七十一話 夜明けを呼ぶ火(ひかり)
九腕大蛇は、城壁から放たれる魔弾砲の着弾地点を難なく通り越し、自分の陣地と言える黒い森の中まで逃走していた。
「遅かったなぁ。おかげで本来の力を取り戻すことができたぞ」
九腕大蛇は、九腕半蛇の姿に戻り、黒い森の中でスィンザを待ち構えていた。
「本来の力?」
「そうだ。不要な人間の記憶を、全部配下に与えてやった。
あの厄介な魔弾が尽きるまで、配下の多くを黒砂の中に留めておいたのが功を奏した」
九腕大蛇の周囲には、フォースランクと思われる巨大なバーモが複数控えていた。
「スィンザ、俺たちを助けてくれ」
「スィンザ、俺だよ、俺だ」
「私もいるわ。スィンザ、スィンザ……」
九腕大蛇の周囲にいるバーモは、与えられた記憶と人の声を使って、スィンザの戦意を削ごうとした。
しかしその行為は、スィンザの怒りをさらに過熱させた。
「……お前はッ! どこまで人間をバカにしたら気が済むんだ!」
スィンザは炎の翼で自身の体を包み込んだ。
「集炎……」
ほんの一瞬だけ、スィンザが放つ、全ての炎が鎮火した。
「……爆風解放大火!」
「うああああッ!」
次の瞬間、スィンザが翼を広げると同時に凄まじい大爆発が巻き起こり、彼女の周囲にあった物を全て消し飛ばした。
「や、やはりおかしいぞ、こいつの魔法……
これほどの力、小国であれば滅ぼすのに数時間もかからない……
まさに魔道兵器に匹敵する火力だ」
全てを撥ね返すスカーレット・バリアによって大爆発を防いだ九腕大蛇は、スィンザの炎の力の異常性を再認識した。
「それにこの炎……」
九腕大蛇周囲を見渡して、さらに恐ろしいことに気が付いた。
「黒砂に引火したのか⁉ いや違うこれは……」
地面に敷き詰められた黒い砂が、紅色の火の海と化していた。
「……そんな馬鹿な。黒砂の奥深くに潜っていた、小核の同胞たちに火がついたのか?
だがありえない。そんな魔法は存在しない。
そもそも我らの体に火がつくなど……ありえない!」
「――ああ。声が聞こえる。あれで死んでなくてよかった」
紅色の火の海の上で、ひと際大きな火柱が揺れ動いた。
「……お前をこの手で斬り殺さなくちゃ、私の炎は収まりそうもない」
痛々しい紅色の炎に包まれたその怪物は、九腕大蛇に戦慄を与えた。
「……我らはお前たち人間から、さんざん化け物と罵られてきたが、今のお前の方がよっぽど化け物だぞ」
「黙れ。もうお前の声は聞きたくない」
スィンザは爆発を利用して、その場から消え去った。
九腕大蛇の周囲では、威圧的な爆発音が連鎖した。
「これは、バルカナの爆破飛行か⁉」
それはバルカナの技とは似て非なるものだった。
瞬間移動のような速度と、不規則な動きの組み合わせは、人より優れた目を持つバーモでさえ捕捉することは不可能だった。
「消えろ! 九腕大蛇!」
「あまい!」
死角からの一撃を、九腕大蛇は金色の剣で受け止めた。
「熱の剣は、本来の力を取り戻した我の魔刃には通用しない!」
スィンザの高熱の剣を、九腕大蛇は金色の魔力の刃で防いで見せた。
「瞬間移動のような速度も、攻撃をしかけるときだけは緩めないといけない。
あのままの速度では、剣も体も、衝突に耐えられないからなぁ。
お前も所詮人間だ!」
「そうだよ。私は人間だ!
お前が殺した人たちと同じ、人間だ!」
スィンザは、狂気にも似た怒りに染まった瞳で、九腕大蛇を睨みつけた。
「集炎……」
「この距離でまたそれかッ⁉」
スィンザは周囲の火の海からも炎を吸収して、自身の体に圧縮した。
「……爆風解放大火!」
「ぐあああああ!」
再び起こった大爆発は、先ほどのものよりも広範囲を焼き払った。
「ま、魔法の発動が間に合わなかった……
なんなんだ、あいつは⁉ 死を恐れていないのか⁉」
金色の液体の状態から、人の姿になった九腕大蛇はスィンザに対して恐怖を感じていた。
「死を覚悟して戦っていたバルターカとダバロ、そしてその他の人間たちの記憶と照らし合わせてみても明らかに異質。
勇気や自己犠牲に属する感情や、行動とは全く異なる。
純粋な怒り?
