万全を期す、ただし晩年にみたいな(2)
その後私達が何をしていたかと言えば、怠惰という罪を犯し、謳歌していた。賢しげなレトリックを捨てて端的な事実を言えば、皿を洗った後に部屋でダラダラと読書に耽っていた。
私は図書館で借りてきた森博嗣の『S&Mシリーズ』を、仕は引き続き手塚治虫の『ブラック・ジャック』を。同じベッドに腰をかけ、お互いが立てる紙と紙が擦れる音を聞きながら。
そうして過ごす事5時間程、私の母からメッセージがあった。
[今日は、帰るのが、凄く遅くなりますよ、お金を送っておくので(凄く遅くと送っておくは、韻を踏めていて気持ちいいですね)、これで仕ちゃんと何か食べてください。仕ちゃんのママへの確認は、ママがしたから不要ですよ]
[不暮 否積さんから3000円の入金を確認しました]
長くて句読点が多い!ライムの報告も要らない!押韻の解説をしていいのはラッパーと小説家だけだ!そもそもこの韻はそこまで気持ちよくない!
しかしお金に関してはありがたく受け取っておこう。
「仕」
「ん、なんだ」
私は会話アプリの画面を仕の方へ向け、指で示す。
「らしいです」
「なるほどな」
「食べたい物とかあります?あ、電子マネーで振り込まれてるので、いつものラーメン屋みたいな非対応の店は除外してください」
「なら適当にハンバーガーチェーンとかで良いんじゃないか、不味い事なんてまず無いだろ」
「賛成しましょう、安牌です。安心安全安価……いや、最近はもう安価でもなくなりましたか、未来は暗澹ですね」
とか、大して気にしてない国の未来を憂いてみたりして。
「じゃあ行きましょうか」
私は上着を羽織り、ソフト帽を被る。仕も我が家に来る際に羽織っていたであろう、椅子に引っ掛けていたジャージに袖を通した。学校指定のものではなく、ドンキホーテに居る厳つめな人種が着ているやつだ、通気性が良いらしい。
玄関のドアを開けると相変わらず寒いながらも、ほんのりと春の気配が感じられるような気がする。
ちなみにこれは全然勘違いだった、少し踏み出して強めの風が来た瞬間に全ての暖気は吹き飛んだからだ。
特に面白い事も無くハンバーガー屋に到着する。これは別に面白き事も無き世め、という世界批判を行っている訳ではなくて、単にハンバーガー屋が私の家から徒歩5分の場所に位置しているだけだ。
注文は歩きながら決めた、私はオーソドックスにダブルチーズバーガー、仕はトリプルなミートがビッグでどうのこうみたいな名前の、とりあえずデカいヤツにするらしい。ちなみに店内ではなくテイクアウトだ、私は食べてからすぐに歩いた時に脇腹を走るあの痛みを心底忌んでいる。
店の前では1匹の巨大な犬が行儀良く待機していた、ハスキーだ。彼(彼女?)にとっては今ぐらいの温度が丁度過ごしやすいのか、舌をだらしなく垂らしてボヘーっとした表情を浮かべている、とても可愛い。
ガラスのドアを開けると、店内の暖気が体にぶわっと吹きつけて心地よかった。珍しい事に、土曜の夜だというのにかなり空いている。
誰も居ないカウンターに並ぶ。仕は別に店員と会話するのが苦手なコミュ障系女子ではないが、いかんせんクレーマー顔なので("顔"というだけでクレーマーではない)オーダーは私が纏めて伝える。私なりのちょっとした気遣いだ。
「いらっしゃいませ!ごちゅ……」
店員の快活そうな笑顔は何処かで見た事ある気がしたが、特に大脳皮質を巡ってもヒットする者は居ない。相手の外見年齢から察するに学生だろうし、勤めている店の場所からして私と同じ学校、廊下で1度すれ違った事があるとか、そういう感じだろう。
「あれー不暮ちゃんじゃん、やほー」
「やぁほー」
マジで誰だろう。
「あは、絶対覚えてないでしょ!不暮ちゃんと仕さんコンビは両方綺麗だから一部のグループで有名だけど、私はちょっと愛想良くて愛くるしくて愛おしいだけだからね」
