恵一と千晴
「いらっしゃいませ。仁科様と鈴ノ宮様ですね」
「あ、ああ」
「御席へ案内致します。どうぞこちらへ」
店に入るなり、まるで俺達の顔を知っているかのような雰囲気で、老紳士が出迎えてくれた。確かに俺達のような若者が他にもそうそう来るわけでもないのだろうが、それにしたってオドロキだ。
案内の仕方ひとつにしたって、丁寧かつあくまでも主賓を大切にするような身のこなし。俺なんかより、よほど世話役が向いていそうだ。流石、高級レストランはひと味違う。近所のファミレスしか知らない俺は、まことに失礼ながらバイトの女の子とこの老紳士を較べてしまった。この人は、戸田のおっさんとタメ張るレベルに磨き上げられたプロだ。俺も少々参考にさせてもらおう。
「こちらでございます」
案内された席は、二人がけなのに随分と大きいテーブルだった。
御主人様と向かい合って座ると、少し距離が遠い感じもするが、他のテーブルも似たようなモノで、皆普通に喋っている。
「恵一はこういうところ、初めてですか?」
「寿司は回転。レストランは家族向け。焼き肉は外国産オンリーが我が家のしきたりだ」
「ふふ、あたしもあんまり慣れてないですが、ここはとても美味しいですよ」
ほう。それならば是非、味も参考にしてみよう。一応、料理の基礎とかは雑誌やテレビで勉強してるし、実践も相俟って上達はしたと思うが、今一歩、主婦のような手際の良さや、プロのような唸らせる旨さには届いていない。
「メニューをどうぞ」
すっと、横手から豪華なメニューを渡される。本革張りの装丁に、中は羊皮紙という凝りよう。内容は英語なのかフランス語なのかわからないが、きちんと日本語で訳されており、どんな料理かという解説までついている親切設計。単に高級志向というだけではないな。
よく気取って日本語を一切使わないメニューがあるが、俺はアレが嫌いだ。確かに本格派なのかもしれないが、飯を食うのは日本人だし、ここは日本だ。日本の公用語を使えと思う。少なくとも、なけなしの金を貯めて彼女と高級レストランに入った青年が恥をかかないようにしてやる配慮はすべきだ。
「ふーん。お薦めフルコースってのが解りやすそうだな」
少々遅い夕飯なので、しっかり食べておきたいし。この際、値段は気にしなくて良いだろう。
ややこしいマナーなんて知らないが、御主人様ならわかるはずだし、これにしてみよう。
「じゃあ、俺はこのお薦めフルコースで」
「あたしもそれでお願いします」
「かしこまりました」
老紳士は慇懃に一礼して、音もたてずに歩いていく。
しかし、改めて様子を見てみるが、このレストランは本当に豪奢という言葉がよく似合う。
深紅の絨毯に、間接照明のみの光源。空調は肌寒いと思う少し手前程度。料理を食べてもあまり熱くならないようにという、気配りなのだろう。テーブルクロスはおそらくシルク。天鵞絨ですら高級品に思える俺にしてみれば、もうわけがわからない。
「ご、御主人様……俺、浮いてないか?」
「大丈夫ですよ」
くすくすと御主人様が笑う。こういうところで落ち着けと言う方が無理だ。
それにしても、御主人様はとても穏やかというか、平然としている。慣れていないとかのたまっていたが、慣れていない人間にしては自然すぎる。仮面を被っている様子でもないし、良く来るとまでは行かなくても、不慣れというほどでもないのだろう。小憎らしい気がしないでもないが、心強くもある。
さて、こういう場所ではどのような会話をすべきだろうと考えていると、先ほどの老紳士が何やらボトルとグラスを持ってやって来た。
「食前酒で御座います」
なるほど、フルコースと言えば、食前酒もつくものである。そんなことも失念して頼んだ俺もアホだった。
「あの、俺達未成年なんだけど」
「はい。ノンアルコールワインになりますので、ご安心ください」
へえ、そんなものもあるのか。確かにノンアルコールビールとかもあるし、こういうのもあるのだろう。
