線路上、少女二人、会話(1)
人間は皆誰かの焼き直しだ。誰かの言葉を聞いて、誰かの思想に染まって、そこにさらに別の誰かの哲学が加わったり。
マンネリだ、退屈だ、創作はより刺激的で、新鮮で、鮮烈であるべきだ。創作という行為に幻想を持ち過ぎだろうか?しかし創作とは幻想的でなければならないだろう。
とにかく、私は新しい物を創りたい。これは恐らくほとんどの創作者が思っている事だろう。しかしその為にはどうすれば良いのか?それに対しての私の答えはこうだ、異なる世界からインプットすれば良い。幸いな事に私にはその手段がある。
そういう訳で私は、今日も携帯食料と水筒をバックに詰め込み日没後の街を彷徨うのだ。
冬の日没は早い。まだ19時だというのに太陽は顔を背け、ただでさえ寒い街は日光すら無くなり極寒となる。しかし全く問題は無い、むしろ大歓迎だ。こうして日没の時間が早くなればなるほど、『外出』の発生を狙いやすくなるからだ。それに今回は────
「なあ、寒いし帰らないか?」
頼もしい助っ人も居る。
「駄目です、少なくとも9時までは付き合ってもらいますよ」
「あそこはそんなに惹かれるか…?」
私は非力な上に身長が低い、高い場所によじ登ったり障害物を退かすのには難儀する。すなわち高身長かつ力持ちの彼女、仕を助っ人として協力させれば、私は『外出』先でより多くの体験が可能になるだろう。
「この数時間を乗り切れば温かくて美味しいラーメン(トッピング全乗せ)が貴方を待っていますよ」
良いラーメンとは想像ですら美味しいものだ、私は行き付けの店の味に思いを馳せる。麺を掴む瞬間から出汁の香りで噎せそうになる素晴らしき感覚を想起する。街の空気も呼応するように暖かみを帯び始めた。いや、これは
「発生しましたね」
「ああそうか…」
寒気の充満した街を徘徊していたはずの私達だが、気付けばまるで知らない場所に居た。地面が変われば当然地を叩く靴音も変わり、さながら曲の転調のようだ。恐らく気温は25度程度なのだろうか、先程まで寒い街に居たのと冬着なのが相まって、非常に暖かく感じられた。
「かなり霧が掛かってますね…生物の気配は感じられませんが足元がコンクリートで舗装されてます、人工的な建造物があるかもしれません。ああでも僅かに潮の香りがするので近くに海がある可能性もありますね、仕はどちらに行くのが良いと思いますか?」
やはり未知とは良い、実に刺激的でワクワクが尽きない。
「この前はビルに入ったらガラスの蛇に噛み殺されたな、その前の前は海に行ったら海水で焼け死んだ、どっちも良い事は起きないだろうな」
過去の苦い経験が想起されたのか仕は露骨に帰りたそうだ、しかしながら帰るには死ぬ必要があるのだが。
「とりあえず靴を投げた方向に進んでみますか」
この場所で私の世界の知識は全く役に立たない、出来るのは面白い事が起こるように期待することだけだ。私はスニーカーに手をかけようとしたが───その手は私の顔を覆う。突如として霧の中から現れた眩い2つの光から目を守るためだ。手をゆっくり退かすのと、レトロな電車がすぐ目の前まで走って来ていた。電車は段々と減速を始め、前から3つ目の車両を私たちの目の前で停止させる。
「……」
突飛過ぎる展開にエラーを吐く脳味噌を、仕の言葉が再起動させてくれる。
「なあ不暮、電車の音なんて聞こえなかったしここの地面に線路は無かったはずだ」
「私もそれらは確認していません、しかし今実際に私達の目の前に電車があって、足元には線路が敷かれています、つまり『そういう場所』なんでしょうね」
そう、『外出』では「そういう場所だから仕方ない」という認識がとても大事だ。そもそも私達は異邦人なのだから、この場所に自分達のルールや法則を押し付ける権利なんてない。
蒸気が吹き上がるような音の後に、ガッコンと電車の扉が開く。
「なあ不暮、乗るのか?」
「仕、『チェーホフの銃』という言葉があります。もし物語に銃が存在するのならそれは撃つために存在している。それならこのわざわざ私達の前で停車して扉を開けた列車は?乗るためにあるに決まっているじゃないですか」
「ああそうか…」
「さあ早く」
既に電車内に右足を掛けた私は、有無を言わせずに乗り込む。私達がボックスシートの窓際に向かい合うように座ると、アナウンスも無しにドアが閉じられる。鉄と木の混じった電車からは、どこかノスタルジーを擽られる香りで満ちていた。窓の外を見ると私達に不安感と閉塞感を与えていた霧は文字通り霧散していて、コンクリ張り地面の少し遠くにどんよりとした黒に近い紺色の海が見えた。重い金属の塊が擦れる音と共に、車体がゆっくり前進していく。鈍重でゆったりとした車輪のリズムはやがて軽快になっていき、窓の外の変わり映えしない景色も左から右へと流れ出した。
タタン、タタンと心地良いリズムが体を揺らす。どこかで聞いた話だが、電車の音は胎内の音と似ているから安心するらしい。仕の方を見てみると彼女も安心しているのか、壁と背もたれに全体重を預ける脱力しきった体勢だ。仕が同行を渋る割にすぐ慣れるのはいつもの事だ。
「仕、子供に戻りたいと思った事はありますか?」
「……急になんだ?」
「よく聞くじゃないですか、『子供の頃に戻りたい』『大人になりたくなかった』『昔は良かった』なんて」
「特に無いな、私は今の事しか考えないから」
「ふふっ、貴方らしくて良いですね」
「それで、その質問からはどういう講釈に繋がるんだ?」
そう、私はよく哲学というか思想のような物を語り出す。我ながら面倒臭いのは自覚しているが、彼女はそれを承知の上で聞いてくれる優しい奴なのだ。私はお言葉に甘えて好き勝手に語り出す。
「私が思うにはですね、ああいう願望はもう戻れないというプレミア感があるから生まれるんだと思うんです。もし子供の頃に戻れるのが当たり前の世界だったら、実際に戻る人は少ないんじゃないかって。ほら、製造中止が決定したお菓子がやたら人気になったり、アーティストが死亡した途端評価されだしたりとか、そういう取り返しのつかない物に人間は弱いんじゃないかって思うんです」
特に意味がある訳では無いが、あちこち乱舞させていた手を下ろす。仕の瞳は私の唇を真っ直ぐ捉えており、暇つぶし程度には聞いて貰えたようだ。
「あー…まあなんとなく分かるな」
「ふぇっへへ、そうですか、分かってくれますか」
こういった講釈にも付き合ってくれる友人が居るというのは、嬉しいものだ。筆舌に尽くし難いじんわりとした喜び噛み締める。
背後から、カラカラと音がした。
さながら胡瓜を置かれた猫のように、二人揃ってビクリと体を震わせる。何が起こるのかという期待、好奇、警戒、恐怖、様々な感情の濁流を必死に抑え込み、何とか冷静を保つ。二人して旅行ではしゃぐ子供のような体勢で座席から身を乗り出し、音の方向に目をやった。そこには至って普通の光景があった───しかしこの異常な空間の中でのその光景は、非常に私達の警戒心を煽った。飲み物の入ったピッチャーや様々な軽食を乗せた台車を引いた、車内販売の人が。