パンドラ
揉め事の最中にも船長は気にもとめず作業を続け、積荷に触れるなと言われた韓流モジャ頭が積荷の四つ角を繋ぐワイヤーを纏めクレーンから吊るされたフックにかけ終えると、韓流モジャ頭の肩に手を乗せ後ろに向かって引っ倒す。
「邪魔だ! 前行け!」
韓流モジャ頭を前方甲板の方へと追い立て、船長も積荷から離れた操舵室の脇に立ち、クレーンのデコ広に荷重がかかったら一気に巻き上げろと怒鳴りつけ、若造を叱咤するように付け足した。
「船に傷付けたら殺すぞ」
「わぁってるよ、うるせえなぁ」
――GATINN!――
「引けっ!」
――WIGIIIIIIIII――
ワイヤーが張ったと同時に一気に巻き上げ、積荷が浮くと船体が大きく揺れだした。
浮いたばかりの積荷と船体の端がすれすれの所で当たりを回避すると逆波にその差を拡げ、積荷を巻き上げクレーンを旋回に引き寄せ港のバースに行った辺りでお役御免と船長が声を上げる。
「おい、この|朝鮮人貰ってくぞ!」
積荷を木製パレットに降ろす中、時間を気にしてか面倒臭いからか船長の言葉に意図を汲む。
三つの死体を海へ投棄するにも津軽暖流は知床からの親潮に引き寄せられ黒潮に乗れば北から広い太平洋へも向かうが、陸奥湾を回る海流に取り残され大間やここ等の漁船の網に絡まる可能性が高くなる。
手にする拳銃は誰にとっても都合の良い露西亜からの流れ品、露西亜との領海近くに持って行けば勝手にソッチのせいにもなるだろう事を踏まえ、敢えて日本海側へと持って行く。
大陸から吹く風に荒れる波では一人で操舵し死体を海へ投棄するにも、露西亜だけでなく韓国の海警に拿捕される危険も伴う事から、韓流モジャ頭を朝鮮人と見て都合が良いと思ったのだろう。
「ああ、持ってけ。けど逃がすな!」
返事を聞いて鼻で笑うその意味に、韓流モジャ頭は船に水と燃料を補充する手伝いをしながら聞き耳を立てたものの、不穏を感じつつも心を閉ざし黙々とメーターを確認していた。
無論、韓流モジャ頭は日本人の若者であり韓国語など話せるとは思えないが、韓流かぶれにまともな日本語も話さないのだから船長に韓国人と見られても不思議はなく、想定外な遺体の遺棄を引き請けてもらえる駄賃と考えれば安いもの。
荷役クレーンで積荷を浮かせつつ木製パレット (フォークリフト用の持ち上げる折に土台となる板)の安定位置に降ろそうと、微妙な調整に注文も五月蝿い。
「デブ、五セン右! 眼鏡は引き過ぎだ馬鹿!」
積荷の下部端から垂れ下がるロープをデブとヒョロ眼鏡がパレットの両脇で持ち制御する中、積荷の幌が時折風で捲り上がると錆色の檻のような物が見えるが、滴り落ちる鮮血と共に獣臭の糞尿がボタボタと降り注ぐ。
漁港独特の魚類の生臭さに加え哺乳類の血生臭さと鼻を突く吐瀉物の臭いで相当に曲がった鼻だが、それ等をも凌駕するえげつない糞尿臭と獣臭が襲い来る中、寒さで鼻水が押し流し様々な感覚が麻痺するのか暫くして不思議と気にする事もなくなった。
積荷の中は見えないままだが無事パレットの上に置かれると、デコ広はクレーンのフックを外して巻き上げ港の奥の何処かへ歩いて向かう。
直ぐにライトがこちらに向けて放たれ、近付くそれがフォークリフトと判る距離になるとデコ広は運転しながら怒鳴り指示する。
「おいっ! 箱開けろっ!」
フォークに刺されそうな感覚に焦りを感じ、言われるがままヒョロ眼鏡が積荷に手を伸ばすとデブに手を払い除けられ、何故に邪魔されるのか意味が分からずデブに対して睨みを返すヒョロ眼鏡。
上と見ればヘコヘコするも下や同列と見做せば当たりを返すその性格が故の結果に、調子に乗るヒョロ眼鏡の態度がここへ連れて来られた理由を解らせる。
「箱はトラックの荷台の事だと思う」
冷静に返すデブの言葉にも、あしらい小刻みに肯くヒョロ眼鏡の思考を見透かすように、舐めた態度が気に入らないのか積荷の中から低い唸り声が漏れ聞こえる。
