逃げる者
誰のせいとは言えないが、片方しかないブレーキランプでバンの挙動を推測するに、ブレーキを踏むも雪に滑り出したタイヤはバンの姿勢を制御出来ず、滑る前輪が寄せ積む雪が壁となり、その雪壁に後輪が当たって弾かれ、ミスしたボブスレーの如くに右往左往に身を揺らす。
次の瞬間、鈍い金属音と共に光を放つ何かが道の外へと吹き飛ばされ、こちらのハイビームが照らすギリギリの距離で道の端に黒い物体が落ちて来た。
「何だ?」
――DOKONNDOKONN――
滑らない程度に緩くブレーキを踏みつつ避けようとハンドルを少し右へと回すが、バンが作ったジグザグの雪の轍に当たり、タイヤからの衝撃が強く方向制御を阻まれる。
速度を緩めた分だけ車重で轍の雪を蹴散らすが、車軸が曲がり兼ねない程の衝撃に不安を持つ中、黒い物体の正体が見えて来る。
「……女子高生?」
長い髪が顔を隠すも服装から女子高生か女子中学生か、けれど深夜に女子学生が何故に外を出歩いているのか理解が及ばずも、要救護者を視認して尚、止まって救急要請をしようとするよりバンを追う方に気が向いている自分に驚かされる。
「あの、……」
「首が折れてちゃ助かんねえよ」
訊くも無駄に思えて口を紡ぐも、デコ広の台詞に驚くほど素直にアクセルを踏み込むその実は、自分が助かるかも判らない状況で救護に向かう余裕などなく、内心デコ広の台詞に安堵していた。
いつから自分も人を殺す側に回ったのかと、追い詰められる立場から追う立場になった訳でもないのに、追う手伝いに運転している内に追う者としての自分に酔い始めている事を如実に示すデブのそれは、車に乗ると強気になる馬鹿ドライバーそのものに、裏を返せば弱気の逃げとすら気付かず調子に乗っているからに他ならない。
後方モニターにはトラックの後輪が巻き上げた雪煙が道路脇で横たわる黒い女子学生に被さるまでを捉え映していたが、イキったデブは知る怖さに逃げ視線を逸らし、デコ広は視線だけを向けるも直ぐに顔を顰めて背けていた。
追う立場と勘違いに自分に酔いつつ逃げるデブの醜悪さを前に、自身のそれと同じと知れば知る程にムカつきを覚えて殴りたくなる衝動から銃を握り締めるがロックをかける、その矛盾さこそがデコ広の知性の上限なのだろう。
弱虫が漢らしさの欠片もない卑怯で愚劣な人で無しの非道に手を染めニヤけ勝ち誇る。
汚れ仕事を任せても気に病む事の無い都合のいい三下奴の特徴に、浮かれるそれは傍目に情けないクズそのものだが、本人は飯の種と喜び請け負い任されていると任俠心に勘違いし胸を張る。
デブの勝ち気にバンを追う顔が分かり易くもそれだと判り、自身に重ね恥を知るより自分の下に就かせる楽を見たデコ広は、見えはしないが後ろをチラリとして推し量るその最中、デブの叫びに前を見る。
「あ、嘘だろ?」
片方を残していたバンのブレーキランプが雪壁に当たった衝撃か何かで消えていた。
バンの前照灯で位置は判るが、ポジションライトとしてのブレーキランプが無いと挙動の予測が付きにくく、距離が離れカーブで隠れる最中に脇道に入り前照灯を消せば気付けない可能性もある。
慌てて差を詰めようとアクセルを踏むが、雪の轍に阻まれ速度も容易に上げられず、その蟠りに横で苛つきを見せるデコ広に、再び追い詰められる立場なのだと気付いたデブは、顔を前のめりにハンドルに寄せ必死さをアピール。
――BUBUBUBU――
――BUBUBUBU――
トラックの揺れとは違う微かな振動音に周囲を見回すデブだが直ぐに鳴り止み、デコ広が左ポケットからスマホを取り出す仕草に見てはイケないものと考え前を向く。
横で舌打ちするのを聴いて尚、黙って運転しているのも不自然に思えて目が泳ぐデブに対し、思っても見ない問いをかけるデコ広。
「おまえ、下に就いて来る気あるか?」
「え、あ……」
何の話か解らない訳ではなく、スマホを見た後に来る話として異様な雰囲気を感じ取ったからこそ、返答に詰まるデブ。
「やっぱ駄目だな。こう言う話に即答出来ねえ馬鹿は要らねえんだよ」
「いや、そうじゃなくて! いいんですけど、その……な、何か裏が有りますよね。そのスマホの相手に対して……」
少し目を見開きデブの顔を凝視したまま黙るデコ広、言った後悔を振り払うようにデブは言葉を続けた。
「その拳銃といい、後ろの積荷といい、雑な扱いで人を殺して処理も適当。こっちに声を掛けるって事は後ろの人は用済みって話で……」
そこまで言って話し過ぎた事に気付き焦りに黙るが、斜に構えたデコ広の目に力が篭っているのが見て判る。
いつ殴られても可笑しくはない状況にも運転中だからと余裕を漕いて、後悔先に立たずを身を以て今に知るが、銃を抜かない辺りに現状殺される事は無いだろうと甘えに安堵し、これ以上の失言を避けようと一応に押し黙り運転に集中してる振りで前を向く。
「おまえ、いい度胸してんなあ!」
当然それで誤魔化せるはずも無く、デコ広が続けて発した言葉に唖然とする。
「その勢いでアレを頼むよ!」
「え、何を?」
つい訊いてしまった事を瞬間的に後悔したのか眉が浮く。
「そお言う事だよ」
固まるデブをニヤけた顔で覗き見るデコ広の術中にハメられたのだと、箱中に居るギョロ目の処分をさせる事で忠誠を誓えと言う話だろう事は明白だ。
デコ広にとってギョロ目は上から仲間にとあてがわれ、人で無しのクソみたいな汚れ仕事を任せるには都合がいいかと受け入れただけの事。
だが使ってみれば、無抵抗の相手に危害を加える幼児性愛者の如く卑怯で愚劣な行為にも、恥知らずは高揚感に勝ち誇りイキって勝手をやってはミスをし自滅。
正直デコ広にとっても邪魔でしかなく、そんな折の拾い物程度にデブを見る。
そうと分かっていてもデブからすれば今の流れで殺される事は無くなるだろうとも思え、先の知れた話にも喉から手が出るその刹那、バンのライトが消えその行方を見失った。
「何処行った?」
焦り速度を緩め周囲を見回し雪上のタイヤ痕に目を凝らす。だがハイビームの照射範囲にそれらしき姿もないまま消えた辺りを過ぎて行く。
脇道も雪轍のタイヤ痕にも曲がった痕跡は見られない。
消えたバンの行方にも逃げる手段として一度は考えた方法なだけに、予想通りとは思うも自身の思考が浅墓な逃げを見せるヒョロ眼鏡と同じと解れば苦虫を噛む。
脇道ではなくライトを消してそのまま走っていると判り、脇道の可能性に緩めた速度を戻そうとアクセルを踏み込んだ。
しかし、呆気なくもその手段が間違いである事を証明するように、数分走った所で道を違えたバンは雪壁に突っ込みバックも出来ず周囲の雪でドアも開かなかったのだろう、ヒョロ眼鏡は運転席で観念したように佇んでいた。