第一印象として、こいつの人生を小説として書き起こした時、地の文よりも台詞が多いんだろうなと思った。そして地の文ではずっと自画自賛をしているんだろうなとも思った。
「そんな事無いですよお、ヒナちゃん」
「全然違うよー。平成20年前後の名付けランキングで全体的に高スコアを叩き出してる名前でワンチャン的中を狙いにいかないでねー。マークシートの答案用紙でよく分からなくてもとりあえず5分の1に賭けるような態度を人間関係にも適用しちゃだめだよー」
「しかしですよ、その発言が実は引っ掛けで、貴方が本当にヒナという名を持っている可能性も大なり小なり存在するのではないでしょうか?」
「確かにするけど可能性とか言ってる時点でワンチャン当てに行った事を自供しちゃってるよー」
「それじゃあ極厚トリプルバーガーセットとダブルチーズバーガーセットで。両方ポテトで飲み物はコーラとオレンジジュース、支払いは電子マネーでポイントカード無し、テイクアウトです」
「会話をシャットダウンしに来た!」
どちらかと言うと君にシャットアップして欲しいのだけれどもね。
「私の名前はアカクビクミだよー。開け閉めの開と架空の架に縊り殺すの縊、区画整理の区に美しいで開架縊区美。今回の所はバイト中だから見逃してあげるけど次はちゃんとお喋りしようねー」
「いやもう勿論当然任せてくださいって感じですよ」
「責任感を感じにくい返事だねー。はいここ、ピッてしてね」
ヒナちゃん改め開架縊ちゃんは、レジ打ちを手際よく済ませた。できれば注文も手際よく済ませて欲しかったな。
まあ学校での仲良しちゃんを増やすのも、何かの役に立つかもしれない。世界を、そして生活を私と仕だけで完結させられたのならばそれはとても理想的なのだが、現実それは無理な話だ。程々に話す相手を増やすのも、悪くはない事なのかもしれない……という可能性を一応考慮に入れなくは無い……かもしれない……。
「お客様番号は252番だね、お席でお待ち下さーい」
「はーい」
伸ばし棒が移ってしまった。
なんだかカロリーの高いコミュニケーションから抜け出し、仕の隣に腰掛ける。
ちなみにこの間、仕はずっと窓際の席に座って犬と見つめ合っていた。お互いにシンパシーでも感じたのだろうか。
私も見つめてみるが、すぐに目を逸らされてしまった。あまり波長が合わなかったようだ。
「252番のお客様ー、苗字で呼ぶとしたら不暮ちゃーん」
作るのが早いな、私はカウンターへ向かう……じゃなくて
「なんで苗字で呼ぶんですか???」
「親しみの表れだよー、はいどうぞ。私のスマイルも付けておくね、にこっ」
「ああどうも、きっとミシュランも唸りますよ」
困惑でね。
「学校でまた喋ろうねー、私不暮ちゃんみたいな全人類を見下してる子好きだからさ、ああでも仕さんは例外視してるみたいだね?」
「…………」
おっと?
かなり鋭い子らしい、私の悪癖を見抜くか。洞察力に免じて、手ぐらいは振ってやった。
家までの道を歩く、来る時に濃厚なオレンジ色だった陽は、もう居なかった。
二人分のバーガーやらが入った紙袋は仕が持ってくれている、やはり優しい奴だ。
私は仕以外の人間に対して久々に"会話"をする気にさせてくれた、開架縊ちゃんとやらの言葉を反芻してみる。例外視か、随分ズバリと来たものだ。
私はその例外視のきっかけである小学生の頃の思い出を、久々に記憶の棚から引っ張り出そうとした。
したのだが、先程から紙袋より漏れるハンバーガーの良い匂いに邪魔され、上手く記憶棚の取手を掴めない。自宅が見えてきて、なんにせよ開架縊ちゃんへの対応を決めるのは食べてからにしようと思った。
思ったのだけれどもなあ。
見えてきた瞬間に、自宅は見えなくなった。