脱獄逃亡
休憩も人気の無いPAでトイレを済ませる程度に東北道を南下、北関東自動車道に入る前にはチェーン規制の解除に伴う面倒もあったが、デブ一人にやらせた方が早いだろうと手伝うもせず仁王立ちで監視し逃げるを阻む。
後ろはゴミ扱いに放置し何事もなく順調に走り続ける事十時間、夜中に走り始めるも既に陽は傾き、雪道に昼の照り返しで疲れた目に瞼を降ろそうとする夕景に郷愁より虚しさを覚えたか、ポケットの銃を取り出し物憂げに見詰めるデコ広を横目に黙々と運転するデブ。
関越道に入り東京方面へと向かう中、トイレを騒ぐデブに仕方なく嵐山PAに寄った折、モニターで圏央道が何かの事故で通行止めと知ったデコ広は、慌てて別の経路を模索するも下道以外には無いと判り降りるを選択。
どの道、高速なら判るからとエンジンを切って降りていただけに、ナビの再設定にも面倒とは感じなかった。
だがいざ設定しようとすると経路に高速道路を選択する厄介なナビに難儀し諦め、己の勘とスマホの地図を頼りに走ると決めた。
そうこうする内に日は暮れ帰宅ラッシュの渋滞情報も出始める。
高速渋滞の車列はSNSネタやバカッターの餌食になり易く、荷箱からの臭気に勘付かれる可能性に次のICで降りると決断。
嵐山・小川ICで降りたはいいが、右も左も判らぬ土地で高速を出て直ぐの別れ道。
とりあえずに左折し、何も無い畑の真ん中道を行くと青看板にバイパス254号線の文字が見え、スマホと見合わせバイパスのT字路を左折する。
少し行った所で青看板に川越の文字を見て安堵したのか、脇にPAを見付けて路駐したものの他の車両や通行量に気負ったデコ広はスマホで他を探すと、直ぐ近くに空き地を見付け右折を指示。
「そこだ。この池みたいなのを隔てる堰みたいな所に入れて停めろ」
曲がって直ぐ丘山の谷間に川の源水なのか、はたまた畑か何かの用水の溜め池かがあり、その手前には空き地が広がっていた。
立ち入り禁止の札を見てもデコ広が気にする所はそこではない。
日も暮れ暗く道から少し離れた池の脇なら通行量があっても気にならない、との考えだ。
曲がって直ぐには民家らしきものも数軒あるが、少し奥へ行くと池を分断する堰のような通路があり、丘山の谷間に停まるトラックも少し奥で車体を斜めにライトを消せば、それを気に留める者は地主以外には居ないだろう。
「鍵」
数度の事に慣れたか、寄越せを言われる前に差し出すデブ。
防寒着を羽織り後ろへ回り、荷箱のロックを外したデコ広は扉をデブに開けさせる。
スマホに何の連絡もなく、凡そ十時間程を酷い臭気の箱中で過ごして薫製にでもなっているかと思うと少し笑えたか、臭気を避けるように後退りしたデコ広は銃を構えてニヤけ蔑むように覗き込む。
――GUWABA!!――
一瞬だ。
駆けるにも重量を感じるダダンダンッ! と響く音に飛び出したそれは、正面から蔑み覗き込むデコ広の上顎から上を持ち去り、残る身体を踏み付けるように降り立った。
骨の砕ける音とぬちょぬちゃとした水気の多い何かを喰む音に、その巨大な何かの足下でゾンビの如くに手足をビクつかせる身体は、港で撃たれて死んだ男のそれと変わらない。
――TAKAANN――
――GUWUU――
頭を失くし勝手をする神経が手足をバタつかせ、手にする銃を握り締めたか発砲するも、何処に向けたか荷箱の扉脇に居たデブの横腹を掠め、開けた扉に傷を残して弾け飛ぶ。
――KATUUNN――
服の動きに焦り確認するも腹の無事は暗くて判らないが、発砲音にも振り向く程度に揺るがないその巨体の影に、人を撃ち殺した銃とは違う圧倒的な恐怖がデブの足を動かし運転席へと駆け出した。
