メイド、対峙
「御主人様〜」
「……」
「なぁ、御主人様。ちょっといいか?」
「……」
「……千晴?」
「あ、なんですか?」
「ちょっと思うところがあってな。原付の免許取りたいんだけど、いいかな?」
「いいですよ。というか、そんなのあたしの許可は要らないじゃないですか」
「いや、免許取るのに最低でも一日かかるし。それに、やっぱ御主人様に相談して決めるのが普通になってるからな」
「……むー」
「……いや、千晴に」
「わかりました。勉強するのにも時間がかかりますし、来週辺りに一日、お休みしてください」
「ありがとう。ちゃんと昼飯も用意しておくから」
「相変わらず、お休みをお休みにしない人ですね……」
二人でレストランで食事をした翌日の会話である。
御主人様はすっかり名前で呼ばれることを気に入ってしまったようで、御主人様と呼ぶと反応してくれない。
しかしながら、俺の中では御主人様というのが普通にになってしまっているし、改めて変えるのもなんだか恥ずかしい。呼ぼうとするだけで顔が赤くなってるんじゃないかと冷や冷やものだ。
「けど、なんで単車の免許なんですか?」
「いや、取るの楽だし、年齢から言っても、原付しか取れないけど」
「そ、そうじゃなくてですね。単車に乗りたいんですか?」
「あ、ああ。まあ、ちょっと思うところがあってな」
「それはさっき聞きました。思うところって、何ですか?」
御主人様め、いつになくしつこい。
いや、昨日から頑固というか、俺に対して割と積極的に喋るようになってきている。別に鬱陶しく思うわけではない。二人で生活を初めて一ヶ月半。ここまで心を開いてくれたのならば、嬉しいとさえ思う。
しかしながら、如何せんタイミングが悪い。
「まあ、大したことじゃない。原付があれば小回りもきくし、買い物とかも楽だからな」
「自転車の二人乗り……たまにしてもいいですか?」
「ああ。御主人様……いや、千晴と一緒に出かけるときは自転車だけど、この暑さだし、一人の時は原付でひょひょいと、さ」
「そうですね。炎天下ですし、一生懸命自転車漕いでたら、熱射病になっちゃいます」
「よし。そうと決まれば早速、掃除と洗濯してくる」
「……ほんと、恵一って家事大好きですよね……」
どうやら誤魔化せたようだ。御主人様……いやいや、千晴はちょっと呆れた顔をしている。今回ばかりは家事に逃げたというのが正解なのだが。
まあ、夏休みが終われば、俺も行動しやすくなる。夏休みの間は千晴も家にいるから、昼間に自由な時間が持てないのだ。
とりあえず、今のうちに免許を取っておけば、いざ行動する時とタイムラグが出来るし、丁度良い。
そんな会話を朝の内にしていたのだが、昼からは千晴と出かけることになった。
涼子がメールをしてきたので、返事をしていたら、千晴が携帯を欲しがったのだ。
「別になくても困らないだろう?」
千晴の躾も任されている俺としては、おいそれと携帯を持つことを許すわけにはいかない。まあ、然るべき理由があるならば問題はないので、要は千晴次第と言うことだ。妙な使い方をするとは思わないが、千晴のことだからうっかり有料サイトか何かに引っ掛かって、大金をせびられかねない。いくら大富豪の娘だからと言って、その使い方は駄目だ。
便利な世の中ではあるが、その利便性を使いこなしてこそ、初めて便利と言えるのだ。そこを間違えてはいけない。
「あると便利、というのは理由になりませんか?」
「どう便利か説明できたらいいぞ」
「緊急時の連絡用になりますよ?」
「例えば?」
「迷子になったりすると、迎えに来て貰えません」
「迷子になるのか、千晴は?」
「あぅぅ……なりませんけど」
「……他には?」
「じゃあ、恵一と外に出てるときにはぐれたら、連絡できなくなります」
「俺はちゃんと千晴を見てるから安心しろ」
「いつも、見てるんですか?」
「当たり前だ。御主人様なんだから、何かあったときのために見てないとな」
「……意地でも、持たせてもらいます」
何故か千晴に火がついたようである。見てて面白いので様子を観察する。
「出先で急に脚が必要になったとき、戸田さんに連絡できます」
「俺が携帯持ってる」
「恵一の携帯の電池がなかったら?」