――GUWUUUUUU――
唸り声に慌て逃げるようにトラックへと向かい、デブが荷扉のロックを外しヒョロ眼鏡と扉を片方ずつに開けると、箱の中は防水シートが敷かれロールバーのような太いパイプが中を囲うようにセットされ、揺れを制御するような積荷の固定台が備え付けられていた。
「何やってんだよ」
荷箱の揺れに運転席で気付いたか、ギョロ目が降りてやって来ると、直ぐにフォークリフトのホーンが鳴った。
――PIII!――
「んな所に立ってんな! 邪魔なんだよ!」
既にパレットにフォークを差し込み荷台の高さに積荷を持ち上げ、こちらを向くフォークリフトのライトが箱の中を照らし迫りくる。
デブと眼鏡が急ぎ脇へと退くと積荷は箱の中へと挿入されるが、固定台の位置に遊びが無いのか配置にシビアな制御が求められ、デコ広は神経を尖らせ顔を顰めていたが、脇で落ち着き無く動き回るギョロ目に苛つき出す。
――PIII!――
「おいっ! こっちから見えねえんだからお前が荷台で確認しろよっ!」
「え、オレ?」
「当たり前だろ! とっとと乗れよ馬鹿! おいデブ! そこの柱脇にホースとブラシ在っから眼鏡と血の痕が判んねえように洗い流しとけ!」
ギョロ目に懐中電灯を持たせ荷台に登らせ、視認しては指で方向と高さを指し示して合図を出させるが、
「判り難きいわっ! んなチャカチャカやったって見える訳ねえだろっ!」
ホースで散水しながら鮮血を海へと流しつつ岸に付着した血や臓物の欠片や吐瀉物を前に、デブとヒョロ眼鏡は作業に慣れたが緩む心は現実を直視し、今している事のエグさに気付いてえづくを我慢するを繰り返しつつ作業を進めて心を塞ぐ。
そうこうする内に漁船の明かりが向きを変え、トラックとフォークリフトのライトのみで暗くなり、漁船のエンジン音と共に軽油臭を漂わせると、何を言うでもなく直ぐに出港して遠ざかり、何事も無かったかに静まる港。
――KAGONN!――
「オケッ、填まった!」
「ロックしろ! おい! もう終わってんだろ? 片して積荷を見張れ!」
二人が少し離れた所に居るのが気になったのか、デコ広はフォークリフトで駆け寄り急がせ追い立てる。
トラックの箱中で備え付けのホールドに固定してはロックをかけ、慣れた手付きでバンドロープの緩みを締めるギョロ目だったが、眼鏡を失い見え難いのか力を入れようとして思わず積荷に手をかけた。
――GUWUU――
積荷の中で唸り声を上げたそれが何かは見えずも獣である事は間違いなく、それもかなりの重量を有する大型の肉食獣。
「ぁ゙ぁ、ぁ゙ぁ゙ぁ……」
人の味を憶えた大きな獣が檻の中で唸り声を上げる中、ギョロ目が泣き叫ぶ寸での小さな呻き声を上げていたが外の誰にも聴こえない。
フォークリフトを元の場所へ戻し終えたデコ広は、デブとヒョロ眼鏡を連れてトラックの荷台に乗せ説明しようと自身も乗り込む。
すると女子供がすすり泣くような妙な音に懐中電灯を奥へと向けた。
「おま、バッカ野郎……積荷に触れるなつったろが! 運転どうすんだよ! いつまでもガキみてぇにイキりやがって、クソ野郎が」
先に本来のドライバーを失ったトラックをギョロ目に運転させる筈だったが、右手指の本数を減らし顔を歪めて口を開け、泣き叫ぶも出来ずに左手を添えて苦悶するバカを横目に、デコ広は少し考え荷物の反対側に居るデブに顔を向けた。
「おい、おまえ確か配送ドライバーの経験あったよな?」
「え、いや、え?」
意図するものを察して焦りに怯えるデブの反応だが、中型程度の免許と運転経験有りと理解したデコ広は運転席に親指を向けた。
「俺の後ろ付いて来るだけだ」
「え、いや、でも……」
キョドるデブには意を介さず、男はギョロ目に言い放つ。
「おい、おまえがここで見張れ。んで眼鏡は俺の横で手伝え! デブは、とりあえずこの箱トラを駐車場まで戻しとけ! あ、待て。これも洗わねえとだな……」