第10話:神降ろし 前編
ヴァルプルギスは、吸血鬼と魔女の起源に連なる大魔族であった。
中世に見られる吸血鬼や魔女のような独立した存在とは異なり、両者の性質を併せ持ち、その力は遥かに深く、禍々しい。
彼女の手にある吸血剣 《ブラッド・ブレード》は、遥か殷の地で討ち取った九尾の狐の牙に魔力を塗り重ね、己自ら鍛え上げた誇り高き魔剣である。
「はるばる殷まで赴き、あの愚かな狐を討って手に入れた牙で鍛えたのに、全然使う機会がなくて退屈だったわ。こうして相手が現れて、私はとても嬉しいのよ」
声の端々に愉悦が滲む。
千夜は小太刀を構え、ヴァルプルギスの剣戟に全神経を集中させて応じる。だが、刃と刃が交錯した刹那、激しい衝撃波が生じ、千夜の肌に細かな傷が浮かんだ。
「……!」
「ふふ、その驚いた顔が見たかったの。私の魔剣は、ただ振るうだけでなく、斬撃の余波だけで相手を傷つけることができるのよ」
ヴァルプルギスは嗜虐的に微笑む。
「随分と悪趣味な剣だね……」
千夜は肩で息をしながら低く返す。
「ほら、攻撃を受けてばかりじゃ、私には勝てないわよ?」
ヴァルプルギスは嵐のごとく連続して斬撃を放つ。
千夜は極限まで精神を研ぎ澄まし、辛うじてパリィを成功させて一瞬の“チャンス”を作り出す。
時の流れが鈍くなり、まるで世界が止まったかのような感覚。
だが、反撃に転じようとした瞬間、時間は容赦なく現実の速さへと戻り、千夜の小太刀はヴァルプルギスの魔剣によって簡単に受け流された。
それどころか、次の瞬間、今度はヴァルプルギスの方が巧みにパリィを決める。
千夜の首筋を鋭い斬撃がかすめ、だが辛うじて致命傷は避けられた。
代わりに、高天ヶ原に咲く花で編まれた髪飾りが黒く染まり、儚く空中で消えていった。
「あら、運が良いわね。お守りが、あなたの命を繋いだようね」
ヴァルプルギスは冷ややかに、けれど楽しげに笑う。
「くっ……」
千夜は悔しさを噛み締め、乱れた呼吸を整えようとした。
「でも、次はないわ」
唇を三日月のように吊り上げ、ヴァルプルギスの笑みは氷のように冷たかった。
そこからの戦いは、あまりにも一方的だった。
千夜は何度もパリィを成功させ、時の流れを操ろうとするが、その度にすぐ現実の時間へと引き戻される。
その事実は、二人の間に存在する圧倒的な実力差をまざまざと突き付けた。
小太刀で斬撃を受け止めてはみるものの、魔剣の禍々しき力によって千夜の体には確実に傷が増えていく。
戦いが長引くほど、千夜の不利は明白となっていった。
やがて千夜は膝をつき、剣先を地面に突き立てて肩で荒く息をつく。
前髪がその瞳を隠し、表情は窺えない。しかし、頬は熱に染まり、全身から疲労が滲み出ていた。
「……勝負は、ここまでのようね」
ヴァルプルギスが鋭い視線で千夜を見据える。その瞬間、静寂を破るように背後から放たれた弾丸がヴァルプルギスの頬をかすめた。
ヴァルプルギスはわずかに血を拭いながら振り返る。
そこには、銃口を震える手で構え、涙で頬を濡らしたジブリーヌの姿があった。
「ち、千夜さんは……死なせません。私が……守ります!」
ジブリーヌの声はかすれ、全身が震えている。それでも彼女の瞳には、必死の決意が灯っていた。
「泣かせてくれるわねぇ。人間のそういうところ、本当に好きよ」
ヴァルプルギスは淡々と、しかしどこか愉悦を含ませて言い、静かに千夜の胸へと刃を突き立てる。
「うっ……」
短い呻きとともに、千夜の身体が崩れる。
うつ伏せに倒れた千夜。その目は虚空を彷徨い、一筋の涙がその頬を伝った。
「でも残念、現実は非情なのよ」
「いやああああああ!」
ジブリーヌは叫び声を上げてヴァルプルギスを突き飛ばし、倒れた千夜を必死に抱き上げる。
その腕の中で、千夜の生気は急速に失われていった。
ジブリーヌは声をあげて号泣する。
けれども、彼女自身も逃れられなかった。背後から放たれた刃が、ジブリーヌの胴体を無慈悲に貫いたのだ。
刃は千夜ごと、ふたりの身体を貫通している。
「あ……ぅあ……」
「ふふ……せめて死ぬ時くらいは、一緒に逝かせてあげる」
ヴァルプルギスは薄く微笑み、冷ややかに見下ろした。
ジブリーヌは震える手で千夜の右手に触れ、指を絡めたまま、静かに力尽きる。
倒れた千夜とジブリーヌは、仰向けとうつ伏せで顔を向け合いながら、静かにその生を終えた。
「ああ、なんて美しいのかしら。あなたたちのこと、私は忘れるまで忘れないわ」
呟くようにそう言い残し、ヴァルプルギスは踵を返してその場を立ち去ろうとした。
だが、その時だった。
場の空気が、まるで大気そのものが入れ替わったかのように大きく変化する。
「……?」
ヴァルプルギスは違和感を覚え、振り返った。
そこには、たしかに自らの手で絶命させたはずの千夜が立っていた。
だが、今やその髪は純白に変わり、身に纏うは巫女の装束。
そしてその存在感は、先ほどまでの千夜とはまるで異なるものだった。
千夜は、静かにヴァルプルギスを見据える。
その瞳には人ならぬ深みが宿っていた。
「あなた、誰? さっきまでの人間とは、違うみたいね」
ヴァルプルギスが訝しげに問う。
千夜の身体を借りた大国主は、柔らかながらもどこか神々しい声で答えた。
「私は大国主。この出雲の国の神です。今はこの子の体を少しだけお借りして、こうしてお話ししています」
その口調には女性らしいやわらかさと、揺るぎない威厳が混じっていた。
「へぇ……。神様っていうわりに、ずいぶん人間らしい趣味をお持ちなのね」
ヴァルプルギスは口元に皮肉な笑みを浮かべ、わざとらしく肩をすくめる。
「こんなところでわざわざ出てくるなんて……まさか、私の“殺し”っぷりに心でも動かされちゃったの? もしや見惚れたとか?」
大国主は静かに微笑みを返し、ゆったりと言葉を紡ぐ。
「……完全には、その感情も否定はしません。でも……一番の理由は、“たまたまそこにいた”ってことかしら」
「……どういう意味?」
ヴァルプルギスが眉をひそめる。
「人生って、何より“タイミング”が大事だと思うの。あなた、本当に運が悪かったわ。偶然、この神殿の前を選んで、たまたま私の目の前で人を殺した。そして、偶然にもあなたが手にかけたその子が、“神降ろし”に耐えうる器だった。本当に、巡り合わせって不思議なものよね。まるで道でばったり誰かとぶつかるみたいに」
その声には慈しみと凛とした強さが宿っている。
けれど同時に、どこか抗えない運命の重みも感じさせた。
場の空気は、ただならぬ神威によって静かに、しかし確かに変わっていく。
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