「毎晩、必ず充電しているのは俺の美徳の一つだ」
「家の電話じゃ話しにくいことを、巴ちゃん達とする場合は?」
「コードレスがあるだろう。盗聴の可能性は無いはずだ」
むぅー、と千晴が唸る。少々悪戯が過ぎただろうか。高木相手に随分と喋ったから、その場しのぎ程度の反論はかなり得意とも言えるようになったけど。
「す、す、好きな人とメールしたり……」
「……は、はぁ?」
「そ、それぐらいしたいです!」
千晴は真っ赤になって、手をぱたぱたと振りながら力説した。
いや、確かに好きな人とメールするのは楽しいだろうさ。俺は携帯持ってから好きな人なんかできたことがないので、よくわからないけど、文通みたいなもんだし、そりゃ待ち遠しいのと、返事が来たときの嬉しさみたいのはあるはずだ。しかし。
「……す、好きな人とか、いたのか……」
「へ……?」
「千晴に、好きな人とかいたんだな……」
考えてみれば、当然のことだ。千晴は中学二年生。思春期真っ盛りの、お年頃じゃないか。
好きな男の一人や二人、いてもおかしくない。むしろ、いないほうがおかしいのだ。俺にだって多少の経験はある。
しかし、そりゃ大変だ。改めてこの状況を考えてみるんだ。千晴が誰を好きなのかは知らないが、今、千晴は男と同居しているのだ。そう、つまり俺と。
好きな男がいるのに、俺なんかと一緒に過ごさないといけないのは、思春期の複雑な心境を鑑みるに、実に悲しい事じゃないか。
俺がもし、誰かに惚れていて、この状況ならこう思う。なんでコイツと一緒なんだ、と。どうせならあの人が良いのに。
「……すまん、そうとは知らずに……」
「あ。え、そ、その……恵一?」
「俺、無神経だからさ。解ってなかったんだ。そうだよな。好きな人とメールぐらいしたいよな」
「……えぇと、その……」
「わかった、皆まで言うな。好きな人がいることを俺に言うだけで、かなり恥ずかしかったろう。千晴はそういう子だもんな。よし、早速買いに行くぞ。契約云々は全部芦田女史に頼めば何とかしてくれるはずだ」
「あー、えっと…」
「ほら、早く用意しろ。俺は芦田女史に連絡するから。そうだ、自転車で二人乗りするか。それとも俺なんかじゃ嫌か……?」
「そ、そんなことないですよぅ。わかりました。あたし、自転車出してきます」
「ああ。気付いてやれなくてごめんな」
「……全然わかってませんよぅ、この人……」
何やら千晴がぼそりと呟いたが、よく聞き取れなかったので、とりあえず先に芦田女史に電話をかける。
一秒で了承を頂き、近所の携帯ショップに行くと言うと、すぐに先方に根回しをしてくれるとまで言ってくれた。流石は芦田女史。一秒で了承するだけはあって、何でも出来る。
「恵一、自転車用意できましたよ〜」
「よっしゃ。行くか!」
考えたら、二人乗りもこれで最後かもしれないな。
胸の感触を、しっかりと記憶しておこう。
我が愛車フレイアはいつものように軽快な走り心地を見せ、あっという間に商店街についた。陽桜通り。割と若者向けのブティックなんかが並んでいる。ゲーセンや喫茶店もあるし、たまに高木や涼子達と遊びに来ていた。携帯ショップも当然ある。
自転車を駐輪場に停め、千晴と並んで歩き出す。夏休みとはいえ、平日なので人は少ない。それでもあちこちに人はいるし、若者だって多い。
「暑いですねぇ〜」
千晴はぱたぱたと手で顔に風を送りながら、それでも嬉しそうに言う。高級レストランでの正装も似合っていたが、こういう普通な感じのほうが似合ってるな。
「夏は暑いほうがいい」
あんまり暑すぎるのも嫌だが、汗が噴き出るぐらいの暑さが、やっぱり夏って感じがする。
「あ、ここですね?」
「おうよ」
しばらく歩くと、携帯ショップに到着した。店内にはいると冷房がガンガンきいていて、ふっと身体が楽になった。これも夏の醍醐味だな。
「いらっしゃいませ。鈴ノ宮様ですね?」
流石、芦田女史は手回しを既に終えていたらしい。千晴が頷くと、店員のお姉さんはにこりと微笑み、席を勧めた。
「どのようなタイプにいたしますか?」
「そうですねえ。メールがあれば、それでいいんですけど」
「ついでにカメラぐらいあればいいんじゃないのか?」
「そ、そうですか?」
