メイド、療養中
不幸中の幸いとでも言うべきだろうか。俺の身体は俺が思っている以上に頑丈で、打ち身こそ多かったものの、それ以上の怪我も無かった。
それでも、伊達のかかりつけだという医者を紹介されて診断してもらった結果、一週間は安静にする必要があるという。そんな余裕なぞ無いと言い張ったのだが、身体が口に異を唱えた。なんと腕が上がらなかったのである。老獪な医者は「骨が折れてないのが不思議」と言っていたが、あながち嘘ではないようだ。
そういうわけで、俺の両腕は上がらず、当然ながら家事なんぞ出来ない。入院の憂き目こそ避けられたものの、千晴の世話どころか、自分のことすら出来ない状況であった。誰か臨時のメイドでも来るのかと思ったが、千晴が、
「あ、あたしが恵一のお世話をします!」
と高らかに宣言したので、新たなるメイド参入とはならなかった。
しかしながら、千晴に家事が全部できるのか、甚だ心配である。
「なるほど、それは大変だね」
乗り合わせたついでとばかりに、大喧嘩の翌日に伊達が見舞いに来てくれた。
俺はベッドから身動きが出来ず、大したもてなしもできないのだが、見舞いに来た人間を怪我人がもてなすのも変だと思い、楽にしている。
「いや、それにしても良い傾向だよ。俺の睨んだとおり、君たちはただの主従関係で終わるようなペアじゃないね」
「またそれか」
「最近では、千晴を御主人様と呼ばずに、名前で呼んでいるそうじゃないか。まさか、メイドがそんな不躾な真似をするはずもないだろう。君たちが、既に主従関係というしがらみを抜けた、良い証じゃないか」
「『御主人様』が、そう呼ばないと返事もしてくれねえんだから、仕方ないだろ」
「ふふ、そういう状況になったのは、君だからだよ。もしも他の人間だったら、まだ千晴は心も開いてはいないさ。俺だって、小さな頃から何度も会っているからこそ、くだけた付き合いができているが、君のように信頼を勝ち取ってはいないさ」
伊達は自嘲するかのように薄く笑い、ふと窓の外に目を向けた。
「俺が千晴と出会ったのは、俺が5歳で、千晴が2歳のときだ」
伊達は懐かしむように目を細めた。
「なんだ、突然昔話か」
「君には説明しておきたいのさ。僕と千晴の関係ぐらい、メイドとしても知っておいた方がいいんじゃないか?」
メイドとして、それが知る必要のあることなのかはさっぱりわからないが、興味がないと言えば嘘になる。
もっとも、俺は未だに何故、俺自身がメイドに選ばれたのかもわかっていないのだが。
「引き合わせたのは俺の叔母だったかな。一番、婚約の話に乗り気で、初対面の俺たちに、お嫁さんだのお婿さんだの言って、握手させたんだ。よくよく考えれば、相当阿呆な話なんだけど」
「そりゃ確かに阿呆だな」
なんでまた叔母がしゃしゃり出てくるのかわからんが、許婚だからって、5歳と2歳のガキ同士で握手なんてさせるのかよ、普通。
阿呆としか言いようがない。
「ああ。身内を悪く言うのはあまり好かないけど、叔母さんはかなり権力やら金やらに執着していてな。手段を選ばない人だからな。まあ、千晴も俺も子供だから、よくわからんままに引き合わされて、取りあえず二人で遊んだんだが、当時の歳の差は大変なものだろう。5歳の俺が2歳の千晴と遊ぶってのは無理があった。俺が千晴のお守りをしてたってほうが正解か。何度かそんなことがあったけど、気付けば兄妹みたいになってた。千晴の人見知りは昔っからで、ロクに心は開いてくれなかったけどな」
思ったより、伊達は良く喋る男だ。俺は相槌を打つぐらいしか出来ない。
それにしても、千晴もよくわからん人生を歩んできているものだ。許婚と赤ん坊同然の頃から二人にされたり、中学生になったら相性がいいとか言う高校生と二人で住まわされたり――二人で住むと言い出したのは俺だが。
「まあ、よくも悪くも距離を置きつつ、兄妹みたいな関係を築いていったんだけどね。俺が中学生ぐらいになると、お互いが何故会わされているか、意味がわかりだしてね。焦ったよ。俺には別にちゃんと好きな人がいたし……」
「おうおう、急にドラマっぽくなってきたな」
