4. 友達
カツカツカツカツ……バンッ!
ドサッ!
部屋のドアを乱暴に開け、急ぎ駆け込み、私は自分のベッドへと倒れ込んだ。
「つ……疲れたぁぁぁぁぁっ……」
無言で食べたカフェの後には、短い観劇やら洋服屋やら花屋やらを次々と巡り、夕方前にはお屋敷へと戻ってきたが……なかなかのハードスケジュール!
行った先は、どれもこれも私好みなお店だったのに……心が平穏無事でなかったせいか、まったく楽しめなかった。残念。
結局、旦那様は何がしたかったのかしら?
よく分からないまま慌ただしく、ただ行って帰ってきた感じだ……しかも今日の口数は、いつも以上に少なかった。
朝食の時に、結婚して半年がどうとか……何かごにょごにょと仰ってた気もするが……旦那様の言葉は時々、聞こえにくいことがある。
聞き返すのは失礼かと思い、私もちょいちょい流してしまうが……うーん、そっちの方が失礼なのかしら?
それとも、何かの視察を無理矢理に詰め込みたかったのだろうか?
……まぁ、確かに今日、巡った場所は旦那様お一人で突撃するには勇気がいるでしょうね。
ふと、お店で可愛い物達に囲まれていた旦那様を思い出し、ぷっと吹き出してしまった。
「くすくすっ、ふふっ……ふう……」
ひとしきり笑った後、首を横に向け、ベッドに一緒に倒れ込んだバッグに手を伸ばす。
フラップを開け、今日、唯一の購入品をそっと取り出した。
「……喜んでくれるかしら?」
小さな紙袋の表面を人差し指で撫で、彼女の顔を思い浮かべた。
コンコンッ!
「はーい!」
「失礼致します。奥様宛てにいくつかお手紙が届いております」
「はい、どうぞ」
「はっ!」
ガチャ!
執事長のベルツリーが綺麗なお辞儀をしてから、部屋へと入ってきた。
「夜会のお誘いが数通と、公爵夫人様からが一通でございます」
「まぁ! ティミラ様から?」
彼の手から手紙を急ぎ受け取り、すぐに開封する。
ティミラ様は以前、お勤めしていたグレッグス公爵家の女主人。
私は公爵家の一人娘であるエリアリス様の専属侍女として勤め上げた。
彼女とは元主従関係であり、一番の友人である。
つまり、ティミラ様は元雇い主で、友人のお母様なのだ。
普通ならありえない関係性。
筆頭貴族の公爵令嬢と下位から数えた方が早い平凡な子爵家の令嬢が友人になれたのも、彼女達の心の広さによるものだ。
「あぁ……会いたいなぁ……ティミラ様、エリアリス様……」
「奥様、ではすぐにお返事を出してはいかがでしょうか? 早馬を手配致しますので、今日中にお届けできますよ」
このお屋敷の使用人達はとても有能だ。
私の思いを即座に汲み取り、最適な提案をくれる。
……付け加えるなら、それらを統率する主人が優秀なのである。
けして皮肉ではなく、ね。
「少し待っていて下さる? 今、お返事を書くわ!」
「かしこまりました」
私は机の引き出しから、お気に入りのレターセットを取り出した。
◇◇◇◇
ポンッ!
シーリングスタンプを押し、執事長に書き上げた手紙を託す。
「これ、お願いしますね」
「はい、承りました」
早馬を使わせてもらえるなら、と明日の訪問を手紙に記した。
夫人からの手紙に『いつでもいらっしゃい』と書いてあったので、甘えさせてもらうことにした。
高位貴族からの社交辞令のお言葉は、遠慮するのが礼儀かもしれないが……私は、今すぐにでもお二人に会いたかった。
「あの……奥様……」
「ん? 何?」
珍しく、執事長がおずおずと声を掛けてきた。
彼らとは基本、最低限な関わりしかしてきておらず、互いに要件があれば言葉を交わすのだが……。
「今日のお出かけはいかがでしたか?」
「いかが……と、言いますと?」
「あ……いえ、出過ぎた真似を……失礼致しました。お夕食はいつも通り18:00にご用意致します」
「……」
バタンッ……
逃げ去るように彼は部屋から出て行った。
……まだ、何も言ってないわよ?
