四話 ソウル・ゲート
闘技修練場では、ラゼラスとスィンザの模擬戦が始まろうとしていた。
「スィンザ。この修練場には特殊な回復魔法陣が張り巡らされている。
わかりやすく言うと、どんな怪我も心配することはないということだ」
「わかりました。全力で挑ませていただきます」
スィンザは灰色の長い髪を、魔法で作り出した髪紐で縛って一つにまとめた。
「そうしてくれ。では行くぞ。
──ソウル・ゲート、〈レプタイル・オブ・アース〉」
ラゼラスは、〈解錠語〉を唱えた。
それによって、ラゼラスの両手は黒い大きな鱗に覆われ、鋭い鉤爪が現れた。
その他にも、目が黒く染まり、鱗がなかった首も鱗で覆われた。
「さあ、スィンザ。お前も〈魂の門〉を開き、その身に宿った鳥の魂を呼び起こして見せろ!」
「……はい! 行きます!
ソウル・ゲート! 〈バード・オブ・スカイ〉」
スィンザは、全身を覆っているマントの下で背中の翼を広げた。
目には、灰色の光が宿った。
「……あれしか変化しないのか?」
観客席のルモーンは驚いた様子を見せた。
「スィンザは、細かく分類すると〈大禽族〉に属する鳥の魂を持っているんです。
その特徴は大きな翼と魔力の多さ。
他の……例えば〈猛禽族〉なら、翼の変化の他に手足に鉤爪が出たり、〈走禽族〉なら足が強靭な姿に変化したりします。
スィンザに宿った鳥の魂なら、本来は長距離飛行とかが、得意なんだけど……」
「スィンザは、そもそも『飛ぶこと』ができない……」
テリルとバリゼは、観客席からスィンザの無事を祈った。
「飛べないお前は、鳥の魂が持つ、〈空の恩恵〉を受けられないんだな」
「……〈空の恩恵〉。空中に一定時間留まることで、能力の上昇効果が得られる、鳥人特有の魂の力。
これがあるから鳥人は、他の飛行能力がある種族、翼竜人や、一部の蟲人たちを差し置いて、『スカイ』を開錠語に指定できた。
ラゼラスさんたち爬人には、〈大地の恩恵〉、『アース』があるように……」
スィンザは、剣を鞘から引き抜いた。
「そうだ。俺たち爬人は、大地の上に一定時間留まることで、能力が上昇する。
今この時点で、俺は圧倒的優位に立ち、お前は圧倒的不利な状態になった。
お互いに、ただ向かい合っているだけにも関わらず」
「戦いは、工夫できます。
魔人だって、その気になれば魔法で空を飛べるんだから!」
スィンザは、自身が持つ〈魔剣 ブリーズソード〉の力を解放した。
ブリーズソードには、複数の魔法が込められており、スィンザはその力を自身の魔力を使って引き出した。
「ブリーズベール!」
スィンザは、ブリーズソードから発生したそよ風を纏い、無重力空間にいるかのように空に飛び上がった。
「〈魔法剣〉か」
ラゼラスは、スィンザが空中から叩き付けるように放った斬撃を腕の鱗で受け止めた。
「っ! なんて硬さ!」
斬撃を受け止められたスィンザは、岩石でも斬りつけてしまったかのような衝撃を手に受けた。
「俺の魂に宿ったトカゲは、黒鉄鱗トカゲというらしくてな。
この鱗の硬さは鋼鉄に匹敵する上に、大地の恩恵を受けてさらに硬くなっている」
スィンザすぐに体勢を立て直し、次の攻撃に移った。
「ブリーズソードは魔法剣じゃありません! 魔剣です!」
ブリーズソードから、魔法で生み出された風の弾丸が放たれた。
「魔剣だと? そんなはずはないだろう。
こんなに力の弱い魔剣など見たことがない」
ラゼラスは、走りながら風の弾丸を手刀でかき消した。
その勢いのまま急接近して、スィンザの剣の刃を素手で握った。
「ブリーズソードは魔剣です。
父が……両足が不自由な父が、異国で買って来てくれた大切な魔剣なんです!
離して下さい!」
スィンザは風の力を全開にして、ラゼラスを吹き飛ばそうとした。
「この程度の風では、俺は剥がせないぞ!」
ラゼラスは巻き起こった風をものともせずにその場に留まり、反撃の手刀を放った。
スィンザはその手刀をのけ反るように回避した。
しかし、その攻撃でマント留め具を破壊された。
「あっ……」
自身が起こした風で、スィンザの灰色のマントは飛んで行った。
全身を覆っていたマントが無くなったことで、スィンザの灰色の翼がその姿を現した。
「なんだ⁉ あの翼は……」
修練場には、いつの間にか大勢の人間が集まっていた。
「風切り羽がないんだ。だから飛べないのか」
「あんな翼を持つ鳥が存在するのか⁉」
観客席から聞こえてくる声が、スィンザのトラウマを刺激した。
スィンザの翼は灰色一色で、観客席の声のとおり、風切り羽が一枚も生えていない。
ソウル・ゲートを開いたことで、尾羽も現れていたのだが、こちらも同様に羽とは思えないほど短い。
『……スィンザちゃん、かわいそう』
かつての友人たちの声がスィンザの頭の中に響き、剣を持つ手から力が抜けた。
『スィンザちゃん、飛べない鳥の魂なんだって~。
あとソウル・ゲート開いてから、魔弾銃が撃てなくなっちゃったらしいよ』
『え~! ダゼル様みたいになるんだって、あんなに頑張ってたのに、かわいそう』
「どうした? スィンザ」
ラゼラスは、スィンザの異変を感じとって剣から手を離した。
ラゼラスの声が遠く感じた。
『──まだ無駄なことを続けているのか』
『空を飛べないのなら、それは鳥人剣術などではない!』
男性の声を聞いて、鳥人剣術道場に通っていた時の記憶を引きずり出された。
剣術を教えてくれた師範は、意地の悪い門下生にスィンザが、蔑まれている時も何も言ってはくれなかった。
剣術道場を辞める間際に知った。
師範は、「かわいそうだから」という同情心で、スィンザに剣術を教えていたのだと。
だからスィンザは、道場で直接教わったのは、基本の型だけだった。
「……それでも私は、この魔剣に縋るしかない!
この魔剣だけが、私の……」
スィンザは、トラウマを斬り払うかのように剣を構えなおした。
「その〈廉価品の魔剣〉が、そんなに大事なのか?」
ラゼラスの何気ない一言が、スィンザの心に突き刺さった。
「れ、れんか、ひん?」
「そうだ。直接触れたからこそわかる。
この街で売っている、一番安い価格の魔法剣の方が、強い力が込められているぞ。
思い出の品は大事にして、新しい剣を買った方がいいんじゃないか?」
今度は父の言葉を思い出した。
『スィンザ! お前にピッタリな魔剣を譲ってもらったぞ!』
「……私にピッタリって……そういう……こと?」
スィンザは、剣をその場に落として、震える両手で自分の顔を覆った。
(あれは……私に夢を諦めろって意味……)
認めたくないのに、思い当たることがあった。
スィンザの父親は、彼女の旅立ちを最後まで反対した。旅立ちの日の見送りにさえ、彼は現れなかった。
それでも父を信じていた。今この瞬間までは。
スィンザは顔面蒼白になりながら、修練場の壁に引っかかった灰色のマントを拾いに走った。
「お、おい、スィンザ!」
スィンザはラゼラスの制止を振り切り、マントを頭からかぶって修練場から逃げ出した。