「そんないい話じゃないさ。ま、その恋は叶わなかったんだけど、何を隠そう、今の俺にはちゃんと恋人がいるんだな、これが」
「………まあ、いてもおかしくねえが。いいのかよ、許婚がいるってのに」
「そこだ。千晴はさっきも言ったけど俺からしたら妹みたいなもんなんだ。好きになれって言う方が難しい。それに何より、恋人――真穂っていうんだけど。真穂と別れることなんかになりたくないんだ。ここだけの話、結婚したいとまで考えてる」
「話がすげー飛躍してるな」
伊達は思ったよりずっとぶっ飛んでる。
そういう意味では、こいつは好感が持てるのだが。それに、これはむしろ伊達と千晴の話じゃなくて、伊達のただの恋愛の悩みにしかなっていない。
「なんせ小さい頃から婚約だの許婚だの、そういう言葉が聞こえてたからな。恋愛に関しては多少なり妙な感覚になってるらしい。まあ、そんなことはどうでもいいんだ。それより、このままだと真穂と結婚できないという問題が残るわけで」
「ああ、千晴との婚約が残ってるんだっけか」
甚だ不本意であるが、こいつと千晴は許婚なのだ。
お互い、結婚する気はさらさらないのだとしても、その枷は少なからず付きまとうことは容易に想像できる。
「そこで、君が登場したわけだ。俺としては、この状況を打開するには、仁科君の力が必要になると思っている」
「は? なんで俺なんだよ?」
「わからないか。千晴側から婚約を打ち消せば、この話は水に流れる。今までそれが出来なかったのは、理由が無かったからだ。千晴に恋人が出来て、その恋人と結婚すると千晴自身が望めば、十年以上昔の口約束なんて、いくら俺の家族が主張しても通らないだろう?」
「ちょ、ちょっと待て。理屈はわかる。千晴の家のほうが力が強いから、千晴に断らせたいんだろ。それはわかるんだが、何で俺がそれに絡んでくるんだ。俺はしがないメイドだぞ」
「……まだわからないか。それとも気付かないよう努力しているか。まあいい。俺が言いたいのは、仁科君と千晴がくっつけば、万事解決ということだ」
「…………はい?」
「だから、仁科君と千晴が恋仲になれば、全てが上手くいくと言っているんだ。千晴は恋人がいるから、許婚を邪魔に思って水に流す。俺は晴れて真穂と結婚できる。どうだ、特に問題も無いだろ?」
「おい、何勝手に話を進めてんだ。俺と千晴がくっつくだと? 俺と千晴の気持ちを無視しといて、何が問題が無いってんだ。大アリじゃねえか」
高木が伊達と気が合わないのが判った気がする。こいつは、高木に似ている。
「……二人の気持ちも考慮に入れたつもりだったんだが」
伊達は苦笑して、再び窓の外に目を向ける。
俺は伊達から少し目を反らして、熱くなってしまった頭を冷ますことに努めた。
――千晴と、付き合う。恋人になる。
考えた事が無いわけではなかった。俺だって年頃の少年である。間近にいる異性を恋愛対象から除外することは難しい。
ただ、間近にいたからこそ、恋愛対象として見ないこともままあるわけで。そう、それこそ兄と妹のように。
実際、自分の気持ちもわかっていない。好意――好感は持っている。そんなことぐらい、考えなくともわかる。
恋愛感情の有無が、自分でもわからないだけだ。
「まだ、よくわかってないみたいだな」
「ああ。さっぱりわからん」
伊達が微笑んだ。俺も笑みで返す。
「じゃあせめて、これだけは言っておこう。仁科君。もし千晴を好きになったら――好きと気付いたら、迷わず行動するんだ。俺と千晴が許婚とか、相手が千晴だからと気兼ねするんじゃない。そんな関係とかしがらみは、ドブに捨ててしまえ」
「ドブに捨てるのか」
「海に捨てようが、ティッシュに包んで捨てようが、君の勝手だが。兎に角捨ててしまえ」
伊達はふふん、と自慢げに鼻を鳴らして高説を垂れた。
まあ、御説最もではある。このご時世に許婚だの身分の差だの持ち出してくるほうが、普通はおかしいのだ。
千晴と俺の気持ち次第。そこが一番の重点であり、今のところ一番はっきりしていないところだ。
