万全を期す、ただし晩年にみたいな(1)
やれやれ、私は土曜日の休止符が具現化したかのような空気に、溜め息を一つまみ加えながらパスタにソースをぶちまけた。
村上春樹の小説のような心情になっているのには訳がある。
今朝、本日の献立に悩める私の母が動物の死体やら植物の死体やら────つまり食品類をガサガサと漁っていた際に、棚の奥に身を潜める今日が消費期限の乾燥パスタ500gを発見した。私の母は食品を後先考えず買い込み、馳走による地層を形成してしまうタイプの人間だ。
好むと好まざるに関わらずそれを消費しなければならなくなった母は、自分の好む、そして父の好物でもあるホワイトソースを作り、夫婦で朝食としてクリームパスタを100gずつ食した。このホワイトソースは私の分まで作られてはいない、何故なら私はクリーミーな味付けのものがあまり好きではないからだ。
そうして300gほど残った訳だが、私の胃袋に300gもの小麦粉を収納することは不可能である。そこで母は、仕の母親へと連絡して私の家へ仕を招いた。付き合いの長い友人が居ると、自然にその親同士でも繋がりが発生してくる。
寝起きの良くない私は、折角の土曜という事で11:50までの少し長い眠りを謳歌していた。そして目を覚ました時には、ベッドの横で椅子に座り私の棚から引っ張ってきたブラック・ジャックを読む仕の姿があった。
そこで一旦顔を洗いトイレを済ませた私は、仕から状況説明を受ける。この時両親は既に服屋へデートに向かった後だった、つくづくラジカルな人達だ。
私の持っているブラックジャックは講談社出版の手塚治虫文庫全集版で、仕は5巻目を読んでいた。開かれているページは私の好きな回である「友よいずこ」の冒頭だ、仕の読むスピードを考えるにかなりの時間待たせてしまったらしい。
その埋め合わせという訳では無いが、私は今、自分の朝食を兼ねた昼食を兼ねた仕の昼食の調理中だ。
ソースはトマトベースで作る、これぞ王道。食に関して肉>肉以外という偏った思想を持った仕のためにベーコンも入れてやった。
麺の配分は私100gの仕200g。仕のフィジカルを見ていると、よく食べるというのはやはり体に良い事なのだろうなと思う。
タバスコと粉チーズにバジルとオレガノは各々セルフで乗せる形式となっている、こういった細かなトッピングと調味料は一律でかけるのではなく、皆が好きな物を好きな量加えられるようにしておくのが世界平和への大いなる一歩だと、私は強く信じて疑わない。
私はタバスコをドバドバ振り、バジルとオレガノを乗せる。粉チーズも嫌いでは無いが皿を洗うときにこそげ落とすのがかったるいので不採用、今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。仕はタバスコを適量に粉チーズ、バジルやオレガノには価値を見出す舌じゃない。
二人分の箸を出して席に着く、別にフォークでも良いが個人的にはこっちの方が食べやすい気がするのだ。
仕は軽く手を合わせた、その辺の習慣はしっかりしている。私は食物への感謝理論は色々と無理があると思っているので、誰かに作って貰った時以外は「いただきます」をしないという主義だ。別段全ての行動に論理的正当性が必要な訳ではない事は理解しているが、論理的な齟齬を見つけてしまった慣習にはどうも忌避感が生まれる性分をしている。多分潔癖症なのだろう、あるいは単なる逆張り精神か。
食前の挨拶への議論はさて置いて、パスタを数本箸で摘む。
赤といえば警告色だが赤い食べ物もまた無数にある。人類は動植物からの「私を食べると有害だぞ!」という警告を、一体何回無視してきたのだろう、天文学的な数字になりそうだ。赤信号と同じように皆で食べれば怖く無いという事だろうか。
口に入れながらそういえば寝癖を直していないな、と思った。気付いた瞬間今すぐに直したい衝動に駆られたが、冷製パスタの気分では無かったので食事を続行する。
ふむふむ、中々に美味だ。まあトマトパスタなんて不味く作る方が難しい部類の食べ物だが。
「おお、美味い」
「お口に合いましたか、良かったです」
仕は少なくも5本以上ものパスタをぐわしと掴み一気に口に押し込む、私はパスタを二つ折りせずに茹でる派なので相当な量となるはずなのだが。相変わらず一口がデカい奴だ。
私が食べ終わる頃には、仕の皿の残量は10%もあるか怪しかった。パスタのみに固定された瞳孔がかなりお気に召してくれている事を指し示している。