けれど二歩目を踏み出す左足に痛みを覚えて歩みを止める。
振り向く巨体は捕らえた獲物を奪われてたまるかとでも言いた気に、背後で動いた気配に敵意を見せて牙を剥いて威嚇に上げる唸り声。
――GUWAAAWUU――
獲物を奪う敵が来る前に隠そうとでもしているのか、顔を失くしたデコ広の左肩辺りを噛み付け引き摺り、車道とは逆の丘の方へと持って行く。
吐く息白くも血の匂いを混ぜ、遠くの街灯から伸びる光が煙の如くに浮かび上げては消え去るまでを、歩様に則して潰れ砕ける枯れ草が音を立てるも、巨体の弱気か経験則か位置が知れるを嫌って歩様を変えた。
デブの左足の腿裏からは血が滲み出し、扉で跳ねた弾が当たった事を判らせるが、痛みよりも恐怖が勝り逃げるを優先。
足を引きずり運転席までを急いだデブだが、ドアを開けようとノブに手をかけたその刹那、トラックの前へと忍び寄る微かな月明かりに照らされ伸びる大きな影とその息吹。
互いに息を潜めていても漏れるは鼓動、肥えた身体も質の違いに筋を強めた獣のそれは自重に沈む足音にも迫を持つ。
一歩また一歩と迫る影に慄きドアの開く音を気にしてか、開けたら直ぐ様乗り込まないとと考え、開ける準備にドア下のステップに足をかけたと同時に影の頭が姿を現す。
――GUMUUU――
熊だ。幌のかかる檻の中で蠢くそれの正体は何となくに分かってはいたが、改めて間近に目にしたそれが知るそれとは少し違う気がして脳裏に幾つもはてなが並ぶ。
本州に居るのはツキノワグマで、北海道に居るのがヒグマだとテレビか何かの記憶はあるが、目の前に居るそれはどちらでもなくどちらでもあり、見覚えのある中にない顔だ。
――WUUUU――
歯を剥き出しに威嚇し、眼光鋭く敵意に満ちた巨体が確実にデブの首を捕らえようかと、首を揺さぶりタイミングを計りつつ間合いを詰める。
デブが後退りにステップから足を降ろした瞬間、前脚を高々と挙げ飛びかかる熊。
――GAAA――
咄嗟に腕を前にしたおかげか、首筋を狙った一撃は防げたが、その衝撃で荷箱の横まで吹っ飛び倒され意識を失った。
次に意識を取り戻したのは右足の激痛によるもので、何が起きたか認識するのに時間を必要としなかった。
自身の右足を巨体が咥えて引き摺り何処かへと運んでいる。
地べたから周囲を見るも暗く、砂利と枯れ草に頭皮を削られ痛みが走るが、逆を向いた右手にトラックの荷箱の扉が在った。
引き摺られて間もない事を理解するデブだが、足を咥えた熊から逃げる術もなく、撃たれた逆足で蹴って逃げる勇気も当然に無い。
――TAKAANN――
突然トラックの左側から発砲音が鳴ると丘山が反響を返したのか雷の如くに響き渡る。
――GUWUU――
多少は怖気づいたか周囲を警戒するのに口からデブの足を零したが、それでもデブに逃げ出す勇気は無く、尻込みに震えるばかりで怯えて動かない。
――TAKAANN――
次の瞬間、熊は丘山と逆の車道の方へと逃げ出した。
慌てて起き上がろうとするデブだったが、両足をやられている事を痛みで理解し、這い蹲って荷箱にしがみついてよじ登るのが精一杯。
扉を何とか自分で閉めるがキッチリ閉められる筈もなく、何故に荷箱へ入ったのかと自分を責めるも後の祭り。
いつ戻るやも知れぬ恐怖に外へ出るも出来ずに縮こまり、運転席まで行けばドアも閉められクラクションで周囲に助けを求める事も出来ただろうとの後悔ばかりが脳裏を過ぎる。
とりあえずに奥へと向かうその先で、僅かな明かりに浮かび上がる鮮血を辿って目にしたそれは、凄惨が過ぎると麻痺して来るのか考える事すらを辞めさせた。