「ノンアルコールと言いましても、これはワインコンテストで受賞したこともあるものでして、食前酒に合う白ワインですので、御堪能ください」
老紳士は解説しながら、俺と御主人様の前にグラスを置く。まずは俺の方につぐようだ。
「ああ、先に彼女からついでください」
「あ、駄目ですよぅ。今日は恵一が主賓です」
「……ここは、御嬢様のお気持ちをお受け取り頂くということで、ようございましょうか?」
「まいったな。じゃあ、そうしてください」
結局、俺の方からつがれることになった。
白ワインが静かにそそがれ、甘い香りがふわりと匂い立つ。いかにも食欲をそそりそうだ。
俺に続き、御主人様にもそそがれる。
「良い香りです」
御主人様が静かにグラスを手に取る。
「あの、その。いつも、ありがとうです。こ、これからもよろしくお願いしますね」
最近ではあまり聞かなくなった、どもるような声。ちょっとキザなセリフに照れているのだろうか。
「ああ。御主人様も、いつもありがとうな。拙いメイドを色々手伝ってくれて」
俺もグラスを持ち上げて、微かに重ね合わせる。
チン、と小さな音がなり、それと同時に自然と笑みが零れた。
「こ、これ……美味いな」
フルコースは魚料理まで進み、俺は都合何度目になるかわからない感嘆の声をあげていた。
ちなみに、簡単に説明しておくと、フルコースとは十二品出される。最初は食前酒で始まり、次にオードブル。続いてスープとパンが同時に出され、魚料理となる。この後は、肉料理、ソルベ(いわゆるシャーベット)、ロースト、サラダ、チーズ、ケーキ、フルーツ、紅茶という順番だ。列挙するとすごい量になるように思うが、一つ一つの量は少なめで、全部食べて腹八分目というところだろうか。しかし、少量だからこそなのか味はすこぶる美味い。スープやパンなんて大した違いはないだろうと思っていたが、俺は今まで本当のパンを食ったことがなかったのだという、カルチャーショックを受けたほどだ。
本来ならここで、料理マンガばりの味の表現と解説をおこないたいところであるが、あいにく語彙と知識が徹底的に欠けているので、美味いとしか表現できないのが惜しまれる。ただ、先ほどの俺の考えを打ち消すことだけはしておこう。参考にしようと思っていたが、これは無理だ。俺のような素人に毛が生えたような家事一年生がおいそれと参考にできるようなものではない。きちんと勉強して、長い修行を重ねて初めて出せる味わいだ。
「舌平目のムニエルをここまで上品に仕上げるのは、ここぐらいですよ」
「へ、へえ……それにしても美味いな」
「ふふ。マナーはあまり気にしなくていいですから、好きに食べてくださいね」
「はは、流石の俺でもちょっとは気を遣うぜ」
緊張で味がわからなくなるとまでは言わないが、マナーにある程度気を遣っているのは確かだ。
幸い、目の前の御主人様が実に良い見本になるので、そこまでの間違いはしていないはず。本来の俺の食い方は、喰らうという表現が相応しいので、御主人様からしてみれば、すごく頑張っているように見えるらしい。
「けど、御主人様はすげえな。マナーもちゃんと勉強したのか?」
「え、はい。一応、こういう席についても恥ずかしくないように、と」
「へえ、すげぇな。中学生のうちから、そんなことも覚えるなんて」
「あ、あはは。覚えたのは小学生の頃でしたけど……」
「そ、そうだったか。すまん、御主人様」
俺とは何か、住む世界が違う人って感じがするな。同じ家で過ごしてるにもかかわらず、だ。
あの家では、可愛いけどちんまいガキって感じがするけど、こうして外に出ると、もう雲の上の人のようだ。今の御時世、身分なんて関係ないとは思うが、それでも生まれが違えば育ちも違う。気品や雰囲気も、自ずと違ってくる。
「恵一……その、ひとつ、いいですか?」
「どうしたんだ?」
「その、御主人様っていうの、やめませんか?」
「御主人様をやめる?」