そんな風に口を噤むほど……私の目は冷たく恐ろしかったのかしら?
腫れ物の取り扱いは大変よね……早く……彼らのことも解放してあげたいわ。
ふうっと深く溜息を吐き出して、ようやく外出着から普段着のドレスへと着替えを始めた。
◇◇◇◇
窓の外には、三日月と瞬く無数の星。
時計の針がこのお屋敷の消灯時間を指し示すが、私はゆっくりと部屋を出て、昨日と同じく執務室へと足を運んだ。
どうか、旦那様が居ませんようにっ‼︎
心の中でそう願いながら、そろぉっと重厚なドアを少しだけ押し開ける。
私の願いが届いたのか、部屋の中は昨日と同じ、バスローブを着た彼女が一人、ソファに座って窓の外を眺めていた。
コンコンッ!
「こんばんは、ムゥ様! あ、あの……旦那様は?」
「……」
彼女はふるふると首を横に振る。
よしっ!
旦那様はもう眠ってしまわれたのだろうか?
今日あれだけ出歩いたからお疲れになったのかもしれない。
ふっ、私としては好都合。
「私と……今晩も……お茶して下さる?」
「えぇ」
「ありがとう! すぐに用意してくるわ!」
私は足取り軽く、厨房へと向かった。
◇◇◇◇
カチャッ……
ムゥ様の前に淹れたてのハーブティーが入ったカップをそっと置く。
私はお向かいの席に座ろうと思ったが、彼女がソファの隣の席をポンポンと優しく叩いた。
えっ! お隣よろしいの? やだ、嬉しい!
私は少し照れながら、ちょこんと彼女のお隣に座り、羽織りのポケットから今日買ったものを取り出した。
「これ……もし良かったら、ムゥ様に……」
「え?」
「貴女に似合うと思って……」
「…あ……ありがと」
彼女は少し困ったような、はにかみ笑いを浮かべてから、渡した小さな紙袋を開き、中からレース編みの髪飾りをその細い指で取り出した。
じぃっと眺めてから、彼女はそれを私の髪の毛に留めた。
パチンッ!
「えっ? あ、あれ? ごめんなさい、ムゥ様のお好みじゃなかったかしら?」
「ううん、きれい……だから、イルに、にあう」
ドキーーンッ!
優しく微笑む彼女の顔を直視してしまい、私の心臓が飛び跳ねた!
あぁ、美しいモノって身体に悪いのね、知らなかったわ。
ドキドキが止まらない!
「あ、あの……今度はお揃いの物にしてもいいですか?」
「ふふっ……」
彼女が笑ってくれただけで、なんだか心が洗われるような気がする……え、天使なの?
拝んでいいですか?
「な、なんだか、おかしな話ですよね……」
「?」
「旦那様が愛する人と、お飾りの正妻がこんな風にお茶してるなんて……」
「イル! そ、それは……」
「あ、けして嫌味とかじゃないですよ? 誤解しないでくださいね。私、嬉しいんです、ムゥ様に出会えて……」
「えっ?」
「このお屋敷で……私は、孤独でしたから……」
がしっ!
いきなりムゥ様が私の両肩を掴んだ!
「だ、だれ? イル、いじめた⁉︎」
「え? え? い、虐められてなんていませんよ? ただ……心を開いてはいけないと……ずっと努力してきたもので……」
「⁇」
「そ、そんなことより……」
がしっ!
今度は私がムゥ様の両手をしっかりと握り締める!
「ムゥ様! わ、私とお友達になってくれませんか?」
「と、ともだち……?」
「……駄目ですか?」
懇願の目で彼女を見つめる。
「……わ、わかった、と、ともだち」
「わぁ! ありがとうムゥ様! 大好き‼︎」
私は彼女にぎゅうっと抱きついたのだった。