも自然体だよ。千晴さんが相手でしょ?』
こいつら、全員デートの相手を特定してやがる。伊達は本人の希望があるから頷けるが、何故に健二まで。
『まあ、本人達が楽しければそれが一番だよ。千晴さんが好きそうな場所を選ぶのが一番じゃないかな。じゃあ、頑張ってね』
健二はこれで全てだと言わんばかりに電話を切った。結局どうすればいいのかさっぱりわからない。
千晴の好きな場所と言われても、そんなの知らない。休みの日は図書館に行ったりするような子だぞ。デートで図書館というのも、なんだか違う気がするし、そもそも静かにする場所に行くのも躊躇われる。
せめて、千晴が行きたい場所でもあればいいのだが、そういう話はしたことがないのでわからない。
そうだな、千晴の好きなものから考えてみるのもいいかもしれないな。
「千晴の好きなもの、か」
改めて考えてみる。うぅむ、よくわからないな。一緒に生活してきたので、千晴の性格や行動はわかるが、あくまでもそれは日常生活の中での千晴であって、それ以外の部分はほとんど知らないのが実情だ。二ヶ月も一緒にいて、そんなこともわかっていなかったのか。
「……カラオケって柄でもないだろうな。プールはこの前行ったし、季節も過ぎたし。普通に繁華街を歩くってのが、無難か……?」
いや、でも繁華街も、この前の携帯購入の際に行ったばかりだ。せっかくのデートなのだから、普段と違うところに行かないと意味がないような気がする。
「……また聞いてみよう」
今度は千晴をよく知っている人間に。そうだな、巴辺りがベストか。
『もしもし。お兄さんですか?』
コール二回で巴は電話に出た。相変わらずの明朗快活な声が耳に心地良い。
「よお。巴、すまんが聞きたいことがあってな」
『あ、お兄ちゃんから聞いてますよ。千晴と遊びに出かけるんですよね。お兄ちゃんから『きっと巴に千晴ちゃんの好きな場所を尋ねてくるだろうから、教えてあげればいい』と言われました』
高木のやつめ。なんという先読みをするのだ。
『それでですね。千晴はどこに行っても喜ぶので、どこでもいいんですけど……』
「それじゃわからねえよ」
『ですよね。だから逆に、千晴が行ったことのない場所を考えてみたんですよ。お兄さんなら行ったこともあるでしょうし、けっこう良いと思いますよ』
おお、流石は巴だ。単に好みで考えるだけではなく、千晴にサプライズを提供できる場所まで考えてくれているとは。
「どんなところなんだ?」
『ふふ、けっこう盲点だと思うんですけど……』
わたわたする御主人様も好きですが、どんと構えた御主人様も好きです。
でもわたわたさせたい。これはちょっとしたジレンマですよ。