メイド、青空に黄昏る
県立陽桜高校は、市街地から少し離れた高台にある。
その屋上から眺める景色は中々のもので、俺も在学中はよくここで昼飯を食べたものだった。
「―――さっきはすまなかったな、取り乱して」
フェンスに腕をもたげて、街並みを見下ろしながらぼそりと呟いた。
「いや、いいよ。俺こそいきなりだった」
聞こえていないほどの呟きかと思ったが、伊達には届いていたらしい。落ち着いた口調で喋り、俺の隣に並んで眼窩に広がる景色に目を細めた。
「それより、いいのかい。千晴も君も店を抜け出して。すごい繁盛だったのに」
「大丈夫です。戸田さんと芦田さんに頼みましたので」
伊達の問いに、御主人様が答える。伊達はそうか、と呟いて、御主人様の方を向いた。ちょうど、俺の斜め後ろあたりだ。
「それで、俺と千晴の関係についてでよかったのかな?」
高木同様、どこか台詞がかった口調で伊達が尋ねてきた。俺は適当に頷いて、御主人様を見た。先ほどと変わらない、仮面のままだ。
「そんなにややこしい話でもないんだけどね。まあ、仕事の休憩だと思って聞いてくれ」
*
「俺の家は大きな道場なんだ。それこそ、この地一帯に影響を持つくらい、けっこうな権力があるほどの」
伊達の話は、自慢のような出だしで始まった。
「色々とくだらないしきたりもあってね、許婚というのも俺の家の都合という面が大きい。俺の親父と千晴の親父さんが、どうも仲がいいとかで、酒の席で決まったらしいんだ。十年以上前の話だよ」
酔った勢いで『俺の息子の嫁にくれ!』『おぅ、てめぇの息子は三国一の幸せ者だぁ!』などとやったのだろう。まあ、どこにでもある、酒の肴のような話である。
「君もわかるだろう。それだけの話だったんだ。ただ、お互いの立場を弁えなかったのが今を招いたんだね。片や大財閥の主。片や街一番の有力者。ただの話の種が、権力云々の話に膨れ上がってね。ああ、盛り上がっちゃったのはウチの方なんだけどね。財閥の一人娘との縁談なんて、まあ普通なら考えられない玉の輿……否、逆タマって言うんだっけか」
「逆タマですね。まあそういうわけでお父様やおじ様以外の方々が随分張り切ってしまいまして、物心着く前にあたしには許婚ができたわけです」
伊達の言葉に御主人様が補足を加える。
しかし、なんだってこいつらは、こんなに冷静なのだろう。
許婚。将来結婚する仲。しかも権力絡みの、本人達の意思を無視した結婚。
伊達は兎も角、御主人様はそんなことにまで仮面を被って生きていくのだろうか。
そんな生活を既に覚悟しているとでも言うのか。それとも何も考えていないだけなのか。考えるだけでも無性に腹が立つ。
「仁科君、そう興奮するな。俺達だって阿呆や間抜けじゃないんだから。俺達はもう決めてるんだ。許婚だろうが何だろうが、嫌な結婚なんてしないってね」
伊達が、くすりと笑った。
「勿論、俺と千晴が好き合えば、万事滞りなく結婚できるだろうけどね」
「な―――っ!?」
「倭さん、冗談は駄目ですよ。恵一はすぐ信じますから」
……いつもならこの御主人様の言葉に文句の一つでもつけるところだが、今回は何も言えなかった。悲しくも、本気でムキになってしまったからだ。
「それに、絶対あたしと倭さんは好き合いません。もし大人になって、無理矢理結婚させられそうになったら、家出しますよ」
なんだか御主人様、けっこう辛辣な発言だ。もし伊達が御主人様を好きなのだとしたら、こんなにショックなことはないだろう。
「まあ、そういうわけだ。仁科君、別に俺は千晴と結婚するつもりはないし、絶対千晴を好きになることもない。いや、千晴のことは好きだよ。あくまで、小さい頃からの付き合いのある、妹分としてはね」
伊達はしれっと答えると、ふっと俺のほうに身体を寄せた。お互いの顔をが近づき、もしくしゃみでもしようものなら、相手の顔に全部ぶちまける上に、当たり所が悪ければファーストキスまでプレゼントしかねない状態だ。
そして、伊達はさらに顔を寄せる。慌てて殴ろうとしたが、敢え無くその拳が鮮やかな伊達の手つきに絡め取られる。そういえば道場の長男であった。格闘技も得意のようだ。
やばい、こいつ、御主人様を好きにならない理由が男色だから、だったらどうしよう。くしゃみなんぞしなくとも俺のファーストキスが奪われてしまう。
「や、やめろ……」
後ずさろうとしたが、伊達に手をからみ取られているせいで動けない。これはますますやばい。そうこうしている間にも伊達の顔はゆっくり近づいてくる。
「う、奪わないでくれ……」
俺のファーストキスを。
「大丈夫、そんな趣味はない。それよりも……」
伊達の唇が俺の鼻先をかすめて、そのまま耳に持っていかれる。どうやら、耳打ちがしたかったらしい。
「千晴は、君の方が好みのようだしね」
ぼそぼそと聞こえた、伊達の声。
その言葉の意味を理解した途端、急に身体が熱くなった。御主人様が、俺がいい?
「な、何言い出すんだ……!」
「俺は事実しか言わないよ、高木と違ってね」
皮肉っぽく笑って、伊達はふいっと身体を離した。御主人様が不思議そうに首をかしげている。
しかし、何だというのだ。御主人様が俺の方がいいと伊達が言った途端、どうしてこんなに動揺してしまうのだ。
「仁科君、俺の話はこれでお仕舞いだ。早くクラスに戻るといい。皆困っているはずだ……高木のヤツもね」
「あ、ああ」
どこか不思議な気分のまま、俺は出入り口へと向かった。御主人様も俺についてくる。
「伊達はどうするんだ、これから?」
ふと、まだ動かない伊達が気になって振り返った。伊達はフェンスにもたれかかったまま、こちらを向く。
「しばらくここにいるよ。喫茶店で茶は飲み損ねたが、高木のいるところに戻るのも癪だからね」
「………そうか」
俺はそれだけ言うと、きびすを返して屋上を後にした。
「倭さんと高木さん、仲悪いんですか?」
俺についてきた御主人様が教室に戻る途中、ふと切り出してきた。そう言えば、さっきから伊達はやたらと高木を引き合いに出していた。似ている者同士気が合うと思うのだが。どうやら同属嫌悪しているらしい。
「そういえば、普通なら高木が出てきてああいうのって、丸く収めるよな」
御主人様の歯止め役が俺ならば、俺の歯止め役は高木である。動転していた俺を、高木が放っておくとは思えないのだが。
「―――まあ、本人に聞くのが手っ取り早いか。それより急ぐぞ。戸田のおっさんと芦田さんがいるからって、のんびりしてられねぇ」
「はい、そうですね」
俺と御主人様はうなずき合うと、小走りで廊下を駆け出した。
今回は少々短い話になりました。
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