引責事由
漁船の出港を早朝に控える小さな漁港の駐車場、海から吹きつける風の強さを街灯を霞めた雪の陰影が判らせる。
紺青の闇が広がる埠頭の先に橙色の灯りが揺れて見えると、津軽海峡を渡った一艘の船が接岸し、何の合図か漁船上部のサーチライトがこちらに向けて放たれた。
「おい、とっとと出ろ!」
降雪地では目立たない白いバンの中で暖を取り、三十代も後半程のギョロ目で眼鏡をかけた男が助手席でスマホを操作しながら五人の若い男達を外へと追い立てる。
隣に駐めた中型の箱積トラックには同じく三十後半程の男が二人、運転席から缶ビールを飲みつつ降りた茶髪に白いダウンジャケットの男、助手席からおデコの広い細身の男がスマホ片手に降りると、指示待ちに屯する若い男達を漁船に早く行けとばかりに声を荒げて尻を蹴飛ばす。
「早く行けオラッ!」
船の甲板で幌を被せた荷を揚げようと、老齢な男が港の荷役クレーンを待っているのか何かを叫ぶが吹雪と波音に掻き消され、凡そは聴こえないのにすべき事だけ理解をさせる。
揺れる漁船で器用に立つ嗄れ華奢な老齢の船長とは違い、手伝えと言われ乗船した若者は立っているのもままならず、肥満な身体に力も劣り引けと渡され掴んだロープに引き摺られ、焦りに幌の積荷に手を掛けた。
「ングゥ゙ッ!」
雪の吹き荒ぶ海風で感覚が薄まる指先に、熱を感じたと同時に挟まれたような痛みが走り声をも潰し、積荷から手を離そうとするが何かに挟まり動かない。
積荷を覆う幌が照明を遮り自身の指に何が起きているのかも解らず、波の揺れとも違う蠢くような感覚が指先を襲っている事に違和感を覚えた若い男は、顔を近付け指を外しにかかったその刹那。
――GURURURURU――
妙な温かさのある空気の漏れに、大きさを計り知れない程の低音の効いた唸り声。
姿は見えずも恐れを感じて固まる身体が下半身の力を奪い去り、へこたれしゃがむが男の手は荷の端から離れる事無く、積荷の上部にぶら下がるような格好になり頭が幌荷へと引き寄せられた。
近付いた荷中は暗所となっているもののボタン程の金属の反射のような煌きを見付けると、瞬く間に移動したそれが鋭くこちらを捕らえた途端、指が開放されたのか床に身を落とそうとする頭の端から頬にかけてを杭で突き刺し万力で圧し潰すかの如く衝撃が走り、身体の神経が何かに引っ張られたように硬直する。
叫び声も上げられず獣臭を吐き散らす熱が顔を覆うと、何度も何度も頭頂から頬までを圧し潰すその衝撃が繰り返されるが、何をされたか動けない。
「何寝てんだこの野郎!」
港の岸壁に立つ白いダウンの茶髪が荒げた声を被せるも、手伝いに乗船させた若い男に反応は無く、寝たまま時折ビクッと引くつくが起きようともしない態度に腹を立て、飲み終えたビールの缶を投げ付ける。
――KAKOONN!――
――GUWUU――
返された想定外の低い唸り声に一瞬何が起きたか意味がわからず眉を寄せ、波飛沫を受けつつ船上を覗き込むが寝たままの男に変化は無い。
――ZAPAAANN――
接岸する漁船の隙間から吹き上げた波飛沫をもろに顔まで浴びて手で拭う。
「んん?」
漁船の橙色照明のせいか手が赤く、ふと下を向き自身の白いダウンに飛び散る赤い何かが照明の色ではない事を判らせたのか、自身の血と想起して確認するが勿論血など出てはいない。
投げた缶で男が血を流しているなら後の仕事に支障をきたすか否かに、乱暴に扱い壊れた玩具を使えねえとでも言うように、面倒臭そうな顔を浮かべる茶髪。
「ざけんなよ……」
自分のした事に悪びれもせず服の汚れを気にして愚痴を吐き、怪我の程度を視認に船へ右足を乗せたその直後。
――GAKOOONN!――
大きく揺れた船体に足を取られた男は岸壁から離れた船との隙間に左上半身から身を落とし、次の瞬間揺れ戻る船体に潰された。
「ぅぇ、ぅわぁぁあああっ!」
クレーンの傍で浮く荷の制御に待機していた若い男の一人が、その鮮血を顔から浴びて悲鳴を上げると、荷役クレーンを操作していたデコ広が慌て前のめりに飛び出し四つん這いで近付き、港の岸壁と漁船に挟まれ潰れた仲間の様子を覗き込む。
「ぅ゙ぉ゙ぉ゙ぅ゙ぇ……」
何を見たのか仲間を向いたまま嗚咽を漏らし、吐瀉物をそのまま仲間の死体に降りかける。
「臭えぞ馬鹿野郎!」
船長が積荷の向こうで作業をしながら罵声を浴びせるも、妙な反応に立ち上がり港側をチラ見し異常に気付く。
「おめ、何仕草って……」
船体と岸壁に挟まれ圧死した遺体が船体に足を残して服が引っ掛かったまま波の揺れに同じて鮮血が飛び散る惨状に、まさかと積荷の裏を覗けばロープを持たせた若い男も顔の半分を失くして突伏していた。