三十七話 スィンザの決断と覚悟
『私は今でも後悔しています。
あの日、夫を見捨てて逃げたことを。
私がもっと、冷静だったら、私がもっと賢く、勇気のある人間だったなら、彼をきっと助けられたはずだから。
後悔は呪いとなり、私の体を静かに蝕んだ。
最愛の娘を残して死ぬことになるのがつらい。
タリナ、ザニー。
どうかあなたたちは、愛を持って、誰からも愛されて生きて欲しい。
後悔という名の呪いは、私が全て持っていくから。どうか、どうか……』
母が遺した日記を読んだ娘は、静かにそれを閉じた。
「よし。これで壊された転移魔法陣は全部直ったね」
ミモレスは、ラパンの街の魔導士たちが真っ青になるほど手際良く、壊された転移魔法陣の修復を完了させた。
転移魔法陣を破壊されたラパンの街は大混乱に陥り、一晩経ってからようやくミモレスたちが動くことができた。
ラパンの街の住人たちは、シックスランク出現と、今回の転移魔法陣の破壊などの街の異変が重なり、ラパンを出て行く決断をした者が多くいた。
大混乱の余波は現在も続いており、街から出て行く人たちの行列が通りを埋め尽くしていた。
「とくに妨害などはしてきませんでしたね」
周囲を警戒していたテリルは、無事に作業が終わったことが逆に不気味に思えた。
「もしかしたら、ボクたちが想定していなかった、何か別の目的があったのかもね。
たとえば標的にしている相手が、転移魔法陣を使って逃げ出さないようにとか……」
「あり得ますね。昨日は街の中が大混乱していたから、人さらいは動きやすかっただろうし」
テリルは、大荷物を持って行列をつくる街の人々を見ながらそう言った。
「レクエスの仲間たちが、街の中を監視していたから、人さらいなどがあったら何か報告が上がっているはずだよ。
もっとも相手は、隔離界魔法の達人だから、万全だったとは言えないけどね」
ミモレスたちは、修復された魔法陣に殺到する人々を避けながら、魔導器屋に向かって帰宅することにした。
「……ミモレスさん。私、今のうちに行きたい場所があります」
ミモレスたちが転移魔法陣の修復中、ずっと悩んでいた様子だったスィンザが、道の途中でそう発言した。
「ザニーのところ?」
「はい。そうです。
もしもこれから、この街に何かが起こるのなら、ザニーのフードを返す機会がなくなってしまう気がするんです。
もしもの事態が起きた時、私たちが無事でいられる保証はないから……」
スィンザはどうしても、あのフードをザニーに返したいと思っていた。
ザニーが忘れて行ったあのフードを見る度に、大切な物を失くして泣いている彼女の姿を何度も想像してしまったのだ。
「ザニーの居場所は、獣人国家カルシャ王国の中の〈タナハナ村〉という場所みたいだよ。
ボクの魔導器の反応が、すっとそこで止まっているからほぼ間違いないと思う。
ここの転移魔法陣は……しばらく使えそうにないから、別のルートが必要だね」
ミモレスは、ザニーの居場所を伝え、そこに向かうことも了承した。
「行って来ていいんですか?」
「いいよ。テリルと二人分の滞在費もあげるから、向こうで宿を見つけてしばらく潜伏していた方が安全かもしれないね。
あと何かあった時のために、テレポートリングも持って行って」
「……ありがとうございます……」
スィンザは、ミモレスたちの足枷になるくらいなら、提案に従うべきだと思った。
実際にシックスランクと対峙した際も、自分の想定とはまったく違う展開になった。
一撃入れられたら、自分の努力の証明になると思っていたのに、現実は一撃など何の意味もないと知った。
敵を倒すまで戦わなければ、人々の平和を取り戻すことはできないのだ。
(そうだ。私がここに留まっても、できることは限られている。それでも……)
スィンザは、覚悟を決めた。
「ミモレスさん。私は、ザニーにフードを返し終わって、心残りがなくなったらこの街に戻ります。
もし、街を巻き込むような事態が起こったら、もう守っていただかなくて大丈夫です。