「今すぐにとは言ってない。一番いいのは自分の感情に素直になることだ。その時に、余計なしがらみを持っていると悩まなくていいことで悩んでしまうからね。その懊悩も醍醐味の一つとして見るのもいいが、それが結局最後まで枷になっていては勿体無いだろ。どうやら、仁科君は高木以上に恋愛に疎いようだしな」
「ほっとけ」
大きなお世話である。それに、恋人のいる高木より疎いのは当然だ。
「放っておけないからわざわざ出向いたんだがな。まあ、俺としては、なんとしても二人には結ばれてもらいたいんだ。別に、千晴の相手が君じゃなくてもいいんだが―――文化祭の様子を見る限りじゃ……」
「ああもう、繰り返すんじゃねえよ」
考えたくもない。
―――千晴と他の男が一緒にいるところなんて。
「すまんな、どうも口さがない性格で。まあ、来た意味はあったようだが」
伊達はにやりと皮肉っぽく唇を歪めて、それがまた様になっているから余計に腹が立つ。少なくとも、こいつと千晴には一緒になって欲しくない。伊達が悪いヤツだとは思わないが――多分いいヤツなんだろうが、俺とはタイプが違いすぎる。あと、俺より男前なのが微妙に気にくわない。
「そういう狂言回しみたいのは、高木だけで十分だ」
「はは、手厳しいな。どうやら、役者は揃っていたようだ。俺の出る幕はないみたいだね」
伊達は苦笑しながら、それでも「高木と一緒にはしないでくれ」と真顔で言った。同族嫌悪もここまでくれば清々しい。
好きなタイプではないが、友達になれないワケじゃない。そんな感じか。この前は助けてくれたし、俺だって恩義ぐらい感じている。
「見舞いの名目で来てみたが、喋ることも喋った。仁科君も大事がないようだし、そろそろお暇するかな」
「結局、目的は見舞いじゃなかっただろ、てめー」
「そりゃそうだろう。可愛い女の子ならともかくね、男の見舞いなんざ、してもされても嬉しくないだろう。それより、そろそろ千晴が夕飯を完成させる頃じゃないかな。俺はお邪魔虫にはなりたくないさ」
伊達は飄々とした様子で立ち上がると、打ち身に効くと言う石田散薬を置いて、部屋を出て行こうとする。石田散薬って、新選組が愛用してた薬じゃねえか。そんな気合いの入った薬を使う気にはならない。
伊達が帰る前にどうやってこの薬を返そうかと逡巡していると、伊達が手を触れる前に、俺の部屋の扉が開いた。
「恵一、倭さん。晩御飯の用意ができましたよ?」
千晴がひょっこり顔を出した。どうやら料理は上手くできたらしい。表情は明るく、自信に満ちている。
「丁度良いタイミングだね。じゃあ、俺は失礼するよ」
伊達はここぞとばかりに帰ろうとするが、千晴がそれに対して、不思議そうな顔をした。
「あ、帰っちゃうんですか……その、倭さんの分も作ってしまいました……どうしましょう?」
ぴたり、と伊達の身体が停まる。よほど意外だったのだろう。伊達にしては珍しく、目を丸くして、千晴の様子を眺めている。
「……俺が一緒でもいいのかい?」
「勿論です。お父様しか家族のないあたしの遊び相手になってくれた、家族みたいな人ですし」
千晴の言葉に、再び伊達は驚いているようだった。よもや、自分の存在が千晴にとってそんなに身近なモノだったとは思っていなかったのだろう。それは俺にもわかる。なんてたって、俺もそれに驚いた人間の一人だからな。
「アニキ、飯は大勢で食うほうが美味いんだぞ?」
「そうですよぅ。あ、でも、そんなに美味しいかどうかわかりませんけど……」
伊達は少し困惑しているようだった。いや、混乱していると言った方がいいのかもしれない。
しばらく黙ったままで、千晴はいっそう不思議そうに首をかしげたが、やがて伊達はいつものにやけたツラを取り戻し、一言。
「いただいていくよ」
いつもより優しい声で呟いた。
ちなみに、千晴が初めて作った料理はカレーで、味は普通に美味かった。相変わらず甘口だったが、伊達は美味そうに食い、俺は上がらない腕を無理矢理上げて、おかわりまでしてしまった。
「俺にも、妹がいたんだな」
帰り際に石田散薬を千晴に渡しながら呟いた伊達の言葉が、ひどく印象的だった。
伊達サイドから見た、千晴の過去。
のつもりが、伊達の恋愛について書くハメに。