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メイド、大地に立つ

「起きてよぅ、学校に遅刻しちゃうよぅ」

 ゆさゆさと、身体がを揺すられる。この感触は――幼馴染だ。

「なんだよ、もう少し寝かせろよ」

「駄目だよぅ、あたしまで遅刻しちゃうよぅ」

「いいじゃねえか、仲良く遅刻しようぜ」

 夢現に答えながらもぞもぞと身体を幼馴染と反対の方向に向ける。

「あぅぅ……起きてよぅ、ねぇ、起きてってば……起きてよぅ」

 ゆさゆさ、ゆさゆさと一生懸命俺を揺さぶっているようだが、逆に心地よい。

「あぅぅ……ご、ご主人様の、い、言うこと、聞いて…ください」

「あぁん、ご主人様?」

 なんとなく、不吉な言葉を耳にしたような気がする。

「あ、あたし……あなたの……ご主人様なんですよぅ。い、い、言うこと、聞いて下さいよぅ!」

 すぅっと、眠気が覚めてゆく。目の前で、ちんまいガキがおろおろしていた。

「お目覚めでございますか?」

 運転席から渋い声が聞こえる。なんとなく、現状を把握したような気がする。

「……そうだ、俺がメイドだとか、そうでないとか」

 そこまで自分で呟いておいて、さっきまでのやりとりを思い出す。

「――――はぁ」

 一番夢に近いと思われた内容は、どうやら夢ではなかったらしい。






 着いた先は、吃驚するぐらいのでっかい屋敷だった。戸田のおっさんの話によると、敷地面積は我が家の20倍。使用人を合わせて30人が暮らしているという。

 庭には案の定ドーベルマンが目を光らせ、入り口の前には門番と思しき黒服の男が2人、汗一つ見せずに仁王立ちしていた。

「俺の家から、どんぐらい走ったんだ?」

「ほんの30分ほどでございますよ」

「…今まで知らなかったぞ。こんなデカイ屋敷」

「報告によれば貴方様の行動範囲より2kmほど離れていますね」

「いつの間に調べたんだそんなもん」

「母上様の全面的な御協力と、私どもの諜報チームの調査が…」

「人権侵害。道徳無視。鬼畜。陰険」

「保護者の承認を得ておりますし、探偵の資格を有した者たちばかりです。ご心配には及びません」

 戸田のおっさん、意外に食わせ物だ。自称御主人様は隣であぅぅとおろおろするばかりだし、どうしようもない。

「応接間で旦那様がお待ちになっておいでです。どうぞ」

「…こうなったら矢でも鉄砲でも…か。上等だ、行ってやろうじゃねえか」

 ここでさよなら、と言われても路頭に迷うだけだ。

 戸田のおっさんの案内により(運転手ではなかったのか?)応接室に通される。途中の廊下は学校の2倍の幅を有し、ところどころに高そうな壺やら、絵画が飾られていた。これは本格的なまでのお屋敷である。

「旦那様、お連れいたしました」

「うむ、御苦労。戸田、下がってよいぞ」

「畏まりました」

 応接間は上等な革張りのソファが大理石の机を挟んで並べられているという豪華なつくりだった。そのソファで足を組んで待っていたのは、いかにもナイスミドルな初老の紳士であった。

「……わざわざ足労させてしまった。どうぞ、かけてくれ」

 ナイスミドルが渋い声で呟くと、隣で控えていた秘書らしき女性が席を勧めてくれた。立ちっぱなしもなんなので、取り敢えずソファに座る。

「…芦田あしだ君」

「はい。では私のほうから説明させていただきます」

 芦田と呼ばれた秘書風の妙齢の美女は、手にしていた書類を一枚めくって俺の顔をちらりと窺った。

仁科恵一にしなけいいち、十七歳。県立陽桜高校二年。身長178cm、体重65kg。血液型はO。4月21日生まれ。現在両親と弟の4人暮らし。性格は自由奔放、やや無鉄砲な一面あり。成績、運動神経とも並。友人は多いが、悪友と呼ばれる人間が占める割合がやや多い。間違いはないでしょうか?」

「さっき家を出たから4人暮らしのところを訂正しておいてくれれば問題はない」

 まったくよく調べたものだ。諜報チームというのは、なかなか優秀らしい。

「では仁科様。お話はお嬢様からお伺いかと思いますが、説明をさせていただきます。貴方様はお嬢様専属の世話役として住み込みで働いてもらいます。高校のほうはこちらから休学の手続きを取らせていただきました。給金については―――年額でこちらを用意しております」

