生誕拒否制度
「残念ですがお腹の中の子は生誕を拒否されました」
先生の言葉が私たち夫婦の耳に入りました。生誕拒否制度によって生誕問診で先生に見てもらっている時のことでした。
最近の科学の研究で「生誕拒否制度」というものが新しくできました。これは、赤子にも生まれたい、生まれたくないという自我を持っているという研究結果を基に赤子にも人権がある、よって生まれるか生まれないかも選ぶのは赤子の人権だ。という制度です。
赤子の人権問題というものは前から中絶手術などで問題にはなっていましたがこのツールの影響で自我が形成される妊娠二十二週目からは中絶は禁止という点は変わらず、生まれるかどうかは赤子の判断ということになりました。
「先生、何かの間違いでしょう!?もう一度聞いてください!」
夫が大きい声で激情します。気持ちはわかります。妊娠がわかった時夫は目を晴らすほど泣き喚いていましたので、よほど嬉しかったのでしょう。そんな嬉しさが、生まれてきてもいないような子が、生まれてきたくない。と言ってしまったら、それは悲しいと形容しても足りないことでしょう。
「落ち着いてください。気持ちはわかりますがここで感情を顕にされてもお腹の中の子が生まれてきたくない理由にしかなりません」
夫が苦虫を潰したような顔になります。その通りではありますが夫からすれば怒りを増幅させるものでしかなかったでしょう。事実というものは人を救うものではなくて、人を傷つけるものなのじゃないのかと思ってしまうほど人を傷つけることの方が多いです。
「先生…私たちがお腹の中の子と直接話すことはできないのですか?」
「それは難しいです」
先生が私の問いに即答して言葉を続けます。
「赤子というのは私たちのように円滑なコミュニケーションを取るための「言語」というものを話せません。ですから、私たちのような専門医は「はい」「いいえ」で答えられる「閉ざされた質問」を脳波に送って回答をもらっている状態です。これは、専門医ではないとできません。なので、聞きたい質問を私に伝えていただければ「閉ざされた質問」であればお腹の中の子も答えることができると思います」
そうすると夫が口を開きました。
「それなら、「私たち夫婦のことが嫌いか」聞いてください」
「わかりました」
先生は私のお腹にエコーを当ててヘッドギアを装着しました。
「回答が出ました。「いいえ」とのことです」
ならなんで…。と、夫が言葉をこぼしました。泣きそうな夫を見て少し納得してしまう自分が醜く感じました。
私の子だ。
そう思いました。「変化」を恐れ、なあなあで生きる。「妥協」と「甘え」でできたろくでなし能無し女。こんな女を夫が拾ってくれて嬉しいですが、私はいつ捨てられてしまうのか私は怖いのです。幸せが、不幸になるのが。幸せという柔らかい絹でさえも私は摩擦で怪我をしてしまうのです。
「先生、私も良いですか?」
「どうぞ」
「それでは「生きることに希望はありますか」と聞いて欲しいです」
「わかりました」
先生はまた、私のお腹にエコーを当ててヘッドギアを装着しました。
少し時間が経って先生は悲しそうな顔をしながら
「お腹の中の子は「いいえ」とのことです」
確信してしまいました。お腹の中の子は私の子です。生きることに希望を見出せず、なあなあで生きてきた私の子なのです。「変化」を恐れて大きな「幸福」を恐れて、夫に縋るだけの能無し女の遺伝子を持っている子です。
「わかりました」
やけに落ち着いている私を見て夫は少し驚いていまいした。生命を簡単に手放す、ましてや自分たちの子ですから。少しは私に関する軽蔑もあったかもしれません。
「あなた。この子が生まれてきたくないのなら、私たちは産まない方がいいのかもしれない。この子の最初で最後のお願いよ。名前もまだない私たちの子供の」
夫は泣くのを我慢して我慢して我慢できずに泣き出してしまいました。しんぞこ申し訳ない気持ちになりました。嗚呼、生まれてすみません。あなたに縋ってしまってごめんなさい。あなたが私以外の「まとも」な人間と結ばれれば、生きることをプラスに考えられる明るい子が生まれていたかもしれません。
「わかった」
泣きじゃくりながら、鼻水を垂らしながら夫は言いました。
赤子は私の子ですから、きっと自分の父親がここまで泣いている理由が理解できていないと思います。そして申し訳なくなっているともいます。「両親の愛」というのは「生きる力」にならないのです。「罪」になってしまうのです。
そこからは早かったです。中絶手術はいつ行うか、お金はどうするか、お墓はどうするか。そんな話を進めていました。夫は急に老人のように生気がなくなってしまいました。
もしも、なんて思ってしまいますし、夫の明るい人生をもしも、で終わらせたのは私です。あの子ではありません。私の遺伝子のせいなのですから。
嗚呼、私が赤子の時から「生誕拒否制度」があればよかったのに。
ご愛読、ありがとうございました。