第12話:国譲り物語
「自分から国を譲るつもりがあるわけないだろ。創作乙。お前たちはただの侵略者なんだよ」
その言葉は、任那の胸に深く突き刺さった。寝苦しい夜、汗ばむ体を横たえながら、気づけば静かに涙が頬を伝っていた。
出雲神社は、中央からの感謝と敬意を込めて建てられたものだと、任那は教えられてきた。
「国譲り」は正しい歴史なのだと、幼いころから疑いもなく信じてきた。
けれど、ある日ふいに聞かされた大人の皮肉めいた一言が、今も心の奥底に澱のように残っている。
中国の歴史を振り返っても、同じようなことが何度も繰り返されている。
たとえば殷から周への王朝交代――「易姓革命」として、天命が新たな王朝に移った正統な出来事として語られてきた。しかし、それは勝者が残した歴史書にすぎない。敗者である殷側の思いはほとんど記録に残っていない。そもそも暴君とされた紂王や妲己が、本当に史実の通りの人物だったのかさえ定かではない。
秦王朝の滅亡も同じだ。
二世皇帝は暗愚とされ、奸臣・趙高に翻弄されて国が傾き、最後は漢建国の祖である劉邦の手によって滅ぼされた。その過程もまた「正義の勝利」として語られてきた。しかし、これもやはり新たな勝者による正当化の物語に過ぎない。
時代や人物は違えど、いずれも因果の流れはよく似ている。いつの時代も、歴史は勝者の手によって編まれ、美化され、語り継がれていくのだ。
ふと、任那は朝鮮半島の歴史にも思いを巡らせる。
李氏朝鮮の成立も、前王朝から「禅譲」によって王権が受け継がれた、正統な歴史として日本では語られている。
だが、百済で半年間暮らした経験のある任那は、その認識が必ずしも現地の人々の実感と一致していないことを知っている。
そこの人々は、李氏朝鮮を自分たちの起源だとはあまり考えていなかった。その事実に、当時の自分は大きなショックを受けた。日本で教わってきた歴史と、彼らの心情があまりに乖離していたからだ。
現地で出会った人々は、檀君神話こそが自分たちのルーツだと、誇りを持って信じていた。熊と美女が結ばれて国が生まれたという建国伝説。任那には荒唐無稽に思える話だったが、彼らの明るい笑顔を見ると、それを「大嘘だ」と論じることはどうしてもできなかった。
親しくなった人たちが、「任那」という名前を授けてくれた。その名前は、信頼の証であると同時に、「国譲り」という考え方そのものが揺らいでいく、自分のアイデンティティの喪失をも感じさせるものだった。
◇◆◇
夜明け前の出雲。
川面には薄い朝霧が立ち込め、あたりはしんと静まり返っている。
任那は川の中にそっと身を沈め、両手を合わせて目を閉じた。冷たい水が肌を刺し、思わず体が小さく震える。頭を冷やすつもりで来たものの、早朝の水は想像以上に冷たかった。
「……寒い」
そうつぶやいて息を吐き、任那は川からあがった。手足の先がじんじんして、思わず肩をすくめる。
そのとき、川岸で誰かが待っているのに気づく。千夜だった。
彼女は朝露で濡れた草を踏みしめながら歩み寄り、タオルを差し出す。
「はい、タオル。大丈夫? こんなに冷たいのに、水に入るなんて……風邪ひいちゃうよ」
任那は少し照れくさそうにタオルを受け取り、顔を拭く。
頬がほんのり赤くなっているのは、冷たさのせいばかりではなかった。
「ありがとう。……でも、今日はこれくらいしないと、なんだか気持ちが落ち着かなかったのじゃ」
千夜は苦笑いを浮かべる。
「そんなに無理しなくてもいいのに。まあ、でも……頑張ってる任那も、素敵だけど」
任那はタオルで髪を押さえながら、千夜を横目で見た。
「なあ、千夜。……いつまで出雲にいるのじゃ? そろそろ都に戻らなくていいのか?」
千夜は肩をすくめて、あっさりと答える。
「ヴァルプルギスの件、朝廷に報告したら、しばらく現地で待機しろって言われたんだ。だから、もう少しここにいることになりそう」
「そうか……。まあ、お主の表情がころころ変わるのを見ているのは、正直、全然飽きないけどな」
「え、それって嬉しいってこと?」
千夜が期待まじりに顔を向けると、任那はぷいっと顔をそむけて、そっけなく言い放つ。
「べ、別に褒めてるわけじゃない。ただ、お主がくノ一に向いてないって皮肉を言っただけなのじゃ。忍なら、そんなふうに感情を顔に出すものじゃないぞ。……本当に、へっぽこ忍者め」
「はあ!? なにそれ! どういう意味! ひどっ!」
「事実だろう? いつもむすっとしてたり、すぐ赤くなったり、すぐ怒ったり……これじゃ忍ぶ者の面影もないわ」
「ちょ、ちょっと! むすっともしてないし、赤くもならないし……もう! 本当にかわいくないんだから!」
ぷんすか怒って千夜が境内へ引き返していくのを、任那はくすっと笑いながら見送った。
冷たい朝の空気の中、ふたりの間には心地よい余韻と、ほんの少しの温かさが流れていた。
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