1960年最下位からの日本一。
三原脩。この男はハンパない。三原は元々巨人の選手。1938年に現役を引退。その後、1947年から巨人の監督になり、日本一に。その後、水原との不仲によって誕生したての西鉄へ。そこでも日本一。特に1958年は圧巻だった。(第二回参照)
そして大洋ホエールズの監督に就任した訳だ。だがここまで輝かしい実績を持つ三原でも大洋を優勝させるのは無理だと大半がそう思った。当時投手が7名野手が15名だったことから考えると当たり前か。そして1960年のペナントが開幕した。しかし、いきなりの6連敗とエース秋山登の離脱と大ピンチに。しかし、ここからが三原マジック。彼は昨年0勝の権藤をリリーフに、遊撃手のレギュラーの麻生を代打で重点的に起用。二塁手のレギュラーに近藤を、近鉄からトレードで移籍の鈴木を遊撃手に固めた。そして、1点差の試合が33勝と強く、最終的に70勝で巨人に競り勝ち優勝。そして、日本シリーズは西本と共に、新人監督対決が話題を呼んだ。そして迎えた日本シリーズ。当初、マシンガン打線と呼ばれた打線を持つ大毎が有利と思われたが、なんと結果は大洋の4連勝。それも全て1点差だった。(史上初の快挙)
そのため、人々はこれを三原マジックと呼んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その裏ではこんなエピソードも「三原さんはシリーズ前の記者会見で自分のペースで話した為に西本監督はリズムに乗れてなかった。」(出典:週刊ベースボール)
と話すのがうまかった。このあと、三原は1968年まで大洋の監督、その後は近鉄、ヤクルトと渡り歩き、日本ハムの、球団社長で、1978年の江川事件で最後まで、巨人入りを反対した。1983年にプロ野球殿堂入りし、1984年に心不全。72歳でこの世を去った。