私はまだ見習いだけど、バーモハンターです。
もしもの時は、トライホーンの一員として、私にできることをします」
「……そう。わかった。ボクも最善を尽くすよ。
何が起こっても、大切な人たちを守れるように」
スィンザの覚悟を受け止めたミモレスは、指輪型の魔導器と、カルシャ王国からタナハナ村への道順を示したメモを渡した。
「それとこれも持って行って。
カルシャ王国は、ナーゼットファルと同盟国だから、これを見せれば入国審査は大丈夫だと思う。
昨日王国の方に申請しておいたから、たぶん使えるはず」
そう言ってミモレスがスィンザに手渡したのは、青い金属的な光沢が美しい、豪華なカードのようなものだった。
掌サイズのそれには、スィンザの姿が立体的に浮かび上がる特殊な魔法が使われていた。
それは、身分証という名の特殊な魔法道具であると理解できた。さらに、所属を示す場所には〈魔導器武装兵団〉の名が記されていた。
「魔導器……武装兵団?」
「ああ。あんまり、人がいる場所で読んだり、見たりしちゃだめだよ。
アザーの所は特殊部隊だから、簡単に人を入れられないんだ。
でもボクが受け持っている所なら、ボクの一存で加入できるから、一時的にではあるけどそこに入ってもらったよ。
こっちは、テリルのだよ。スィンザと一緒に行くよね?」
「はい! ありがとうございます!」
テリルは、軽くそれを確認したあと、素早く自分の魔法のバックにしまった。
スィンザもテリルに習い、身分証をバックの中にしまった。
「あと一応、パステナにも一緒に行ってもらおうかな。
ザニーの行動は、カルシャとの問題にも発展し兼ねないから、もうやらないように脅しをかけてもらおう」
「わたしなら、自分の家にあの肩書きの人が来たら、心臓が止まるかも……」
チェイサーの恐ろしさを知っているテリルは、自分を抱きしめるように震えあがった。
「そうそう。テリルは、ボクたちの国のことをよく知っているんだね。
ボクたちの正体を言い当てた時にも思ったのだけど」
「実は、うちの二番目の兄が、〈王護制空師団〉に所属してまして、ナーゼットファル王国のことはよく聞かされていたんです」
「さすが、キッ……だね。テリルのご家族は」
思わずテリルのラストネームを口にしかけたスィンザは、無理やりごまかした。
「〈レクーガ将軍〉の所だね。
そう言えば優秀な人材がいたら、他国の人間でも採用するって言ってたね。
第三翼王国とは、同盟を結んでからそんなに日が経っていないから、テリルのお兄さんは相当優秀な人のようだね。
ボクの同僚たちの間でも、まだ珍しいんじゃないかな。第三翼王国の人を入れているのは」
「いえ……たぶん祖父か、父のコネ入隊かと……お兄ちゃんは人当たりがいいだけの人なので……」
テリルは、軍学校を最初から最後まで低空飛行(及第点)で駆け抜けた、能天気な兄の顔を思い浮かべた。
「『能ある鷹は爪を隠す』……きっとテリルが見た事もない一面を、キミのお兄さんは隠しているのかもしれないね。
ああ。そう言えばレクエスも第三翼王国の出身だったよ」
「わたしのお兄ちゃんは、鷹じゃなくてアホウドリの鳥人なので、爪は期待できないかと思います……。
うぅ……また第三翼の人がこの街に……」
テリルは、家出先に「手持ちのお金で行ける一番遠い場所」という理由だけで、ラパンを選んだことをほんの少しだけ後悔した。
「ハッ⁉ 今さらなんですが、こんな会話を外でしてしまって大丈夫なんですか?」
テリルは、ミモレスの素性に繋がるような話をしてしまったことに今さら気がついた。
「そうだね。ボク個人としては、もう隠さなくてもいいかなと思っているよ。
人さらいの犯人も判明し、シックスランクの存在も確定した今、ボクらが潜伏を続ける理由はもうないのかもしれないね。
ボクは、この街の盤面はもう最終局面に差し掛かっているように思えるんだ。そんな予感がする」
ミモレスはその場で立ち止まり、晴れ渡った空を見上げながら、不吉でありながら、説得力のある予想を語った。