「あって困るモノじゃないしな」
「では、このモデルなどは如何でしょうか。デザインも可愛らしく、鈴ノ宮様にぴったりですよ」
店員さんが示したのは、シンプルながら最新機種だった。パンフレットに目を通すが、一通りの機能は揃っているらしい。
「じゃあ、これにしますー」
「はい、かしこまりました。それでは用意に二時間ほどかかりますので、しばらくお待ちください」
「じゃあ、用意できたら俺の携帯に電話頼めますか。番号、これですので」
「はい、了解致しました。それでは」
契約はあっという間に完了した。後は二時間ほど時間を潰せばいい。
「千晴、少し遊んでいくか?」
「は、はい。そうですね」
いったん家に帰るのもありなのだが、せっかく繁華街に来たのだから、少しぐらい色々と覗いてみるのも良いだろう。
携帯ショップを出て、少し周囲を見渡す。あんまり暑いところってのも嫌だけど、喫茶店で時間を潰すなら、家に帰ってるのとほぼ同じだ。かと言って、ゲーセンってのもな。
「そうだ。ビリヤードでもするか?」
「あ、いいですね。御屋敷にビリヤード台があったので、少しはやったことあります」
「ほう、俺だってここらじゃデリンジャーショット恵一のアダナを持つ男。一丁、勝負と行くか」
割とこういう遊びが苦手な子もいるらしいが、千晴はノリがいいので助かる。インドアな家事も好きだけど、こういう外での遊びも好きだから、千晴と一緒なら動きやすいってもんだ。
ビリヤード場の位置は知っている。表通りには無くて、少しだけ裏路地に入ってすぐの場所だ。ここ二ヶ月ぐらい御無沙汰だし、久々だ。
「この通りは来たこと在りましたけど、こんな路地あったんですね」
やや薄暗いから、千晴は少し怯えているが、あまり治安は悪くない。それに、今の御時世、不良とかヤンキーが絡んでくるなんて、そうそう――
「よぅお二人さん」
いた。
ビリヤード場の真ん前に、頭の悪そうな金髪と、人生を投げてるようなデブがいた。
最初に断っておくが、俺は金髪もデブも嫌いだ。目にウルサイのと、視界が大いに隠れるからだ。つまりこの二人の組み合わせというのは、俺の視界を完璧に汚していた。
「仲良くビリヤードたぁ、いい気なモンだなァ」
一体、俺達の何が気に障るのか、金髪はジロジロと俺をねめつけ、フンと鼻を鳴らした。一方、デブは先ほどから千晴をじっと見つめ、怯えさせている。
「可愛い子じゃん。お兄さんと遊ぼうよ」
「ひぁっ!?」
デブが如何にも下心丸出しですと言わんばかりの笑みを浮かべ、思わず千晴が俺の陰に隠れる。いくら千晴が将来美人になりそうだと言っても、中学生だぞ。しかも、案外しっかりとした胸も服の上からではわからないはずなのに。
このデブ、ロリコンに相違ない。千晴を見る目が、もう思わずぶん殴りたくなるぐらいいやらしい。
「へえ、お前こういうのが好みなのか。俺はその男が嫌いだし、丁度いいよなァ」
金髪は何故か、既に俺を嫌っていた。そんな一目見て嫌われる素養を俺が持っていたことに驚きである。高校にいた頃は、これでも周囲と仲良くやっていたし、特に敵を作ったこともなかったのに。
「なァ、その子置いて、とっとと消えてくれないかなァ。俺、アンタみたいなヤツ嫌いでよ。目の前にいられるとすげえウゼェ」
金髪は眉をひそめて、俺にぐっと睨みをきかせてきた。顔の造作が中途半端に良いので、怖いようで滑稽な顔になり、思わず吹いた。
「あァ、てめぇ何笑ってんだ、コラァ!?」
「いやすまん。実に申し訳ない。人の顔を見て笑うのはいけないことだよな」
相手が俺を嫌ってようが、世の中にはやってはいけないことがある。それを侵してしまったのなら、謝るのが人としての礼儀だ。
「てめぇ、巫山戯てるのか?」
しかしながら、俺の誠意は通用しなかった。素直に謝ったのに。
「け、恵一……素直すぎます。あんなこと言ったら、誰だって怒りますよぅ」
「そ、そうか?」
「睨み付けた顔が面白いなんて言ったら、駄目ですよぅ。かわいそうです」
「そ、それもそうだな。いや、ほんとに悪かった」
改めて頭を下げる。しかしというか、やっぱりというか。金髪は顔を真っ赤にするぐらいに怒っていた。