 芦田女史はおもむろに一枚の紙を俺に手渡した。見ると、親父の年収をはるかに超える額がそこに記載されていた。

「―――俺にこれだけの金をくれてやるって、どういうことだ?」

「どういうことも何も、妥当な報酬でございます。貴方様は探してすぐ見つかるような人材ではございません。無論、各種保険、その他の手当てなども十分に揃っております」

「それだけではない。君が望むことがあれば、可能な限りのことはしよう」

「もう少し、仕事内容について詳しく説明してほしいんだけど」

 あまりにも話が美味すぎる。一体、何をしようというのだ。

「基本はお嬢様の身の回りのお世話でございます。ただし条件として、こちらに一切の質問などはなされないこと。教育、躾などは全て仁科様の独断で行ってください。その際の経費は月に――これだけの額を用意しております」

 …また紙を渡される。これも一ヶ月、家族4人が普通に暮らせるだけの額だった。

「―――ちなみに。この先どのようなことが起きようと、当方一切の責任は取りません。逆を申し上げますと、どのようなことが起きようと、一切文句はつけません」

 芦田女史がふっと、妖しい笑みを見せた。

「……仁科君、やってくれぬか?」

「今までの流れで言うと、問答無用でやれと言っているように聞こえるんだが?」

 ナイスミドルの温和な目が一瞬ギラリと光った。そして次の瞬間破顔して、

「流石は千晴と抜群の相性を持っているだけはある。こちらは君に拒否させるつもりは一切考えておらん。あらゆる方法をもってして君を千晴の側に仕えさせる」

 にこやかに空恐ろしいことをのたまいやがる。これがこの不況の中、財閥とやらを切り盛りする男の貫禄だろうか。

「……何をしようと文句はないんだな?」

「そう言った」

 ナイスミドルは間髪いれずに答えた。

 美味い話――いや、美味すぎる話である。裏があると思ったほうがいい。しかし報酬はあまりにも魅力的だ。家を出ようと思っていたことだし、先立つ資金はどうしても必要なものだ。ヤバイと思ったら逃げてしまえばそれでいい。

「よし。この話は受けよう。今日から早速、なのか?」

「ああ、頼むぞ」

「わかった。じゃあ早速、芦田さん、やってほしいことがあるんだ」

「畏まりました。では別室に案内します」

 芦田女史はゆっくりとナイスミドルに頭を下げると、こちらですと言って応接間を出た。

「仁科君、娘を頼んだよ」

「―――何を考えているのか知らないけど、まあそれなりにやってやるさ」

 ナイスミドルに軽く一礼して、芦田女史に続いて応接間を出た。



「早速だけど、オジョウサマ込みで話をしたいんですが。戸田さんとオジョウサマと、呼んでくれませんか?」

「あら…随分と態度を変えられたのですね」

 別室に案内され、席に着いた途端、俺の態度の豹変に芦田女史は意外そうな顔をした。

「雇われて早速仕事をするんでしょう。俺が一番格下のはずです」

「へぇ…ただの傍若無人ではないのですね。私としたことが、甘く見ていたようです。しかし私に敬語は不要ですよ。むしろ、貴方本来の言葉で接してください。旦那様相手に互角に話をするような仁科様だからこそ、お嬢様に相応しいのですから」

 そう言って芦田女史は携帯電話を取り出して、オジョウサマと戸田のおっさんを呼び出した。まあ、そういうことなら遠慮はしない。一体何を期待されてるのかは知らないが、やりたいようにやれと言われた以上、やりたいことをやるまでだ。

「…あと5分ほどで来られるそうです。それまでに何か聞きたい事はありますか?」

「単刀直入に聞くと、何を考えてるのか聞きたい。さっき戸田さんから相性云々と聞かされたんだが」

「まことにそのとおりですよ。仁科様―」

「呼び捨てでかまわないが」

「ならば恵一さんとお呼びしましょう」

「……まぁ、別にいいんだけど」

「ふふ……恵一さんとお嬢様は非常に稀なほど、よい相性なのですよ」

「じゃあ別にメイドでなくても……」

「…メイド?」

 芦田女史が首をかしげる。

「メイドというより、世話役。どうせなら執事と言うべきなのですが」

「あー、まあ、そうなんだが」

 まさか妄想を引き摺っていたなどと言えるはずもなく。俺は思わず言葉に詰まってしまった。

「いえ、しかしメイドはよいですね。これから恵一さんはお嬢様専属メイド…なるほど、よい響きです」

 何故か芦田女史はメイドを気に入ったらしい。先ほど俺の豹変振りに驚いたようだが、俺からしてもこの人には驚かされているような気がする。


 それからしばらくすると、戸田のおっさんとオジョウサマがやって来たので、本題に移ることにした。

「まず、オジョウサマと俺はこの屋敷を出る。芦田さん、どっかでいい物件を一つ探してきてくれないか。あまり大きくなくていい。それぞれの個室と、居間と台所。借りるだけでいい。家賃は経費から引いてくれ」

