5. 公爵家にお邪魔します
外では鳥達がさえずり、朝の訪れを告げる。
昨日よりも少し早めに食堂へ向かい、壁際に立ったまま主人の到着を待つ、いつもの朝だ。
バタンッ……
「おはよう、イルフィーユ。……いつも言ってるが、先に着席してくれて良いんだぞ?」
「いえ、私のことはお気になさらないでください」
元々、侍女をしていた習慣が根深く、この定位置がとても落ち着くのだ。
逆にテーブル席に先に座ろうものなら、心がそわそわしてしまう。
コトンッ……
テーブルに皿が運ばれ、静かに朝食が始まる。
「イルフィーユ……今日の予定は?」
「えっ?」
昨日に引き続き、今日も旦那様が私に話を振ってきた。
……私、何かを疑われているのだろうのか?
はっ!
やっぱり、ムゥ様のことを私が知っているの、ばれている?
でも、何も仰ってこないなら……私から下手に話題にあげるのは避けよう、うん。
「きょ、今日はティミラ・グレッグス公爵夫人とお約束をしておりますの」
「ティ、ティミラ様……ま、まさか……もしかして……」
また何やら旦那様がぶつぶつと独り言を呟き始めた。
考えをまとめるのに、口に出すのがクセなのだろう。
結婚し、旦那様を観察していると、いろんな面が見えてくる。
思わず、口が緩んでしまいそうになり、そっと手を添えた。
「よし、私も行こう」
「……はい?」
………………
わ、私の聞き間違いだろうか?
あの仕事人間様が二日連続でお仕事に行かないなんてことがあるとは‼︎
いや、もしかしたら公爵家に丁度、用事があったのかもしれない。
私が公爵家で働いている頃も、合同事業の話し合い等で頻繁にクロゥム次期伯爵は公爵邸を訪れていたのだから……。
あぁ、本当は一人で行きたかったのになぁ。
何もないといいんですけど……。
◇◇◇◇
ガラガラガラガラ……キィッ……
厳かな宮殿のようなお屋敷に伯爵家の馬車は静かに停車する。
扉前にて、わざわざ公爵夫人が出迎えて下さった。
「お久しぶりですわ、ティミラ様!」
「ようこそ、イル! 会いたかったわぁ! 全然遊びに来ないじゃないのぉ……あらあら、イルだけかと思ったら、仕事人間のクロゥムさんまでいらっしゃるなんて……二人一緒は初めてじゃない?」
「ご無沙汰しております、夫人」
夫人は私のことをとても可愛がって下さっている為か、旦那様への当たりが少々……いや、だいぶお強い。
言葉にチクチクと棘が生えている。
そういえば、『結婚式は挙げません』とお伝えした時は、髪の毛が逆立つんじゃないかというほどお怒りになっていたわね、懐かしい。
「あら、エリアリス様は?」
「エリーはまたいつもの例の悪い癖よ。昨日出かけていたから、イルが来るって教える暇もなかったわ。まぁ放っておきなさいな」
私の元ご主人様であり、友人のエリアリス公爵令嬢。
高位貴族の彼女だが婚約者はおらず、『生涯独身』をはっきりと宣言している。
王国内で確固たる地位を確立しているグレッグス公爵家は、そこまで他家との繋がりを重視してはいない。
その為、彼女の意思を尊重しており、エリアリス様は趣味に勤しんでいるのだが……趣味が高じて、王国一の情報通となっているのは、ここだけの話である。
「そういえばイル……手紙に相談したいことがあるって書いてあったけど……」
彼女はちらっと旦那様に視線を送る。
彼は無言でかちゃりと眼鏡を押し上げた。
さ、流石は公爵夫人!
状況把握能力が素晴らしい。
『そうなんです、旦那様が勝手に付いてきちゃったんです……』とは、口が裂けても言えません。
うーん……。
旦那様のいる前だと話を切り出しづらい……けど、夫人はムゥ様の事情をご存知ないはず。
………………
えぇい、言ってしまうわ! 女は度胸よ!
「わ、私の知り合いの話なのですが……ある二人は身分差の恋をされていて……彼女は身分が低い為、お相手は彼女の存在を隠していらっしゃいます。でも……私は二人の恋を応援したいのです! ティミラ様! 彼女に爵位が付けば全ての問題は解決します。ご協力願えそうな貴族様を私にご紹介頂けませんか?」
がばっ!