自分の箸と皿をささっと洗って籠に放り込んだ私は、食後の楽しみであるコーヒーを淹れ始める。我が家にある器具は、フィルターをセットし自分でお湯を回しかける古風な手動タイプだ。これは、こっちの方がテンションが上がるという私の要望によるものとなっている。こういった行為は不思議と億劫にならない。流石に豆は既に挽かれた市販の物だ、コーヒーミルで豆をゴリゴリとやりたくないと言えば嘘になるが、人間の可処分時間は有限である事を努々忘れてはならない。
ケトルでいつもより多めにお湯を沸かし、フィルターにいつもより多めの豆をセットした。細かく優しくゆっくりとお湯を注ぐ、昔検索した時にこう注ぐと美味しく淹れられると聞いたからだ。特に原理などまでは調べていないが、デマを流すような価値のある情報では無いだろう。
「うん、美味かった」
どうやら仕の方も食べ終わったらしい。
「洗いますよ、水を浸して置いといてください」
「おーけぃ、ブラックジャックまた借りるな」
仕はOKの発音が少し変だ。
そしてやはりブラックジャックはハマっていたか。流石手塚治虫先生だ、絵と文字を認識出来てブラックジャックをつまらないと感じる人間なんて居ないだろう。
用意したお湯を全て流し込み切り、ガラス製サーバーがコーヒーで満たされた。愛用のマグカップにその3分の2を注ぎ試飲する。細かなコーヒー理論だとか良し悪しの判別方法だとかはよく分からないが、いつだって私に温かみと脳の冴える香りをもたらしてくれるソレを、美味と表現しようと思った。
サーバーにはまだ残りがある、壁面に残留したコーヒーの跡が、クリアなガラスと混ざって薄茶色を織りなしていて実に美しい。
棚から来客用に購入したマグカップを取り出す。おそらく今後は仕専用となる、白く滑らかなその器に焦茶色のコーヒーを注いだ。そこに少なくとも致死量ではないだろうという位の砂糖をぶち込み、箸をマドラー代わりにジャリジャリとした感触が無くなるまで混ぜる。
この時一度洗った私の箸を使用したので二度手間となるわけだが、洗わずに使うのも仕への飲料に私の唾液を混入させているような背徳的行為になってしまうのでまあ良いだろう。そもそもそんな事をせずとも、本気で仕に頼み込んだら私の唾液くらい飲んでくれそうだ。多分やらないけれども。
砂糖が完全に溶けきった所で牛乳を入れる、割合はコーヒーと牛乳で1:1にした。
この時にぬるくなるので、溶解度の高い最初の段階で砂糖を混ぜておく必要があったのだ。
最後にもう一度かき混ぜ、引き上げた箸に付着する雫を舐めてみる。当然、甘い。
水に浸った仕のパスタ皿に箸を放り込む。先程妙な仮定を思案していたせいで、今のシンクでは私の唾液と仕の唾液のリンクが発生しているなという妙な気付きを得てしまった。
その辺の話は一旦水に流し、或いは浸し、コーヒーとカフェオレを持って自室へ向かう……が、その前に、忘れる所だった、寝癖を軽く整えなければ。
仕は変わらずブラックジャックを読んでいた。フィジカル系の言動が散見される仕だが、本を読んでじっと佇めば中々の顔立ちと相まって理知的な雰囲気が醸し出される。手にそれこそ村上春樹でも持たせていれば、ビートルズの『ノルウェーの森』がBGMとして流れ出してもおかしくない。
「仕、あなたにはコーヒー好きになって貰います」
「なんだ急に」
「侵略ですよ侵略、あなたの価値観を私の価値観で上書きしていく、個人単位の文化的侵略です。人はこの侵攻の事を親交と呼びます」
要約すると私となかよししよーぜーって事だ。
「というわけで飲んでみて下さい」
仕に、シンプルな白地の上から筆記体で『Boiling frog』と記されたマグカップを差し出す。
中にある液体の焦茶と乳白色の丁度中間の色を確認した仕は、カップを受け取りズルズル啜った。
「どうです?」
私は素材の美味しさそのままなコーヒーを飲みながら訪ねる。
「美味い」
「そうでしょう」
「でもこれカフェオレだろ、これを好きな奴をコーヒー好きとしてカウント出来るもんのか?」
「出来ないでしょうね、"まだ"」
「まだ?」
私は色々とラジカルな両親と違って慎重さを重んじるのだよ。
「次に飲む時は砂糖と牛乳の割合を減らすんです、仕が気付かない程度に。それを何回も繰り返していけば立派なコーヒーパーソンが完成します」
「なるほど」
私は白地に筆記体で「Global warming is not a problem」と記されたカップに口をつけ、得意げに傾けた。得意げになりながら気付いたが、この計画の完遂には私が大分長い時間連れ添ってカフェオレを作る必要がある。
まあいいだろう、今までそんな感じだったし、これからも多分、そんな感じだ。
読んどいた方が良いですよ
西尾維新の『クビキリサイクル』は…!