 いきなりの俺の言葉に、オジョウサマは目を丸くしてぽかんと大きな口を開けた。芦田女史は一瞬目を見開いたが、すぐに面白い、と言った目で「承りました」と応えた。

「オジョウサマ、引越しの準備だ。必要な荷物を纏めてくれ」

「あ、あぅぅ……な、な、なんで…お引越し、なんですか?」

 おどおどしながらも、オジョウサマは疑問の眼差しを向けてくる。

「このでかい屋敷は性に合わん。一人暮らししようと家を出たんだし、ちょうどいい」

「まことに恵一さんらしい考え方ですね。では早速手配致しましょう」

 芦田女史はにっこりと微笑んで部屋を出て行った。

「私は何をすればよろしいのですかな?」

 戸田のおっさんが相変わらずの渋い声で尋ねる。

「戸田さんは荷物の運搬。それとこれからオジョウサマの足はリムジンでなくて、普通の――そうだな、スプリンターとか、シビックとか。クラウンでもいいんですけど」

「畏まりました」

「ああ、俺には敬語使わなくていいです」

「そうは参りません。私はお嬢様と貴方様の直属の部下となるようお達しがありました。戸田のおっさん、とお気軽にお呼び下さい」

「あ、そーなってんのか。じゃあ遠慮しないことにする」

 俺がそう言うと、戸田のおっさんは優しい笑みを浮かべてうんうんと頷いた。

「さて、オジョウサマ。さっさと荷物、用意しろよ」

「あ、あぅぅ……あの、なんだか、立場が、逆なような……」

「気のせいだ。そんなことは気にせずさっさと用意して来い」

 ひょいと首根っこを掴んでオジョウサマを部屋の外に摘まみ出す。

「あ、あぅぅ……メ、メイドはこんなことしませんよぅ」

「躾も任されている。お前の親父は一体どういう神経なのか知らんが、お前に関するほぼ全てを俺に一任した。無論、メイドを名乗るからにはちゃんとした仕事もしてやる。安心しろ」

 俺の答えにオジョウサマはがくりと項垂れた。どうやら予想外の展開だったらしい。

「まあそう気を落とすこともないぞ。そうだな、きちんと御主人様と呼ぶし、三食も用意しよう」

「それはようございますな。きっと楽しい食卓になりましょう」

 戸田のおっさんも俺に同調する。御主人様は戸田のおっさんにすがるような目で見るが、おっさんはまるで知らんように温和な笑みを浮かべたままである。やはりこのおっさん、なかなかの食わせ物だ。

「あ、あぅぅぅ……」

「ほぅら、そんな顔するな。それじゃ俺が悪魔か何かみたいじゃねえか」

 俺は思わず苦笑してしまった。元が粗野なせいもあり、けっこう煙たがられたりもしてきていたが、やはり良い気分ではない。

 すると御主人様は何を思ったか俺の顔をじっと凝視して、ふっと顔を翳らした。そして、おずおずと、しかし確実に頭を下げた。

「ご…ごめんなさい……」

 ほぅ、と思わずため息が出た。お嬢様として育てられたせいで、下々の機微に関して全く興味を持っていないものだと考えていたのだ。だからこそ俺のような破天荒な人間を下につけさせて、人間性などを理解させようとしているものだとばかり思っていた。融通の利かないメイドなれば、人が我が意のまま動かないという事実に気づく――そういう教育の一環ではなかったわけだ。彼女は、そんなことをするまでもなく、人の心がわかる人間だ。多少トロくさいが、きちんと謝る事は出来る。

「気に入ったぜ、御主人様。俺はあんたにばっちり仕えてやる」

「……へ?」

「俺は御主人様を気に入った。よろしくな、これから頼むぜ」

 俺は珍しく笑顔で御主人様に手を差し伸べた。御主人様はしばらくぽ〜っと俺の顔を手を交互に眺めていたが、やがて思い出したように手を差し出して、俺の無骨な手を握った。

「こ、こちらこそよろしくお願いします……」

 主従関係とはおよそ思えない。いや、むしろ俺が主のほうじゃないかと思うような状況だ。文句の一つでもつけられそうなところだが、契約どおり、戸田のおっさんは俺の態度に何も言わない。いや、契約云々の前に戸田のおっさんはいつも温和な笑みでも浮かべているんだろうけど。

「恵一さん、物件の確保が出来ました」

 ちょうど良いタイミングで芦田女史が部屋に入ってきた。流石、仕事が迅速だ。

「御主人様。用意してきな。何なら手伝うけど?」

「あぅぅ…一人でできます……」

 顔を赤らめながら御主人様はとたとたと部屋を出て行ってしまった。

「…これから、ですな」

「…これから、ですね」

「……これから、だな」

 御主人様が駆けていく様を見ながら、戸田のおっさんと芦田女史は微笑んだ。

 一方俺は、ここまでノリで来てしまったので、取り敢えず感慨ありげに呟いただけだった。


 こうして、俺のメイド人生の幕は開いたわけだ。



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