勢いよく頭を下げた。
しーーん……
なぜだか、部屋が静寂に包まれる。
「ん?」
顔を上げると、夫人と旦那様が二人揃って、真っ青な顔になっていた。
すると、夫人はその顔色に笑顔を貼り付けたような表情で、旦那様に冷たい声を掛けた。
「あらあら……クロゥムさんったら……なにがどうなったら、こんなお話が可愛いイルの口から飛び出すのかしら? この子は自分を低く見積もってしまうところがあるから、心配していたのだけれど……貴方まさか……まだ、自分の伴侶にあのお話をなさっていなかったの? ……もう結婚して間も無く半年にもなろうっていうのに?」
「め……面目ありません……」
よく分からないが……旦那様が夫人から静かに責められて……いる?
「⁇」
ティミラ夫人はすうっとソファから立ち上がり、つかつかと旦那様の目の前まで歩き進み、座っていた彼の胸ぐらをいきなり掴み上げた!
ぐいっ!
……………
えぇーーーーーっ⁉︎
だ、旦那様があの聖母のようなティミラ様に、胸ぐらを掴まれているわ! な、何事⁉︎
「イル! こんな腑抜けな男はおやめなさいっ! 貴女にはもっとお似合いの男がいるはず……エリー経由で素敵な縁談を持って来てあげるから、これとはさっさと離縁してしまいなさい!」
「え? え? え? ……ティミラ様?」
「だから最初から私は反対だったのです……イル! 貴女の幸せはどこにあるのですかっ⁉︎」
「わ、私の……幸せ……?」
………………
それは……あの時……諦めたのですよ?
心がそう呟いた。
すると、夫人に胸ぐらを掴まれたまま沈黙していた旦那様が、そっと彼女の手を制し、口を開く。
「嫌ですっ! 私の妻はイルフィーユだけ……彼女に他の男なんて当てがわないで下さいっ‼︎」
旦那様が怒りを込めた声を上げた!
身分の高いティミラ様にその言い方は非常にまずいのではーー⁉︎
………………
ん?
あれ? えっと……
何が……どうなっているのだろう?
頭の理解が追いつかない。
………………
だ、旦那様は……私を妻の座に置いておきたい……と?
え? じゃあ……彼女は……どうなるの?
ふっと、麗しい友人の微笑む顔が頭に浮かぶ。
ぽろっ……
抱えきれない感情が身体の外に滲み出たかのように、知らず知らずのうちに目から涙が溢れてきた。
「イ、イルフィーユ……?」
「じゃあ……ムゥ様は……どうなるんですの?」
「っ‼︎ あ、あれは……私の……」
「旦那様は彼女をずっとお屋敷に閉じ込めておくおつもりですか?」
「そ、外には……けして出せない……」
「酷いわ……」
◇◇◇◇
バターーンッ!
彼の言葉で頭が真っ白になってしまった。
気づいた時にはもう応接間の扉を開け、飛び出していた。
タッタッタッタッ……
ここはかなり広いお屋敷だが、三年も働けば勝手知ったる場所。
足は勝手に最短ルートでエントランスへと走り向かう。
すると、廊下の角を曲がったところで、ばったりとよく知る相手に出くわした。
「えっ? イル?」
「エ、エリアリス様⁉︎」
「あらやだ、久しぶりですわぁーー! なんだ、イルが来てることを知っていたらどうでもいい野暮用なんて入れなかったですのに……」
藍色のドレスを着た彼女が残念だと言わんばかりに整った顔をくしゃりとしかめる。
高貴な公爵令嬢も、家ではただのお嬢様。
喜怒哀楽が激しくわかりやすい。
私は彼女に少し腫れぼったい目で笑顔を返した。
すっ……
彼女がそっとハンカチを差し出してくれた。
「結婚式も挙げないだなんていうし、夜会にも出てこないから、全然イルに会えなかったですわ。元気……じゃないみたいですわね」
「……伯爵家の方々は皆、良くしてくださっていますよ?」
それは本当のことだ。
何不自由なく暮らさせてもらっている。
「でも、結婚に際して……あの条件だったじゃない? せっかく貴女の想い人と一緒になれたっていうのに、ねぇ……」
彼女の言葉で、私の閉ざした心がぐらりと揺さぶられた。
そう、私は……クロゥム様をずっとお慕いしていたのだから……。