第1話 「かわいいなんて、知らない。」
――恋って、めんどくさい。
そんなセリフを、東雲志乃は心の中で三回ほど繰り返していた。というか、今日だけで三回目だ。どうしてまたこんな目に遭うのか。高校生活、もうちょっと平和なものだと思っていたのに。
「……なんで、私が、こんなトラップまみれの部屋にいるのか」
キラキラとしたボタンが床を転がっている。レースの山、フリルの海。足を滑らせた志乃は、今まさに、床に尻もちをついた状態で、ミシン糸に軽く絡まっていた。
「だれだよ、ここ“空き部室”って言ったやつ……これ、戦場だよ……」
きっかけは、ほんの出来心だった。
「部活見学で内申に加点される」という怪しい情報を聞きつけ、ひとつくらい見ておこうと旧校舎に足を運んだのだ。扉がちょっと開いていたから覗いただけ。まさか、踏み込んだ瞬間にリボン地雷を踏むとは思わないじゃないか。
「……うるさいわね。そんなに騒がれると、集中できない」
不意に聞こえてきた、落ち着いた女の子の声。
志乃はびくっとして、声の方向に目をやる。そこにいたのは――
「白野……真宵……?」
志乃は思わず名前をつぶやいた。
窓際の机に座り、リボンを手にしていたのは、学年でもちょっと有名な美少女、白野真宵。黒髪ロングに陶器のような肌、そして冷たげな目元。男子からの人気は異様に高いのに、本人は誰にもなびかず、無表情で「データに興味はない」とか言ってフってしまうという都市伝説付きの存在だった。
そんな彼女が、いま――
「……うさぎのぬいぐるみに、シュガーピンクのリボンを巻いている……?」
「かわいく、してるの。かわいいものに、憧れてるから」
さらりと言われて、志乃は固まる。
この子、こわい。思ってた以上に、こわい。
「なんで、こんな部室に……? 部員いないんじゃ……」
「この部室、手芸部。元部長から、引き継いだだけ。今は“潜伏活動期間”。」
「なんかその言い方、スパイっぽくて逆に不安になるんだけど!?」
志乃が思わずツッコむと、真宵はふっと顔を上げて、小さく首をかしげた。
「あなたのツッコミ、素朴でかわいい」
「こっちのセリフだよ!? 何そのフリルのうさぎ!? かわいすぎて不安になるんだけど!?」
どうしてこんなところで、こじらせ女子二人が出会ってしまったのか。
けれどこの瞬間から――志乃の、「かわいい」との戦いは始まったのだった。