「よ、呼び方の話ですよぅ。確かに、あたしと恵一はそういう関係ですけど、今日は恵一はお休みですし、あたしがもてなすって決めたんです。今日は、御主人様じゃないです」
「そ、そうだな……じゃあ、どう呼ぼうか」
「お、お好きに……別に、明日からも、好きに呼んでもいいですし」
ちょっと御主人様は顔が赤い。まあ、自分の呼び方を変えてくれと頼むのは割と恥ずかしいし、ただでさえ恥ずかしがり屋なんだから仕方ないか。しかし、明日からはちゃんと御主人様と呼ぼう。理由は俺が恥ずかしいからだ。
「それじゃあ、千晴。改めてありがとうな。招待してくれて」
「ぁぅ。い、いえ……どういたしまして……」
千晴は何故かさっきよりもさらに頬を真っ赤に染めて、もじもじと俯いていた。
その後も、次々とデコレーションにも味にも凝った料理が並び、フルーツまでもが今まで食べたことのないような美味さだったことに驚いたりしながら、ようやく食後の紅茶となった。今更だが、フランス料理だったらしい。
「恵一、美味しいって二十回は言ってましたね」
「ああ。それぐらい美味かった」
「ふふ。喜んで貰えたようでよかったです。あんまり晩御飯の用意を手伝いたいように見えたので、余計なことをしたのかと心配でした」
「料理を食べた瞬間、そんな考え吹き飛んださ。それに、思い知った。俺の料理もまだまだだな」
ここの料理はすこぶる美味かった。料理を指して芸術と評する人の気持ちがわかるぐらいに。
そして、同時に己の腕の至らなさに気付かされた。千晴はこんな料理を食べる環境で育ってきたのに、今はほぼ全て、俺の料理で済ませている。満足できるはずがなかった。
「……もっと、美味いメシ作れるように頑張るよ」
「あ、あぅぅ……そんなつもりで来たわけじゃ……」
「わかってる。けど、やっぱり納得いかない。腕が上がったって喜んでたけど、全然足りなかった。料理の基礎とか、もっとちゃんと勉強しないといけなかったんだ。今までの俺は、さっきと同じだ。誰かのやってることを見ながら真似して、無理矢理形にしてただけだ」
我ながら滑稽だったと思う。俺が自信ありげな顔で出した料理を、千晴はどんな思いで食べていたんだろうか。俺に気を遣って、何も言わないでいてくれたのだろうか。そう思うと、自分に腹が立ってきた。
「……恵一のご飯は、美味しいです。嘘じゃないですよ?」
「いや、無理は――」
「してないです。恵一のご飯は、確かに素材も腕も、ここより下ですけど……あ、あたしは、好きですから」
千晴は、にこりと笑った。屈託のない、綺麗な笑顔だった。それだけで、千晴の言葉に嘘がないことがわかる。
「前にも、言いました。最初は恵一が怖かったですし、変なことになっちゃって、不安でした。けど、今は、この生活が好きです。恵一と二人で暮らすのも、お手伝いするのも。もちろん、巴ちゃんや高木さん達が遊びに来てくれるのも。すごく楽しいです」
御主人様――否、千晴の言葉に、ふと胸が熱くなった。
何でだろう。俺がやってきたことが、正解だったと思えてくる。ただ単に、デカイ屋敷が苦手で、半ば自棄もあって二人で暮らすと言い出しただけだったのに。俺一人じゃ手が足りないから、手伝ってもらったという、不甲斐ないメイドなのに。高木なんて、俺が無理矢理巻き込んだようなモノなのに。行き当たりばったりの生活だったのに、何故、目の前の女の子は喜んでくれているのだろう。
そして、俺は何故、それが嬉しくてたまらないのだろう。
「千晴……ありがとう」
どうしていいかわからなくて、熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。
ひどく陳腐で、ありふれた言葉だ。千晴のような胸にくるような言葉じゃない。けど、これ以外、言葉にならなかった。
「こちらこそ、ありがとうです」
千晴が微笑んで、紅茶を飲み干す。
俺もそれに倣って一気にあおった。冷めていたけど、それでもすごく美味しかった。
時は、ゆっくりと動き出します。