チェイス
港に白く灯る時計の明かりは3に近付く短針までをはっきり見せる。
夜中の内に船を出す者も居るだけに、急ぎ港の蛇口を捻りホースで放水、血や糞尿の付いたトラックの脇やスカートやに加えて自らの手や顔も洗い落とすと、デブや眼鏡にも向け洗わせながら、苛つきに平手で頭を叩き愚痴を吐く。
「おい馬鹿っ! 寒冷地で蛇口閉めんな! こんなもん常識だろがよ……」
直ぐ様デブをトラックに乗せ小走りで駐車場のバンに乗り込んだデコ広は、ダッシュボードから筆箱程のケースを取り出しポケットに隠すと、暖気にエンジンをかけた所でヒョロ眼鏡のアホ面が中を覗き込む。
脇のスイッチで助手席のドアロックを解くと勝手に入って座り、まだ冷風しか出ない風口に手を向けるヒョロ眼鏡を余所に、デコ広はレバーを引いて後ろに回り、トランクを開けると車内に冷気が吹き込みヒョロ眼鏡が縮こまるを鼻で笑う。
トランクで毛布を取り出しているとバンの左に向きを違えたトラックが止まり、サイドを引いたか助手席の窓から顔を出したデブは指示を求めるが、デコ広は開いた掌をデブに向け、助手席にヒョロ眼鏡を残して毛布を何枚か持ちトラックの後部へと向かう。
それまでが嘘のように箱の荷台で黙り俯くギョロ目を前に、アホらしさにため息を吐いたデコ広は、ポケットのケースを手渡し情けをかける。
「これ射って我慢しろ」
それが何かを言うまでもないが、妙な納得を見せるギョロ目の姿勢が普段から射っている事を判らせた。
――GAKONN!――
箱の扉を閉めロックを掛けたデコ広はトラックの運転席へと回りドア下の台に足を乗せ、未だ不安を覗かせるデブを窓越しに諭し話す中、トラックの裏側から唐突に走り出したバン。
「な、あの眼鏡……」
不意にトラックの後部から走り去るバンのライトに気付いて焦り、急ぎ前を回り助手席に乗り込んだデコ広は、諭すも忘れ銃口をデブに突き付け逃げたバンを追えと怒鳴りいきり立つ。
駐車するのに向きを違えたバンとトラックが故、二つある出入口の右方へ向かったバンを追うにも逆の出口に向かった方が早いとトラックを左方に向けたデブ。
けれどバンの行き先を確認しようと、デブは出口の手前でブレーキを踏むが当然のように雪に横滑りし向きを違えて止まるトラック、配送ドライバー経験の履歴に勝手な期待をしておいて、裏切られた感覚に怒鳴るデコ広。
「何やってんだよデブッ!」
左右どちらに曲がるか以前に雪道の運転に慣れていないデブは、車体の横滑りに焦り汗を噴き出し目を丸く、動悸に固まり呼吸も荒く下を向く。
横滑りの止まりで荷台のギョロ目は振り回され、腕に刺した注射器の中身を全て押し出し荷台の壁に頭をぶつけ意識を失い突っ伏した。
「やっぱ右か。ほら追えっ! 何やってんだ。いいから行けっ!」
焦り焦点の合わない視界と顔や首やに噴き出す冷や汗を手で拭っては服で拭くデブの頭を引っ叩き、デコ広は行け行け怒鳴り助手席からハンドルを掴んで左へ回す。
滑りに行き過ぎた車体を戻そうとしているのだろうが、助手席からハンドルを回されては余計ややこしくもなる。
慌てデコ広の手を除けハンドルを掴むが、既にどの程度回されていたのかギアを入れ走り出すと直進し始め、焦り急ハンドルで更に左へと回し、出口に向けるとハンドルを戻し直進で右折した。
「おい、滑ったくらいでビビってんじゃねえ!」
チェーンを履いてるとはいえ雪道を知らぬ者の運転は、車に乗ると横柄になる普段の荒れた態度も、雪が降ると途端に卑屈な程の警戒心に弱気を見せ、普段から同じように注意していれば事故はそう起きないだろう事を傍目にも理解させる。
とてもカーチェイスをしているとは思えない速度で前を追うトラックの中、デブの警戒心は運転に向けられデコ広への警戒心は既に無い。
銃を何処に入れたかデコ広の手元には無く、雪道でなければ加速した状態からの急ブレーキでシートベルトをしていないデコ広を助手席からフロントガラスにめり込ませ、銃を奪ってトラックを乗り捨てバンのヒョロ眼鏡に拾ってもらう事も出来るだろうか……
いや、肝心なヒョロ眼鏡が自身を捨て置きバンで逃げている今、雪道でなくとも助かる道は無い。
トラックの運転で思考が配送時のように切り替わったのか、冷静に自身の置かれた立場を再確認するデブ。
「あの、」
そお、数の上では弱者が上回っている現状に一人で逃げたヒョロ眼鏡の馬鹿が恨めしくもなる。だからこそに確認する必要を感じて問おうかとする。
「何だよ?」
「後ろの積荷、大丈夫ですか?」
積荷では無く後ろの箱中に居るギョロ目の事が気になり、敢えて積荷を問うてみる。
「大丈夫だよ! 中で見張ってんだから何かあったら電話して来んだろうよ!」
連絡は電話であって、常に相互通信されているような無線はないと知れた事は大きい。
「あぁあ、なるほど」
けれど妙に勘の良いデコ広は自身の言葉の裏に潜む何かに気付いたか、ドアに寄り掛かると右ポケットから銃を取り出しコチラに向けた。
「おまえ、八甲田山って映画観た事あるか?」
「え、いえ」
観てはいないがネットでのネタや映画パッケージやでイメージ的なものは知っている。つまりは冬山遭難したくなければ逃げるなと言う文句だろう事はデブにも理解は出来る。
「黙って運転しろ」
デブの気付きを察したのか、デコ広は睨みつつも力みを落とし疑いの目を向け揺れる車内に身を任せ、片足をシートに寝かせて爪を噛む。
ヒョロ眼鏡は雪道に慣れているのか、50km/h程で前を行くバンは左へカーブに姿を消しては雪にブレーキランプの赤を残す。
木々に囲まれ何もない雪道では距離感が掴み難いが、凡そ700㍍は離されているだろう予想に速度を上げる必要にも手前のカーブに速度を緩め、都度に銃口を向けるデコ広の小言を喰らう。
「ビビってんなよ、このデブッ!」
既に何にビビっているのかデブは自分でも判らなくなっていた。