中学生(見た目はほぼ小学生)にかわいそうとか言われたら、怒りもするか。俺も千晴もこういうときに、デリカシーがない。
「てめぇら、マジで殺すぞ」
金髪はぐっと俺達に近づき、いっそう睨みをきかせる。ただでさえ面白い顔がドアップになって、俺はたまらずまた吹いてしまった。
「ぶはっ……っくく……ああ、すまん。悪気は無いんだ……ははは、でも駄目だ。笑える!」
薄い眉毛をぴくぴくと震わせているのが、なんだか尺取り虫みたいなところが最高だった。
「この、クソがぁ!?」
「うぐッ――!?」
金髪の怒号と共に、腹部に鈍い痛みが走る。やべえ、殴られた。
「け、恵一!?」
千晴が悲鳴のような声をあげて、俺に近寄る。
くそ、ズキズキしやがる。けど、これぐらいじゃまだまだやれる。これでも毎日掃除洗濯料理とせわしなく動いてるんだ。
それに、千晴――自分の主を護るのがメイドの勤め。一発で沈んでる場合じゃない。
「千晴、逃げろ」
痛みを堪えて、真っ直ぐと立つ。金髪はまだまだ気が収まらないらしく、今にも殴りかかってきそうな勢いだ。こうなりゃ、俺が囮になったほうがいいだろう。
「千晴、行け!」
「あぅぅ……だ、駄目ですッ!!」
しかし、何故か千晴は俺の後ろにぴたりと背中を向け、丁度背中合わせになるように立った。
「ふふ、僕もいること、忘れてもらっちゃ困るよ」
俺の後ろ、丁度、千晴の真ん前からデブの声がした。あのデブ、デブのクセに動きが速い。
「……くそ、しゃあねえ。千晴、俺から離れるなよ!」
喧嘩なんざ久しぶりだが、こうなった以上仕方ない。
別に武道を修めたわけでもないし、慣れてもいないが、やらなきゃいけないこともある。それが今だ。
両手を構え、金髪を見据える。デブが千晴に襲いかかってきたら、振り向きざまに肘を顔面に叩きつけてやる。
「おぅ、やる気じゃねぇか。彼女護るためとは、泣かせるなァ!」
「彼女じゃねぇよ、アホ!」
突っかかってきた金髪に、こちらも一歩踏みだし、そのまま肩を前に突き出す。
カウンターの基本、ショルダータックルの体勢だ。
お互いの勢いが、モロにお互いの身体を突き抜ける。しかし、ダメージの差は歴然だ。殴りかかろうと、拳に力を込めていた金髪と、肩に力を入れていた俺。
俺は相手の懐めがけて身体を押し出したので、金髪の拳は中空を振り抜くだけに終わり、俺の肩がそのみぞおちに決まった。
「がはッ!」
「うぉらァッ!」
体勢を崩したところに、追撃。素人喧嘩の武器は脚。リーチも長く、威力も高い。
そして、モーションが少なく体重のかけやすい、前蹴り。いわゆるヤクザキックが効果的なのだ。
俺が狙ったのは、体勢が崩れ、少し下がっていた顎。やや掬い上げるように思い切って右足を突き出す。
「ぐぁッ!?」
脚に手応えがあり、金髪がどうと倒れた。
良かった、こいつも喧嘩慣れしてないみたいだ。後は、千晴を――
「ッ破!」
「ぶわぁ!!?」
振り向こうと思った瞬間、デブの巨体が宙を舞っていた。
千晴を見ると、微かに手を前に掲げている。どすんと音がして、デブが伸びる。
「……ふぅ。鈴ノ宮の令嬢ともなると、護身術ぐらい身につけているものですよ?」
「千晴?」
「恵一、無事でしたか。私もこの通りです」
千晴は振り返り、にこっと笑う。
否、違う。おかしい。違和感がある。
この感じは、前にも体験したことがあるはずだ。そう、それに、千晴の一人称。
普段、千晴はあたしと言う。私じゃない。
「これは……仮面、か」
「ええ。このような使い方も、できるのですよ」
「……そうか」
出来れば、二度と見たくなかった。俺はこの千晴が好きじゃない。
別に、何かが変わったわけじゃないが、このような仮面を身につけなければならないことが、何よりも嫌だった。
「千晴……もういい。いつも通りに戻ってくれ」
「……そこまでは、コントロールできません。ご心配なく。気が落ち着けば、また戻るので」
本人も、変わっていることの自覚はあるようだ。しかし、コントロールすらできねえとは。
そんなもん、被らなきゃいけねえのかよ。
「……くそ、行くぞ」
「はい、行きましょう」
腹が立ってしょうがない。腹いせに伸びきったデブを蹴り飛ばして、その場を去る。
今更、ビリヤードをする気にもならなかった。
次回に続きます。