一本足打法
1962年7月1日大洋対巨人のダブルヘッダーの第一戦に王貞治の代名詞とも言えよう、一本足打法がスタートした。この時、4打数2安打4打点と大暴れこの1試合が王貞治の人生を変えたことは間違いない。
だが、一本足打法誕生の経緯を王自身しっかり覚えてないと言う王本人によれば「一本足を始めた経緯は記憶が定かでない。(中略)僕自身は普通の打ち方で打ってるつもりだった。でも、4年目のシーズン中にどうしても食い込まれることが多くて、それならいっそのこと右
足を上げて打ってみろと。その打席で大爆発した」とインタビューで答えているほど。
その後、65試合で29本とホームランを量産。なんと、144試合でこのペースで打つと、58本ホームランを放てる計算だ。
しかし、荒川コーチは、王に対して一本足打法を辞めろというが、その年55本のホームランでその気がなくなったと言う。
その後、王は1973年に三冠王になり、長嶋の引退で名実共に巨人の顔になったが、1975年に怪我でホームラン王のタイトルを明け渡す。
しかし、翌1976年は見事カムバック。長嶋監督初の日本一に大きく貢献した。