いやそれも違う。怒りの中から、新な技は生まれない」
体の大半を爆発で失い、九腕半蛇の姿になれなくなった九腕大蛇は、必死にその場から逃げ去ろうとした。
「そうか。殺意か。我を殺すことに、これほどの執念を……」
そう確信した九腕大蛇は、何気なく自身の両手を見た。
「あぁ……あああああッ!」
九腕大蛇は思わず絶叫した。
その全身は、紅色の火に包まれていたのだ。
「逃げるな、九腕大蛇……」
「ふ、ふざけるな! お前は死ぬことが怖くはないのか⁉」
九腕大蛇は、追ってきたスィンザに無様な踊りを披露して、全身を叩いて火を消そうとした。
「……私が燃え尽きるのが先か。
お前がこの世界から消えてなくなるのが先か。
私は命をかけて戦ってる。
お前も、命をかけてみろ……私たち、人間のようにッ!」
「い、いやだ。消えたくない……あああ! 消えたくない!」
九腕大蛇はなりふり構わず、情けない姿で走って逃げ出した。
「待て! 逃げるなッ!」
スィンザが九腕大蛇を追いかけようと足に力を込めたその時、どこかからその声は聞こえてきた。
「――スィンザ、あいつはおれたちが押さえる。だから全力であいつをぶった斬れ!」
「る、ルモーンさん……?」
スィンザは、とうとう本物の幻聴が聞こえたのかと自分の耳を疑った。
「うああああ⁉ なんだこれは⁉ なぜだ⁉ なぜ体が動かない⁉」
スィンザの目の前では、九腕大蛇がなぜかその場に立ち止まっていた。
「あ、あれは……」
九腕大蛇の体を包む紅色の炎が、徐々に人の姿に変わっていく。
「スィンザ! こいつは俺たちに任せろ!」
筋骨隆々で力強い二本角。
「そうだ。おれたちごと斬ってくれて構わん。全力でやれ!」
一本角の鬼教官。
「なんの罪滅ぼしにもならんが、これくらいはさせてくれ!」
街の魔法学の先生。
「うぅ……」
スィンザの視界が涙で滲んでいく。
その間にも、人の姿をした炎は続々と増え続けた。
大きな旗を振る者。
スィンザの名を呼び、声援を送る者。
――そして、恩人の姿をした者。
「さあ行け! スィンザ! お前が英雄になれ!」
「……っ、はい!」
スィンザは、全力の技を九腕大蛇に叩き込むために空に飛び上がった。
「空よ……風よ、炎よ、そして我ら人間に武器を与えし光の女神よ!
この矮小なる私に、人々の平和を取り戻す、邪悪滅亡の光を与えたまえ!」
その少女は、星に届くほど天高く、敵の姿が見えなくなるほど地上から離れた。
(これで、これで! 全てを終わりにする!)
スィンザは、高速で落下しながら魔剣に全ての魔力を注ぎ込んだ。
「狂ってると言われたっていい。
化け物と呼ばれてもいい。
私はただ、人々の平和を取り戻す!
そのためなら、この命を捧げたっていい!」
地上が近づき、大切な人たちの荒々しい声援が再び耳に届いた。
「スィンザー! ここだ!」
「行けー、スィンザ! やっちまえぇぇぇ!」
「来い! スィンザ! 来い!」
涙はすでに渇き、その目には敵の姿を明確に捉えていた。
「私が、平和を取り戻す! 落炎、王烕!」
「ああああぁ!」
落下した隕石のような一撃は、九腕大蛇の金色の体を焼き尽くし、露出した魔力製石さえも破壊した。
その刹那、壊れた魔力製石から伸びてきた何かが、スィンザの両腕に巻き付いた気がした。
しかし捨て身の一撃によって巻き起こった大爆発が、彼女に襲いかかる。
スィンザの体は、吸い込まれるかのように旭光を待つ東雲の空に打ち上げられた。




